第六話
わたしが痛がっているのに気が付いた大男は、すぐに手を離した。……右手はそうでもないけど、左手が赤くなってる。
「す、すまん。
つい興奮してしまってな……」
「……いえ」
気まずい顔をして女将さんにワインを頼んだ大男に、わたしは隅のテーブルへ誘われた。
見かけ通り力はあるけど、醸し出す雰囲気とは相容れないほど腰が低すぎる。
割と素直な人なのかな?
よくわからなくなってきた……。
それでもなんとか気を取り直して、わたしは本題を切り出した。
この為にわたしはヴェルニエまで来たんだから、ここで逃げてたら何も始まらない。
「俺はユリウス・フォン・レーヴェンガルト。
……今は騎士だが、気にせずともよい。元冒険者だ」
「アルールから参りました、ジネットです」
ここで相手の言葉通り、ああ、元冒険者なのかとそのまま流してはいけない。目の前の大男は、しっかり『フォン・レーヴェンガルト』と名乗った。
……フォンの付いた家名を名乗るということは、このヴィルトールやその南のプローシャでは貴族の証、相手の腰が低いからとこちらまで調子に乗るなどとんでもない、と思っておけば間違いない。
カウンターの向こうから、にやにやと笑顔でこっちを見ているマテウスさんぐらい世慣れているなら匙加減も上手くできるんだろうけど、わたしにはちょっと無理だ。
「あの、レーヴェンガルト卿」
「ユリウスで構わない」
「では失礼をして……。
騎士ユリウス、それであの、この営業許可証にあるシャルパンティエなんですが……」
「うむ、俺の領地だ。
ここに俺の名が書いてあるだろう」
笑顔になると、やっぱり若く見える。
そんな自慢げな顔をしなくても……って、ああ、うん、それはともかく。
営業許可証の題字は『ヴィルトール王国シャルパンティエ領初代領主ユリウスの恩寵によるシャルパンティエ領内に於ける商取引および出店認可の証』ってなってるから、確かに間違いなかった。
……初代って事はたぶんどこかの次男三男で、寂れた田舎領地を買い与えられて家を立てたんだろう。かわいそうだとまでは思わないけど、もしも都会育ちだったら酷い貧乏くじだ。
冒険者やってたのも、自活が理由かな?
規律に厳しい騎士団や軍への仕官は出世にも繋がるけど、冒険者は腕に自身があるなら一攫千金を狙えるし武者修行にもなったから、時々とんでもなく上流のお人が混じっている。
ついでにたぶん、この人は腕の方も相当いいはずだ。装備はお金で誤魔化せるけど、中身までは誤魔化せない。
ともかく、話を聞かなきゃ始まらないか。
わたしは深呼吸をして、レーヴェンガルト卿改め騎士ユリウスに向き直った。
「ご領地……シャルパンティエのことをお伺いしてもよろしいですか?」
「うむ、何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます。
ではまず、場所はどのあたりになるのでしょうか?」
「場所はここから南に真っ直ぐ、馬なら半日弱で着くが、歩けば3日ぐらい……だと思う」
思ったよりも近かった。
でも、ぐらいって……自分の領地なのに、随分いい加減だ。
あ、領主様なら歩いて行くこともないだろうから、知らない方が正しいのか。
「ご領地は広いんですか?」
「ヴェルニエ領より南、湖のあたりからその向こうの高い山まで、全部がシャルパンティエだな」
なんだか広そうだ、ということだけはわかったけど、全然想像がつかない。続けて聞こうにも恥ずかしい質問になりそうなので、ここまででやめておく。
「それで、ご領地にはどのぐらいの人が住んでいらっしゃるんでしょうか?」
これは一番大事な質問だ。
わたしの未来が決まってしまう。
「今は誰も住んでいない」
「……は!?」
「俺もこの宿で暮らしている。
領民は、いないのだ」
うむうむと頷く騎士ユリウス。
わたしは多分、向けていた笑顔が固まった不自然な表情をしているだろう。
もちろんね、シャルパンティエが田舎だろうとは思っていたし、覚悟も半ば決めてたよ。
でも。
誰も住んでないってのは、ちょっと予想してなかった。
世の中は、ほんとに悪い予想のその先を行くように出来ているんだね。
……よし、グランヴィルまで戻って職探しだ。
▽▽▽
今日のところは馬車もないので、わたしは仕方なく……本当に仕方なく、笑顔の騎士ユリウスのご相伴に預かっていた。久しぶりに白いパンとか食べたよ。
わたしは明日、元来た道を戻るつもりだ。
だからこの間抜けな騎士様に、文句の一つぐらいは言ってやろうという気分にもなっている。……決して飲み口が柔らかくて妙に美味しいワインのせいじゃない。
「ジネット殿、随分落ち込んでいるが、やはり領民がいないと聞いて落胆されたか?」
「……正直に申し上げれば、そうです」
当たり前だ。
領民の誰もいない領地で、何をどうやって商えというのだろうか。
仮にも領主を名乗るなら、そのぐらいは考えて欲しい。
「にもかかわらず、営業許可証を出すような領主にも呆れているな?」
「わかってて出したの!?」
これは怒っていいかな。ううん、怒ることに決めた。
ただの田舎なら、寂れた領地なら、残念には思っても諦めはついた。
でも、この言いぐさはない。流石にない。
ここまでの苦労は何だったのかと、心の底から悔しくなった。
「あのね、こっちはもう家に帰れるかどうかもわからないの!
