第五十三話
コンラート様一行がユリウスの館の建設予定地に資材置き場と称して大天幕を張り、コルネリエさんとギーゼルベルトさんはコンラート様に頼まれた別の仕事をこなすため、シャルパンティエを降りてしまった。
荷馬車以外に騎乗の兵隊さんもやってくるし、鷹便、鳩便もよく見かける。仮の指揮所ってシュテファンさんは仰ってたけれど、コンラート様はあくまでも『友達を訪ねてきたお忍びの貴族』ってのを押し通さなきゃいけなくて、それはそれで面倒そうだった。
わたし達お店持ちも戻ってきたユリウスに相談の上、追加の在庫を発注してようやく一息をついたけれど……心配は尽きないね。
あ、でも、ゼールバッハ家ご一行様の注文は、かなり内の売上に貢献してくれていて、少しでも長居して貰えるとうれしいほどだ。
魔物の話は大っぴらに出来ないけれど、やっぱりユリウスも、もう『相手が攻めてくる』こと前提で話を進めている。
「カールの言葉ではないが、食い物は特にな。いざ足りなくなってからでは、補いのつけようがないのだ。魔物が攻めてこなければそれでよし、余れば……そうだな、『領主の慈心』とでもして、俺が買い上げてから改めて孤児院に寄進すればよかろうさ」
「そんないい加減な……」
「いい加減ではないぞ。『領民を飢えさせてはならない』という最低限の約束事は守られるのだ、それでいいではないか」
鷹揚に笑うユリウスに、小さくため息を向ける。
悪事を働いてるわけじゃないし、領主様としては立派に心がけを守っているのかもしれないけれど、どこかずれている気もしてしまうわけで……。
「それに、そのまま在庫を抱えるのは流石にきつかろう。お前達店持ちが立ち往かなくなってしまっては、何の為に良い条件を付けて何もなかったこのシャルパンティエに誘ったのか、俺自身が悔いる羽目になる」
わたし達が身代に見合わないほど大量に品物を注文を出して、それでもお店を畳もうか迷うほどほど切羽詰まっていないのは、もちろんユリウスのお陰だ。
うん、そうだね。
これ正に正道なり。
ちょっとぐらいずれてても、やっぱりユリウスは、ユリウスなのかもしれない。
月が変わって初夏から真夏の一歩手前になったけれど、入ってくる荷物と一緒に人も増え、ついでに暑さも増し増しになってきた。
今のところ魔物の話はどこからも聞こえてこず、取り立てて大きな騒ぎにはなっていない。
シャルパンティエとヴェルニエとの往復で忙しいルーヘンさんに教えて貰った噂話は、近づいてきた聖神降誕祭のことと、麦の値段が平年より少し下がったことぐらいで、不穏な話は一つもなかった。
「未だ東方辺境は静かなり……というところか」
「そうであろうな。義父殿も我が妻と共にゆるりとこちらに向かわれているそうだが、未だ東方辺境までは遠いという話だ。……予定通りだが」
「……北からゼールバッハを丸々引き抜いて、補いはついているのか?」
「問題なかろう。我がゼールバッハ家と同程度の家は数家あるし、北方なら船も使える故、後方からの増援も送り易くはある。小領ばかりが数多い東方辺境とは、状況も戦力も差がありすぎて比較になるまい」
「俺の方にも話が入って来ているぜ。フン、なんでも前侯爵殿は不安げな様子を見せる新婚の娘の身を案じ、道中方々に斥候を飛ばしているそうだな。……それこそ東の果て、人の住まう領域の向こうまで」
難しそうな顔のユリウスにコンラート様、そしていつも通り飄々としたアロイジウスさまが、今朝のお客様だ。
うちのお店にはユリウスの持ち込んだ小さなテーブルがあって、接客にも使わせて貰っていた。それはまあいいんだけど、つい先日までは椅子が二脚だったはずが、いつのまにか三脚になっている。
「……『孤月』殿には筒抜けでありますか」
「昨夜届いた鷹便の手紙にそう書いてあったぞ。……あの御仁、昔に比べて忍耐がついたな。前は決められた作戦なんぞ、端っから力技で吹っ飛ばすような男だったが」
「義父殿……」
がっくりと肩を落としたコンラート様に、したり顔のアロイジウスさまが付け加える。
「それでよ、こっち側……東方辺境はいつ動かすんだ?」
「既に一部は動かしております。ギルドと領主衆も独自に動いていたようですから、それを後押しするという形式に変更いたしました。今頃はシェーヌ近辺でも雇った冒険者を斥候に出している頃かと」
「コンラート、ヴェルニエとシェーヌは他に何か言ってきたか?」
「特にはないな。それぞれの代官とギルドマスターには、王命の中身まで告げてある」
「ヴェルニエの代官は万が一の場合、俺に諸侯軍の采配を預けるつもりだったそうだ。東方辺境でも特にヴェルニエ周辺は小領の集まり、『洞窟狼』の名が必要らしいぞ。だがまあ、予定になかったコンラートが来たからな、お前に投げるつもりで了承は取り付けてある」
「ふむ……。ひとまとめの方が効率も良かろう。受けるぞ、その話」
「いいんじゃねえか? 上役がいねえってことは、好き勝手出来るってこった」
「だな。任せた」
「……うむ?」
広場の方から、ひひんと馬の嘶きが聞こえた。
……その割に、足音が聞こえてこなかったけれど、どうしてかな?
