第三十七話
『きしユリウスをたぶらかそうとする、あくやく……じゃない、あくとくしょうにんめ!
わたしとしょうぶだ!』
「あー……」
ほんと、今日何度目のため息だろう。
せっかくユリウスが戻ってきたのに、何やってるんだか……。
ユリウスはギルドへの報告もあるし、わたしはろくに話もできないまま夕方からは店を放り出してシャルパンティエに到着した子供達の世話に追われ、一緒にやってきたシスター・アリーセと二人して何人もの子供を洗った。
……わたしに勝負を挑んだ女の子、ゲルトルーデは洗わせてくれなかったけど、手伝ってくれた大きい子たちや洗ってあげた小さな子たちとは仲良くなれたかな。それが終わる頃に食事の用意が調っていたのは、アレットやグードルーンたちが頑張ってくれたおかげだ。
『しょうぶはかけっこよ!』
『えーっと、うん、明日ね。
でも夜更かししてると、途中で寝ちゃうかもしれないわ。
勝負はちゃんと受けてあげるから、食べたらもう休みなさい』
ゲルトルーデはまだ5歳。……しっかりしすぎてるけど。
アレット達が5歳の頃ってどんなだったかな……。
テーブルについてようやく話をすることが出来た……のはいいけど、道中でユリウスが冒険の話をしてくれただの、ユリウスに道で摘んだ花を差し出したら髪に飾ってくれただの、惚気一歩手前の話しぶりにわたしはどっと疲れてしまった。楽しげなゲルトルーデはかわいかったけれど。
でも、ユリウスなりに気を使ってたんだろうなってことだけは、よくわかったよ。……髭面の大男が子供をあやす様子を想像すると、どうにもちぐはぐで似合わないけどね。
最初、いきなり悪徳商人呼ばわりされたことには、少しカチンときた。
でも、わたしにだって分別はある。何かわけがあるんだろうな、ぐらいには冷静さを保っていた……かなあ。この子と喧嘩をしたいわけじゃないし。
食後、ほらもう眠いんでしょと手を繋いで階段を上がり、ベッドに寝かしつけていると、もう一度、指をさされた。
『かったほうが、きしユリウスのおよめさんになるんだからね!』
『……え?』
そのまま毛布を被ってしまったゲルトルーデに声を掛けることも出来ず、もう一人の子の寝息を確かめたわたしはふと我に返って、もしかしなくてもとんでもなく不利な勝負───負ければ大恥となり、勝てば大人げないと笑われる───であることに、ようやく気が付いた。
それにしても、『勝った方が、お嫁さん』、かあ……。
まいったなあ、ほんと。
子供の言うことだから真に受けないで突っぱねるとか、条件を付けて賭を受けないようにするとか、暇がないと勝負を断るとか、そりゃあ色々と考えつくよ。……大人だし。
もちろん、後々まで引きずってもよくないし、ゲルトルーデを傷つけるようなことをするつもりもない。……大人だから。
ただ、『勝った方が、お嫁さん』となると、何がどうあっても譲れないところもあった。
……勝負の行方は別にして、そう思わされた時点でわたしの負けかもしれない。
幼なじみってほど長いつき合いじゃないけれど、多少はユリウスの性格や行動も読めるようになってきたし、好き……うん、自分を誤魔化してもしょうがない、好きな気持ちに嘘はない。
いますぐは無理でも、ユリウスと結婚したいって気持ちは、間違いなくあった。
そのうち……なし崩しかもしれないけれど、嫁に来いって言ってくれるって、思ってた。
ううん、甘えてただけかな。
ユリウスは、顔も恐いし声も低いし、大きな体で迫力も凄い。
恋敵なんて現れないと高を括ってたのは、わたしだ。
その恋敵が5歳の女の子だったのは、幸運だったのかそうでないのか。
もしもゲルトルーデが10代半ばの少女か、わたしと同年代の女性だったりしたら、拗れたときに誰にとっても救いようがないことになってたかもしれないし。
それにしても……。
わたしが勝負に勝って、それでいてゲルトルーデが笑顔になるような『結末』って、どこに転がってるんだろう。
半ば自業自得の悩みを持て余しながら酒場に向かえば、領主さまはようやく肩の荷が下りたって顔でワイン片手にのんびりしていた。そりゃまあ、あれだけの数の子供の面倒を見ながらオルガドから旅すれば、疲れるのもしょうがないか。
……押しつけられるようにして孤児院ごと教会を引き取ってきた顛末と、わたしが悪徳商人にされてしまった理由だけはきっちり聞き取ったけど。
でも、当事者の一人だって自覚はあるのかな、ほんとにもう。
ユリウスがもうちょっと『しっかり』してくれていたらって、思わないでもない。
……もういいや、勝ってから考えよう。
▽▽▽
なんだかあんまり眠った気がしないけど、容赦なく次の日はやってきた。
