第五十話
翌日の朝、木枠の付いた背負子に大きめの背負い袋を二つ、ついでに薬品箱までくくりつけたアレットを見送るべく、わたしはフリーデンを肩に乗せてギルドの裏手にあるダンジョンの入り口へと向かった。
「こんな大荷物、アルールを旅立って以来かなあ」
「一週間分ならこのぐらいになるのは仕方ないよね。……大丈夫?」
ふぃー?
「うん。ベアルを持ち帰った時のことを思えば、このぐらい!」
「アレット、ユリウス達と一緒だから大丈夫とは思うけど……気を付けてね」
「うん、ありがと」
昨日のうちに用意していた一行の食糧や消耗品――少しでも飽きがこないように、副菜やおやつはうちのお店にある全種類を用意した――は、朝早くにシュテファンさんがまとめて持っていってくれている。
冒険に関係する品以外も、商品は全て掛け売りに決まり、後からゼールバッハ侯爵家がまとめて支払ってくれることになったので、わたしも少しは気楽かな。
もちろん、取りっぱぐれや踏み倒しを心配してるわけじゃない。
どうやら侯爵様のご一行はシュテファンさんに加えて他にも何人か東方辺境に来ているらしく、数日中にはシャルパンティエに到着するそうだ。その上、長期の滞在とくれば、大口の注文が安定して入りそうな様子が見て取れるわけで、わたしの『地竜の瞳』商会だけでなく『魔晶石のかけら』亭も潤うだろう。
……まあ、早朝から走り回ってたシュテファンさんを見てると、暴走する旦那様のお守りは大変そうだって思うけどね。
「おはようございます!」
「アレット、ジネット」
「今、シュテファンがアルノルトを呼びに行っている」
「急な依頼で夜番を交代させたらしくてね。申し送りを済ませる暇がなかったそうだが……まあ、誰かさんのせいだろう」
「……フン」
「おお、アルノルト。『銀の炎』も来てくれたのか」
「お待たせしました、皆様」
「急かして済まないね」
「さ、出発しましょう」
見慣れた黒い鎧姿に大きく膨らんだ背負い袋を肩掛けにしたユリウスを筆頭に、冒険の用意を調えた『星の狩人』は……やはり、普通の冒険者とは迫力が違いすぎていた。
何より装備の質が違い過ぎるのに加え、それに見合った技量を持った人達なんだって事が、私にも一目で分かるぐらいだ。
コンラート様は銀地もまぶしい魔銀の半鎧に小さいながらも目を惹く聖鋼の小盾、もちろんお腰には銀の剣。代わりにマントは、地味な茶色のまんまで塗りも飾りもないけれど……これも魔法のお品だろうね。
コルネリエさんは、普段づかいの短い聖杖の代わりに、わたしの身長ほどもある長くて大きな聖杖を手にしていた。流石は名の知られた聖女様、アルールの大司教様が聖神降誕祭の時に使う儀式杖より、ずっと立派な聖杖をお持ちだよ……。
だけど……ギーゼルベルトさんは、シャルパンティエにやってきた時と全く代わり映えのないくたびれたローブ姿で微笑んでらした。堅焼きパンの分だろう、ちょっとだけ背負い袋が膨らんでるけれど、それだけだ。でも、他の三人と並んでいても全く見劣りせず違和感がないってところに、やっぱりこの人も一流なんだって納得させられてしまった。
「……シュテファン、例の件は頼んだぞ」
「はい、旦那様」
お見送りはわたし、ディートリンデさん、シュテファンさんの三人と、フリーデンだけだ。朝も早いし、今日は残っている冒険者も休憩日の人ばかりで、朝は静かだった。
「ジネット、いつも通りに頼む」
「はい、『我が領主様』。……アレット」
「うん。行って来ます、お姉ちゃん」
ふぃあ!