旅費だって、何年も貯めたお金の半分はすっ飛んで行ったわよ!
それが人の住んでない領地に店を出せって……あんたは何考えてんの!!
冒険者やってたんなら、商人が物売って暮らしてることぐらいわかるでしょうが!!!」
もう言葉遣いなんか構うもんか。
わたしはぐいっとワインを呷ってから、目の前の間抜け男を睨みつけた。
流石に驚いた様子で言葉に詰まってる。フンだ!
「そりゃね、半分ぐらいは期待してたわよ。
自分のお店が持てる機会なんて、そうそうあるわけないもの。
それとも、目の前の餌に飛びついたわたしが馬鹿なわけ?」
「ま、まあ落ち着け。
理由はあるのだ」
「……理由?」
「うむ」
勿体ぶった風に頷いて、騎士ユリウスは懐から紙片を取り出した。
だが、まだ広げようとしない。
「まだ他の誰にも言わないで欲しい。
驚くのも禁止だ。
……いいか?」
「……聖神に誓って」
「うむ、よろしい」
そこまで言うならしょうがない。
重々しく頷いた騎士ユリウスは声を潜め、わたしに顔を近付けてきた。
……言い寄られてるわけじゃないけれど、目が真剣でこれはちょっといけない。ワイン飲み過ぎたかな?
大きな手が小さな紙切れを開いていく。
「シャルパンティエ領には……」
これは……地図かな?
線引きが街らしい印を結んでいた。
太い指が小さな印の上を動くのがなんだかおかしい。
「ダンジョンがある」
「ダ……!?」
……ダン、ジョン。
茶化そうとした言葉は、のどの奥で止まってしまった。
領内にダンジョンを持つ領主。
わたしも冒険者相手の雑貨屋を代々営んできた家の娘、その意味は分かりすぎるほど分かる。
「ここがヴェルニエ、そしてこれがシャルパンティエまでの道。
湖までは南東に伸びてるが、その後は南へほぼ真っ直ぐだ。
その先に、放棄された砦があってな」
「砦?」
「うむ。
大昔、このあたりがまだヴィルトールの土地ではなく、南のプローシャと戦争をしていた頃の遺物だから、優に500年は経っているはずだ。
それはともかく……砦の目と鼻の先に、ダンジョンがある」
ダンジョンは、いつどこに口を開くかわからない。
だからそのことは不思議じゃないし、アルールだって建国の頃はまだ王都のそばにダンジョンはなかったけど……。
「いま、ギルドに調査を依頼している。
今年中には正式な報告が届くだろう。
俺はその間、知り合いに声を掛けて回る時間に充てていたのだ。
……新たな『村』を作るためにな」
「じゃ、じゃあ、ベルトホルトのお爺ちゃんのところに来たのは……」
「ああ、アルールにも行ったな。
ベルトホルト殿を引き抜くのは無理でも、弟子か知り合いでも紹介して貰えればと訪ねたのだ。
弟子ならオルガドに居るからと逆戻りになってしまったが、父の昔話も聞けたので思いの外楽しい旅になった。
そうだ、あの時ふと思いついて、ベルトホルト殿に受け取って貰えなかった営業許可証を若い商人に渡したが……」
「うちの兄です」
「そうだったのか。
……俺は幸運だな」
引き受けるなんてまだ一言も言ってないのに、そんないい笑顔をこっちに向けないで欲しい。
ま、まあ、条件次第じゃ……うん。
ダンジョンがあるなら、いま住んでる人が居なくても冒険者が来るから商売も成り立つ。
当面どころか、子や孫の代まで食べて行けそうだ。
領内に他のお店がないなら、軋轢や競争なんか考えなくていい。
図体ばかり大きいお間抜け領主かと思ったら、領地が開拓前なだけで真面目に人集めもしているようだし、やってることは案外まともだった。
……あー、だめだ。
割とその気になってるかも、しれない。