第二十八話
「失礼します!」
「ジネット!」
「お姉ちゃん!」
駆け込んだギルドでは、アレットとディトマールお爺ちゃん、ディートリンデさんらが、難しい顔をしていた。
前置きなしに、アレットの横から顔を突っ込む。
「アレット、何が足りないの?」
「えっとね、ギルドの薬品庫とうちの手持ちを合わせれば、あと足りないのは腐躯呪草だけ」
「腐躯呪草?」
「教会ならほぼ確実に持ってるんだけどね」
「虹色熱の特効薬の原料になるからの、ヴェルニエの教会なら間違いないじゃろ」
「そのまま使えば毒薬の元になるから、裏通りの怪しげな店でも手に入るかもしれないけれど……」
アルールの王都ラマディエよりは小さいけれど、ヴェルニエはそこそこ大きな街だし、子供だって何十人もいる。虹色熱は流行病とは違うから、薬が一気になくなることもないらしい。
沈痛そうな表情のディートリンデさんが後を受けて続ける。
「腐躯呪草でなくても、ヴェルニエなら薬が間違いなく手に入ると思うわ。
そう珍しい病気でもないし……」
「問題はどれだけ早くヴェルニエに行って、戻って来られるか、じゃな。
余りに長くかかると、イーダの体力が保たんぞ」
「ですね……」
「いま誰が残ってたっけ……?
ああ、もう、ちょっと見てきます!
アレット、走り書きでいいから、必要なことまとめといて!」
「うん!」
もちろんここは、冒険者の出番だ。
それは間違いない。
でもこの大雪の中、ヴェルニエと往復できるような冒険者が、運良く残っているかどうか。
雪慣れしていない冒険者が大半で、ユリウスが賞金を用意して狩りを奨励したほどだ。
誰か、雪に強いパーティーが休憩していればいいんだけど……。
「……って、きゃああああああ!?」
足を取られたわたしは、そのまま『魔晶石のかけら』亭の手前まで滑っていった。
雪かきの後は良く踏み固められているのに加えて、いいお天気で溶けた部分がところどころ凍ってるんだよね……。
「ああ、もうっ!!」
おでこが痛いけど気にしてられない。
勢いよく立ち上がって、雪も払わずそのまま『魔晶石のかけら』亭に駆け込む。
「カールさん!!」
「え!?
ジネットさん?」
「今残ってるパーティー、どことどこです?
出来ればヴェルニエと往復できる人!」
一気に喋って、大きく息を吸う。
ぽかんとしたカールさんは、それでも律儀に答えてくれた。
「今?
えーっと、『高山の薔薇』に『獅子のたてがみ』……」
「ジネット嬢ちゃん、えらい慌ててどうした?」
ジョッキ片手の赤ら顔で声を掛けてきたのは『獅子のたてがみ』のヤコビンさん、魔晶石持ちのキツネを狩ってきたパーティーのリーダーだ。まだお昼なんだけど……ってそれはいい。
「イーダちゃん、虹色熱なんです!」
「む……」
「……もしかして、薬がないのかい?」
「はい。
シャルパンティエには小さな子供が居ないから、誰も気付かなくて……」
「遅けりゃ、15歳ぐらいに罹る奴もいるからな……」
大抵のパーティーには一人や二人魔力持ちがいるから、虹色熱の説明はいらない。もちろん、実家が冒険者宿のカールさんにもね。
「そうだジネットさん、依頼はもう出てるのかい?」
「今、ディートリンデさんたちが……って、そだよ!
依頼者、まだ決まってない!?」
……しまった。
報酬を人々の笑顔と感謝の言葉だけで済ませていいのは、物語の中の英雄だけだ。
もちろん、『冒険者の心意気』っていう、とても大事な物は彼らの心の内にもある。
困っている人を助け、街人が引き受けない汚れ仕事を進んで行い、危険を承知で魔物に向かっていく、そんな心意気だ。
でも、それをあてにして話を進めるなんて、最低にも程がある。
それに。
わたしは……そんなことを絶対にしてはいけない立場だった。
商売人であり、同時に貴族の家臣でもあるわたしが、情に訴えて無報酬で冒険者を動かしたりしたら……それは二重に恥ずべき事で、わたしだけでなくユリウスの顔に泥を塗ることにもなる。
だから……!
