第三十一話
ヴェルニエに向かうディートリンデさんたちを見送り、雪かきの交替に出ていく『高山の薔薇』に頑張ってと声を掛け、イーダちゃんの看病をウルスラちゃんと交替して……。
気が付けば、いつもならお店を開ける時間になっていた。
「……」
眠るイーダちゃんの口元が動いたのに合わせ、濡らした綿───湯冷ましに塩と蜂蜜を混ぜたものが用意されていた───を唇に寄せる。
着替えはさっきウルスラちゃんと二人で頑張ったし、その少し前にはディトマールさんが熱冷ましの魔法を掛けてくれた。
だからしばらくは大丈夫、なんだけど……。
「……」
……この数日は天気もいいし、クーニベルトさまの使い魔が上手くつかまれば、お薬が届くのは最短で3日。
最長は……考えたくないけれど、5日か6日か……。
わたしはもう数日、このもやもやとしながらも急いてしまう気分と上手くつき合っていかなくちゃならなかった。
何かしていないと、落ち着かない。
それが褒められたことじゃないことは、よくわかってた。
でも、目の前のイーダちゃんの赤い顔を、冷たい手ぬぐいで拭うたびに。
『それぞれが出来ることをやってる!
出来ないところも知恵と工夫で凌いだ!
だったら胸張って、これが最善、イーダちゃんは絶対助かるって信じなさい!!』
心の中のもう一人のわたしが、わたしを怒鳴りつける。
不安で、心配で、どうしていいか分からなくなる気持ちを精一杯押さえながら、わたしは自分に言い聞かせていた。
手ぬぐいを絞り、ため息を一つ。
ディートリンデさんたちはもう、湖のところを越えてるかもしれない。
冒険者は、いまも雪かきを頑張ってるはず。
イーダちゃんは、いまもわたしの目の前で虹色熱に耐えていた。
「……」
ユリウスには、シャルパンティエの事を任せるって言われてる。
うん、胸を張って前を向こう。
わたしがしっかりしていなくちゃ。
……とは言うものの。
やっぱり、不安が心の底で熾き火のように燻って、消えてくれない。
▽▽▽
「ジネット、交替しましょ」
「パウリーネさま……」
「……あらまあ」
パウリーネさまにぽんと肩を叩かれて、はっと気が付けばお昼前だった。
……何故か、じっと見つめられる。
「えーっと、パウリーネさま……?」
「んー……そうね」
「はい?
え、あ……ひゃあっ!?」
柔らかく、両方からほっぺたを挟まれた。
あー……。
つめたいけど、気持ちいい。
触られるまでわからなかったのに、頬のお肉がこわばってたのを感じる。
「ジネット」
「はい?」
「お昼、食べてらっしゃい。
……ゆっくりとね」
「はい、ありがとうございます……?」
お昼の時間に丁度いいし、もちろん看病はパウリーネさまにお任せできるけれど。
……何でもお見通しよと言わんばかりのパウリーネさまに小さく微笑んで、わたしは部屋を後にした。
ああ、そうか。
階段を下りながら、ほんのちょっとだけ甘えさせてくださったんだなと気付く。
いい加減なのは絶対駄目だけど、気を張りすぎるのもよくないんだ。
外は相変わらず、いいお天気だった。
おかげで顔が痛いほど寒い。夜の方がまだ暖かかった気もする。……そんなはずはないのにね。
今頃ユリウスはどうしてるかなあと考えながら広場を横切って、昨日からずっと営業中の『魔晶石のかけら』亭に顔を出せば、中はがらんとしていた。
交替の人は寝てるし、起きていれば雪かきだ。
カールさんたちは休憩中かな、帳場には誰もいなかった。
「あ、おつかれさまでーす」
「こんにちはー」
奥からマルタの声がして、顔が半分だけのぞいた。
今日のお昼の料理長は彼女らしい。
すぐ持っていきますとマルタは一度厨房に引っ込んで、熱々の汁碗をわたしの前に置いてくれた。
「今日のお昼は、スープとこれです」
「おー」
案内されたテーブルには、蜂蜜棒と塩入り棒が篭に山盛りになっている。
味の意見を聞くつもりで、大量に持ち込まれたらしい。
ディータくん、頑張りすぎだ……。日持ちするから無駄にならないけどね。
「結構美味しかったですよー。
蜂蜜棒、普通の堅焼きパンより食べやすかったです」
「甘みがあるからおやつにもいいよねえ」
わたしは懐かしさ半分で、先に蜂蜜棒へと手を伸ばした。
ほんのりとした甘みが、口の中に広がる。
実家で食べていたアルベールさんの蜂蜜棒より、ちょっと味が濃いかな。
でもこれが、シャルパンティエの味になっていくのかもしれないね。
ぽつぽつと起きてきた仮眠組と挨拶を交わしていると、昼過ぎになって1組のパーティー───女性冒険者を含む『祝祭日の屋台』───が戻ってきた。
「じゃあ、あたいらはヴェルニエまで行く必要はないんだね?」
「はい、もちろん」
戻ってきたばかりで疲れているはずなのに、二つ返事で『依頼』を引き受けてくれた彼らを、看病と雪かきに組み入れるべく配置を相談していた時。
表がちょっと騒がしくなって、くぐもった叫び声が聞こえてきた。
「なんだ!?」
「どうした!?」
ばたばたと駆け込んできたのは、ウルスラちゃんだ。……また雪に突っ込んだね?
