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第五十二話


 こきっ。

 肩を回せば、わたしの細腕でもしっかりと音が鳴った。


 朝からずっと、ペンを握っていたせいだ。……倉庫との往復が多いせいでもあるけれど。


「うー……」

「大丈夫ですか、ジネットさん?」

「うん、ありがと。……アリアネにもそのうち、帳簿の付け方や注文書の書き方を覚えて貰うからね。

 今は商品のことを覚えるのが大変だけと思うけど、帳簿はもっと大変なのよ。色々な意味で気をつかうから……」

「が、がんばります!」


 会合の翌日は、注文書を作るだけで一日が終わってしまった。

 人数と期間ですぐに数字の出せるディータくんの『猫の足跡』亭と、自分と弟子の作業量から計算するラルスホルトくんの『ラルスホルト鍛冶工房』と違い、雑貨屋はやたらと商品の数が多いからまとめるのにも時間が掛かる。……代わりにお店で行う加工作業が少ないので、荷物が届いてからはディータくん達の方がずっと大変だ。


「そうだ、アリアネ」

「はい?」

「一番奥から数えて二番目の棚の何段目かに、男物の下着が麻袋に入れて積んであると思うの。何着あるか、数えてきて」

「はい!」


 朝は一人で頑張ってたけれど、昼からはアリアネが助手をしてくれたお陰でお仕事が随分はかどった。


 見習いに迎え入れてほぼひと月、彼女はとても頑張ってくれているし、物覚えも早い。わたしと同じく、いい番頭になれそうだ……なんてね。

 でも頑張りすぎるきらいもあるから、息の抜き方も早めに覚えて貰いたいかなあ。


「ジネットさん、八着ありました。でも……」

「どうかしたの?」

「同じ袋に、大きすぎる下着も二着入ってました」


 ……前に注文した、ユリウス用の下着だ。

 身体の大きすぎるうちの旦那様の場合、靴から下着からなんでも特注になっちゃうので、早めに注文を出している。一緒に届けられて、そのままになってたやつかな……。


「あー……。うん、それはそのままでいいわ。ありがと、アリアネ」

「はい。表のお掃除、してきますね」

「お願いね」


 さて、わたしも続きをさっさと書き上げてしまわないと、いつまで経っても荷物が届かないって事になってしまう。


「……はぁ」


 昨日の話し合いの後、ベッドに入ってからも考えていたんだけれど、アレットが担当するお薬の原料や冒険雑貨の在庫はともかく、加えて日用品や……武器や防具も用意した方がいいのかどうか、わたしは迷っていた。


 今年の冬にユリウスが皮の盾の代わりに頼りない腕防具を付けていたのを思い出して、少し心配になったんだよね。鉄製品ならラルスホルトくんが何とかしてくれるけど、木製品、革製品はお取り寄せになるから、後になってすぐ欲しいなんてことになった時、やっぱり困る。


 特に、革の小盾と弓矢ぐらいはあった方が良さそうな気がした。

 革の小盾は値段の割に優れているし、使っている人も多い。壊れた時、修理するまでの繋ぎになればいいかなと思う。

 弓矢の方は、練習を沢山しないと狙いさえつけられないほど難しいと言われているけれど、実は矢を射るだけならそれほど難しくないと、アロイジウスさまやユリウスから聞いたことがあった。素人ばかりでも人数を揃えれば、魔物の大群に向けて『だいたいあの辺りに撃て』って一斉に矢を放つなら割に期待できるそうだ。


 ただ、武器防具は仕入れ値がぐっとお高くなる上、シャルパンティエに限っては売れ行きも大して期待できなかった。……ここに来る冒険者は大抵、最初から装備を調えてるからね。それこそ装備を持たずにやってきた冒険者なんて、冬に『魔晶石のかけら』亭のお手伝いに来ていたマルタとグードルーンしか、わたしも思いつかないや。


