第四十九話
その日の夜、『魔晶石のかけら』亭は一瞬だけ、とても静かになった。
「貴族などというものは、何をせずともいるだけで迷惑が掛かると相場が決まっているからな。スジは最初に通しておくぞ。……シュテファン、頼む」
「はい、旦那様」
シャルパンティエへとやってきた元『星の狩人』の最後の一人、『銀の剣士』コンラート・フォン・レーデラー様は、ゼールバッハというとても大きな領地の侯爵様だ。……ユリウスのお友達じゃなかったら、とてもとても、シャルパンティエに迎えていいお客様じゃないほど。
一応の表向きは、先日来訪された王子様王女様と同じく、どこぞの貴族の若様がお忍びで旧友を訪ねてきたってことになっている。まあ、『星の狩人』の『銀の剣士』って名乗った時点で、お忍びも何もない気がするけど、引退前に魔銀のタグを許されていたような凄腕を下手につつくような人は、流石にいないだろうね。
但し、安全を一番に身分を隠していた王子様王女様と違って、今回の場合は侯爵様の側の体裁を整えるための嘘が大事、ってことらしい。詳しいことはまだユリウスも聞かされていなくて、貴族なんぞそんなものだろうって面倒くさそうにため息をついていた。
「女将さん、女将さん! ワインを皆に! 上等の奴を頼むよ!」
「はい、ありがとうございます!! 少々お待ち下さい!」
従者のシュテファンさんがユーリエさんに金貨を示して、高い方のワインを酒場にいた全員分頼み、なんとなく居心地の悪そうな冒険者達が酒杯を受け取っていく。
「失礼します」
「うむ。……手間を掛けるな、ユーリエ」
「いえ、とてもありがたいことですわ。
最近は、エールだけでなくワインの注文も増えてきたので、仕入れる量を増やそうかなんて、カールと話していたばかりなんです」
もちろん、コンラート様がユリウスのお友達で、侯爵閣下だっていうこともとっくに知れ渡っている。侯爵閣下なんて元から雲の上のお人だし、そうでなくても解散した『星の狩人』はこのヴィルトールじゃ有名な冒険者なわけで、二重に遠慮があるのは仕方がない。
皆の手に酒杯が行き渡ったのを見て一つ頷いたコンラート様は、洗練された仕草で立ち上がり、一番目立つ暖炉の前に立った。
「諸君、私は『銀の剣士』コンラートだ」
なんていうか、慣れてらっしゃるね。
右手を挙げて軽く見回しただけで、コンラートさまはその場の主役になった。
「そこな『洞窟狼』や『氷槍』、『ワーデルセラムの聖女』とは長い付き合いでな、しばらくこのシャルパンティエに逗留させて貰うことにした。……ふむ、多くは語るまいが、口うるさい引退冒険者がまた一人増えたと思ってくれればそれでよい」
そこで一度言葉を切ったコンラートさまは、にやりと笑ってとんでもないことをさらりと口にした。
「おお、無論『シャルパンティエ山の魔窟』の噂は、北の海にある我が第二の故郷ゼールバッハも届いている。……中で会ったならば、よろしく頼むぞ」
引退冒険者と口にしたその舌の根は、たぶんまだ乾いてない……と思う。冒険者達だって、ぽかんとしてるし。
……うん、やっぱりユリウスのお友達だ、この人。
隣のユリウスを見れば、やれやれ顔で大きなため息ついてるけどね。
「さあ諸君、乾杯だ。……聖神のご加護を!」
冒険者式の乾杯じゃないけれど、皆素直に酒杯を掲げた。
そりゃあ、ただの貴族様ならもうちょっと厭な顔をされたりするだろうけれど、そこは『星の狩人』の名前が覆い隠してしまっている。
……っていうか、『星の狩人』、『銀の剣士』、『侯爵閣下』って言葉の意味がそれぞれに大きすぎた。煙に巻くって感じなのかな。