かららん。
「いらっしゃいませ! ……って、マスター・クーニベルト!?」
「お久しぶりです、皆さん!」
扉を開けたのは、涼しげな笑顔が似合うヴェルニエのギルドマスター、クーニベルト様だった。
ギルドの内情やディートリンデさんへの気持ちはともかく、シャルパンティエとは何かと往復する機会も多いだろうと、つい先日翼馬を買い込んだクーニベルト様、早速飛ばして来たそうだ。
空を駆ける翼馬――ペガサスは、竜ほど強くもないし乗せられるのも二人ぐらいだけど、気性の荒い馬と同じ程度に扱い易く、値段もそれほど高くないらしい。……って、聞いてみたら家の一軒や二軒は簡単に買える金額だったので、わたしは無言で頷いただけね。
「……あーあ」
ディートリンデさんも交えて話し合うとのことで、うちのお客さんは全員、ギルドに行ってしまった。
なんでも魔物との戦いに備えてヴェルニエ周辺でも東に冒険者を送り出すことが正式に決まり、シャルパンティエに逗留中の冒険者にも一声掛けておきたいそうだ。……冒険者に渡す報酬はヴェルニエの街とギルドが折半、今後は不足するようなら各領主衆にも割り振られるので、ユリウスは渋い顔をしていた。
馬に乗れて、なおかつそれなりに場慣れしている赤銅持ち以上の冒険者って条件なら、わたしにも幾つかのパーティーが思い浮かぶ。
今逗留している中なら、『水鳥の尾羽根』さんと『怒れる雄牛』さんかな。どちらも隊商護衛の経験があって、馬はそこそこ得意だと聞いたことがあった。実力なら『荒野の石ころ』さんも同じぐらいだけど彼らはほぼダンジョン専門で、シャルパンティエに来る前は、シェーヌの向こうにある『クレーフェの地下聖堂』で腕を磨いていたらしい。
もっとも、冒険者を東に送り出す表向きの理由は、万が一何かがあった時、よく知られている人の住む地域はともかくその向こう側が怪しいままでは困るので、古すぎる地図を更新する為に王国とギルドがお金を出した……ということになっていた。
数日後、『水鳥の尾羽根』さんと『怒れる雄牛』さんは、ギルドからの名指し依頼を受け入れて、ヴェルニエへと旅立っていった。
お客さんが減ってしまうわたし達お店持ちには残念だけど、冒険者にとって名指しの依頼はかなり名誉なことだし、ギルドからの覚えがよい証拠だ。見事にやり遂げて、無事に帰ってきて欲しいね。
それはそれとして……。
「楽しみですっ」
「ふふ、アリアネのことだからお寝坊はしないと思うけど……荷物は今日中に、うちのお店までお願いね」
「はい!」
在庫の積み上げは、概ねどのお店も目標を達成できていた。
もちろん、ヴェルニエのマテウスさんの顔の広さに加えて、ユリウスが幾らか融通してくれたお陰だ。それぞれが確保した在庫を照らし合わせて、最悪、晩秋までは一切物が入ってこなくても今シャルパンティエにいる人数なら子供達まで全員飢えることだけはなさそうだと、商工組合で確認している。
それでも人が生きていくには必要不可欠で、保存食を作るのにも使う岩塩の塊がごろごろと入った樽だけは、カールさんの宿とうちのお店、ギルドの二階に分けて確保してあった。二重三重の備えは、やっぱり必要だ。
カールさんの『魔晶石のかけら』亭だけは、青野菜やお肉の仕入れが出来ればいいんだけれど、鹿や野鳥ならアロイジウスさまにお願いすれば手に入らないこともない。野菜はなくても山の恵みの野草なら、パウリーネさまに頼れるだろう。
わたしは結局、武器防具の仕入れを諦めた。ユリウスからは、掛かる金額の割に効果が低いので、その分食料品の仕入れを増やしてくれと言われている。
こうして出来た時間の余裕を、わたしは上手く使うことにした。
「アリアネ、今日は早上がりしていいわ。荷物をまとめる時間もいるだろうし」
「ありがとうございます、ジネットさん!」
「はい、お疲れさまね」
手配を急がせた仕入先への挨拶回りに加えて、聖神降誕祭に必要な品物の確保と、おまけでアリアネにも商売の機会を作るべく。
わたしは、ヴェルニエへの短い旅をすることに決めた。
翌早朝、食事はしっかりと済ませて、ルーヘンさんと待ち合わせる。
残念ながら、お見送りはアレット一人でユリウスはいなかった。昨日の朝、代官屋敷に呼ばれていったので、もうヴェルニエにいるから仕方ない。
ふふ、向こうで会うのは楽しみだけどね。
「おはようございます、ルーヘンさん」
「やあ、ジネットさん……っと、おお、今日はアリアネ嬢ちゃんも乗るんだったな」
「はい、よろしくお願いします、ルーヘンさん!」
ふぃ!