結局、いい考えは浮かんでこなくて、多少重い気分で朝食を終える。
昨日の騒ぎで忘れてたけど、人集めとかしてる場合じゃなくなったし、当面は教会……っていうか子供達のことに掛かりきりになりそうだった。
「……お姉ちゃん?」
「あー、うん。
分かってる分かってる」
アレットに生返事を返しながら、去年の夏に買った編み上げのサンダルを出して履く。かかとが曲がらない編み上げ靴は長い距離を歩いても疲れないけど、こっちの方が軽くて走りやすかった。普段の革靴だと、思いっきり走れば脱げてしまうだろう。
スカートも春先に使う軽いものにしたし、上着も留め具のないものを重ね着して、万が一転けたときにも痛くないように……って、アレットはものすごく呆れてるけど、結局準備は万全に整えた。ユリウスに貰った銀の札は、お守り代わりに連れていこうかな。
……はあ。
おなか痛いから明日にしようかって真顔で言いそうになるぐらい、憂鬱だよ。
広場で行われるかけっこ勝負には、大勢の見物人が集まっていた。
ゲルトルーデを筆頭に子供達の殆どと院長さま達わずかな大人、面白そうな表情の冒険者達、そしてユリウス。
「なんとも申し訳ないことで……」
「ジネットさん、あの……」
「大丈夫ですよ、院長さま、シスター・アリーセ。
気にしていませんから」
昨日も随分と頭を下げられたけど、事情を知ってしまった今は、笑顔で応対するのが礼儀だろうと思ったりする。わたしの複雑な内心は、押し隠せば済むことだ。
「ジネット、ゲルトルーデ。
二人とも準備はいいか?」
「はいっ!」
「大丈夫よ」
前置きも何もなく勝負をはじめさせようとするユリウスに、多少の気遣いと逃げの姿勢を感じつつ、ゲルトルーデを見下ろす。
「……おはよう」
「ふん!」
なんともまあ、勝ち気な表情だ。
彼女の足下は大きめの木靴で、少し気が引けてくる。誰かのお下がりで、他の靴を持っていないのかもしれない。
……でも、勝負は勝負だからね。
「シャルパンティエ領主ユリウスが宣言する。
この線から走って、井戸を一周して先に戻ってきた方が勝ちだ。
それでいいな?」
二人して頷き、線の手前に並ぶ。
……嫌な緊張感で、居心地が悪い。
「他の者は決して邪魔をせぬこと。
皆、よいか?」
「承知!」
「うっす!」
「はい!」
皆が口々に宣誓して、それを確かめたユリウスが頷いた。
子供達は領主としての言葉におっかなびっくりの様子、幼い子たちは院長さまの『かけっこの邪魔をしてはいけませんよ』という言葉に返事をしている。
大人は……まあいいか。
幸い、賭事にはなっていない様子で、少しほっとたのは内緒だ。
……勝ち負けは横に置いて、今夜のお酒の肴にはなりたくない。
「……『銀の炎』」
「はい、領主さま?」
「見届け役を引き受けてくれ。
……この場では一番公平だろう」
「畏まりました」
ディートリンデさんは頷いて、腰から杖を引き抜いた。
わたしはともかく、ゲルトルーデが転けて大怪我でもすると困るものね。ユリウスも彼女の木靴に目をやっていたから、たぶん間違いないと思う。
「では……」
ユリウスの合図にぐっと身体中に力を入れ、拳を握る。
「はじめ!」
パンと手を打つ音が響いた瞬間。
「グゃあっ───!!!!!」
右のすねに激痛が!!
わたしは自分でもびっくりするほど変な叫び声を上げて、その場で転げ回った。
「やった!」
「上手いぞ、ゲルトルーデ!」
盛り上がる子供達の声と、ちらりと見えたゲルトルーデの姿。
思いっきり向こうずねを蹴られたのだと、痛みに耐えつつ理解する。
「痛たたた……あっ!」
……木靴!
ゲルトルーデの木靴はそのためか!!
もう子供相手でも気にするもんかと涙目になりながら立ち上がり、足を引きずって追いかける。
ゲルトルーデはもう井戸をぐるっと回っていた。
「……あー、もう!!」
くやしさと恥ずかしさで感情が高ぶって、自分でももう何が何やらわからない。
蹴りがありなら、こっちにだって考えがあるよ!
わたしは右手を掲げ───。
べちょ。
「きゃん!?」
顔に何かが当たって、前が見えなくなった。
あんまり痛くはなかったけど、泥臭いにおいが鼻と口に広がる。
……これ、泥団子か何か!?
ほんとにもう、次から次へと!
わたしは立ち止まり、右手を掲げて指輪に精神を集中させた。
「……【水よ集え、球と為せ】」
今は見えないけれど、目の前に大きな水の球が浮いていることが、しっかりと感じられた。
そこに思い切り顔を突っ込んで、泥を洗い落とす。
わたしは5歳の子相手に何をしてるんだろうって、なんだか哀しくなってきたよ。
って、そんなことしてる場合じゃない!
ゲルトルーデはもう、ユリウスのすぐ手前に!!