 だからもしも魔物が来なかったら、売れない物を苦労して買い集めるだけの話になってしまうわけで……でもあれば少しは安心の種にもなるしで、迷いどころになってしまっていた。


「……これは、相談っと」


 やっぱり、決めきれないや。ユリウスに聞くことにしよう。

 迷って手が止まっちゃうぐらいなら、後回しにして時間を無駄にしない方がいいよね。


 それにしても、冬越し並に荷物を集めるとなると、荷馬車の手配とか大丈夫かなあ。

 ヴェルニエのマテウスさんとルーヘンさんは上手くやってくれるとは思うけれど、マテウスさんのお宿に荷物が溜まってしまう可能性だってある。


 当然、希望した荷が集められなかったり、値段の折り合いが付かないことだって考えられた。


 でも、道具や装備より、ともかく食べ物が最優先だ。

 孤児院の院長先生にも、食べる物だけは少し多めに確保して欲しいとお願いしてあるし、カールさんがシャルパンティエ全部をまとめて荷役の面倒を見てくれることにはなっているけれど……。


 あーあ。

 ユリウス、はやく帰ってこないかなあ……。


 心配が尽きなくて、わたしは大きなため息をついた。




 残念ながらわたしの信心が足りていなかったようで、ユリウスら『星の狩人』とアルノルトさん、アレットが帰ってきたのはきっかり予定の一週間後、その夕方遅くだった。


「諸君、ごきげんよう!」


 上機嫌のコンラート様を先頭に、堂々と『魔晶石のかけら』亭に戻ってきた六人は幸い誰も怪我をした様子もなく、アルノルトさんはほくほく顔、ユリウスも苦笑している。


 食事中だったシュテファンさんらは慌てた様子もなくコンラート様を迎え、アルノルトさんはディートリンデさんに報告かな、ギルドの皆さんが集まるテーブルへと向かった。


「ただいま、お姉ちゃん!」

「お帰り、アレット! ……なんかいいこと、あったの?」


 なんだか嬉しそうな顔で抱きついてきたアレットを抱き返し、ぽんぽんと背中を叩く。


「ふふ……まだ内緒だよ!」

「……こっちはずーっと心配してた上に、忙しかったのに」

「領主様とコンラート様が内緒って仰ったから、駄目」

「ユリウス達が?」


 アレットの肩越しにユリウスを見やれば、腰の剣をぽんと叩いてにやりと笑ってる。

 まあね、パーティーの中だけの内緒話があっても、無事に帰ってきてくれたならそれでいいけれどね……。

 ラルスホルトくんの元に向かうアレットを見送り、わたしはユリウスに近づいて顔を見上げた。


「お帰りなさいませ、『旦那様』」

「うむ、無事戻ったぞ。変わりないか、シャルパンティエは?」

「はい、皆健やかに過ごしております。……ちょっと忙しくなっちゃったけど」

「む、コンラート絡みか? 道中、面倒な話を聞かされたが……」

「うん、そんなところかな」


 もう一言で片付けられないぐらい複雑になってるけれど、冒険から帰ったばかりならユリウスだって疲れてるはず。話したいことは一杯あるけど、詳しい報告は明日でいいかなあ……。


「ともかく、腹が減った」

「あ、うん。いつもの席は空けてあるよ」


 ユリウスは担いでいた背負い袋をいつもの席の後ろにもたせかけ、どっかりと椅子に腰掛けた。……わたしはもうラルスホルトくん達と一緒に食べちゃったから、お酒だけ戴こうかな。


