第二話
結局お兄ちゃんは食後まで唸っていたけど、下の子達が寝床に入る頃、わたしたちの視線に負けた。
「これを手に入れてな……」
「お兄ちゃん、何それ?」
「……?」
お兄ちゃんは、懐から丸めた羊皮紙を取り出した。
それでもまだ、むむむと難しい視線のままだけど……って、え!?
「ええええええーっ!?」
「うわっ、本物!?」
お兄ちゃんの取り出した物が営業許可証だと気付いたわたしとアレットは、揃って大声を出した。
そうそう手に入る代物じゃない、というのは流石に知っている。
我が家にだって代々伝わる一枚きりしかない、生活を支える大事な大事な宝物だった。
もちろん、お兄ちゃんがわたしたちに見せたのは家宝じゃない、別の一枚だ。
ごくりと、誰かが息を呑んだ。
……あ、わたしか。
「お兄ちゃん、ほんとにこれどうしたのよ!?」
「あー……。
ともかく、最初から話をしようか」
「そりゃあ……」
「……ねえ」
お兄ちゃん自身もまだ迷いを持っていそうで、微妙な表情のまま説明を始めた。
▽▽▽
そもそも、営業許可証とは何か?
金銭や相続での譲渡や貸与が可能な王国もしくは地方領主から認可された利権保証書で、正式には『○○(ここには国王陛下だの△△領主だのとありがたいお名前が入る)の恩寵による××(地名や国名)に於ける◎◎(出店とか交易とか採掘とか……)認可の証』というような長い名前であることが多い。
我が家なら『初代アルール国王リシャール一世陛下の恩寵による王都東街区に於ける商取引および出店認可の証』だ。
これはわたしも良く知っていた。……というか、ある程度知っておかないと商家の嫁───たぶん、一番当たり障りのないわたしの未来図───には不都合だという理由で、家を継ぐお兄ちゃん共々、読み書き算術に貨幣や貴金属の取り扱い、商道徳や税法と共にみっちりたたき込まれていた。
もちろん、営業許可証にも種別が定められている。
豪商政商に許されたほぼ無制限なものから、地方領のとある一村落での出店のみを認めたものまで、その差は大きい。
行商人の許可はまた別で、王都にて年一回更新を受ける『行商鑑札』が彼らの身分と行動を保証した。
実はこの営業許可証、単に日用品を売るだけならば必要ない。
王都の東西や地方都市にある自由市場では、お役人に手数料を払って日暮れまで有効な木札を手に入れれば、誰でも露天を出す事が出来る。農家や漁師の子供が、敷物の上で親の代わりに声を張り上げている姿は何処でも見られた。
但し自由市場で扱える品は日用品や食料品などに限られ、武具や金属器、貴金属、魔導具、薬品などを販売することは出来ないとされている。
これが商人とその他の区別をつける重要な点であった。
では営業許可証を持っていれば、何が出来るのか?
一つには、許可された範囲で『出店』して商売が出来る。
これは当たり前のようでいて、大事な権利だった。
常設の店舗は固定客の付く度合いが行商に較べて高いから、実入りも大きく変わってくる。だからこそ駆け出しの行商人達は必死で店持ちを目指すし、奉公人達は経験を積むと同時に婿入りや暖簾分けを狙って大きな商家で懸命に勤め上げる。
二つ目は、『仕入れ』を出来ること。
売り物がなければ、商売は成り立たない。
特に自由市場で捌けない商品───冒険者の持ち込んでくる鑑定の必要な品々も含め、薬品や武器類───となれば、輸入品も含めてこれは商人の独壇場となる。
三つ目は、特に形のある権利ではないが重要なもの、すなわち『信用』だ。
この信用というものは、良くも悪くも商売人泣かせだ。
店の大小や扱う品目の違いはともかく、訪ねてくるお客さんにしても商人同士の横の繋がりにしても、店持ち商人の信用は行商人のそれに較べて雲泥の差があった。
代わりにお店は『逃げられない』のだけれど、国王陛下や領主様によって保証された信用はそれを補って余りある。