「ありがと、フリーデン」
「では、行くか」
簡単な挨拶を済ませれば、六人は気負った様子もなく『シャルパンティエ山の魔窟』の中へと歩き始めた。
救助の訓練で幾度も往復しているアルノルトさんや『星の狩人』の四人はともかく、アレットだけはシャルパンティエのダンジョンに入るのが初めてなんだけど……割に堂々としたもので、お姉ちゃんとしては少し誇らしい。
「……【封印の鍵言葉、『*****』】」
ディートリンデさんが魔法陣が描かれている鍵札を掲げて扉を閉じると、誰からともなくため息が出た。
「さて……マスター・ディートリンデ、筆頭家臣ジネット殿」
「シュテファンさん?」
それまでは柔らかで全てを受け止めるようだった表情を引き締め、今からお仕事ですとでもいう風に態度を改めたシュテファンさんは、まじめな顔でわたし達に一礼した。
「少しばかり根回しをお願いしたいのですが、お時間を戴けますか? 旦那様が旧友であるレーヴェンガルト卿を訪ねてこの東方辺境までいらしたのも間違いではないのですが、他にも面倒事がありましてね」
ディートリンデさんと顔を見合わせ、すぐに頷く。
先日いらした王子様王女様のようなお忍び旅のご一行なら、安心安全の為に二重三重の警備を整える必要があって、お話がどうしても重くなる。
逆に、これがいばりん坊の貴族様なら、旦那様が留守の間に宿のベッドを上物に入れ換えてくれだの、腕のいい料理人を探してくれだのの、『貴族様のわがまま』が絡んでとても面倒くさいことになりそうだった。
でも、元冒険者で腕も立ちユリウスとも仲がいいコンラート様なら、お忍び旅でも少々の危険はご自分でなんとかされるだろうし、『貴族様のわがまま』の為の根回しなんてはずはない。
だから……それはたぶん、全く別の厄介事なんだろうなって、すぐにわかっちゃったんだ。
かららん。
「お茶をいれてきますから、そちらに掛けてお待ち下さい」
「ありがとう、ジネット」
「失礼します」
ギルドはディートリンデさん以外にも常駐する誰かがいるけれど、うちのお店はアレットが冒険に出てしまったのでわたししかいない。申し訳ないながらも、こういう場合に使うべきギルドの応接室ではなく、うちの店内が密談の場所になってしまった。
「さて……」
家を出る前に灰を被せておいた炭を掘って手早く火を熾し、鍋に水を満たす。
今日はどのお茶に……ってほど種類は選べないけど、ミントではなくカミツレの茶葉を用意して、茶杯を三つ。お茶請けは、小皿に干しぶどうを数粒でいいかな。……あまりにも重いお話になっちゃうと、手つかずになりそうだけどね。
「お待たせしました」
互いに小さく黙礼して茶杯に一口つけ、それぞれ無言で顔を見合わせる。
それを合図にしたかのように、シュテファンさんが口を開いた。
「改めてご挨拶申し上げます。ゼールバッハ侯爵家にてコンラート様付きの専属従者を務めております、シュテファン・フォン・マウケであります。……ああ、土地も持たぬ騎士爵家の三男坊ですから、そのあたりはあまりお気になさらず」
フォン・マウケと家名を聞かされて思わず姿勢を正したわたしとディートリンデさんを、シュテファンさんは苦笑気味にまあまあと手で制した。
確かに領地のないお家の騎士爵家なら、極端に気を使うこともない……ってことはなくて、無礼打ちの権利なんて恐いものを振りかざすことも出来たりするからね。もちろん、シュテファンさんはそんなことしないだろうし、その背後には侯爵家があるわけで、礼儀知らずな態度をとるなんてこと、わたしは絶対にしないけど。
「一応、先に断りをいれておきますが、今から話す中身は他言無用に願います」
「はい、もちろん」
「心得ました」
「ありがとうございます」
シュテファンさんは小さく笑みを浮かべた。
「……先日、ゼールバッハ侯爵家に対し、内密に王命が下りました」
侯爵家ともなれば、市井のわたし達と違って王様から直接お声掛かりがあっても不思議じゃない。