「よう、どうだった? その背負い袋の膨らみ具合だと……そうだな、お前らが出張っても『損はない』ってところか?」

「……まあまあだな。損得で言えば、荷運びのパーティーを雇っていくべきだったとは思う。しばらくはそんな余裕もなさげだが」

「フン……」


 面倒そうにアロイジウスさまへと返事をしたユリウスは、夕食を頼むと右手を挙げた。


「領主様、ジネットちゃん」

「む?」

「ユーリエさん!? ワイン、まだ頼んでませんけど……?」

「コンラート様の奢りよ。皆さんに一杯ずつ、冒険の成功を祝って、ですって」

「おー」


 流石は侯爵様、太っ腹だ。……ユリウスも負けてないけどね。


「諸君、酒杯は行き渡ったかね!」


 ゆったりと暖炉の前まで歩いていったコンラート様に視線が集まる。


「我ら『星の狩人』、並びにシャルパンティエギルドの護衛隊長アルノルト、冒険者にして薬草師のアレットは、本日ただ今、『シャルパンティエ山の魔窟』より無事戻ることが出来たが……皆に報告せねばならない! そう、第四階層の発見だ!」


 ……え?


 酒場が一首にしてしんと静まり返り、誰かの置いた酒杯の音がこちんと響いた。

 第三階層でさえ未だ入り口の近辺に行く人がいるかいないかだったのに、これが実力差、経験差ってことなのかなあ……。


「証人はアルノルト、よもや彼を疑う者もおるまいが、数日中に詳しい報告がギルドより発表されるだろう。……だが!」


 コンラート様は一度言葉を切って皆の顔を見回し、懐から何かを取り出した。……あ、わたしが端切れで縫った丸薬入れだ。


「実入りは……全く以て微妙であった」


 袋の中身は何かの爪か牙……なのかな? コンラート様が指に挟んで皆に見せる。


「出会った魔物はデーモンの亜種とそれに使役されるストーン・ゴーレムやスケルトンの類が大半で、得られた魔晶石は二等級と三等級、他にはデーモンの爪がせいぜいというところか。往復に掛かる時間もまた、迷いを生もうな」


 デーモンの爪は、一部の魔法の武器や防具を作る時の触媒に使われる品だけど、市場に出回らないほどの貴重品じゃない。でも、ラルスホルトくんは喜ぶかな。遠方に注文出さなくても済みそうだし。……あ、潜れる人がいなきゃ、しばらくお預けになっちゃうか。


「だがしかし、その先を目指す価値はあろう。迷宮はまだ、奥に続いているのだ。……諸君、我らに続け! 成功をつかめ! 酒杯を掲げよ! ……聖神のご加護を!」」


 第四階層ときいてぽかんとしていた冒険者達も、大声で乾杯を叫んだ。


 もちろん『星の狩人』が、それぞれのパーティーに付き添うことはないだろう。でも、ユリウスとアルノルトさん、そしてアレットはシャルパンティエの住人で、第四階層のことは情報や経験という形でここにしっかりと残るのだ。


 今すぐは無理でも、いずれその内と皆思っているだろうね。早速、アレットの元にも数人集まってきた。


 コンラート様は微妙と仰ったけど、デーモンの爪は小さくても数グロッシェンの仕入れ値が付くし、二等級の魔晶石は第三階層までじゃ得られない。世に名を知られた元魔銀持ちの『微妙』と、これから伸びていく赤銅や真鍮の『微妙』には、大きな差があって当然だけどね。


 ……って、あれ?


「ねえ、ユリウス」

「うむ?」


 シチューの大皿をもう空にしてしまったユリウスに少し呆れつつ、わたしは気になっていたことを尋ねた。


「もしかして、魔晶石とデーモンの爪だけで、帰り道の背負い袋がぱんぱんに膨らんでる……わけないよね?」

「……ジネットに隠し事は出来ぬか」


 小さな魔晶石だけであんなに袋が一杯になるわけないし、なってたら査定の金額が大きすぎてディートリンデさんが卒倒してると思う。


 悪戯小僧のような……っていうには迫力のありすぎる人の悪そうな笑顔で、ユリウスは耳を貸すようわたしを促した。


「大声は絶対に出すなよ」

「……うん」


 うわっ。

 ……な、なんか緊張する。

 息が、髭が……。


「実はな……第五階層まで潜ってきた」

「!?」


 わたしは思わず、自分の口を両手で塞いで固まった。

 頬に感じた熱が、一瞬にして吹き飛んでしまったよ……。


「第四階層の降り口と第五階層の降り口は運良く距離が短くてな、探すともなく見つかってしまった。袋の中身はアーク・デーモンの角やファイアー・リザードの皮などだ。明日にでも各々が査定を頼みに行くと思うが、『孤月』と『銀の炎』以外には秘密でな」