「……わたし!
依頼者は、わたしです!!」
冒険者は依頼をこなして、報酬を受け取る。
依頼者は報酬を出して、成果を受け取る。
何も難しく考えることなんて、ない。
これ正に正道なり、だ。
聖神に100回誓ってもいい。
冒険者の心意気を裏切らないなら、彼らは必ず応えてくれる。
でなきゃ十何年も店番やった上で、わざわざまた冒険者相手のお店を開こうなんて思わない!
「お、おう!
わかった!
……よし!」
頷いたカールさんは厨房にとって返し、鉄鍋とお玉を手に2階に駆け上がっていった。
1階の酒場にまで、がんがんとやかましい音が響き渡る。
「おい野郎共!
起きろ起きろ! 緊急事態だ!
起きてこねえ奴はメシ抜いてやるから覚悟しやがれ!!」
いつもは温厚で丁寧なカールさんにしてこの態度、2、3人は女性の冒険者もいたはずだけど、おかまいなし。
もちろん、そんなの気にしてる場合じゃない。
「でだ、嬢ちゃん」
「ヤコビンさん?」
「イーダ嬢ちゃんが倒れたってのは、いつだ?」
「ええっと、たぶん、今日です。
昨日はちょっと風邪かなってぐらいで……」
顔は赤いままでも酔いは醒めたらしいヤコビンさんは、何やら指折り数えはじめた。
目も真剣で、目元も引き締まった『冒険者』の顔になってる。
「……ってことは5日が限度だな」
「5日!?」
「4つ5つの子供よりゃましだろうが、イーダ嬢ちゃんの体力次第ってことだ」
……そうだった。
ディトマールお爺ちゃんは熱を下げてくれるけれど、それで虹色熱が治癒するわけじゃない。熱を下げたところに薬を飲ませないと……。
「昨日は降ってなかったそうだし、狩りの時の感触じゃ雪は太股から腰、ヴェルニエの手前は多少ましだろうが、それでも片道5日はかかるぞ。
……すぐに薬が手に入っても、今度は登りに6日だ」
「そんな!?」
往復に合計11日だと……間に合わない!?
ううん、諦めちゃだめだ。
もっと何か……。
「お姉ちゃん!」
「ジネット!」
入り口から駆け込んできたのは、アレットとディートリンデさん。
開いた扉の向こうにはディトマールお爺ちゃんの姿も見える。
「おう、ジネット嬢ちゃん!」
「カール、メシ抜きは勘弁してくれ」
「ふぁ……」
丁度2階からも、カールさんに率いられるようにして冒険者達が降りてきた。
髭面の2人はヤコビンさんのところの『獅子のたてがみ』で、魔術師のザムエルさんはまだちょっと足を引きずってる。狩りの日の翌日、第二階層へ到着して早々に怪我をして、そのまま引き上げてきたんだっけ? 治癒の魔法はすごいけど、大怪我ならやっぱり完治には時間が掛かるから仕方ない。
『玄武岩』は、堅苦しい名前の割にこざっぱりとした4人パーティーだった。赤銅2人に真鍮2人の組み合わせで、怪我が多いけど稼ぎも多い。儲かってるのか損してるのかよくわからないけれど、うちのお店で一番良くポーションを買っていくお得意さんだ。
最後に出てきたのは、今朝方戻ったばかりで眠そうな『高山の薔薇』。リーダーのレオンハルトさんは兼業で吟遊詩人もやっているから、やたら目立つ。たまに『魔晶石のかけら』亭でも稼いでるけど、ほんとに腕がいいので何で冒険者やってるのか不思議なぐらいだった。
「お前ら!
