第十四話
シャルパンティエに引っ越して3日目。
昨日中に荷ほどきだけはなんとか終えて、わたしのお店───『地竜の瞳』商会シャルパンティエ本店は、無事開業にこぎ着けた。
お店の名前だけは、家を出る前から温めていたんだよね。
……こんなに何ヶ月も温めっ放しになるとは思わなかったけど。
昨日はユリウスが大荷物や家具───ラルスホルトくんの分ともども、最低限ベッドや衣装箱ぐらいは必要だろうと予め用意してくれていたらしい───の移動を手伝ってくれたので、なんとか体裁……というかとりあえず営業出来るようになった。
でも、これだぞと言われて宛われた建物は思ったよりも上等で、ちょっと気が引けていたりもする。
田舎と言うことを差し引いても大きな店舗付き住宅は2階建てながら建坪は実家より広いぐらい、村の広場に面していて領主の館のすぐ隣と、シャルパンティエではこれ以上のない最高の立地だ。
……但し、ギルド員や領主様まで入れても今は人口10人少しの集落、逗留中の冒険者まで含めてもその倍程度では、どこまでよい立地なのかはわたしにも判別が出来なかった。
1階はシンプルなカウンターと数名も入れば満杯になる店舗、その奥の倉庫、ついでに小さな台所と階段で占められている。
2階は4つの小部屋に分かれていて、2つはわたしの私室兼用の寝室と帳簿入れや金庫のある仕事場に、使うあてのない空き部屋はそのままにしていた。短い廊下の突き当たりには梯子が備えられていて、部屋の真ん中に邪魔な柱があるけれど、小窓付きの屋根裏部屋がおまけされているのも嬉しい。
更には柵付きの裏庭まであって、小さい畑にも花壇にも出来そうで色々と楽しめそうだった。
ほんと、至れり尽くせりだわ……。
「ふあぁ……」
眠気と疲れは取れないけれど、開店初日ぐらいは頑張りたい。
わたしは大きく伸びをしてから扉に『営業中』の札をぶら下げ、手桶を持って外に出た。
うん、共同の井戸は店の前、水汲みの最中にお客さんが来てもすぐわかるのはいいね!
▽▽▽
お店を開けてすぐのこと、拭き掃除をしていたわたしの耳に、かららんと作りつけのベルが音が聞こえた。
開店祝いの花束も飾り付けも、何もないけれど。
このお店最初のお客さんは、『魔晶石のかけら』亭で昨夜見かけた冒険者だった。
「おう、開いてる開いてる」
「いらっしゃいませー!
あ、『水鳥の尾羽根』さん!」
「昨夜はどうもー」
彼ら『水鳥の尾羽根』は、剣持ちと槍持ちの戦士に魔法使いと神官という、4人組ならば一番ありがちで一番安定した組み合わせのパーティーだ。若いながらも全員が赤銅のタグ───そこそこの荒事を任せてもいいとギルドが認めた証───を持っている。こちらに来て数日、手持ちの携行食や消耗品が無くなったら、ヴェルニエまで戻るか日帰りにするか相談していたところに、わたしが到着したらしい。
おかげで朝一番からお客さんを迎え入れることが出来た。……もちろん昨日の夜、『魔晶石のかけら』亭でわたしから声を掛けたんだけどね。
「とりあえず、何があるかな?」
「ひと揃いは備えてあります」
「堅焼きパンはある?」
「はい、もちろん!」
「うん、それじゃあパンは4人の5日分」
「ありがとうございます」
「それから───」
シャルパンティエの迷宮は、実家アルールにあった王都近郊のダンジョンよりも一層が広いと聞いていた。
深さは……確認されているのは第2階層までだけれど降り口まででも丸一日、売れ筋と見て堅焼きパンの在庫は多めにしてある。
蜂蜜棒を発注する余裕はなかったけれど、うちはヴェルニエのパン屋さんと契約を結んでいた。
「このお店は近日開店と聞いていたからね。
それまでは日帰りでなんとか持たせようとしたわけさ」
「宿で普通のパンを分けて貰うにしても、嵩張るからねえ」
ちなみに『地竜の瞳』商会行きの荷物は、食料品を山積みした『魔晶石のかけら』亭の馬車便に、手間賃を払って相乗りさせて貰うことで話が付いていた。
