第三十九話
予定外の大騒動の後始末をする間にも、教会と孤児院を建てるための資材と大工さん達が次々と到着して、シャルパンティエは開村以来の大賑わいになっていた。
入れ替わりに契約を終えたグードルーンとマルタが街に降りたし、『獅子のたてがみ』は10年振りに実家に顔を出してくるって、護衛を引き受けつつ北の方に向かった。冬にはまたシャルパンティエに戻ってくるそうだから、それまではお別れだ。
フランツを怒るわたしをみて故郷の母親を思いだしたからだとか、ほんとに余計な一言を残していったけど!
山賊の手下みたいな顔してるくせに子供好きだし、妙なところで純朴というか何というか……。
教会の立地はユリウスが少し悩んでいたけれど、村の北側、ギルドの向こうを切り開くことに決まっている。いまは木を切って根っこを掘り起こしてるところだ。
「建物を一つにすると扱いが面倒になるそうで、結局礼拝堂と孤児院は別々に建てることにした。
まあ、予算の余裕があったればこそだが」
「余裕、あるの?」
今日も今日とて……ってこともないか、お昼前になって、ふらっとユリウスがやってきた。
最近は忙しかったし、二人でお茶をするのも久しぶりかな。今日出したのは、当然、お土産に貰った薔薇果のお茶だ。
「うむ。
オルガドの『水煙草』からも幾らか預かっていたし、さきほどズィーベンシュテルンが飛んできてな、ヴェルニエとシャルパンティエのギルドも金貨一袋を出してくれることに決まった」
「うわ、ほんとに出してくれることになったんだ!
太っ腹だねー」
金貨一袋って、100枚分だから結構な出費。
ディートリンデさんは『上手くやるから大丈夫』って言ってたけど、そうそうぽんと出せる金額じゃない。でも将来、『洞窟狼』の弟子達が活躍することを見込んだ投資だとすれば、このぐらいは大丈夫らしい。
「代わりに生活費やら何やらは俺持ちだが、まあ、損はなかろう」
「そのうち元が取れるとは思うけど……当分は、ちょっと大変だね」
子供はいつまでも子供じゃない。
育てば大人になるわけで、10年後なら、年長組のフランツとか今のわたしぐらいの歳だもんね。立派な働き盛りだ。
当然、働き手は同時に税を納める領民を兼ねるから、ユリウスの出費はいずれ回収できてしまう。……必ずシャルパンティエに残るとは限らないけれど、10年あれば受け皿も用意できるかな。その頃にはダンジョンも深い階層が発見されていて村も大きくなってるだろうし、湖の近くを開拓して新村を作ってもいい。
「そうだ、徒弟や見習いは今日からだったか。
……大丈夫か?」
「うん。
半分は子守だから大丈夫よ。
わたしもそうだったな……」
難しい仕事はさせられないけど、一人立ちの前準備にも丁度いいってことで、今日から年長組の子供達は働きに出る。お給金は寄進も兼ねた割引なしの一人前と、商工組合の話し合いで決まっていた。
うちで預かるのは11歳のアリアネで、毎日昼から来て貰う。オルガドでもお店の手伝いや街仕事に出ていたらしくて、一から教えなくてもよかった。
騒動以来わたしに懐いたゲルトルーデも希望してたんだけど、流石に断っている。気持ちは嬉しい。でも5歳は遊ぶのがお仕事だ。
ちなみにアレットは、話し合う内にイーダちゃんを弟子に取ることになった。彼女の魔力はディートリンデさんのお墨付きで、将来が楽しみらしい。
代わりにディータくんのパン屋さんでは男の子と女の子が1人づつ、今日から働いている。ラルスホルトくんも弟子を取ったし、カールさんの宿も何人か雇ってる……っていうか、自分で自分たちの世話をさせてた。グードルーン達が街に降りたところに急に人数が増えて、にっちもさっちもいかないんだって。
……本当はもっとたくさん雇ってあげられればいいんだけれど、そうすると今度はお店の方に負担が行きすぎる。
だからそれ以外の子達には、ちゃんと別の仕事場を用意することにした。
教会には薬草畑を併設して、そちらのお世話をして貰うんだ。運営費の足しになるしアレットも助かるから、一石二鳥だった。
「ユリウスもお弟子さん取るんだよね?」
「いや、休みの合間に相手をしてやることは構わぬが、稽古をつけてこちらが給金を払うわけにもいかんからな。
当面は声を掛けられたときだけにするつもりだ」
そうは言いつつも、とても楽しそうにアロイジウスさまと弟子の品定めをしてたっけ。
負けん気の強いフランツの名前も挙がってたかな。
「……もう一杯貰えるか」
「はあい」
まあ、そんなこんなで、シャルパンティエはちょっと賑やかになったけどいつも通り、かな。
台所に向かいながら、大きく伸びをする。
結局、ゲルトルーデとのかけっこ勝負には勝ったけど、その中身をわたしから口にするのは恥ずかしい。
こうして二人でお茶をしているのが精一杯だ。
だから……。
「そう言えば……」
「なあに?」
「ゲルトルーデとは、何を賭けていたのだ?」
「!!」
がっしゃん。
その話題を聞かれると、とても困る。
……危なく茶杯を割るところだったよ。
でも、ユリウスも、わたしと同じ事考えてたの……かな?