他にも一地域内では人口に比例してほぼ一定の枚数しか出回らないので、時には一枚の営業許可証が大事件の発端になったり、店を畳まざるを得ないと競売にかけたら信じられないほどの値が付いてしまったりと、普段は金庫の奥にしまい込まれていながら時に大きな話題をかっさらう。
新規の発行にしても、内務府のお役人様や領主様がお認めにならないと出るはずもないし、そこに到るまでも同業者への付け届けやギルドの推薦と言った『複雑な』過程を経ないと普通は出ない。暖簾分けにしても、実際は影響力のある本店が後押しすると言うだけで楽な道じゃなかった。
王都の実家から出て東の隣村に店を出したアルベールさんなんかも、実際にはパン屋がなかった村に店を出すということを表に立て、先代ともどもあちこち走り回って村の長や古老や商工組合だけでなく王都の組合にも掛け合い、現地を治める領主様に動いていただくだけの根回しをして、はじめて営業許可証が与えられたと聞いている。
▽▽▽
普段は滅多と新規に発行されることのない営業許可証だし、その確認も年に一度の納税時などの大きな行事でもないと、見ることはほぼ無い。
でも問題は、なぜそのような『二枚目の許可証』を、お兄ちゃんが手に入れてきたかと言うことだった。
「も、もちろん、聖神に誓ってやましいことはないからな?」
「当たり前でしょ」
「……お兄ちゃんには無理だよね?」
「ま、まあ、俺も俺には無理だと思う。
それはともかく、よく見て欲しい。
これは隣国ヴィルトールの地方領のものなんだよ……」
お兄ちゃんの言うように、その許可証には『ヴィルトール王国シャルパンティエ領初代領主ユリウスの恩寵によるシャルパンティエ領内に於ける商取引および出店認可の証』と、やはり長々とした題字が書かれていた。
「……って、お兄ちゃん、シャルパンティエ領ってどのあたり?」
「さあ……?」
「あたしも知らないよ」
お兄ちゃんじゃないけれど、隣国の地方領の地理までは流石にわからない。
アルール王国は小さいし住んでるからだいたいわかるけど、隣国ヴィルトールはアルールの何百倍も大きい東の大国で、それも含めてなお聞いたことのない地名だった。
……でもこれ、ちょっと欲しいかも。
「さあって……お兄ちゃん、それも知らずに手に入れたの?
わたしも聞き覚えのない地名だけれど……」
「うん。
貰い物なんだ」
「ただ!?」
「胡散臭いよ……」
「いやいや、まあ待ってくれ。
今日薬草の仕入れついでに、ベルトホルト爺さんの鍛冶場まで仕入れに行ったんだ」
「うん」
「いつも通り」
「爺さんその時、騎士様の剣を手入れ中でな」
「ベルトホルトさん、この界隈じゃ一番の腕だものね」
ちなみにベルトホルトお爺ちゃん、大酒飲みの気難し屋としても有名である。
「まあ、こっちも先客を押しのけるのは悪いし、爺さんももうすぐ終わるからって、待つ間に騎士様と世間話をしてたんだ。
でだ、その騎士様が帰り際、待たせた詫びだとこれをくださってな……。
流石に驚いたけど、爺さんも貰っとけって言うし、まあ、うん、そんな感じだ」
「ベルトホルトさんはともかく、その騎士様はどこのどなたかわからないの?」
「ヴィルトールのお方だとは思うが、さてなあ……」
細かい数字は結構気にするのに、このあたりはいい加減なお兄ちゃんだった。
「でもこれ、どうするの?」
「それをどうしたものかと思ってなあ、昼から悩んでたんだよ。
近場の地名ならすぐ組合の競売に掛けるところだけど……」
「お兄ちゃん、どこのものかもわからない営業許可証、欲しい?」
「……いらないなあ」
ここで『いらない』と口に出来たお兄ちゃんは、まともだ。
もしもこの二枚目が王都ラマディエの営業許可証であったなら、それこそ競売の開始は100ドール───ドール金貨100枚。落札金額は……今の相場は知らないけれど、一昨年出た時は500ドールぐらいだったはず。国内の村のそれであっても、十分に数十ドールからはじめられるだろう。わたしもたぶん、急いで出て行かなくてすむ。
