挿話その三「窓の向こうの誰かさん・上」
初夏が近づいてきた、とある日の夕暮れ時。
孤児院と教会が無事に完成し、シャルパンティエの新しい住人達も、山での暮らしに慣れはじめた頃のこと。
めずらしくヴェルニエに出向いていたデイートリンデさんが、満面の笑みと共に戻ってきた。
「ね、可愛いでしょ?」
「おー。
この子ですか?」
デイートリンデさんの真新しい皮手甲の上、ちょっと小柄な猛禽類……ハヤブサかな? が、こちらを見ている。
でもわたしからすると、可愛いと言うより凛々しい感じ、かな。
「ほら、キルシュ。ごあいさつ」
きゅわ。
「えーっと、よろしくね、キルシュ」
キルシュは、頷いてからばさっと羽根を広げてくれた。どこ触っていいのかわからないし、握手やお手というのも変なのでわたしも同じようにうんと頷いておく。
「ジネットも欲しくなった?」
「そうですねえ……」
どうかなあと、わたしは羽根を手入れするキルシュを見ながら考えてみた。
デイートリンデさんが、仕事上の都合で空を飛ぶ使い魔を手に入れることを決めたのは、つい先日のことだった。
やっぱり自前の連絡手段が欲しいと、さんざん考えてたみたい。マスター・クーニベルトの使い魔、黒鷲のズィーベンシュテルンが週に一度は飛んでくるからね。
使い魔は魔法陣を描いて、魔法使いと使い魔、一人と一匹がその上に立ち、お互いの血を一滴交換することで契約が結ばれる。儀式その物はギルドに頼めば立ち会いの魔術師が用意してくれるので、わたしでも大丈夫だ。お値段は必要な魔法陣の大きさで変わるけどね。
種類は手の平に乗る小さなネズミから、うちのお店より大きなドラゴンまで様々だけど、血の契約が必要なので昆虫や一部の魔法生物は駄目、らしい。
ただ、やっぱり代価は必要なわけで、餌や寝床のお世話はもちろん、使い魔の能力に応じた魔力を日々与え続けなければいけなかった。放っておくと契約が切れて野生に帰ってしまうので、ネズミなんかはいいけど、ドラゴンだとちょっと大変そうだ。……もちろん、あんなおっきいのが街の中で野生に帰っちゃうと、大変程度じゃ済まないけど。
そんなわけで、同じ魔法使いでも、人によって使い魔を持ったり持たなかったりする。
魔力が少ないと自分に合う使い魔が選べないし、魔力はたくさんあっても使い慣れた魔法が使いにくくなってしまうからという理由で持たない人も多いかな。魔法薬を飲むことで補いはつくけど、お財布に優しくないし。
アレットなんかは薬草師兼業で、ちょっと迷いどころになってしまう。
薬に魔力を込める必要があるから使い魔が居ない方が仕事は捗るけれど、例えば鼻がよくきく犬の使い魔がいれば、採取作業はものすごく楽になるわけだ。
逆にわたしは使い魔が居ても居なくても、それほど困ったり得したりしない。魔法は便利に使っているけれど、本業じゃないからねー。
「んー、またベアル狩ったから手伝え、って言われると困るかもしれませんし……」
「そうそうはないと思うけど……?」
ちなみにディートリンデさんの、キルシュへの愛とかわいがりっぷりは半端ではなく。
その日のうちに、キルシュの似顔絵と使い魔なので見かけても狩らないようにという張り紙が、ギルドの掲示板と『魔晶石のかけら』亭にしっかりと張り出されていた。
▽▽▽
「わたしもつかいま、ほしいなあ」
次の日、うちに顔を出したゲルトルーデがぷーっと膨れていた。
孤児院の子供達にも、キルシュを見かけても石を投げたりいじめたりしないようにと、デイートリンデさんが直々に伝えたようだ。その時に見たんだろうねえ……。
戸棚を拭き掃除しているアリアネも、やれやれといった表情だ。
「そうねえ……。
でも、もしもゲルトルーデが魔法を使えたとしても、まだちょっとはやいかな。
せめてアリアネぐらいまで背が伸びてからじゃないとね」
「わたしは魔法使えないからあきらめたけど、お世話するのは大変なんだって聞いたよ。
それにゲルトルーデはいつもお寝坊さんだから、使い魔さんがお腹空かせちゃったらかわいそうだよ」
「むー……」
ゲルトルーデに魔力があるかどうかはまだ調べていないので、わたしにも何とも言えない。
親が魔法使いなら早く調べることもあるけれど、虹色熱で魔力持ちであることが分かっても、10歳ぐらいで改めて調べるのが普通だった。……簡単な魔法でも、身体が小さすぎると耐えられないことだってあるからね。
その後も、親が教えたり、習いに行かせたり出来るならいいけれど、下手に隠れて練習でもされると事故に繋がりかねない。だから、少しは分別が出来てくる歳になってからでないと、魔法を教えないことも多かった。
「ジネットはつかいま、いないの?」
「こら、ゲルトルーデ! ジネットさん、でしょ!」
「まあまあ。
