第三十二話
「お疲れさまです、マスター・アロイジウス、ジネットさん」
ギルドは流石に無人ってわけじゃなくて、ウルスラちゃんが外を気にしながら受付に座っていた。
「ズィーベンシュテルンは?」
「手紙を足缶に入れると、そのまま戻って行きました」
「うむ、ご苦労」
また後でとウルスラちゃん手を振って、わたしはアロイジウスさまについてマスターの部屋へ。
……ギルドの奥まで聞こえてくるほど、『魔晶石のかけら』亭から届く乾杯のかけ声は大きかった。
「……ふむ。
大体はまとまっておるな」
まずは、各パーティーごとの契約書にヴェルニエのギルドが代理で用意した特効薬の請求書、逐一記録されていた概況を束ねた報告書……。書類束ってほどの枚数はないけれど、結構な量になってた。
最後にアロイジウスさまから依頼完遂の確認書を手渡され、重なっていた請求書を目で追う。
「かなり安くして貰ったみたいで、ありがとうございます」
「俺は何も手を加えとらんぞ。
礼はディートリンデ君に言うといい」
「はい、もちろんディートリンデさんにも」
書かれていた請求金額は、保留付きの7ターレル31グロッシェン。……お薬は無事に届いたから依頼は完遂されているけれど、ヴェルニエと往復中のヤコビンさんと、ヤコビンさんがいないおかげで活動できない『獅子のたてがみ』には、もちろん配慮が必要だった。
緊急な上に総動員だったけど、冒険者と協力者───アレットやカールさんのような、冒険者以外でこの依頼のために頑張った人々───への報酬はともかく、このぐらいで済んだのは幸いかもしれない。ちなみに期間が3日だと確実に10ターレル以上になってたはずで、少しほっとしたよ。
ここには私財を持ち出した人への補填分なんかは入っていないので、不公平がないように後から話し合う予定になっていた。
でもここで、一つ問題が。
うちが提供したお薬は、ちょっと請求しにくい。
ギルドに在庫を引き受けて貰う手前で踏みとどまれるかぎりぎりだけど、大盤振る舞いを言い出したわたしが、その請求を押しつけちゃうのはどうかって思ったりもするんだよね。売り上げのために思いついたなんて、絶対に言われたくないし……。
暖炉の焼けぼっくいでパイプに火を着けたアロイジウスさまが、面白そうな顔でこちらを見た。
「ふむ、何故、薬がこんなにも早く届いたかというからくりだがな」
「……そうでした」
請求書に気を取られて忘れてたよ。
どちらにしても、これで一旦は落ち着ける……かな。
残りの面倒事は、ディートリンデさんとユリウスが帰ってきてから、だね。
しばらく、アロイジウスさまのお話を聞いて。
橇のことは教えて貰ったけれど、詳しいことも依頼料の支払いも関係者が戻った後と言うことで、わたしは『魔晶石のかけら』亭に顔を出した。
アレットを起こした方がいいのか迷うけれど、夕方には自分で起きてくるかな。朝方まで頑張ってくれていたからねえ……。
「おう、ジネット嬢ちゃん!」
「ほれほれ、立て役者のお越しだ、席を開けろ!」
「ジネットさん、お帰りなさいっす!」
おー、なんだかすごい。大歓迎だよ。
まだ日は高いけど、みんなエールのジョッキを手にしてる。今日はもちろんいいけどねー。
「もいっちょ乾杯だ!」
「カール、嬢ちゃんにも一杯回してやんな!」
「わ、ありがとうございます」
さあさあと座らされ、目の前にどすんとジョッキが置かれる。
エールが苦手ってわけじゃないけれど、たまにお酒が飲みたいときはワインを選ぶから、こっちは久しぶりだなあ。
「さあさ、さあさあ、皆の衆!」
「酒はあるや? 肴はあるや?」
お決まりの口上に、わたしもジョッキを掲げる。
はじめて見たときは何が始まるんだろうって首をかしげたけれど、冒険者宿で夕食を食べるようになって1年と少し、もう慣れきった。
「イーダ嬢ちゃんの無事と!」
「ジネット嬢ちゃんの決断と!」
「美味いエールと!」
「塩っ辛い堅焼きパンと!」
……あー。
「無駄になった雪かきと!」
「この場にいない不運な連中と!」
「肝心要の依頼完遂と!」
「やーらけー兎肉と!」
「みんなまとめて!」
「乾杯だ!!」
そうなるだろうなあと思っていたけど、ぐだぐだだ。
もう出来上がってる人も多いから祝い言葉の掛け合いも滅茶苦茶で、乾杯前にもう飲み干してた人もいるぐらい。
でも。
小さな女の子を、みんなで協力して助けた。
そのことは、『冒険者の心意気』とそれぞれの胸に響いてるはずで。
みんな、心から楽しそうな顔してる。
雰囲気だけで酔いそうだけど、たまにはいいかな。
……もちろん、毎日はごめんだけどね!