乾杯と挨拶を終えてさっと戻ってきた侯爵様は、どっかりと『星の狩人』の揃う席へと腰を下ろした。
「まあ、後はシュテファンが上手くやるだろう。ところで……皆、装備ぐらいは持ち込んでいるのだろう?」
ユリウスは呆れ顔で『氷槍』のギーゼルベルトさんと顔を見合わせ、大食い聖女……じゃなくて『ワーデルセラムの聖女』コルネリエさんは、天を仰いでから聖印を切った。
「……お前な」
「目に前にダンジョンがあれば、そう来るだろうとは思っていたが……」
「ねえ侯爵様、あなた引退冒険者って言葉の意味、本当に分かってる?」
ちなみにわたしもコルネリエさんとユリウスの間に座らされていて、料理が沢山乗ったテーブルはちょっと手狭だ。
……数年ぶりの再会に遠慮して、アレット達のテーブルに混ぜて貰おうとしたんだけど、いい笑顔のコルネリエさんにぎゅっと手を握られてそのまま座らされた。
「ちょいと行ってよう、ささっと帰ってくるぐらいなら、丁度いいんじゃねえか?」
にやにやとした顔で、隣のテーブルのアロイジウス様がぐいっと酒杯をあおった。
「おい『孤月』、横から茶々を入れるな!」
「流石は『孤月』殿、よく分かっておられる!」
怒ったユリウスと、喜ぶコンラート様の息がぴったりすぎて、わたしはついつい、吹き出してしまった。
「あーあ。……結局こうなっちゃうのね」
「まあ、コンラートらしいと言えばこれ以上はないか」
現役の時の『星の狩人』とユリウスが、目に浮かぶようだよ。
きっと、ダンジョンと聞いて暴走するコンラート様にユリウスが食ってかかり、それを呆れ顔のコルネリエさんが茶化して、ギーゼルベルトさんが宥める……ってところかな。
でも、なんだかんだで結局、ダンジョンに入って他の冒険者達が驚くような大活躍をしちゃうんだろうなあ。
「でも貴方達だけじゃ、少し心配だわ。そうね、誰か一緒にお連れなさいな」
「そうだな。……もう二人ほど連れて行きゃあ、お前らなら何とでもなるか」
ぽんと手を叩いて微笑んだパウリーネさまに、アロイジウスさまが乗っかる。
でも、わたしもその方が安心かな。ユリウスは怪我で引退してるし、他のお二人はわからないけれど、ギーゼルベルトさんは足元がちょっと頼りない。この方も、怪我での引退って聞いたような覚えがあった。
「……」
あーあ。
ほんとに行く気なんだ……っていうか、行っちゃうんだろうなあ。
コンラート様は行く気まんまん、それ以外の三人は呆れながらもまあしょうがないかって顔つきになってるし、アロイジウスさまもパウリーネさまも疑問に思ってらっしゃらない様子だ。第二階層なら怪我で引退したユリウスでも余裕があることは冬に分かってたし、昔なじみとちょっと遊びに行く……って感じなのかもね。
ギーゼルベルトさんがちょっと心配だけど、ご本人はしょうがないなあという様子で微笑んでらっしゃるし、奥さんのコルネリエさんも同じような表情だった。
シャルパンティエに常駐する冒険者は、概ね一人前と認められる赤銅のタグを許された人達が主力で、そこにもう少しで赤銅に届きそうな真鍮のタグ持ちが混ざっている。その上の白銀のタグ持ちは冒険者の花形だけど、シャルパンティエにはいなかった。
でも、『星の狩人』が揃って許されていた魔銀のタグは、単に頑張れば得られるようなものじゃない。このヴィルトールのような大国でさえ一地方に数人いればいい方と言われているし、わたしだってユリウス達以外に会ったことがなかった。
そのぐらい、力も技術も、運さえも違いすぎる人達なんだ。……ユリウスにくっついてると、たまに忘れそうになるけどね。
そんなわたしの心中に関わりなく、話は進んでいく。
「『洞窟狼』よ」
「なんだ?」