「おうおう、もちろんフリーデンのことも忘れちゃないさ!」
ここのところの行ったり来たりで、ルーヘンさんはアリアネのことも覚えてくれていた。
「あ、今日は商品も積みます。……【魔力よ集え、浮力と為せ】」
「へえ、珍しいなあ。帰り道に人以外の積み荷は、春先の毛皮以来かな」
「あれ!? つい先日、皮とか乗せて貰いませんでしたっけ?」
「そりゃロゲールの方じゃねえか? 俺はいつも空荷だったように思うぜ」
「そうでしたっけ?」
「一週間ぐらい前じゃなかったっけ、お姉ちゃん?」
うーん、どうだったかな……。
多い日は五輌六輌と馬車が車列を連ねてきてたから、わたしもいつどの御者さんに頼んだか、うろ覚えになりかけてる。特に手紙の類は多くなったしね。
もちろん、こちらの控えとマテウスさんへの届け状で毎月確認するから、荷物の間違いや行方不明はまだ発生していなかった。
まあ、いいか。今気にしても仕方ない。
「この大行李が商品で、こっちの背負い袋二つと敷物がわたし達の荷物です」
「はいよ!」
うちで一番大きい行李を使ったけれど、商品は品数も種類も少なくしてある。
ディータくんに別注した蜂蜜棒の袋とわたしやアリアネが編んだ飾り紐、そして商品を探していたわたしにパウリーネ様が声を掛けてくれ、干し茸や虫避けの香が加わっている。ついでに売ろう売ろうとして結局機会を作れなかった、一昨年に王都で仕入れた化粧道具も行李に入れた。
アリアネも『アリアネ商店』を開くのは初めてだし、ともかく、雰囲気に慣れて貰うのが今回の目的で、売上は二の次、今回は楽しみつつ学んで貰えたらそれでいい。
そのうち、孤児院の薬草畑で育った薬草やそれを加工したポーションや丸薬がシャルパンティエから売りに出されるかもしれないけれど、今はまだ準備中で少し残念だ。……ただ、露天市場でポーションや丸薬を売るのは御法度で、馴染みの『腰掛けの切り株』薬品商会か冒険雑貨の大店『雪の森』商会さんに卸売りってことになるから、折角育てた薬草が売れるところを彼女たちが見られないのはちょっと残念だけどね。
あ。
……そうじゃなくて、うちのお店で売れるところを見る可能性の方が高いや。アリアネならお店番もしてくれるものね。
「お姉ちゃん、アリアネ、フリーデン、気を付けてね!」
「はーい」
「いってきまーす!」
ふぃあー!
「じゃあ出すか、はいやはいや!」
今日は暑くなりそうだ。
アリアネと二人、帽子の代わりに広げた手ぬぐいを頭に乗せる。薬草畑で働く子達の分だけでも、麦わら帽子を仕入れた方がいいかな……。
「シャルパンティエから出るのって、凄く久しぶりな気がします」
「アリアネ達がやってきたのが、えーっと、春先すぐで……ふた月と少しかな。ふふ、もっと前からシャルパンティエに住んでいたような気もするよ」
「わたしもです。……オルガドの街にいた時、黒い鎧を着た恐い顔の人がやってきた日は、どうなるんだろうってすごく不安でしたけど……」
「いきなりユリウスと出会ったのなら、みんなびっくりしたんじゃない?」
わたしだって、身体が固まって動けなくなっちゃったし。
今じゃいい思い出だけど、その時はほんとに恐くてどうしようかと思ったっけ。旅の初日になんて運の悪い……って、落ち込んだりもした。
「はい、入り口の戸を開けたシスター・アリーセが倒れました。……真っ青になって」
「あー……」
うん、そうなるよね。
「でも領主様は小さい子達の前にしゃがんで、『顔が恐いのは我慢してくれ』なんて言ってくださったんですよ。だからみんなもすぐ泣きやみましたし、院長先生もシスター・アリーセも、あの方はみんなを守る騎士様だからって、諭して下さったんです」
「へえ……。その話は初めて聞いたわね」
ふぃ。
見かけによらず、子供には優しいユリウスだから、内心じゃ相当困ってたんじゃないかなって気がするよ。
……でも、『顔が恐いのは我慢してくれ』はないかな。
ほんと不器用さんだね、ユリウスは。