もちろん、この国の王様は先日シャルパンティエを訪れたリヒャルト王子のお父上、ヴィルヘルム『白竜王』陛下なわけで……。わたしはお会いしたことはないけれど、アレットは離宮にご招待された時、お言葉を頂戴したって言ってたっけ。
「現在、ゼールバッハのある北方辺境では、時折東より魔物の群が攻めてきています。幸いにして規模はそれほどでもなく、国土や民に大きな被害が出る前に押さえ込めてはいるのですが、これはご存じですか?」
「はい」
「報告は受けています」
わたしももちろん、聞いたことがある。ユリウスも時々ヴェルニエの街に呼ばれて、魔物の事で代官様から相談を受けていた。
「これだけならば無論北方辺境にて片づく問題、旦那様もご領地あるいは戦場にて働きを示されればそれで済むのですが、先日、グランヴィルの王城へとご当主様――先代たる前侯爵様が戦況報告に向かわれました折、陛下より密命が下りました」
ふうと一息いれたシュテファンさんは、眉尻を下げていかにも困ったという表情でわたし達に告げた。
「陛下にあらせられては、市井の占い師が『東より、厄災来る』と騒いでいる故、確かめて参れと仰せになったそうです」
「『東より、厄災来る』……?」
占いで人が動くなんて、大昔じゃあるまいし……ってちょっと思ってしまう。
それに北の方じゃもう魔物が来てるわけで、この東方辺境に来ないとも限らない。ユリウス達もそのつもりで話を進めてるから、今更言われてもなんだかなあって感じだ。
あ、恋占いはわたしも大好きだけどね。……当たり外れは別にして、誰かとその話をするのはすごく楽しいもん。
「シュテファン殿、その東とは……東方辺境で間違いないのでしょうか?」
「さて、北方辺境でも、魔物の群が見つかるのは主に『東から』でありますので……」
このヴィルトール王国、西は山でその向こうにはアルールを含む西方諸国と呼ばれる小さな国々があり、北はノルトゼーと呼ばれる冷たい海が広がっている。南は平地も山もあるけれど、ほぼ全部が大国プローシャとの国境だ。
じゃあ東側はと言えば、中部南部はまとめて東方辺境と呼ばれ、その北は人が住めない氷の大地の手前までが北方辺境とされていた。
境界も曖昧だけど、東側は全部が魔物の住む地域に接していて、ヴィルトール王国の東に人の住む国はない。王都から見て東の方ってことなら、ものすごく広い地域になってしまう。
「ああもちろん、陛下も苦笑しながらお言葉を付け加えられたそうです。……『占い師の世迷い言は口実、辺境に住まう民達には不安も多かろう、これを安んじて参れ』と。魔物が東からやって来ているのは、事実ですからね。また、東方辺境に男爵以上の貴族が配されておらず、任じるに適当な者がいなかったので当家に命じられたとも伺っております」
よかった、王様は占いだけを信じて命令を下されたわけじゃなかったんだと、わたしは胸をなで下ろした。
……大変失礼しました、『白竜王』陛下。流石はリヒャルト王子のお父上であられます。
ふふ、目を配られているってだけで、ちょっと嬉しい気分にもなるね。本当に何かあった時、助けて貰えそうって思える王様であれば、わたし達だって酒杯を掲げて乾杯する時、王様のご健康をお祈りするものだ。
「とまあ、そのような裏事情がございますので、大手を振って厄災来るから調べて回っているのだなどと、声高に喧伝出来るはずもありません。それこそ、人々の不安を煽るだけになってしまいますからね。そこで大旦那様と旦那様が一計を案じて目を向けられたのが、このシャルパンティエなのです」
「なるほど。……シャルパンティエ領は東方辺境でも最南端にありますわね」
「その通りです。しかも都合のいいことに、当地のご領主様は旦那様の旧友でいらっしゃいます。何某かの理由を付けて遊びに行くのは、全く自然でありましょう」