だとすれば、ちょ、ちょっと嬉しいかも。
「ジネット?」
「な、なんでもない!」
実際に『そういうこと』になってしまうと、わたしが宿屋に住むのか、ユリウスがこっちに引っ越すのか、そうなると壁一枚向こうのアレットはどうするのかって、またややこしいことになりそうだし、しばらく先になるのは仕方がなかった。実際、忙しいしねー。
……っていう理由に、今は甘えておきたい。
忙しくてもいつも通り、世はなべて事もなし。
うん、それが一番だ。
かららん。
「こんにちはー!」
「あ、アリアネ!
ちょっと待っててねー」
そろそろ時間だったっけ。
彼女の分もお茶煎れてあげよう。
お金の種類は覚えてるようだったから、今日のところは賞品の名前を覚えて貰おうかな。
本格的に読み書きを教えるのはもうちょっと先、簡単な読み本でも取り寄せしてからだ。手習いでも何か手本があった方がいいよね。わたしもそうやって覚えたし、数字や文字は沢山書かれていても、帳簿が手本じゃ味気なさ過ぎて厭きが先に来てしまう。
「領主さまこんにちは!」
「うむ、しっかり頑張れよ」
「はいっ!」
「……む?
入ってくればよいではないか」
あれ、また誰か来たのかな?
「丁度お前の話をしていてな。
ジネットとは、何を賭けていたのだ?」
ん?
……賭け?
まさか、入ってきたのってゲルトルーデえええええええええええええ!?
「ちょっと待っ───」
「どっちがきしユリウスとけっこんするか、だよ」
止める間もなかった。
台所では、去年買った安物の茶匙が蜂蜜と一緒に宙を飛んで。
お店の方からは、どんがらがっしゃんと椅子の倒れる音がした。
▽▽▽
「そりゃあね、口止めを忘れていたわたしも悪かったわ」
「……うむ」
「でも、わたしが答えないなら、ちょっとは察してくれても良かったんじゃないかな?」
「……すまん」
騒ぎを聞きつけて降りてきたアレットは、わたしとユリウスの顔を見るなり心底呆れたという表情になり、二人が居ると今日は仕事にならないから夕方まで帰ってくるなと怒って、店主と領主を店から追い出した。
仕方がないのでユリウスと二人、春草集めという名の暇つぶしに出てるんだけど、何となく顔が合わせ辛いのでお互いに背中向けて春芽や山菜を摘んでいる。
目を合わせただけで、あんなに真っ赤になるとは思わなかった。
ユリウスが。
「……む、すまん」
「……ごめん」
……もちろん、わたしもだ。
背中が当たったり、篭に伸ばした手が触れたりすると、もうどうしようもない。
いっそこっちから抱きついて甘えた方がいいのかと思いかけ、頭を振ってその考えを追い出す。
メテオール号で遠乗りするのも考えたんだけどねー。
アロイジウスさまのお宅へ続く道だと短すぎ。何往復もしてると目立っちゃう。 湖までは今の時間だと遠すぎる上に、途中でルーヘンさんに行き交うとかなり恥ずかしいことになる。
森の中なら誰にも出会わないだろうし……って、がさっと音がして少し向こうの茂みが動いた。
「こらー!」
誰だ、こっち見てるのは!
「ジネット!?
待て、あれは……」
「出てきなさい!
そこに居るのは分かって……え!?」
ベアル!?