マテウスさんとカールさんの親子には大感謝だよ。
堅焼きパンにロープ、ついでに血止めの香油───これはユリウスが揃えてくれと言った商品の一つ───も売れたので、〆て3グロッシェンと6ペニヒのお買いあげ。
「ありがとうございましたー!」
早速ダンジョンに向かうという『水鳥の尾羽根』さんを見送り、わたしはほっとして肩の力を抜いた。
店番や応対に慣れてないわけじゃないけれど、やっぱりすこし、実家とは違う。
緊張感がね、どこかに行ってくれなくて。
何となーくもやもやしたまんま。
「……うん、頑張ろう」
他のお客さんにも来て欲しいけれど、残り2組のパーティーは数日の予定でダンジョンに潜っているから、今日のところは望み薄だ。
……もしかすると、今潜っている誰かが戻ってくるか、新しい冒険者がやって来るまで、誰もお客さん来なかったりして。
ちょっとだけ恐いことを考えてしまったわたしだった。
かららん。
台所の準備を終えて一休みしていたお昼前、再び扉のベルが鳴った。
「はい、いらっしゃ……おはよう、ユリウス」
「ああ、おはよう」
お客さんじゃなかったけれど、もちろん笑顔を向けるには十分な相手だ。
「どうだ?
不都合はないか?」
「まだ何とも言えない、かなあ。
あ、お客さん来てくれたよ!」
「ああ、昨日の連中か。
よかったな」
「うん!」
今日もユリウスは、ギルドでうち合わせだか何だかをしていたはずだ。
もう終わったのかな?
「お茶でも飲む?」
「いや……ああ、貰おうか」
「はあい」
昨日のうちに支度しておいてよかった……。
たらいの行水でもいいからお風呂に入りたくて、火元周りだけは使えるようにしたんだ。
わたしは奥から椅子を持ち出してユリウスを座らせると、店番を任せて台所に立った。
鍋掛けが2口あった実家の台所よりは狭いけれど、ちゃんと焼き窯までついている。炭出し口も受け皿ごと出せるようになっていた。
「ふっふふん、ふーん……」
湯を沸かしている間に、ローゼルの茶壷を取り出す。
ティーポットには匙3杯の茶葉。
ちょっと高かったけれど、露天市で少し前に買ったこのローゼルは西方産で、わたしの飲み慣れたもの。
……宿暮らしが長かったので、実はわたしも久しぶりの一杯なんだよね。
昨日はそんな余裕なかったし。
茶葉もカップもティーポットも並品だけど、自分の物だっていう満足感は十分すぎた。
「お待たせー」
「うむ」
「ユリウスのお仕事は?
大丈夫なの?」
「ギルドの方はなんとか終わった。
ああそうだ、ジネットには領主代行から筆頭家臣になって貰いたいのだが……」
「……あのね、わたし、今度こそお店があるんだけど?」
もちろんとユリウスは頷いて、カップを傾けた。
本当にわかってるんだかわかってないんだか、簡単に言ってくれちゃって。
ここはユリウスから借りている建物だし、お金だって借りているし。
領主様のお仕事に手を取られて、こっちが疎かになるのは困るんだけどなあ。
「まあ、これと言って仕事が増えるわけじゃない。
明日からは、行商鑑札の発行もギルド任せに出来る。
ついでに狩猟免状の手続き代行も委任してきた」
「えーっと、今すぐ誰かが越してくることもないだろうし、わたしは今まで通り、ってこと?」
「そうだ。
これまでと同じく、俺の代わりに手紙を受け取ったり、客人への応対をしてくれるだけでいい」
「……それもギルドにお願いする方がいいんじゃないの?」
「俺もそう思ったんだがな……。
あまりにギルドべったりの領主というのもまずいらしい」
だから頼むと頭を下げたユリウスに、わたしはまあしょうがないかと頷いた。
領主と商人という立場の違いにこだわることにはもう殆ど意味がないし、ユリウスが困っているなら力になろうという気持ちも大きい。
「では、留守は頼んだぞ。……夕暮れには戻る」
「いってらっしゃーい」
