第五話
「あーあ……」
わたしは商工組合を後にして宿に戻ると、そのまま寝床の上で唸っていた。
シャルパンティエが予想通りの田舎だったのは、仕方ないけどちょっと残念。
紙片はそのまま貰ってきたけれど、すぐに覚えたぐらい場所も分かり易かった。
このフォントノワから一度王都グランヴィルに出て、東に向けて街道をずっとずっと真っ直ぐ、工房で有名なオルガドの向こうにあるヴェルニエという地方都市のすぐ近くだ。
元は西方出身の王様を祖とする王家が治めているこの東方の大国は、少し風変わりだった。地名はアルールと同じラ・ガリア風、人の名前の多くはプローシャ式と少しばかりちぐはぐで、わたしの持っている営業許可証もシャルパンティエなんて洒落た響きの領地なのに、領主様の名前はユリウスと厳めしい。
バチスト議員の世間話だと、東方辺境では一つの開拓村がそのまま一つの領地を形成していることが多くて、シャルパンティエもそのような場所である可能性が高いらしい。
だいたいの位置が分かっただけで名産も街道の交差も人の数もわからなかったけれど、運良く他の村との道中に位置しているなら宿屋を兼業すればよいだろうと、励ましのお言葉を貰った。
どちらにしても、シャルパンティエの様子を確かめておきたい気持ちはある。
ただで手に入れた営業許可証に踊らされ、無駄足になるかもしれないことは、わたしも……かなり真剣に考えていた。
けれど、賭けに勝ったときの実入りも大きいわけで、旅費を考えてもここは勝負に出ておきたい。
「とは言っても……ねえ?」
誰ともなく呟いて、財布の中身を思いやる。
金貨は極少なかった。銀貨は色んな種類がじゃらじゃらと……結構あると言えばあるけど、贅沢を出来る程じゃない。銅貨は重いので、実家を出るとき両替して貰っていた。
シャルパンティエの手前、ヴェルニエまででも馬車に乗ってほぼひと月かかるらしい。ヴィルトールはどれだけ広いんだと呆れながら距離を想像して、歩いて行くのは早々に諦めた。
乗り合い馬車なら、丸1日乗って2テストン───国を出た気分を切り替えないといけない───じゃなくて、3グロッシェンぐらい。……ってことは半月で金貨1枚分ぐらいになっちゃうから、開業資金の取り置き分を除いた当面の生活費───宿代を考えればこのフォントノワまで往復できるかどうか、割とぎりぎりの金額だ。
つまり、引き返すなら王都まで。これは覚えておこう。
というわけで、観光はなし。
そんな余裕は、残念ながらどこにも見あたらなかった。
いつかは貸し切り馬車で高級な宿に乗り付けて、ゆっくり観光でもしてみたいねー。
▽▽▽
フォントノワから直行の乗り合い馬車でほぼ1週間、わたしは無事グランヴィルに到着した。それにしてもすれ違う馬車の多いこと多いこと……。
流石は大陸を南北に貫く大街道、出発初日の朝は数えてたけど、流石に飽きたので残りは居眠り半分、景色もまともに見なかった。
道中もほんとに代わり映えのしない毎日で、朝方、顔なじみになったお客さんや御者さんに挨拶して丸一日乗り続け、夕方、宿場町に入ると安宿を探してばたんきゅー。
広い国でもアルールに近いせいか、宿で出てくる料理も地元と大差ない。違ったのはパンの味ぐらいかな。内陸になるから肉が多かったけど、主菜もスープも味付けは似たり寄ったりだった。
「オルガド行き、いないかー!?」
「乗ります!」
もちろんグランヴィルでも休憩はせず、わたしはそのまま東向きの街道を進む馬車に乗り、オルガド経由でヴェルニエに向かった。旅程は3週間弱、グランヴィルまでの街道ほど立派な道じゃなかったけど、それでもずっと石畳が続いている。
それでもヴェルニエへと近づくにつれ、景色が随分変わってきた。うん、これは田舎の雰囲気だ。すれ違う馬車も少なくなったし、宿場町もだんだんと寂れてきている気がする。具体的には、宿の数が目に見えて減ってきた。
泊まる人が少ないと宿も減るのは当たり前なんだけど、少し不安になってきたかもしれない……。
▽▽▽
実家を出てから33日目。
馬車の旅にも慣れた頃。
ついにと言うかやっとと言うか、わたしはヴェルニエの街に到着することが出来た。
ヴェルニエの見かけは分厚い壁で周囲を囲われた城塞都市で、市壁がぐるりと街を一周してる。ラマディエにも市壁はあったけど、その外側にまで家が並んでてあんまり意味がないなーって思ってた。でもこのヴェルニエは壁の上に兵隊さんが何人も立ってるし、手前───西側は麦畑で奥は深い森だ。
「検問だ。
皆、降りてくれ」
その入り口で馬車が止まり、御者さんが声を掛けてきた。
ずっと大きなフォントノワやグランヴィルじゃそんなのなかったのに、この田舎で検問って、どういうことだろう?