▽▽▽
数日して、どことなく浮ついていた気分も落ち着いてきた頃。
ヴェルニエからディートリンデさんたちが戻り、手続きやら精算やらのあれこれに追われていると、同じ日の夕方、ユリウスも無事に帰ってきた。
「ディータの様子を見ても、もう問題ないようだが……ふむ、明日にでも顔を見に行くか」
「明日ならイーダちゃんも普通に起きてるんじゃないかな。
昼にお見舞いに行ったけど、今日一日は我慢しなさいってベッドに戻されてたし」
「それならそれでよいことだ」
一仕事を終えた夕方、『魔晶石のかけら』亭1階酒場のいつもの席でシチューをつつきながら、この数日で起きたあれこれをユリウスに聞かせる。
「それにしても、腰まである雪の中、ヴェルニエとの往復に休憩日込みで5日とは……。
橇を魔法で浮かせたことは聞いたが、他にも仕掛けを施してあったのか?」
「んー、橇は押す人がちょっと大変そうだったぐらいで、あとは普通だよ。
たぶん、すごかったのはディートリンデさんたち……かなあ」
うん、作ってる途中も見たけど、橇は間違いなく普通だったと思う。
予定では急いで片道2日のはずが、半日弱にまで縮まった理由は、戻ってきたディートリンデさんが詳しく教えてくれた。
まずは、シャルパンティエとヴェルニエの距離が予想よりも短かったこと。
いつも使う馬車の道は、シャルパンティエに近づくほど曲がりくねっているからね。真っ直ぐ行った方がもちろん近い。
それから、広場では狭すぎて力を出し切れなかったアルノルトさんとヤコビンさん……の足。
シャルパンティエ近くの急斜面ほどの速度は無理でも、雪原で脚力を全開にしたら、馬のだく足よりもずっと早く橇が進んだらしい。雪がなかったらメテオール号で半日ちょいだもんね。橇も浮いてるし。
もう一つおまけに、ギルドが用意してくれた魔晶石を贅沢に使ってアレットが作り上げた、青の魔力回復薬と疲労回復薬。……もちろん超高級品。
これが効きすぎるほどに効いたそうで、湖の少し先まで進んだあたり、疲れ切る前に───もちろん橇を止めることもなく───それぞれが服用したら、ヴェルニエに到着してもまだ余裕があったんだって。
ちなみに帰りも橇で戻れるだけ戻ってシャルパンティエにかなり近いところで1泊、雪かき道が結構なところまで伸びていたから楽が出来たと、ヴェルニエと往復した3人はいい笑顔だった。ほんと、お疲れさまでした。
「そう言えば、『孤月』も苦笑いしていたな。
『銀の炎』は古巣相手に大立ち回りをしたとか?」
「らしいよー。
わたしはものすごく助かったけど……」
ディートリンデさんはヴェルニエから戻る時に、向こうのギルドとクーニベルトさま個人から金貨をたっぷり引き出してきていた。
わたしがのんびりしていられるのも、そのお陰なんだよねー。
もちろん、ディートリンデさんが悪事を働いたってわけじゃない。
クーニベルトさま相手に、シャルパンティエから半日で来られた秘密を教えて欲しいなら費用を折半って話に持ち込んで、その上で技術を売るなんて名目でギルドからも結構な大金をせしめたそうだ。
