第五十七話
シャルパンティエに戻った次の日からは、天気も良くて人いきれも多いのに、どことなく重苦しい日々が始まった。
「アレット、起きてる?」
「うん、おはよ、お姉ちゃん」
今朝は朝食の用意をせず、着替えてそのまま『魔晶石のかけら』亭へと向かう。
ふぃあ!
「見回りよろしくね、フリーデン」
「いってらしゃーい」
少し、シャルパンティエの村そのものにも変化があった。
昨日はまだあったゼールバッハ家の箱馬車や荷馬車は消え、天幕だけが残されている。そうだ、あれも今日中に中身を確認して、目録を作っておかなきゃね。
村を囲う柵には低い土盛りが加わり、ところどころには、空堀が掘られていた。
「本格的だね……」
「親方さんは、後からまだ手を入れるって言ってたよ」
今日からしばらく、『魔晶石のかけら』亭はメニューが選べなくなる代わりに、食事が無料になっていた。冬にイーダちゃんが虹色熱に罹ってしまい緊急依頼を出した時と同じように、領地全体の危機であるユリウスが宣言、領主の名で借り切ったのだ。
いつものようにお店で食べてもいいんだけど、こういう時はみんなと一緒の方が気持ちが落ち着くよね……。
「おはようございまーす」
「はいおはよう、ジネット、アレット」
「パウリーネさま!?」
朝一番、『魔晶石のかけら』亭の厨房に立っていらしたのは、アロイジウスさまの奥様パウリーネさまだった。
「みんな忙しいし、特にカールやユーリエは休める内に休ませてあげないと。だからね、今朝の当番はわたしが引き受けたのよ。ほら、二人とも、しっかり食べなさいね」
「ありがとうございます」
パウリーネさまからスープ皿と茹で野菜の小皿を受け取り、パンの盛られた籠が置いてあるテーブルにつく。
みんなもう出ているのか、酒場には誰もいなかった。
「お姉ちゃん、お店はどうするの? 領主様のお手伝いもあるんでしょ?」
「そだね、どうしよう……。今はこっちにお店広げてるみたいなもんだよねえ」
冒険者達に必要な物はまとめて『魔晶石のかけら』亭に持ち込んでるから、お店を開けていてもお客さんは来ないだろうし、わたしも他のお手伝いする方がいいのかなとも思ってしまう。……そもそも当面、ダンジョンに出かける人はいないもんね。
アリアネを置いてきたのは失敗だったかなと思いつつも、メテオール号の駆け足は大人のわたしでも結構疲れたし、彼女の安全が一番だから、これは仕方ない。
「んー……次の日の荷物出すのに合わせて、夕方だけ開けることにしようかな」
「じゃあ、朝と昼はお休み?」
「それがいいと思う」
あ、茹で野菜のソースがいつもと違う。……でも、材料は一緒かな? パウリーネさまには、今度時間のある時お伺いしてみよう。
「後はお手伝いかな。アレットは逆に薬草師の仕事が増えるだろうから……」
「こっちはまかせて。ディトマールお爺ちゃんと一緒に頑張るよ」
「うん、お願い」
そうだった。
わたしもわたしに出来ることを見つけて、頑張らないとね。
「ジネット」
「おはよう、ユリウス」
「うむ」
いつもの襟なしシャツに皮のズボンではなく、きちんと鎧を身につけたユリウスが二階から降りてきた。
今日からは朝の鍛錬もお休みで、代わりに村を見て回るという話は昨日聞いている。
「また後でな」
「うん、いってらしゃい」
食事の後、眠そうな目をこすりながら『魔晶石のかけら』亭に入ってきたギルドのウルスラちゃんに、これお願いとお店を開ける時間を書いた張り紙を押しつけ、わたしはコンラート様の置き土産を確認して目録を作るべく領主の館へと向かった。
「お疲れさまっす、ジネットさん!」
「おはよう、ヨルクくん。頑張ってね」
「うっす!」
見張り当番の『英雄の剣』は、ヨルクくんの他に二人。残りの二人は城壁の角にいた。よく見れば不格好な台が作られて、見晴らしが良くなっている。金属の板をぶら下げただけの鐘っぽいものまで用意されていた。
わたしは小屋から顔を出したメテオール号にも小さく手を振って、大天幕へと入った。
「うわ……」
中にあったのは、山と積まれた行李に麻袋やら木箱やら……とにかく、沢山だ。外で使うテーブルや書類棚のような大物まで残されている。
いやね、コンラート様が放蕩貴族の振りをしている割に、従者やメイドさん達は忙しそうだったし、うちへの日用雑貨や消耗品の注文が少ない割に荷馬車の往復が多いな、なんて思っていたけど……これはやりすぎだ。
とりあえず、目立つ位置にあった大きな行李を開けてみれば……。
「へ……?」
真っ白い矢羽が、まず目に飛び込んできた。
矢筒に入った、沢山の矢。
もしかしてと思い立ち、目に付いたものから開けていく。
二番目の行李は弓、三番目はショート・ソードだった。
まさかこれ、全部、武器なの……?