『猫の足跡』亭のイーダ嬢ちゃんが虹色熱で倒れたってのは、聞いたな?」
「おう!」
「聞いたぞ!」
この中だと一番年かさで、一目も置かれていそうなヤコビンさんが仕切ってくれた。伊達に白銀目指してるわけじゃない。
降りてきた冒険者達も、もう表情を引き締めている。
「だがこの雪だ、普通に行ったんじゃちょっと間に合わねえ。
橇作りゃ多少は時間も距離も稼げるだろうが、それでも湖のだいぶ手前まで、1日やそこらだろう」
ヤコビンさん、この短い間にちゃんと考えてくれてたんだ……。
そう言えばあの魔晶石持ちのキツネ、にわか狩人の冒険者の中では結構遠くで狩ってきたって聞いたっけ……。
ユリウスが口にしていた雪慣れしてる数少ない冒険者って、ヤコビンさんたちのことかもしれない。
「結局、どんくらいかかんだ?」
「往復で正味11日、橇使っても10日ってとこだ」
「……ああ、作る時間もいるな」
「なあ、領主様の馬は駄目か?」
「ありゃあ軍馬でナリもでけえが、北方種じゃねえ。
踏み固められてねえ道だと半日たたずに潰れるぜ」
「じゃあよう、『俺達』を使い潰すってのはどうだ?」
「それっきゃねえか」
「……途中に幾つか雪洞を設置して、体力のある奴が伝馬式に帰り道の薬を配達すれば、多少は早くなるな」
「こっち側からだけでも除雪して帰りが早まるようにすりゃ、もう1日ぐらいは稼げるぜ」
前置きも大した説明も、それどころか報酬の話もまだなのに、もうあれこれと具体的な話になってるよ……。
イーダちゃんが大事にされてる───中年絡みの独身冒険者たちは、自分の歳に重ねて子供を大切にする人が多い───せいもあるけれど、彼らの心意気に火が着いたのは間違いない。
「みんな、聞いて」
ディートリンデさんが、ぱんと手を打った。
「知っている人も多いかしら。
ヴェルニエのギルドマスターは、『騎士泣かせ』クーニベルトよ。
運が良ければの話になるけれど……彼をつかまえられたなら、使い魔の黒鷲が使えるわ」
使い魔!
それも鷲なら、鳩や隼と違ってポーションの瓶を運べる!
「ってことは……」
「いける! いけるぜ!」
「片道分に加えて1日見りゃ……ぎりぎり間に合うか!?」
「この時期なら、彼がギルドを離れることはない……とは思うの。
もちろん、シャルパンティエギルドから要請を出すけれど、絶対に上手く行く保証はないわ。
使い魔に手紙を持たせて、どこかに飛ばしている可能性だってあるから」
「あ……」
「ちくしょうめ!」
「それでも、もう1日2日は縮められるはず。
往復2日でヴェルニエとオルガドを結ぶのよ、彼の『ズィーベンシュテルン』は……」
少し遠い目のディートリンデさん、すぐに飲み込んだけれど、クーニベルトさんを頼りにすることについては葛藤があったご様子。
もちろん、そんなことにこだわっている場合じゃないからこそ、その名を自分から言い出したんだろうってわかる。
どん!
振り向けば、ヤコビンさんが拳をテーブルに叩きつけていた。
「ええい、時間がねえ! ともかく出来るとこから手ぇつけるぞ!
野郎共! まずは橇だ!」
「おっしゃあ!」
「誰か大工の息子がいなかったか!?」
「『英雄の剣』のディモだ」
「だめだ。
あいつらは『洞窟狼』と一緒に潜ってる」
「誰か! ラルスホルト呼んでこい!」
「おい、『孤月』の旦那んとこにも走れ!
建材がまだ余ってたはずだ!」
……みんな、格好いいよ。
一斉に駆け出していった冒険者達の背中に、涙が出そうだ。
最初にヤコビンさんが口にした往復11日は、あっと言う間に8日……ううん、それ以下まで縮まった。
絶対間に合わないはずが、ぎりぎり間に合うかもしれないところまで辿り着いたんだ……。
「ジネット……?」
「は、はい、ディートリンデさん!」
慌てて袖口で目をこする。
……ちょっとこぼれたかも。
「そうだ、依頼!
わたしが依頼、出します!」
「……ええ、そうね」
今度はわたしが『冒険者の心意気』に応えないとね。
わたしはアレットも呼び、ディートリンデさんと依頼の条件や報酬について詰めていった。