コンラート様のご領地ゼールバッハ領は、詳しい位置までは知らないけれど、北の大都市アツェットの近くで、海に面していると聞いたことがあった。つまりは北方辺境でも北の端っこに近いわけで、コンラート様とシュテファンさんは南北にうねうねと走る辺境街道を全部旅してきたわけだ……。
「そこで……旦那様は昔なじみである『星の狩人』のお二人、ギーゼルベルト殿とコルネリエ殿にお声を掛けられ、東方辺境へと足を向ける口実を作られたのです。後は、居ても立ってもいられず遊びに行くという体で私のみを連れて先行され、供周りである旦那様直属の一団がそれを追うようにして東方辺境へと追うよう手はずを決められました」
「『銀の剣士』殿は、自ら泥をおかぶりになったと?」
「旅の最中、嬉々としてノイモーント号を走らせておいででしたので、どこまでが泥かは微妙ですが……」
それも手はず通りで、辺境の街道沿いにある大きな町では、置いて行かれて途方に暮れた家臣の方々が、旅の護衛を雇うなんて理由で、それなりに腕の立つ冒険者を集める算段を付けているのだという。
「今頃は、お仕事を投げ出してシャルパンティエまで一気に駆け抜けてしまった腰の軽すぎる旦那様を連れ戻すべく、大旦那様と若奥様が『予定通り』に出発されていることでしょう。……無論、大旦那様が自ら動かれるとあれば、護衛も先触れも沢山用意せねばなりません。特に最近は魔物の影もちらほらと見える辺境のこと、若奥様もご不安でありましょうし、平素の旅よりは大所帯になりましょうな」
ああ、侯爵家ともなれば、友達の家へと遊びに行った旦那様を連れ戻すだけの話でも軍隊が動く口実になるんだと、わたしは多少緊張しつつ、こくんと頷いた。
もしもユリウス達東方辺境の領主衆の心配が杞憂に終わって、占いも外れて、何もなかったならいい。わたし達市井の人々は、侯爵様でも怒られたりすることがあるんだなって笑い話にして、それでおしまいだ。
けれど、もしも本当に、魔物が攻めてきたとしたら……。
侯爵様の軍隊がいるのといないのとじゃ、大違いだ。
ユリウス達も前から諸侯軍――王国の軍隊と違って、領主がそれぞれ指揮する小さな軍隊の集まり――を編成する準備はしているけれど、人と物を集めるだけで大混乱の大騒ぎになるのは間違いない。もちろん、魔物に襲われてからじゃ、揃えようにも間に合わない可能性だってある。
でも侯爵様の軍隊が、たまたまでも何でもいいからその場にいてくれたなら……。
村人が逃げる時間も、領主衆が諸侯軍を編成する時間も得られるだろう。
それに……ああそうか、侯爵様も王様も、もちろん東方辺境の領主衆やユリウスも、もう『魔物が攻めてくる』って前提で話を進めてるんだ。
「ここまでは宜しいですか?」
「はい、陛下のお心遣いと侯爵家のご尽力については、もちろん」
「わたしも、なんとか……」
……なんでこんなに重いお話を聞かされてるんだろうって思ってしまう情けない心の内を押し隠し、わたしも表情を引き締めて頷いた。
それは、ゲルトルーデやアリアネや、フランツの顔が頭の中をちらついたから。
彼女達『子供』を守るのは、わたし達『大人』の役目で、それは魔物に限らないけれど、とてもとても、大切なことだった。
「これら内情を踏まえてお二方にお願いしたいのは、当地に指揮所を設置したいのでご協力いただきたいこと、また賜った王命を遂行するにあたり内密に便宜を計っていただきたいこと、この二点です。どうか、快くお引き受けいただきたい」
きっちりと頭を下げたシュテファンさんに、わたしとディートリンデさんも居住まいを正した。
「シャルパンティエのギルドマスター、『銀の炎』ディートリンデが宣誓します。ゼールバッハ侯爵家よりのご依頼、確かに承りました」
「シャルパンティエ領筆頭家臣、ジネットは……」
……そうだった。
わたしは領地を預かる筆頭家臣として、宣誓できない。
「可能な限り、ゼールバッハ侯爵家のご期待に添えますよう、尽力いたします」
ユリウスも今頃は聞かされているかもしれないけれど、確認が取れるのは一週間後だった。