使い魔は、今はいないけど、うーん……」
わたしはめくっていた帳簿を閉じて、腕組みをしてみた。
小動物の使い魔なら可愛いかなと思う。でも可愛がるだけなら、別に使い魔じゃなくて飼い犬や飼い猫で十分だよねえ。
んー、そうだ、お店番してくれると嬉しいかな。
今ならアレットだけでなくアリアネもいてくれるけど、奥の掃除をするときとか凄く助かると思う。
強盗やっつけてくれるほど強い子だと……ああ、魔力が大きく減っちゃうほど強い使い魔は残念だけど契約できないね。
やっぱりそこそこは魔法が使えないと困る。仕入れた商品の出し入れは、わたしの仕事だし。
でも、ちょっと気になったりもしてるんだよねえ。
ゲルトルーデが喜ぶからって使い魔と契約するのは、流石にどうかと思うけど……。
「少し、真面目に考えてみようかな……」
「ねこ!」
「犬がいいと思います!」
あらら、アリアネまで乗り気だ。
どちらにしても、もう少し考えてからだけどねー。
▽▽▽
と、言ったような話を、夕食時のユリウスに披露してみる。
わたしたちは……えー、うん、誰も見ていないときに肩が触れ合ったりするようにはなったけど、他はま、まあ、これまでと変わらず、かな。
「使い魔か……。
俺はどうしてもダンジョンを踏破するための戦力として使えるかどうかを考えてしまうからな、参考になるかはわからんぞ」
「でも、わたしよりは詳しいよね?」
「そうかもしれんが……」
街人のそれとは考え方が根本に異なるし、同じ冒険者でも傭兵稼業主体かダンジョンが仕事場かでもだいぶ違うそうだ。
「わたしぐらいの……黄色の魔力でも契約できそうな使い魔で、ユリウスがぱっと思い浮かぶのは何?」
「ふむ、黄色なら毒蛇の類が一番だろうな」
ひっ、と小さく声が出てしまった。
「見た目は少々恐いが、気配に敏感で暗い洞窟でも敵を察知してくれるし、寝ずの番もしてくれる。
寒い場所は苦手だが、吼えたりせぬから宿でも怒られぬと、実に頼りになるのだ。
物取りなんぞ毒で一撃だぞ」
「いやだよ、そんな恐い使い魔!」
前置きはあったし、これ以上なく真面目に答えてくれてるってことだけは分かったけど、どうにも参考になりゃしない。
「ジネットが冒険者であれば一番のお勧めだが、雑貨屋では流石に物騒すぎるな」
「そうだよねえ……」
「普通に考えれば、街人向きなのはやはり犬や猫だろう。
世話の仕方も良く知られているし、元より主人以外にも懐きやすくて愛嬌もある。なにより、分かり易い役立ち方をするからな、重宝される」
「やっぱり、そのあたりになるよねえ……」
「他には……鳩などもよく使い魔とされるか。
ああ見えて、長距離ならハヤブサよりも早いのだ」
「へえ……」
猫はネズミを捕ってくれるし、犬は番犬になる。鳩なら実家と手紙のやり取りがしやすくなるかな。
見た目も可愛いし、そのどれかなら不満はないけど……。
「まあ、最も大事なことは相性だがな。
同じ犬や猫の同じ種類でも、性格は相当違うと聞くぞ」
「そっか……」
「貴族の間だと、魔猫なども人気だったか。
可愛い上に魔法も使えるからな」
「あ、聞いたことあるかも。
一匹で家が一件建っちゃうんだよね」
まあ、とても無理だけど。
頼めば簡単に譲って貰えそうな仔猫や仔犬ぐらいが無難だよね。
「あとは……そうだな、たまたま出会った相手をつかまえて、契約するというのも多いか。
シャルパンティエであれば、窓辺にパン屑でも置いておけば小鳥ぐらいは寄ってくるはずだ。団栗ならリスか?」
「それならわたしにも出来そうだね。
つかまえるのは、ちょっとかわいそうだけど」
小鳥にリスかあ。可愛いかもね。
何をしてくれるわけじゃないけど、ただ居るだけで楽しそうだ。
「つかまえるのが嫌なら、餌付けして馴れるまで待つといい。
急ぎではないのだろう?」
「うん」
おー、何だかんだ言っても、ユリウスはやっぱり詳しかった。
よし、今晩から早速やってみよう。
明けて翌朝。
「お姉ちゃん、何か来てた?」
「わかんない。
全部なくなってるけど……」
昨日寝る前、部屋の窓辺に用意しておいた堅焼きパンのかけらと剥いた栗の半割りは、綺麗さっぱりなくなっていた。
何かが来たのは間違いないらしい。
「アレットは何が来たと思う?」
「さあ……。
堅焼きパンと栗だったよね?
別々の動物が持って行ったかもしれないよ」
「なるほど……。
あ、明日は1階の窓にしてみようかな」
「あんまりあちこち変えると、向こうも困るんじゃない?」
「んー……」
とりあえず、しばらく続けてみよう。
でも、どんな子だろうなあ……。
わたしはまだ見ぬ使い魔の姿をあれこれと想像して、思いの外その出会いを楽しみにしているらしいと、今更ながらに気付くことになった。