「……【魔力よ集え、浮力と為せ】!」
「わ、な、なにこれ!?」
わたしは慌てて魔力を集中させ、『ゲルトルーデ』を宙に浮かせた。
「おろしてよー! このあくやくしょうにん!」
……はあ。
足は痛いし身体は冷たいし。
服もよく見れば泥だらけ。
おまけに子供相手のかけっこに魔法使って。
宙に浮いたまま暴れる彼女を追い越し、のろのろと歩きながら大きくため息をつく。
「……ゲルトルーデ、あなた、すごいわ」
「いいからおろして!」
ユリウスの前に立ったところで、手を取られた。
相変わらず大きい手だね。……あったかい。
「……うむ。
勝者、ジネット!」
「ジネットの勝利、確かに見届けました」
勝利の宣言をしっかりと聞いてから、魔法を解いてゲルトルーデを地面に降ろす。
もちろん、ユリウスの告げた勝者に対して、大きな歓声が上がるようなことはなかった。
わたしにも喜びは全くない。
……当たり前だ。
大人と子供、あるいは姉と妹。
歳の差がある者同士の勝負や喧嘩にも、それなりのやり方というものがある。魔法まで使うのは、まったくもって大人げなさ過ぎた。
「……ジネット」
「……なあに?」
「少々まずいことになった」
ユリウスを見上げれば、単なる渋面……と言うには少し真剣味を帯びたするどい目つきで観客の方を見ている。ディートリンデさんも同じ様な表情だ。
勝負のことはもう頭から抜けているような感じで、ただごとじゃない。
「おお、フランツ!
お前は何と言うことを!」
「い、いーじゃんかよう!
大人相手ならあれぐらい普通だぜ!」
真っ青な顔の院長さまと、仏頂面の男の子が何やら揉めていた。
……何だろう、やけに観客が静かなのもそのせいかな?
「何かあったの?」
「お前に泥団子を投げたのは、あの少年だ」
「私も見ていました。間違いありません」
「ゲルトルーデの奥の手だと思っていたのに……って、あ!」
確かに、ユリウスやディートリンデさんの表情にも納得がいった。
あの男の子は、ただわたしに泥団子を投げつけただけじゃない。
それだけなら、わたしが怒るなり説教するなりして終わるけれど、勝負の直前にユリウス───貴族でもある領主と交わした誓約を破ったことが問題になる。
「……公平を期したつもりだったが、格好などつけるものではなかったな。
宣誓さえなければ拳骨の一つで済ませてやりたいところだが、そうもいくまい」
当のユリウスには、大きな罰を与えるつもりはない様子。
でも、それだけじゃこの場はおさめられない。
わたしにも、『貴族の名誉』とかはよくわからないことも多いけれど、指南書を思い出せば、そのまま剣で切り捨てても問題にされないような重罪を、あの少年───フランツは犯してしまったのだ。
野次馬冒険者達も流石に緊張した様子だし、ディートリンデさんも難しい顔で黙っている。大人達は、その意味を十分過ぎるほど知っていた。
「あの女、悪徳商人なんだろ!
それぐらい、いいじゃねえか!」
「そうだそうだ!」
「お、お前達、黙りなさい!」
「ジネットさんはそんな人じゃないよ!」
「優しい人だよ!」
子供達でも、特に年長の男の子たちはフランツに同調していて、収拾がつきそうにない。それに反論する女の子たちと、もみ合いになっている。
院長さまは……あ、胃のあたりを押さえて踞ってしまった。
一旦解散して後で……ってわけにもいかないだろうし、あーもう、しょうがない!
「……ユリウス」
「うむ?」
「あのね、ちょっと考えたんだけど───」
もちろん、フランツをこの場で切り捨てるなんて出来ないけれど、だからってそのままお咎めなしにするのもまずい。
見逃せば、ユリウスの体面に傷がつく。それが大人達に与える影響は、見逃せなかった。
それに、わたしはかなり怒っていた。
泥団子を投げたことは、まあいい。
よくはないけれど、平手打ち一つと反省で済ませていい問題だ。
妹分を応援したい気持ちも分かるかな。
でも。
ユリウスを舐めたこと───領主さまに逆らい誓約の宣誓を破ることがどれだけ大きな問題なのかは、きっちりと分からせてあげる。
そうだ、喧嘩を売っていい相手とそうでない相手がいることも、ついでに覚えようか。
『知らなかった』とか『それぐらい』で済ませられないことって、世の中には山ほどあるんだよ。
「───って、どうかな?」
「うむ。
ジネットに任せる」
わたしはユリウスと頷きあってから、大きく深呼吸した。
……ユリウスやアロイジウスさまに領主代理や筆頭家臣として鍛えられてきたのは、この為だったのかもしれないね。
えーっと、どんな文言だったっけ?
あ、思い出した。
懐から取り出した銀の札を大きく掲げて、広場の中心に歩み出る。
「傾注せよ!
聖神とヴィルトール王家とレーヴェンガルト家の名の下、シャルパンティエ領筆頭家臣ジネットが告げる!」
……らしくないとは思うけれど。
「我ジネットは、ヴィルトール王国騎士爵位保持者にしてシャルパンティエ領主、ユリウス・フォン・レーヴェンガルトが代理者として、領主裁判権の行使を宣言する!」
わたしには、これが精一杯だ。