流石にこれはわたしの手に余ると、ユリウスを呼びに行った。
「……幾らか持ち込んでいるとは聞いていたが、予想外の量だな」
「これ、どうするの?」
穂先の外されたショート・スピアを手に取りながら、ユリウスがため息をつく。
「しばらくは、数だけ確かめて封印する。……これはな、ヴェルニエが攻め落とされた時の、本当に最後の一手なのだ」
「そんな……」
「まあ、そんなことにはならんだろうが、あるとなしとでは大違いだ。その時になってみなければどうなるかわからんが、ヴェルニエの人々が避難する先の一つにシャルパンティエも考えられていた。オルガドに向かう街道沿いの方が逃げ道として順当だろうが、人々が逃げるより先に魔物が街道の向こうまで回り込まないとも限らぬ」
あ奴はおそらく、最悪の場合の逆襲まで本気で考えていたのだろうなと、ユリウスは行李の山を見渡した。
「コンラートが妙に俺をシャルパンティエに返したがっていた理由の一つ、だろう。ここならば冒険者も多く、砦もあるから長く持ちこたえるにも丁度いい」
「……」
そんな先の先……というか、ユリウスに『勝てるだけの準備をした』と言いきらせる努力を払っていてなお、コンラート様は負けた場合の手も打ってらっしゃるんだ……。
魔物との戦争はいやだけど、ユリウス達の本当のすごさを少しだけ見た気がするよ。
「理由の一つって、他にもあるの?」
「……戦の話ではないから、また落ち着いた時にな」
なんだか急に慌てた様子を見せたユリウスは、見回りの続きをして来ると言って天幕から出ていってしまった。
……何か隠してる様子だけど、戦絡みでもそうでなくても、言わないと決めたら絶対に口にしない彼のことだ。
問いつめても時間の無駄だし、忙しいのは本当だろう。
しょうがないなあと一つだけため息をついたわたしは、折って重ねた藁紙を行李の上に置き、インク壷の蓋を開けた。
ユリウスとシャルパンティエ戻って数日、村には少しだけ緊張した空気が残っていたけれど、ほぼ日常が戻っていた。
わたしは朝起きて『魔晶石のかけら』亭で朝食を食べ、ヴェルニエ地図を見ながら唸っているユリウスの横で各お店が出した商品の集計をして、昼からはお店に戻って翌日村の外に出る冒険者のために荷物をまとめ……気が付けば夜になる、そんな生活だった。
それが急に終わりを告げたのは、聖神降誕祭まであと五日、領主の館の城壁に作られた鐘もどきが、かんかん、かんかんと、やかましい音を立てた日の出前のことだった。
「お姉ちゃん!」
「なんだろ!? ともかく、行くよ!」
「うん!」
もちろんわたしもすぐに飛び起き、寝間着の上から『春待姫の外套』を羽織っただけで店から走り出る。
宿からもユリウスを先頭に冒険者やアロイジウスさま、夜の食事当番を引き受けていたウルスラちゃんらが出てきた。
星灯りの中、皆目だけで挨拶を交わしつつ、領主の館へと全力で走る。
「アドルフ、何事だ!」
「領主様、登ってきてくだせえ! 何かやばいことが起きてるのは間違いねえが、ちょっと判断がつかねえ!」
「うむ!」
大声で怒鳴る『黒の四弦器』のアドルフさんの顔は見えないけど、相当慌てているようだ。
飛び跳ねるようにして階段を上るユリウスに、わたし達も続く。
「あれです!」
「……む!?」
追いついたわたしも、城壁から少しだけ身を乗り出した。
遠く東の方の空の下、ほんの一角だけが赤黒く、あるいは青白く、薄ぼんやりと光っている。
ここからじゃ、昼間でもヴェルニエさえ分かるかどうかだけど、それよりもずっと遠くだろう。
「始まったな」
ユリウスが、ぽつりと呟いた。
「『孤月』、どう見る? たった数日で近衛や王軍が王都から駆けつけられるとは思えぬし、竜で間違いないか?」
「……ありゃ、どう考えても王国の竜騎士団だろうな。何十リーグ離れてるか分かったもんじゃねえが、人の住んでねえ場所ならあれぐれえのやりたい放題も出来るだろうさ」
「やはりコンラートが引き当てた王国の切り札は、竜騎士団か……」
「北の方は、なし崩しで人の住む村の手前まで攻め込まれてたって話だからな。規模の小さな魔物の群が人の領域にまで入り込んで、使うに使えんかったんだろう。これで十分に魔物の数を減らしてくれりゃいいんだが……どちらにせよ、答えが出るのは次の鷹便が来てからの話か」
光る何かは、竜の炎で燃える大地らしい。
でも。
一生覚えているだろうなってほど重苦しく異様な光景なのに、あまり魔物との戦争が始まったって感じは、しなかった。
それでも、戦が始まってしまったには違いない。
どことなく落ち着かない気分で一日を過ごしていたけれど、夕方になってユリウス宛の鷹便が届いたことで、わたしも少し落ち着いた。
『王国軍は、魔物の侵攻を阻止。詳細は後ほど。コンラート記す』
「……実感がないけど、終わったの?」
「まあ、な」
もちろん、これからユリウスの言う『嫌らしい戦い』が待っているから手放しでは喜べないけれど、もうシェーヌやヴェルニエが戦火に包まれるほどの大きな戦いは、ない。
「前に言っただろう。大きな戦火に見舞われることはない、と」
「うん、そうだったね」
ユリウスが大丈夫と言ったからには、大丈夫だった。
……それだけのこと、なのかもしれない。
深く考えて余計な心配を重ねるより、寄りかかってしまった方がいいのかな。
前日までよりも真剣な眼差しで地図とにらめっこしてるユリウスの横顔を見ながら、そんなことを考えてしまうわたしだった。