隣国ヴィルトールでも王都グランヴィルやその周辺の大都市ならば、ラマディエの比じゃない値段がつくはずだ。
ところが同じ隣国でも場所が分からないとなると、これが金貨1枚どころかただでもありがたくない代物になってしまう。
何故かと言えばヴィルトールは東進政策───有り体に言えば東に広がる無人の荒野山野を切り開いて開拓している───を国家主導で推し進めていて、大国の中でも国力が抜きんでている理由の一つでもあるけれど、東に行けば行くほど田舎になる。下手をするとお客さんが来ない店を開店しに行くだけの徒労に終わるわけで、それがわかっていてお店を出すのは、将来の発展を見越して地域を丸ごと押さえに掛かるような豪商ぐらいだった。
「捨て値で売るのも惜しい気がするけど、やっぱり……組合で競売に掛けて貰うか。
どこかの物好きが入札するかも知れないし……」
「待って、お兄ちゃん」
「ジネット?」
「それ、わたしが貰ってもいいかな?」
わたしが大きく手をあげると、お兄ちゃんは驚いた顔でこっちを見た。アレットは呆れている。
……当たり前か。
でもこれは───この機会は絶対に逃せないと、わたしの心が囁いていた。
場所はわからなくても、隣国ヴィルトールなら同じラ・ガリア語圏、言葉が通じれば何とでもなる。
田舎ならお家賃も安いから、最初は楽に……ううん、空き家がない可能性もあるかも。頼み込んで、農家の一部屋でも借りようか。
もしも田舎過ぎてお店が出せそうになかったら、その時はその時だ。引き返して予定通り都会で雇って貰おう。
元から実家を出て働くと決めていたんだし、同じ一人立ちでも何より最初から営業許可証が持てるという魅力には抗いがたい。
衝動的かと言えば……そう言えなくもないけれど、何年も前から給金は貯め込んでいた。きっかけと捉えれば計画的にも思えてくる。
よし、女は度胸だ! ……あれ!? 違ったかな?
「んーっとね、色々考えてたんだ。
わたしは出て行くつもりだからって、前にも言ったし、お兄ちゃんたちも頷いてくれたよね?
お兄ちゃんが結婚するならわたしも何かと気をつかいそうだし、お部屋もお嫁さんに使って貰えばいいだろう、って……」
「ああ」
「でも……同じ出て行くにしても、商業許可証なんて余程じゃないと手に入らないでしょ?
ベルトホルトお爺ちゃんが貰っておけって言ったんなら……ものすごい田舎かも知れないけど、出所の信用ぐらいはしてもいいと思うの」
「それにしたって、大変には違いないだろう?
一応ジネットのことも話はしてたんだが……」
「へ?」
「いや、お前を急いで追い出すんじゃなくてな、新居とまでは行かなくてもアパルトマンを別に借りようかって、二人で話し合ってて……」
ああ、それは納得。
こっちでも気をつかうだろうし、お兄ちゃん達もそれは一緒、ということだ。……壁一枚よりは、離れてる方がいいだろうしねえ。
ちなみに嫁いでくるリリアーヌさん、わたしの3歳下で国境近くの村のお住まいらしいが、会ったことがないのでどんな人だかわからない。余裕もなかったし、すぐ出て行っちゃうのに、会ってどうするっていうのもあるけどねー。
「でも、遅いか早いかって気もするのよ。
わたしが早く出ていけば、それだけ負担は減るでしょ?
店番ならアレットも出来るし……」
「ポーション作る効率は確実に落ちるよ?」
「リリアーヌが来たら、店番覚えて貰う」
「そうね。
お兄ちゃん居ないときは女主人だし、覚えて貰わないとお兄ちゃんが困るか……」
「でもお姉ちゃん、ほんとに大丈夫?
楽天的すぎて心配だよ……」
「一応考えてるわよ。
だめなら……そうね、街に出てどこかのお店で雇って貰おうかな。
エヴルーかフォントノワならここよりずっと大きな街だもん。働き口が見つからないわけないよ」
「最初からそのつもりの方が、良くない?」
「そんなの、夢がないじゃない」
ともかくこれは決めた事。
心配そうな二人には、そう言って押し切った。