うわあ……。
抜剣こそしてないけど、隊長さん以外の兵隊さんも目を光らせてる。
もちろん、他のお客さんと一緒に外へ出て並んだ。……お仕事中の兵隊さんに逆らうと、碌なことにならない。
「西通りの宿、『パイプと蜜酒』亭のマテウスじゃ」
「ああ、親父の顔は知ってる。
よし、次!」
「冒険者だ。
河岸を変えて一儲けしに来た」
「ほう、赤銅のギルドタグか。……問題ないな、よし、次!」
もちろん、一台の馬車に何十人も乗れるはずがない。
わたしの番はすぐに来た。
「お、お店を出せるかどうか、アルールから確かめに参りました」
「アルール!?」
「これ、札と営業許可証です……」
じろりと睨まれ、首をすくめる。
隊長さんは鉄札と許可証を見比べて、首を捻った。
「シャルパンティエ……!?
ヴェルニエじゃないのか?」
「最寄りの一番大きな街がここだって、フォントノワの商工組合で教えて貰ったんですけど……」
「なるほどな、確かにヴェルニエはここらじゃ一番の街だ。
しかしシャルパンティエなんて、聞いたことないぞ……。
おい、誰か聞き覚えはないか?」
兵隊さん達は、顔を見合わせてから首を横に振った。
最寄りの街でも知られていないとは……。
これはもう余程の田舎だろう。ここからでも遠いに違いない。
わたしはがっくりと肩を落とした。
「ふむ……。
隊長」
「どうした、親父?」
先ほど宿の主人だと名乗った老人が、片手を挙げた。
「うちに長逗留してらっしゃる騎士様が、確かシャルパンティエと言う名を口にされたいた様な気がしたのだが……」
「騎士……?
ああ、そう言えばいつも隅のテーブルで飲んでる厳めしい御仁が居たな」
「うむ」
「……よし、問題なかろう。
親父、頼めるか?」
「客が増えるんだ、歓迎せんわけなかろう」
口振りからは、その騎士様のいる店までに案内して貰えるらしい。
ご主人にしてみれば、店まで帰るついでにわたしというお客が増えるから損はないのだろう。
それにしても、厳めしい……?
「娘さんや、乗り合い馬車の駅停よりここから歩いた方がうちの店は近い」
「お言葉に甘えます」
わたしは馬車を見送って背負い袋を担ぎ、手荷物一つのご主人についていった。
並んで歩きながら街を見回すと、田舎ながら活気に溢れていることが分かる。
「聞いておったかもしれないが、わしはマテウスと言う。
しがない冒険者宿の親父だ」
「アルールから来ました、ジネットです」
「うむ。
ここはあちこちから人の来る街だが、それにしても随分遠いの?」
「はい。
最初はフォントノワあたりでお仕事できればと、思ってたんですけど……」
わたしは道々、マテウスさんに営業許可証を手に入れてからヴェルニエに来るまでのことを話した。
……笑い話じゃないはずなのに、マテウスさんは随分と楽しそうに聞いてくれている。
「若いのう……。
おうおう、見えてきた、あれがうちの宿だ」
「うわ、おっき……」
「中はボロいぞ。
喧嘩っぱやい奴ばかり泊まりおるからの」
にやっと笑ったマテウスさんは、開けっ放しの入り口を指で示した。
時間が昼下がりだったせいか、くつろいでいる客はまばらだ。
わたしも落ち着きたかったので、マテウスさんに頼んで早速部屋を借りることにした。……言うほどボロじゃなくてほっとしたのは、内緒だ。
「今の時間なら選び放題だ。
相部屋は半グロッシェン、一番狭い個室なら1グロッシェン」
「……個室でお願いします」
流石は冒険者向きの木賃宿、良心的な値段だった。道中泊まった安宿より建物はしっかりしていそうだし、寝具にまで贅沢は言わない。
財布からグロッシェン銀貨を取り出し、木札のついた鍵を受け取る。
馬車賃を払うときにわざわざ金貨を崩してこちらの銀貨に換えていたから、いまは財布にもグロッシェン銀貨が増えている。使い慣れたテストン銀貨はしばらくお休みだ。
「それから……おお、丁度いい。
ユリウス殿!」
マテウスさんが入り口に向かって声を掛けたので釣られて後ろを振り返り、わたしは仰け反りそうになった。
背の高い髭面の大男が、黒マントに傷だらけの金属鎧で威圧感を振りまいている。
腕なんか、わたしの腰回りぐらいあるんじゃないだろうか。
背だってわたしより頭一つ分は高いから、凄い迫力だ。
でも筋肉ダルマってわけじゃなくて、細身の熊か立ち上がった狼って感じ。
冒険者か騎士様なら特上の腕だと思うけど、街で行き会ったら絶対に避けて通ると思う。
「親父、何用だ?
先払いした宿代はまだ余裕があると思ったが……」
声も低いしドスもよく効いてる……。
よくみれば腰の得物も少しばかり禍々しい装飾で、聖神降誕祭の劇に出てくる魔王役の役者さんみたい。
「違う違う。
こちらの娘さんなんだが……」
「うむ?」
「アルールからシャルパンティエに御用があってここまで来なさったらしい」
「何っ!?」
三十絡みかと見積もっていたけど……その驚いた表情は、意外に若いかもしれないとわたしに思わせた。
落ち着いてよくよく見ると、顔の作りも悪くない。……でも、髭は剃った方がいいかなあ。
「あの、これ、営業許可証で……」
「……ん?
おおっ!?」
大男は破顔すると、手を握りしめた。
痛い。
それ、わたしの手なんですけど……。