やんちゃ坊主が後を付けてきたのかと思ったら、大きさが違いすぎる。
え、えっと、どうしよう。
「ユ、ユリウス……」
「ほう、これは大きいな!」
……むっ。
ユリウスは、下がっていろとも、逃げろとも言いやしなかった。……どころか、なんか嬉しそうな顔でベアル見てる。
こんな時、普通は女性を庇うものじゃないのかなって、少しだけ腹が立ってきた。
この状況でそんなことを考えてるわたしもどうかと思うけど、もうちょっとこう、なんと言うか……。
あ。
そうだったよ。
『洞窟狼』はそんじょそこらの冒険者じゃなくて、片腕が使えなくてもこれ以上なく強い、掛け値なしでこの近隣最強の騎士様。
ベアルは『強敵』じゃなくて、ただの『獲物』だったね……。
「これほど村に近いところで見かけるとなると、また山狩りをせねばならんな」
立ち上がったベアルはユリウスよりも大きかった……ってほんとに倍ぐらいの背丈。横幅は倍の倍だ。
「だが……」
するっと抜いた剣を構え、ユリウスは地面を蹴った。
はやっ!
「これだけの大きさだと……!」
あっと言う間に距離を詰め、膝頭に一撃。
ベアルは片膝をついて、大きな咆吼を上げた。
「食いでもあるから……!」
振りかぶられた太い腕をかわして、もう一度、反対の膝。
血しぶきが飛び散る。
「子供達も! 喜ぶ! だろう……!!」
立ち上がれなくなって四つん這いになったところを、今度は首筋。
暴れる腕と胴を避けながら、何度も何度も。
頑張ってと応援する間もなく、恐怖を感じる暇もなく、ユリウスはベアルを倒してしまった。
「死んではおらんからまだ近づくな。
……喉笛を一閃出来ればよかったのだが、流石に大きすぎた」
ベアルは突っ伏して倒れたからとどめが刺せなくて、血が抜けきって完全に動けなくなるまでしばらく待つらしい。
わたしの魔法で表返そうにも、ちょっと大きすぎるかな。
……あーあ。
「む?
どうかしたのか?」
「えーっと……あんまり恐くなかったな、って」
この髭面の騎士様と出会って、1年と余月。
……もしかすると、わたしもユリウスの常識とやらに慣らされつつあるのかもしれないね。
でも、まあ。
「もちろん、ユリウスが一緒だったからだよ」
「そ、そうか」
彼にとっては、ただの狩りだったとしても。
子供達にお肉をたっぷり食べさせたいのだとしても。
わたしを守るために頑張ってくれたと、言えなくもないわけで。
「ありがとう、ユリウス」
初めて抱きついた背中は。
わたしの手が回りきらないほど、大きかった。
▽▽▽
……それで話が済めば、二人だけの秘密だったんだけど。
「えーっと、ジネット」
「ディ、デートリンデさん!?」
「おお、ベアル倒して口説くとは……」
「流石は『洞窟狼』殿ですな!」
「……」
ベアルの大きな咆え声は、もちろん村まで届いていて。
「よおし、とっとと運ぶぞ」
「魔法使いども集まれー」
ギルドの人達だけでなく、手すきの冒険者がわらわらと集まってきて。
「あの、こちらもね、出るに出られなかったのよ。
人数が多かったから、領主さまは気付いておいでだったけれど……」
「うー……」
「でも、よかったわね」
「そ、それは……はい」
ユリウスに抱きついたところは、しっかりと、それも大勢に見られてしまった。
恥ずかしすぎて、夕方になっても村に帰りたくない。
もう一人の当人は渋面を作り、何やら頭を掻いている。
たぶん、照れくさいんだろうけど……もう一匹ベアルがうろうろしてるみたいだ。
「じゃあ、また後でね」
「あ、えっと……」
それじゃあごゆっくりと、わたしとユリウスはその場に残された。
もちろん、ベアルやら観客やらに水を差されて、続きなんて出来るわけがない。
……はずなんだけど、水を差されたお陰でかえって冷静になったかも。
今はもう、手を繋いでいても照れくさくない。
「……帰ろっか?」
「……うむ」
歩幅を小さく刻んで時間を掛けながら、村へと歩き出す。
大きくてあったかい手といつもの距離感が、心地いい。
「ジネット」
「なあに?」
「その……」
「……?」
「……いや、なんでもない」
ユリウスを見上げれば、まだ真っ赤なまま空の彼方に顔を向けていた。
そりゃあ照れくさいだろうし、言われるこっちも恥ずかしいだろうけど。
それでも、『好き』って言われたいことだって、あるんだよ。
言いたいなら、言ってもいいのになあ……。
わたしは自分のことを棚に上げて、大きな手をぎゅっと握りなおした。