ユリウスはローゼルのお茶を飲み干して、見回りついでに狩りでもしてくるとそのまま森に入っていった。メテオール号はわたしと同じくお留守番だ。
「さて……」
わたしにはもちろん昨日の続き、倉庫内の商品をああでもないこうでもないと動かすお仕事が待っていた。今のうちにやっておかないとね。
この建物、実家の倉庫より棚数も多いし、奥行きもある。広くて品物を取り出しやすいのは嬉しいかな。
でも、まだお店その物にわたし自身が馴染んでいないせいもあって、今一つおさまりが悪い。
一人住まいって言うのも、落ち着かない理由の一つ……なのかなあ。
実家はいつも賑やかで、夕方になればお客さんもひっきりなしだったっけと、懐かしく思い出す。
そのうち慣れるとは思うけれど、しばらくはこんな調子かもしれない。
わたしは倉庫内をそれらしく調えて───また明日になれば動かすかもしれないけれど───から、台所に向かった。
お湯はなんとか沸かせるけれど、とても料理が出来る状態じゃないのは仕方ない。調味料どころか食材の用意にまで手を回している余裕は……あるわけなかった。一番近いお店は馬車で丸一日のヴェルニエ、気軽に買い物も出来やしない。
これで『魔晶石のかけら』亭がまともに動いていなかったら、朝夕は堅焼きパンをかじって済まさなきゃならないところだったよ……。
▽▽▽
その『魔晶石のかけら』亭、昨日より少し早い時間。
雉をぶら下げて戻ってきたユリウス───ほくほく顔のカールさんによれば明日はシチューの具が増えるそうだ───と向かい合っての夕食はいつものことだけど、寂しいことに今日もまた食堂兼酒場には他のお客さんが誰もいなかった。
ユーリエさんによれば、今朝出ていった『水鳥の尾羽根』の戻りは明々後日、他のパーティーはそれぞれ明日と明後日だそう。
おかげでわたしはまだ、彼らの顔を見ていない。
「そうか、まあ1組でも客が来てくれてよかったな」
「うん。
3組いるって聞いてたから期待はしてたんだけどね。
……お留守だったけど」
「それなりに腕があれば、4日5日と続けて潜った方が稼ぎはいいからな」
……残念なことに、『鳥の尾羽根』さんお支払いの3グロッシェンと6ペニヒがこの日の売り上げの全てだった。
もちろん損はしていないし、実家の基準で考えると、1パーティーの買い物としては多い方だろう。
それでも、仕入れ値を引いた残りからわたしが納めるべき家賃や税、どうしても必要な生活費までを指折り数えると、1日の売り上げと見るならとても暮らしていけない金額だった。
「当面はこの調子だろうが、来週こちらに来るラルスホルト以外にも、人を呼び寄せる算段は既に幾つか手を打っている。
何もジネットだけの問題ではないからな」
「うん」
「そうだな、元冒険者の俺が言うのも何だが、今は出来ることを着実にこなし、地に足を着け進むのがよかろう」
「……ほんと、そうよね」
出来ることからこつこつと。
余裕のあるうちに、わたしもお店も準備を整えないとね……。
幸い、領主代行改め筆頭家臣とやらのお給金も継続してユリウスから貰っているから、わたしも追いつめられるほどは焦っていなかった。
いつかちゃんとお礼を言わないといけないけど、きっかけが難しいかな。
「おお、領主様」
「こんばんはー」
「そちらも遅くまでご苦労だな」
「いらっしゃいませ、お疲れさまです」
「ユーリエさん、エール頼みます」
「俺もー」
「はい、先にお持ちしますね」
ディートリンデさんをはじめ、ギルドの皆さんも揃って現れた。
シャルパンティエに逗留する冒険者の数が少ない今こそやっておかなくてはならないお仕事が山積みだそうで、うちとは大違いに忙しい。
「賑やかになったね」
「うむ。
はじめてこの砦に来た時、俺一人だったからな。
何があるわけではないが……いいものだと、思う」
カールさん夫婦とギルドの皆さん、そして、わたし。
ユリウスは店内の人々を順番に見回して、笑顔を作った。




