第十八話
その日シャルパンティエは、一気に人口が増えて大騒ぎになった。
まずはお馬さんだ。
30頭近い馬を入れる馬小屋なんて、何処を探してもありはしない。とりあえず領主の館予定地に放り込んで馬小屋の柵を開け放ち、馬が出ていかないよう正門には御者さんたちが交替で見張りを立てることになった。
馬を外した馬車は、そのまま広場に並べられている。積んでいる荷物の大半が重い建材で、誰も持っていかないだろうとのことだった。
その馬車を操っていた御者さんたちの半数が大工さんで、明日からこっちでマスター・アロイジウスの新居を建てるらしい。今度の親方は前に来ていたアンスガー親方とは兄弟弟子で、アンスガー親方が別の仕事で手が放せなくて、シャルパンティエの方を頼まれたのだと言う。
でもやっぱり、一番大変だったのはカールさん夫婦かもしれない。急に増えたお客さんのために、翌日出す予定の仕込みからあわてて夕食をひねり出したそうだ。
そのあたりの騒動が大体片付いた夜。
「で、これはどういうわけだ、『孤月』」
むっつりとした表情のユリウスと素知らぬ顔のマスター・アロイジウスが、『魔晶石のかけら』亭の隅っこで向かい合っていた。
隣の席には、にこにことした顔のお婆ちゃん───マスター・アロイジウスの奥様パウリーネさま───と少し緊張した顔のディートリンデさん、そして、なし崩しに呼ばれたわたしが座っている。
「どうもこうも、ヴェルニエのマスターを降りた」
「何だと!?」
ユリウスは大仰に驚いているけれど、わたしだって同じように驚きたい。
きちんと確かめたことはない。……でも、マスター・アロイジウスはユリウスにとって最大の後ろ盾だったはず。
変に拗れたりしないといいけれど、ちょっと心配だ。
「『洞窟狼』よ、俺だって何時までも現役を張れるわけじゃない。
お前、俺の歳を知ってるか?」
「いや、興味を持ったことさえないが……。
俺が子供の時分は、まだ冒険者だったはずだな。顔の皺から見ても60前後、行っても70というところか?
確かにいい年だが、現役の者も多いだろう。
こちらに来ているディトマール老も似たような歳だと思ったが?」
「ふん。
……殆ど誰にも明かしたことはないが、今年90になった」
「!?」
「ディトマールなんぞ、駆け出しの頃から知ってるぞ」
大きく括れば『お爺ちゃん』以外には間違いようのないお顔だけど、わたしにも60ぐらいにしか見えないよ……。
って言うか、ディトマールお爺ちゃんの方が年上に見える。
「ほんとうよ」
「パウリーネさま?」
「私が二十歳過ぎだったかしら、押し掛けで嫁いだとき、この人もう50を過ぎてたもの。
教会に出す誓紙を見て、ひっくり返るほど驚いたわよ」
懐かしいわねと微笑むパウリーネさまに、何も言葉を返せない。
歳の差はともかく、ちょっと羨ましいかなあ……。わたしはユリウスの横顔を、こっそりと盗み見た。
「パウリーネ殿が押し掛け女房だったとは意外だな」
「……。
それはともかく、いい加減身体にも仕事にも無理が出かけていたところに、丁度よさげな引っ越し先が目の前に出来上がったからな」
「ギルドの本部は何も言ってこなかったのか?」
「馬鹿丁寧に労いの挨拶を送ってきた奴は何人かいたが、難癖はなかったぞ。
まあ、本部の小僧どもが何を言ったところで無駄だがな。
ついでに言えば、後任のマスターにはクーニベルトを呼び寄せた。
あいつならお前とも知らん仲じゃねえし、ヴェルニエ生え抜きの連中はそれなりに仕込んでおいたからな。
どうあろうと仕事が回らんってことにはなるまいよ」
「『騎士泣かせ』クーニベルトか……。
しばらく会っていないな」
ヴェルニエのギルドは大丈夫なんだろうけど、ほんと、突然だ。
そりゃあお年が90なら、引退も仕方ないんだろうとは思う。でも、大きい組織だと引継も大変そうだね。
「まあ、少しぐらいなら領地のことも手伝ってやる。
これでも方々に顔がきく方でな」
「……あんまり引っかき回すなよ?」
「知ったことか。
俺は俺とパウリーネが静かな余生を送れればそれでいい。
あとは……そうだな、適度に賑やかな冒険者酒場の隅っこで、若い連中を肴にちびちびやれりゃあ言うことなしだ」
