第二十一話
「お姉ちゃん、小瓶の仕入れって、こっちだとどのぐらいの相場になるのかな?」
「ごめん、ちょっとわかんない。
えーっと、赤の傷薬の小瓶が中身込みの仕入れ値で1グロッシェン半だったかな」
「じゃあ、あんまり変わらないかなあ」
アレットも流石に全部の商売道具は持ってこられなかった様子で、替えの利かない幾つか以外はこちらで買う算段をしていた。
大荷物になるようだったら『蜜酒とパイプ』亭のマテウスさんに頼めばいいと教えてあるので、そのあたりは上手くやるはずだ。馬車代ぐらいはすぐに元が取れるし、アレット自身もなんだかやる気になっている。
ちなみに赤の傷薬は一番安い部類の魔法薬で、大きな回復力はないけれど血止めの効果がしっかりあるおかげでよく売れた。
ともかく血止めさえ出来ればそれ以上の消耗が避けられるし、神官さんの神聖治癒や治癒術士の魔法治癒を受ける時も魔力……あるいは代金が少なくて済む。
中堅以上の探索パーティーだと回復役は必須だけど、必ず居るとは限らないし、魔力切れになることだってあった。回復役が倒れてしまうこともあるから、やっぱりお薬は大事だ。
「アレット、足りない道具って、何と何?」
「小天秤と計量匙の他は旅道具しかないから、どっちにしても注文になると思う。
乳鉢は数が欲しいし、小瓶とかグロスで幾つって数だもん」
「お金は大丈夫?
少しぐらいなら出せるよ」
「そこまで大きな買い物にはしないよ。
最低限のことは今もできるけど、それこそ何年も掛けて買い揃えるつもりだし」
薬草師は利益も大きいけど道具も高い。
実家に置いてきたという道具だって、母と彼女が長い時間を使って集めたものだったはず。
思い切りが良いなあって思う。……まあ、これに関しては、あまりアレットのことは言えないか。
「話は変わるけどさ、持参金はともかく……アレットがいなくても、あっちは大丈夫そう?
お兄ちゃん達、苦労するんじゃないの?」
「大丈夫だと思うよー。
リリアーヌさん、薬草師の免許持ってたし」
「え!?」
それは驚きだ。
薬草師は覚えることが多いからそう簡単に取れるわけないし、魔力だってそこそこ必要なのに……。
「嫁ぐ前……って言うか、お兄ちゃんと知り合う前から、村でお仕事してたみたい。
ほら、リリアーヌさんの実家がある国境の村って、山手の村と同じで薬草育ててるから……」
「ごめん、リリアーヌさんのこと全然興味なかったから、どんな人かも聞いてなかった」
出ていくわたしにはリリアーヌさんへの遠慮もあって、ちょっと距離を置くようにしていたからね。年増の小姑は嫁いできたお嫁さんの天敵になるって、近所のお婆ちゃんも言ってたかな。
もちろん、実家のことは気に掛けていたけれど、貰った手紙にはみんな楽しくやってますって書いてあったから、それほど心配していなかった。
……ほんとににっちもさっちも行かないほど状況が悪いなら、この子が手紙に書かないはずがないって信頼もあるよ。
「……だよねえ。
まあ、そんなわけでね、同じ店に薬草師は二人もいらないし、わたしも割と気楽にジネットお姉ちゃんのところまで旅に出られたのよ。
後は……ちょっとね」
「ん?
話してよ」
遠慮なんかいらないのになあ。
今更でしょうにという視線を向けると、ふうと息をついたアレットは、天井を見上げて力無く笑った。
「リリアーヌさんってね、ほんとに優しくてお兄ちゃんにはもったいない人なんだけど、優しすぎて世話好きの度が過ぎるって言うか何というか……」
「あー、息が詰まっちゃったか……」
うちの姉妹は、どちらかと言えば妹の世話を焼かない方だった。
世話を焼く暇があるならお店のお手伝いって感じで、わたしが小さい頃も、子守だかお仕事中だかよく分からない状態のジョルジェット姉さんに面倒を見て貰っていたような覚えがある。
「まあ、うん、そうなるのかな。
ほんと、いい人なんだけど……ちょっとしんどかったかも。
その上お仕事被ってるし、ブリューエットたちも懐いてるし、わたしが居なくても平気かなって……」
「そっか……」
「……急にお姉ちゃんに会いたくなったせいもあるよ」
あー、もう。
可愛いこと言うなあ……。
そのまま抱きついてアレットの頭を撫でる。
昔はよく、こうして褒めたり慰めたりしてたっけ。
「わたしも会いたかったよー」
「うん、ありがと。
あー、ところでさ、お姉ちゃん」
「んー?」
「昨日から聞こうと思ってたんだけど、お姉ちゃんって領主様のお手つきなの?」
……。
流石にそれは、お姉ちゃんもすぐ返事が出来ないよ。
▽▽▽
「ユリウスに告げ口したら、朝食はアレットの嫌いなオートミールが添え物なしで春まで続くからね?