でも、そこに至るまでの立ち回りとか駆け引きまでは、目の笑ってない笑顔で内緒よと言われてしまったのでわからない。……ちょっと恐かった。
その後、事後承諾でごめんなさいって頭下げられちゃったけど、大助かり過ぎる。
年末までにどうやって体裁調えようか頭抱えていたのが、一転して『そこそこ儲かった』になっちゃったんだから、頭下げるのはこっちの方だ。
でも、馬がまともに使えない冬場、雪で孤立した猟師さんを助けに行くとか、シャルパンティエと同じで雪かき道が通っていない寒村に急いで向かうなら、『浮き橇』と命名されたそれはとても価値のある技術……らしい。
いつもクーニベルトさまの使い魔が使えるわけもないし、竜なんて呼びつければそれこそポーション代どころの話じゃないくらいお金が掛かるからねー。
わたしは、イーダちゃんと同じで助かる人が増えるならそれでいいやって思うし、名前はなんでもよかった。
とにかくねー、心配事がまとめて消えたお陰で、今夜はワインがおいしい!
「そうそう、余ったお金は商工組合で預かって、また困ったときに使うことに決まったよ。
ちょっとづつだけど、来年からは毎月積み立てもするわ」
「ふむ、積み立てか……」
「どうかしたの?」
「野に出た魔獣の討伐などでは、大抵村の積み立てから報酬が支払われるからな。
俺には馴染み深い」
「そうだ、ダンジョンの方はどうだったの?」
「収穫なしというわけではなかったが、もう一度赴かねばならん。
今度はもう少し範囲を広げ……」
ユリウスがおやという顔で視線をわたしの向こう側に飛ばしたので、そちらを見る。
『高山の薔薇』のレオンハルトさんが、竪琴を抱えて暖炉の近くに陣取っていた。
この数日は見なかったけど、今日は喉で稼ぐのかな?
ほどなくじゃらんと和音が響き、酒場中がそちらを向いて静かになる。
「これなるは~、雪深き頃、辺境のぉ~」
……あ。
「東の東、山の際~、シャルパンティエの~、物語ぃ~」
じゃららん。
▽▽▽
「いいぞ、レオンハルト!」
「おおおおー!!」
「もう一回! もう一回だ!」
歌が終わると、酒場にはもちろんのこと大歓声が上がった。
銅貨が床をはねる音が、いつもより多く聞こえる。……おー、銀貨混じりだね、これ。
うん、そりゃあみんな楽しいはずだ。
冒険者の活躍する歌はいっぱいあるけれど、自分の名前が出てきたり、そうじゃなくても自分の見知った冒険者の出てくる歌なんて、そうそう聞けない。
だからわたしも、わくわくしながら聞き入っていた。
……途中までは。
「ジネット?」
「……なんでもない」
じゃん、じゃららららん。
「おお、ジネット~!
金の髪ほつれるも厭わず~、宿に駆け込んだ~!」
「『冒険者よ! 不可能を可能にする者よ!
聞き届けたまえ! 叶えたまえ!』」
「おお、ジネット~!
清らかなるその涙は~、我らの心を揺さぶった~!」
じゃららん。
……この歌に出てくる、姐さん気質かと思えば涙もろく、荒くれ者の冒険者達も一声でまとめ上げる村の顔役『ジネット』さんは。
わたしじゃないと、思いたい。




