第十五話
開店1週間、相変わらず客足は芳しくない。
お買いあげの金額はそこそこ大きいんだけど、2日に1組のお客さんではお仕事にならなかった。
石工さんや大工さんが腕を振るっていた頃はここも賑やかだったそうだけど、今は来年か再来年を予定している領主の館や新しく来た人が住む家屋の新築に備えて、使い古しの足場や廃砦の解体で余った石材が邪魔にならないようまとめてあり、職人さんは皆新しい仕事場へと移っていったと聞いた。……城壁の下のあれは工事中じゃなくて、資材置き場だったよ。
「よいしょ……っと」
足下に埋まっていたちょっと大きめの石を掘り起こして、庭の隅に積み上げる。
わたしは暇な時間を利用して、裏庭で畑仕事……の真似事に精を出していた。
『魔晶石のかけら』亭に泊まっていたパーティーが朝の出掛けに忘れ物を買いに来なければ、馬車に乗った新たな冒険者たちが来るのは夕方で、基本的にそれ以外のお客さんは来ない。
シャルパンティエギルドは必要な品の手配をヴェルニエギルドに依託しているし、『魔晶石のかけら』亭にしても仕入先はわたしと一緒───わたしはカールさんの父マテウスさんに主な仕入先を紹介して貰っていた───なので、二度手間になってしまう。
そんなわけで内向きの仕事をすればいいのだけれど、片付け物をしようにも、長い長い宿暮らしの上に元々こちらに来る予定で余計な買い物はなるべくしないようにしていたので、荷物は引っ越しの時にまとめたものをそれらしい位置に動かすだけで終わってしまった。
実は、私物が少なすぎて片付けようがなかったのは内緒だ。
鍋や食器なんかの小物は新しく買い込んだから、お手入れ不用でこれまた手間が掛からなかったし、化粧道具は母から貰った木櫛と小さな手鏡、そこに3年も前に買った滅多に使わない紅と安物の香水が一本づつ加わるきりで、これまた小さな袋に入る。季節物の服は少し増えたけれど、他の小物も似たり寄ったりだ。
もちろん、店先でぼーっとしていても時間の無駄なわけで。
生活の場を調える方が先かなあと、ヴェルニエのマテウスさんに手紙を書いて食材や調味料なんかと一緒に種と小さな円匙を取り寄せて貰い、洗濯と掃除が終わればわたしは裏庭に出て畑を作っている。
この村、ほんとに静かでね、誰かが広場を歩いていれば裏庭にいても聞こえるんだ……。
それはともかく。
わたしはもちろん、畑のお世話なんてしたことがない。家で収穫した野菜を使って料理をするというのに憧れはあったんだけど、いくらアルールでも王都で庭付きの家を持てる人は限られている。
だから、土地を選ばず世話が殆どいらないので素人にもおすすめだというケアベル───サラダだけでなく、スープや主菜のソースなど何にでも使われる香草の類───一種類だけに絞っていた。
種と一緒に貰ったメモには、『水はやりすぎないこと、肥料はいらないが雑草は時々抜いてやれ』とだけ書かれている。うん、わかりやすくていいや。
これで上手く行くようなら野菜も試してみたいけれど、山手のシャルパンティエだとヴェルニエよりも雪深いからちょっと難しいらしい……。
今の季節───夏は過ごしやすいんだけどねー。
「明日には出来るかなー」
農家のおじさんたちならそれこそ丸一日もあれば裏庭全部を畑に変えちゃうところを、わたしは一週間かけて目標にした端っこの一列分……の八割ほどをちまちまと掘り返したあたりだ。
小さな円匙は使いにくいし、雑草の根はしっかり張ってるし石は多いし。
とりあえず、疲れて飽きる前に裏庭の端に届かせたいと思う。
はあーっと息を付いて汗を拭っていると、広場を誰かが横切っている足音がした。
風が強くない日は、そのぐらいにはわかってしまうのだ。
しばらくして、かららんと戸鐘の音が耳に届く。
「ジネットさん、いらっしゃいますかー?」
「はーい」
この声はウルスラちゃんだ。
前掛けで手を拭きながら、表に回る。
「お待たせー、ウルスラちゃん」
「こんにちは、ジネットさん」
ウルスラちゃんは、シャルパンティエギルドの受付と事務を任されている。
わたしと同じブロンドには緩いカールがかかっていて、可愛らしい感じの容姿だ。歳はわたしより……ちょっとだけ年下の15歳。まだまだ新人さんで、依頼がほとんどないこのギルドでじっくりと仕事に慣れるのが『お仕事』らしい。
その彼女は手に書類を持っていて、なんだかもじもじとしていた。
「あの、これなんですけど……」
「書類?
