第四十六話
今ももちろん、ユリウスが浮気してるとか、そんなことはなくて……そもそも正式におつきあいをしてるわけじゃないから、美人と相席していようが、たとえ肩を抱いてお二階に上がろうが、わたしがユリウスに文句を付ける筋合いはなかった。
でも、もやもやしてどうしようもないのもまた、本当のことだ。
ユリウスは、わたしの事が好きなんじゃないかなあ……なんて思っていたけれど、それだって言葉にして確かめたわけじゃなかった。……問いつめる勇気なんて、何処をひっくりがえしたって出てこないし。
じゃあ、どうすればいいのかとなると……その答えも、上手く出せないわたしだった。
少し前、ユリウスのことが気になりすぎて、顔を合わせるどころか考えるだけで真っ赤になっていたことがある。
その時は別に、誰か他の女性が居て拗れそうになったわけじゃない。わたし一人が、全力で空回りをしていただけだ。
ただ、ユーリエさんから言われた言葉は、今もしっかりと覚えている。
無理に何かしようとしなくていい。
無理に一緒にいなくてもいい。
無理に普通にしなくてもいい。
お仕事じゃなくて、気持ちのことだから、って。
アレットやアリアネにも迷惑を掛けたし、ユーリエさんがいなかったらもっと大変なことになっていたかもしれなくて、後から静かに反省した。
でもこのままだと、同じように空回りしてしまいそうな気がして……。
そっか。
たぶんわたしは、ものすごい焼きもち焼きなんだ。
五歳のゲルトルーデにさえ絶対に負けたくないと思ったし、今だって、ユリウスとコルネリエさんのことが気になってしょうがない。
それからもっと大事なことに、会話の端々から分かってしまったことがある。
ユリウスとコルネリエさんは、恋人同士じゃないってことだ。『今はまだ』……ってつけるべきかどうか微妙なところだけど、それならわたしだって同じ『今はまだ』、だからね。
なのに……それが分かっていながらも、もやもやとイライラが押さえきれないわけで。
もちろん、二人の距離は家族のように近くて、わたしが入り込もうとしても隙間が見つからない。
当たり前だけど、二人には同じパーティーで互いに命を預け合ってきた絆や、長い時間を過ごしてきた積み重ねがあるんだろう。
それをわたしの手前勝手な焼きもちだけで引っかき回したりなんて、絶対にしたくなかった。
悩んでいても解決しそうにないけれど、このままもやもやし続けるのは、たぶんよくない。それは分かってる。
わたしはわたしを許せなくなるし、この一年半の時間もシャルパンティエでの頑張りも無意味になって、後悔だけじゃ済まなくなるだろう。
同時に、二度も同じようなことで誰かに迷惑を掛けたりするのは……ものすごく嫌だった。
だったら……よし。
ここは『しっかりもののジネットさん』らしく、頭を冷やして仕切直そう。
▽▽▽
わたしは隣のテーブルの話題が途切れるのを見計らって、ユリウスの袖を小さく引いた。
「なんだ?」
「ごめんね、今日のユリウスはお酒が進むだろうし、酔っちゃう前に伝えておこうと思って。明日、ヴェルニエまで仕入れに行くから、そのつもりでいてね」
「随分と急だな。……ジネット、何かあったのか?」
……。
普段とちょっとだけ違うユリウスの真剣な目に、わたしは飲み込まれそうになった。
少しは気に掛けてくれている……と、思いたい。
「ほら、うちは商売やっているのに、今年の挨拶回りもまだでしょ。孤児院の方も今日で一段落したし、何より……」
「うむ?」
「買い物がしたいの。……そりゃあ、注文すればマテウスさんがまとめてルーヘンさんが持ってきてくれるけど、そうじゃないのよ。色んなお店を巡って店先を冷やかしたいし、流行もちょっとは気になるし、お行儀は悪いけど買い食いもしたいし……」
向かいでアレットが驚いてるけど、言い訳と口止めと埋め合わせは後にしよう。
「領地の方で急ぎのお仕事はなかったと思うんだけど、いいかな?」
「……そう言えば、ジネットはほぼ休みなしで店を開けていたか」
昼間はお客さんが殆ど来ないから、半日休業がずーっと続いてるようなものだけどね……。
少し思案したユリウスは、懐の隠しからターレル金貨を取り出した。
「ついでに羊を一頭買ってきてくれるか」
「羊!? 多すぎるって。相場は大きく変わってないと思うし、後払いで大丈夫だよ」
うー……。
これは、どっちの意味だろう?
コルネリエさんの歓迎に羊料理を出したいのか、それとも、孤児院へのお祝いなのか……。
ちらりとそのコルネリエさんと視線が交わってしまい、わたしは下を向いた。
「余れば小遣い銭にしていいぞ。……なに、家臣を気遣うのも領主の懐の深さだという。しっかり楽しんで、心と体を休めてくるようにな」
「あ、うん、ありがと……。おやすみなさい、ユリウス」
「ああ、おやすみ」
ユリウスには小さく頷き、皆さんにも詫びてから、わたしは席を立った。早速、ルーヘンさんに話を通しておこう。
ここで心苦しいまま耳をそばだてているよりは、少しだけ離れた方がいい……よね。
たぶん、きっと。
▽▽▽
「じゃあ、いって来るね」
翌朝早く。
久しぶりに旅装をしただけでも、多少気分が切り替わった気がした。編み上げ靴を履くのも久しぶりだ。
「あの……気を付けてね、お姉ちゃん」
「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だって。二泊して、頭冷やして帰ってくるだけだもん」
「それは昨日聞いたけど……」
ふぃあ。
「フリーデンも一緒に来てくれるもんねー」
小さめの背負い袋を一つ、よいしょと背負い、フリーデンを肩に乗せる。替えの下着と化粧小物、今日のお昼の軽食にする堅焼きパンぐらいしか入れていないけれど、街に行って帰ってくるだけなら、これでも十分だ。……帰りは大荷物になる予定だし。
背負い袋に入らなかったため息は……持っていって、途中で捨てよう。
「お店の方、よろしくね」
ふぃっ!
「いってらっしゃい、お姉ちゃん、フリーデン……」
「いってきます」
かららんと扉を開ければ――。
「……あ」
広場にはルーヘンさんと馬車だけじゃなくて、ユリウスもわたしを待っていた。鎧姿じゃないけれど、剣を持っているから朝の鍛錬の少し前かな。
「いつも見送られているからな」
「あ、うん、ありがと」
挨拶を交わし、背負い袋を荷台の隅に載せて貰う。
ユリウスとはゆっくり話したいこともあるけれど、後はわたしが乗れば準備完了なわけで……。
「いってきます、ユリウス」
「ああ、いってらっしゃいだ、ジネット」
ふぃ!
「うむ」
「じゃあ、お願いします、ルーヘンさん」
「出しますぜ! はいや!」
遠ざかるユリウスを、一度だけ振り返る。
羊の事を聞いておけば良かったと思いついたのは、湖が見えてきたお昼過ぎだった。