ふんと鼻息を立てて、マスター・アロイジウス改めヴェルニエの元ギルドマスター、アロイジウスさまは、パイプの煙を天井に向けて吐き出した。
▽▽▽
そのアロイジウスさま、御者さん兼業の職人さんたちの宿代を一気に支払うと、そのままパウリーネさまと共に『魔晶石のかけら』亭に居座ってしまった。早速実践しているらしい。
広場から少しだけ奥に道が引かれ、木が切り倒されて根っこが抜かれ……あっと言う間に敷地の土台になる小さな石垣が組まれた。
今日も朝から柱を立てる音や重い物を運ぶ魔法の詠唱が聞こえてくる。
広場にあるお店よりも小さな家だし、建築魔法の使える大工さんを3人も呼んだから建つのはすぐなんだって。
ついでに引っ越しの荷物はもうまとめてあって、あとからこちらにやってくるそうだ。万全だなー。
「ヴェルニエに居るとね、ひっきりなしにお客さんが来るから辟易してたらしいのよ」
「なるほどー」
引継は済んでいても、いろいろしがらみもあるんだろうなあ……。
旦那様がユリウスとあれこれやっているので、昼間、パウリーネさまはお暇らしい。
わたしもお昼は……残念なことに暇なので、家庭菜園のことを教わったり、ヴィルトール風の料理の手ほどきを受けたりしながら楽しく過ごしてた。パウリーネさまは優しくて朗らかなお婆ちゃんだったから、わたしはすぐ懐いてしまったよ。
ときどき、連れだって散歩にも行く。
「これもいいわね。
このナイフより背が高くなると、堅くて苦くなるから美味しくないけれど」
「はい。
あ、キノコだ」
ほんの少し───30歩ぐらい森に入っただけで食べられる野草やキノコが獲れるなんて、気にもしていなかったわたしはものすごく驚いていた。
ちなみにパウリーネさまも元冒険者で、山のこともよく知ってらっしゃるし足腰もしっかりしていらっしゃる。下手しなくても、わたしの方が頼りないぐらいだ。
「もう少し秋が深くなれば、木の実もいいわね。
大甘栗もいいけれど、団栗も渋み抜きをすれば美味しく食べられるのよ」
「アルールだと、あまり食べませんねえ。
街育ちだったんで、こういうの憧れてたんです」
「こちらだと、子供に教えて自分でおやつの元を作らせるの」
色とりどりのキノコに山菜、食べられないけどお香の元になる野草。
帰る頃には、色んな物で篭がいっぱいになっていた。
おまけに心の中まで何だかいっぱいだ。
今はいない母さんとお出かけしてたような気分で、ちょっと寂しくてちょっと温かい気持ち。
シャルパンティエでの暮らしは気に入ってるけど、すこーしだけアルールが懐かしいよ。
▽▽▽
アロイジウスさまとパウリーネさまの家は、ほぼ半月で完成した。
平屋だけれど整地ついでに作った地下室があって、良い燻製が作れるはずとアロイジウスさまは自慢げだ。
家が出来上がって帰るのかと思っていた大工さんたちは、そのまま新しい別の家を建て始めた。今度はずいぶん小さいけれど、貸家にして家賃を取るらしい。大工さんたちはたまにうちで買い物してくれるので、とても嬉しい。
流石アロイジウスさま、抜け目が無いというか何というか、現在金欠中なユリウスの肩代わりをしているようでいて、ちゃんと自分の利益も取っている。誰が来るにしても、おうちは必要になるもんね。
そのアロイジウスさまは、今日から家主さん兼業で猟師になる。
「もちろん、うちの人の腕が鈍っていなければ、だけど……」
「そのへんにいる赤銅連中に負けるようでは、老い先なんぞないも同然」
ユリウスは呆れ顔だけど、アロイジウスさまはもう狩猟免状も取っている。お年を知ってしまっただけに、申請を出されたディートリンデさんもちょっと困ってた。
ご夫婦揃って健脚だし、頼りなくはないんだけど……。
やっぱり、ねえ。
数日後、荷も届いておうちの中が片付くと、皆の心配を余所にアロイジウスさまは飄々と弓を担いで山に入り、言葉通りその日の内に鹿を仕留めて帰ってきた。
「うわ、おっきい!」
「お見事ですわね」
「『孤月』の名、未だ健在なりということだ」
「普通、狩人は獲物を自分で持ち帰るものなのだが……」
「一人なら山鳥にしとるわ。
荷物持ちがおって使わんなど、無駄の極致」
後で聞いたら、力は衰えたけど弓の腕は今も抜群らしい。
もちろん、重い立派な鹿を担いで帰ってきたのは、心配してついていったユリウスだった。