「俺達四人を抜いて、今この領地にいる者で……前衛後衛それぞれ一人ずつ加えるとすれば、誰を推す?」
「前衛ならばギルドの護衛隊長アルノルトと、ふむ……後衛はやはり『銀の炎』か」
うん、二人とも文句なしの人選だ。
シャルパンティエじゃ、剣の腕ならアルノルトさんはユリウスの次、魔法なら『銀の炎』ディートリンデさんが筆頭だった。
「でも、ディートリンデは無理じゃないの?」
「コルネリエ?」
「だって彼女、ここのギルドマスターなんでしょ?」
ギルドのマスターと隊長さんが二人とも抜けると、流石に困るよね。ギルドはうちのお店とユリウスのそれを合わせたよりも、ずっとずっと書類仕事が多いし、夕食の時間もわたし達より少し遅い目になるほど、平素でもお仕事が溜まる。
依頼の受付が少ない分、魔晶石の品質の確認と取引に手が取られるから均衡はとれてるとか何とか、ディートリンデさんは大きなため息をついてたけどね。
「そうだったね。お忍びとは言え侯爵閣下がご滞在中となれば……うーん、護衛隊長だけに名指しで依頼を出すならばともかく、緊急事態でもない『貴族のお遊び』にギルドマスターまで付き合わせられないだろうね」
「確かにな。……まあ、俺の方はジネットがいれば何とでもなるだろうが」
わたしの方に、四人の視線が集まる。
ふ、ふうん。
あんまり頼りにされると困るけど、ちょっと……嬉しいかな。
「むう……。面子が揃っているからと、昔のように一声掛けてそのまま潜るとは行かぬか」
「お前はもう少し、大人になれ。……侯爵なんだろう?」
「領政を家臣に丸投げしておる貴様に言われたくないわ!」
喧嘩するほど仲がいいというか、なんというか。ユリウスがいつもより子供……じゃなくて、若く見えるよ。
「まあまあ、二人とも。そのじゃれ合いも懐かしいけれど、お話の続きしましょ。……ユリウス、ディートリンデの次は誰?」
「魔法の二番手はギルドのローデリヒだな」
「ローデリヒがどうかしたのですか?」
「お疲れさまです、ディートリンデさん!」
「はい、ありがとう、ジネット」
遅くまでお疲れさまです、ディートリンデさん。
今日はいつもより少し遅いお仕事上がりかな、ディートリンデさんだけじゃなくて、ギルドの皆さんもやってきた。
「『銀の炎』、突然ですまないが、アルノルトとローデリヒを一週間ほど借りられぬか?」
「……潜られるのですか?」
多少の驚きと同時に、心配が入り交じった口調のディートリンデさん。大先輩からのご依頼だけど、お仕事を放り出すほどの重要な内容じゃないしとても困る……ってところかな。『星の狩人』の実力はよくご存じだろうから、魔物にやられる心配じゃなくて、お留守の間に起きる面倒が大変そうだってことはよーく分かるけどね。
「ああ、そこの侯爵様がわがままを申されてな。……頼めるか?」
「なるほど……。ですが、両名同時の名指し依頼はご勘弁下さいませ」
「何故だ? このシャルパンティエは見たところ忙しいほど冒険者もおらず、治安もいいようだが……」
あら、コンラートさまって、感情が表に出ると若く見えるかも。
「救助依頼の人員確保ももちろんですが……特にローデリヒは魔晶石の鑑定も担当していますので、一週間も抜けられると業務に支障が出てしまいます」
「むう……」
「悪いのは急に言いだしたのは貴男でしょうに。不機嫌な顔しないの」
ディートリンデさんは侯爵閣下のご希望をばっさりと切り捨てて、コルネリエさんがそこに追い打ちをかけた。
「では、三番手は誰となる?」
諦めきれない様子のコンラートさまに、残りの三人はやれやれと肩をすくめた。
それでももう、ダンジョンに行くことだけは決まってしまったのか、ユリウスが指折り数えながら天井を見上げている。