「……うん」


 いや、まあ、うん……。

 そりゃ、引退したとは言え、国中に名が轟くような腕前の『星の狩人』だもん、大して危険も感じなかったんだろうけどさ。


「冒険者を焚き付けるにも、流儀がある。萎縮されても困るが、あからさまに人死にを呼び込むような焚き付け方は、唾棄すべきものだな」


 どちらにしても、これは口に出来ないよ。

 特別じゃないシャルパンティエの冒険者達が第五階層に到達する頃には、うちのお店も大繁盛……になってるといいけどね。


 あ、その頃には、品揃えも変えないといけないか。今の品揃えは、初心者から中堅の手前を見越してるからね。

 まだまだ先の話だろうけれど、心配と同時に少しわくわくしてしまうわたしだった。




 翌日早朝、人目を避けてやってきたアルノルトさんの『獲物』を鑑定しつつ、アレットも呼んで冒険の様子を聞いてみれば……。


「まあ、無茶苦茶といいますか、噂通りといいますか……」

「すごかったよ、ほんとに。お姉ちゃんが一緒に来てもよかったぐらい」

「わたし!? わたしは冒険者じゃないから駄目だよ」


 ふぃあ?


「ううん、大丈夫だよ、フリーデン」


 アレットとアルノルトさんは、たははと力のない笑みを浮かべた。


「まあ、そのぐらい、我々は何もしなかった、ということですな」

「あ、荷物持ちはしたよ。したけど……お姉ちゃん」

「なあに?」

「あたしね、ダンジョンの中で魔法使ったのは、休憩所で干し肉のスープ作る時に火種を作ったきりだったの」

「私は結局、一度も剣を振るいませんでしたな。後衛のギーゼルベルト殿の後ろ、後方の警戒を任されていましたが、進む速度が速すぎてほぼ意味を為さず……」


 あれで引退者なんて現役が泣いて逃げますぞと、アルノルトさんは苦笑した。


「でも、そんな足早に……って、ギーゼルベルトさんの足、大丈夫だったんですか? かなりお悪いように思いましたけど……」

「ああ、それは……」

「ギーゼルベルトさん、道中じゃほとんど浮いてた」


 ……あー、浮いてたんだ。


 でも道中のほとんどって、一週間毎日ずっと!?

 どれだけ凄い魔力の持ち主なんだ、あの方……。


「戦闘中もですな、やれ昔に比べて腕が落ちただの、やれ鈍くさくなっただの……。互いに言いたい放題言いながら二撃三撃を放ち、アーク・デーモンでさえ一瞬に下してしまわれるのですから、いやはや、中堅どころの連中にも一度見せてやりたいものです」

「真似しようとは思わないけど、『星の狩人』が本当に凄い人達だっていうのは、心の底からよくわかったよ」


 わたしも一度だけ、ユリウスが腰の剣を振るうのを見たことがあった。もちろん、その腕前が凄いのは間違いないけれど……目の前に大きなベアルがいても、素人のわたしに恐いと思わせなかったのがユリウスの超一流たるところなのかなと、改めて考えたりする。


「とりあえず、査定を済ませちゃいましょうか。アルノルトさんも今日はお忙しいでしょうし」

「報告書はともかく、例の件もありますからな」

「お姉ちゃん、こっち任せていいかな? あたしも注文書作らないと……」


 わたし達はそれぞれ忙しい理由を思いだし、冒険の話をうち切った。


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