いい? わかった? 返事は?」
「ううっ。
もう、わかったってば。
……いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
翌日までに、わたしの片思いだと言うことを納得させてルーヘンさんの馬車で送り出し、ほっと一息。
アレットが鋭いのか、わたしが分かり易いのか。
……なんでばれたかなあ、ほんと。
アレットは2泊の予定で出掛けていったので、わたしはその間に部屋の模様替えをした。
片付いてないってわけじゃないけれど、一人暮らしだとどうしてもわたしの都合だけで家を回すことになるからね。帳簿付けや家臣のお仕事はカウンターで出来るようにして作業場は彼女に譲ったけど、私室も早めに……用意してあげられるといなあ。
「そろそろ本格的に冬の準備もしないとね……」
物ばかり集めてほったらかしにしてしまってるけど、お店の準備とは別に生活の方もなんとかしなくちゃいけない。
雪深いシャルパンティエだと炭の切れ目が命の切れ目、普段は壁板に隠されて物置台になっている組付けストーブの用意もそろそろ必要だ。……どうせユリウスは、その手前にテーブルを移動するんだろうなあ。
かららん。
目に付いたところから冬の用意をしている時に入ってきたのは、小さな少女だった。
「おはようございます!
パンのお届けです!」
「おー、おはよう、イーダちゃん。
ありがとねー」
『猫の足跡』亭と無事に名前の決まったディータくんとイーダちゃんのパン屋さんは、いまのところお試し期間中だった。なんでも街中と天気も温度も湿気も、ついでに空気の濃さも全然違うので、ディータくんは発酵の時間や温度、パン種の種類を変えて美味しいパンを目指してるらしい。うん、職人さんだね。
この兄妹、ディータくんが18歳でイーダちゃんがなんと12歳。もちろん、シャルパンティエでは最年少だ。
ディータくんはヴェルニエの北にあるシェーヌのパン屋さんで徒弟として頑張ってたんだけど、そこにアロイジウスさまのお友達から声が掛かったらしい。
パン屋の親方には、『この店は息子が継ぐからお前にはやれないし、普通のパンと堅焼きパンが焼ければ先方は文句がないらしい。店持ちになる機会はこれを逃したら無いと思え』と、はっぱをかけられたそうだ。
イーダちゃんの方は、そのままお兄ちゃんについてやってきた。よく親が許したなあと思ったら、ご両親は早くに亡くなられていて、教会付属の孤児院で二人して支え合ってきたらしい。小さいのに一生懸命で働き者のイーダちゃん、お姉さんとしては頼りになってあげたいところだ。
「あら、今日は長いのね?
うちの実家はこういうパンが多かったから、ちょっと懐かしいかも」
「そうなんですか?」
「うん。
わたしとアレットはアルールの出身だからねー」
「へえ……。
お兄ちゃんは、焼き時間を加減するのに形を変えたって言ってました」
ヴィルトールだと人の頭よりちょっと小さいぐらいの円くて大きいパンと、握り拳ぐらいの小さいパンが主流で、アルールを含む西方諸国だとわたしの肘から先と同じくらいの細長いパンが多い。麦の配合も違うのかな、こちらだと何種類も混ぜて複雑な味になってる。
どっちもそれぞれ美味しいし、わたしは毎朝毎晩堅焼きパンじゃなければ文句はない。
「あ、でも、アレットさんがお出かけ中なのに、いつもと同じ数でよかったんですか?」
「うん、大丈夫よ。
蜂蜜塗って差し出すと、美味しく食べてくれる人がよく来るから」
「はちみつ?」
小窓の向こうに髭面の大男がやって来るのが見えたので、わたしはほらあれよと指を向けた。
「邪魔するぞ、ジネット。
……おお、イーダは配達か、ご苦労様だな」
「お、おはようございます、領主様」
何か言いたそうなイーダちゃんに、軽く片目を瞑っておく。
「おはよう、ユリウス。
……このパン、まだあったかいんだけど、食べてく?」
「ああ、すまんな。
……蜂蜜を塗ってくれると嬉しい」
「はあい」
ほらね。
ユリウスはわたしの何倍も食べるから、朝食じゃなくてちょっと早い午前のお茶かもしれないけれど。
ふふ、よくみると、目尻が少しだけ下がってるのよ。