「パーティーから引き抜くわけにも行かぬし……ふむ、アレットが適任か」
「へ? あ、あたしですか!?」
「うむ。どうだ、来ないか?」
思わぬ名指し。
アレットはもちろん、わたしもものすごく驚いた。
「ちょっと、ユリウス!」
「落ち着け、ジネット。アレットも聞け。……単なる思いつきというわけではないのだ」
ユリウスは、真面目な顔で片手を挙げて場を鎮めた。
そりゃ、アレットは薬草師兼業の冒険者で、わたしの自慢の妹だけど……一流冒険者についていけるかと言えば、少し心配だ。
「冒険者としてのアレットは……無論、本人もよくわかっていようが、経験が足りていない。登録して一年足らずの駆け出しと見れば十分、いや、なかなかに立派なものではあるが……これはいいか?」
「まあ……そうだね」
「ありがとうございます」
「だが、青の魔術師に匹敵する魔力を持つことも間違いない」
「ほう……」
「あら、彼女凄いのね」
「そしてだ、今回に限っては経験ならばこちらで補える。鍛錬とまでは言わぬが、学べることも多かろう。俺達『星の狩人』も、全盛期の力はないにせよ、引き際の分からぬ愚か者ではないからな、安全だけは確約させて貰うが……どうだ?」
ユリウスが口にしたように、冒険者としては駆け出しのアレットだけど、魔法の扱いと威力はディートリンデさんが一目置くぐらいのものを持っている。薬草師と冒険者の兼業を選んだのは彼女自身だし、これまでも、季節に応じた薬草の採取に臨時のパーティーを組んで出かけたりすることは多かった。
「お、お姉ちゃん、どうしよう……」
思わぬ提案に不安げな様子を見せたアレットだけど、わたしは……うん、気後れしてるだけなら行く方がいいと思う。
「うーん……。いいんじゃないかな? お薬の在庫、数日なら問題なかったよね?」
「そっちは大丈夫だけど……」
「アレットが薬草師一筋、冒険者のお仕事は程々で行くなら別だけど、両方頑張るんでしょ。ユリウス達のような一流どころとパーティー組めるなんて滅多にないだろうし、アレットの為になると思うよ。ほら、交代」
「あ……」
わたしは強引にアレットと席替えして、その肩をぽんと叩いた。
「大丈夫だって。……ユリウス、お願いね」
「無論だ」
「よ、よろしくお願いします」
「それから、堅焼きパンとランプ油の他に入り用があったら、アレットに伝えておいて。今夜中に用意しておくから。……予定は一週間として、予備の日は二日? それとも三日の計算?」
「二日分で頼む。元より、それほど本格的に潜るつもりはないのだ。……ああ、ポーションの類は追加を頼むと思うが、そちらは本職のアレットに相談してからになるか」
「はあい」
後は……まあいいや。
ほんとは『はやめに帰ってきて欲しい』ってわたしが思ってることに、気が付いてくれればいいんだけどね。
……予備の食糧はきっかり一日分でいいよねって宣言しようかとも思ったけれど、冒険者の安全や安心に関わることに口を出すようなことは、流石に出来なかった。
「ごめんね、アレットを強引に借し出しちゃって」
「いえ、大丈夫です。でも、やっぱりアレットは凄いんだなって……」
「ずっと聞き耳立ててたんですよ! 『星の狩人』のお話を、こんなに間近で聞けるなんて、すごいです!」
「ええ、イーダじゃないですが、僕らも少し……わくわくしながら聞いていました」
アレットと同席していたラルスホルトくん、ディータくん、イーダちゃんに詫びて、テーブルに混ぜて貰う。
後ろの声も少し気になるけれど……。
ユリウス達の力量もアレットのことも、わたしはもちろん信じてる。
だから、無事に帰ってきてね。