ユリウス宛かしら?」
「いえ、違います」
ちなみに今日、ユリウスは留守だ。
メテオール号に乗って領境の湖まで出掛けている。
地元ヴェルニエの人から『南の湖』と呼ばれていたこの湖、シャルパンティエ領になる前から誰も漁師がいなかったのを考えればすぐわかったんだけど、やっぱり魔物が棲んでいた。
湖にいるのは毒の蛙と飛ばない水鳥の魔物で、1匹1匹は極端に強くないとユリウスは口にしていた。
でも、湖は結構広い。
だから、いくらユリウスでも一人で討伐をするのは無理だった。
けれど将来に備え、魔物がどのぐらい棲んでいて、依頼するにしてもどのぐらいの人数が必要なのかを調べて回っている。
またお金が掛かりそうだとぼやいていたけれど、湖で漁が出来るようになれば人も増えるもんね。……ともかく陸には上がってこないから、あまりに割が合わないようなら当分は無視するって言ってた。
「これ、あの、ジネットさん宛の、依頼完遂の証明書なんです。
ヴェルニエのギルドに届いた後、向こうの書類に混じっちゃってたみたいで……。
お届けが遅れてごめんなさいっ」
「ああ、配達依頼のやつね。
わざわざありがとう」
ヴェルニエの『パイプと蜜酒』亭から引っ越す少し前、わたしは実家に手紙を送っていた。ウルスラちゃんが持ってきたのはその返事……ではなくて、手紙を無事に届けましたという書類だ。
王都グランヴィルとその周辺の大都市にはギルドが郵便専用の早馬を走らせているから、旅人が乗り合い馬車で移動するよりも日数がかからない。
証明書には久しぶりに見るアレットのサインがあって、それだけでも懐かしくて嬉しいお知らせにもなっていた。
急ぎのものじゃないし彼女に責任があるとまでは言えないから、ここは釘刺し一つで許しておこうかな。
恐縮している様子だし、今後に期待しましょうか。
▽▽▽
そんなこんなで、のんびりながらも充実した日々を送っていた真夏。
「静かだから、馬車音が遠くから響くよね」
「そのうち、誰かが来てもわからなくなるだろうさ」
「そうね。
早めにそうなってくれたら、嬉しいわ」
「うむ」
ケアベルの種蒔きを終えた頃になって、わたしの引っ越しと同じくルーヘンさんの荷馬車とともにラルスホルトくんが到着した。
きらきらした目で、自分の工房になる予定の建物を見上げている。
……わたしも同じ様な顔、してたんだろうなあ。
「遅くなってごめんなさい、領主様」
「いや、連絡は貰っていたからそれは構わぬが……。
無事の到着、歓迎するぞ」
ラルスホルトくんからは、到着が遅れると手紙が届いていた。あの大きなレナートゥス工房に鍛冶場が戦場になるほどの大仕事が入ったので、向こうを出る前にそれを手伝っていたらしい。
でも4本も煙突があった工房が忙しくなるって、どれだけ大きな注文だったんだろうね。羨ましいお話だ。
「ともかく大荷物を運んでしまいましょうや。
日が暮れちまいます」
「俺も手伝おう。
……最近はこの左手も徐々に力が入るようになってきているからな。
ルーヘン、掛布を外してくれ」
「へい、領主様」
「ラルスホルトくん、わたしもお引っ越し手伝おうか?」
「ユリウス様、皆さん、助かります。
……ジネットさんはお店の方、いいんですか?」
「うん、今日はお客さんになる人がいないからねー」
「はい?」
「ラルスホルトくんもそのうち慣れると思うよ」
今シャルパンティエにいる冒険者は2組だけど、両方とも帰りは明日以降の予定。
ついでにこの時間になっても雇われ馬車が来ないならその日は誰も来ないし、もう一つついでに、皆ヴェルニエで必要な買い物を済ませてくるから、到着初日はうちのお店に出番はない。
消耗品の買い足しは期待できるけどねー。
ちなみに買い取りのお客さんは未だになし。
『質屋の見台』はいつも懐に入れてあるけれど、そもそも魔晶石はギルドで鑑定されて全部引き取られる約束になっているし、それ以外の収穫は、重さの割に買い取り値が低い小動物の毛皮や肉、幾種類かの鉱石ぐらいしか見あたらないらしい。
そりゃあ稼ぎ場から重い思いをして持って帰っても銀貨数枚にもなれば上等な肉や毛皮と、指先に乗せられるほど小粒でも運が良ければそれと同額以上になるような魔晶石とを較べたらどうかと言われれば、わたしだって間違いなく魔晶石を選ぶ。
「さ、いきますぜ」
「お願いします」
それぞれが持てそうな荷を選んでえっちらおっちら。わたしは小降りの旅行李を渡された。もうちょっとぐらい重くても平気だけど、ここは甘えておこう。
荷物は小分けされていて、一人で運べそうにないくらい重いのは立派な金床ぐらい。あれはユリウスとルーヘンさんの二人がかりかな。
ちなみにラルスホルトくんの荷物の半分は袋詰めにされた炭や刻印付きの鉄塊で、残りの半分も殆どは鍛冶の道具だった。ベルトホルトお爺ちゃんのところで見たことのある道具もいくつかあって、ちょっと懐かしかったかな。
ともかく今日また、シャルパンティエの住人が一人増えたわけで。
これからは少しだけ、この集落も賑やかになるかもしれない。