「きました!
お薬、きました!」
一瞬ぽかんとして、冒険者達と顔を見合わせる。
ディートリンデさんが出発したの、今朝なんだけど……?
「いま、ディトマールさんがお薬飲ませに行って、それで……」
ウルスラちゃんの説明は、酒場中から上がった大歓声に掻き消されてよく聞き取れなかった。
でも、それでいい。
お薬が間に合ったってこと!
それはしっかり伝わったよ!!
▽▽▽
雪かき組にも知らせを出して、『魔晶石のかけら』亭の酒場がほんのちょっとだけ落ち着いてからのこと。
とりあえず、依頼者の特権を使って───酒場に集まっていたみんなも行きたそうにしていたけれど、病人の部屋に大勢で押し掛けるのはだめと宥めた───イーダちゃんの顔を見に行くと、ディトマールお爺ちゃんが満面の笑顔でもう大丈夫と頷いてくれた。
アロイジウスさまご夫妻も、静かに笑みをうかべてらっしゃる。
「……よかったあ」
イーダちゃんの顔色は……まだちょっと赤いけれど、お昼に行く前よりずっとましだった。
原料の不躯呪草じゃなくて調合済みのお薬が届いたそうで、作る手間も省けたみたい。
もう心配ないとわかって、一気に肩から力が抜けていくのがわかる。
「5日待つつもりが実質半日で済んだからな」
「ほんと、幸運の持ち主だこと」
はあっと大きく息を吐いて、わたしは……ベッドの脇の何かがもぞもぞと動いたのに気付いた。
「ひゃっ!?」
慌てて飛び退くと、ディータくんだった。
放心したように、床に座り込んでいる。
「ディ、ディータくん、大丈夫?
えーっと、と、とりあえず、寝てきたら?
こっちはわたしたちもいるし……」
「ありがとう、ございます……」
もちろん、ディータくんが一番イーダちゃんのことを心配していたに違いない。
兄妹二人、このシャルパンティエにやってきて頑張ってたのに、急に妹が倒れたりしたら、こうもなる。
「ディータよ、イーダは儂らが見ておるから安心せい」
「眠れんなら居眠りの魔法ぐらいはおまけしてやるぞ?」
「そうね。あなたが倒れたら、それこそイーダを泣かせちゃうわよ」
何度もお礼を口にしながら、ディータくんは隣の寝室に入っていった。
ちょっとふらふらしてるけれど、ディトマールお爺ちゃんが付き添ってるから大丈夫だよね。
それにしても、眠りの魔法は知ってるけれど、居眠りの魔法なんて聞いたことない。……ほんとにあるのかな?
「パウリーネ、こちらは任せるぞ。
ジネット嬢ちゃんに依頼完遂の証明書を渡さねば」
「ええ、あなた。
ジネットもご苦労様だけど、先に済ませてらっしゃい」
「今日中ならばいいんだが、もう仕事にならんだろう。
村を挙げてのどんちゃん騒ぎになるのは目に見えている。
……手続きが明日になれば、何もしていないのに報酬が1日分加算されるからな」
「はい、ありがとうございます」
ギルドマスターを長年やってこられたアロイジウスさまは、もちろん事務仕事にも精通していらっしゃる。
……宴会が原因で手続き不備になって、2日分で済むはずの冒険者への報酬が3日分になるのは、わたしもちょっと恥ずかしかった。
もちろん、頑張ってくれたみんなに感謝を込めて、わざと手続きを遅らせたいという気持ちはあるけれど……。
無理です。ごめんなさい。
みんなからよってたかって諭された上に、アレットから大きな雷を落とされるところまで想像がついた。
たぶん、そんな余裕ないよねえ……。
アロイジウスさまについて歩きながら、わたしもきっちりと気分を入れ替えて今回の『支出』について考える。
特効薬の代金、冒険者への報酬、ギルドへの仲介料、それと同時に発生する税。
『魔晶石のかけら』亭は依頼が出てからずっと無料で食事を出し続けているし、橇の材料はアロイジウスさまの建材で、ディータくんもラルスホルトくんもただ働きだ。
うちもお薬の在庫はほぼ出し切っていたし、ギルドからは魔晶石の提供も受けている。
さあ、これをぜーんぶ片付けないと、きれいに締めくくれない……って、あれ!?
「あの、アロイジウスさま」
「うむ?」
「どうしてこんなに早くお薬が届いたんですか?
いくらクーニベルトさまの使い魔が鷲でも、知らせが届くより早くヴェルニエを出発できるはずありません、よね……?」
くくくと小さく笑ったアロイジウスさまは、手続きをしながらでも話は出来るからと、ギルドを指差した。




