第十三話
「いい天気でよかったわ」
「ああ」
わたしはユリウスと二人、メテオール号の背中に揺られながら、シャルパンティエへと続く風景をのんびりと眺めていた。
一緒にヴェルニエを出た荷馬車───商品が山積みになっている二頭立ての大型車───はとうの昔に見えなくなったけれど、この天気なら夕方には到着できると幾度も資材運びで往復した御者さんは請け負ってくれている。
馬なら半日、荷馬車なら丸一日。歩けば2日と少しかかるらしいけれど、道が良くなったので前よりはいいとユリウスは頷いていた。
「あの尾根を回り込めば、廃砦……いや、領主の館が見えてくる」
今はもう山道になっているけれど、昼前に景色が変わって湖が見えたときにはちょっと感動した。
まだ水棲の魔物がいるかどうかも調査していないから、遠くから見るだけだったのはちょっと残念。人喰い熊は退治されたけど、それまでは何百年も誰一人住んでいなかったから、湖も森も手つかずなんだ。
「あれは、橋?」
「橋ではないが、道を張り出させてあるのだ。
大回りさせた上に岩を削るよりはよほど安く上がると、大工のアンスガーと石工のボニファーツが頑張ってくれた」
森の切れ目になっている急斜面のところは、石組みの上に丸太の柱が何本も立っていた。手すりがないからちょっと恐いけど、別にふらふら揺れたりぎしぎしと音が鳴ったりするわけじゃかったので安心する。
「見えたぞ、ジネット」
「お城!?」
「外壁は立派だが、中は更地だ」
「……そうだったわね」
一見、お城。……その壁だけが、森の隙間から見えていた。
ぐるりと大回りして辿り着き、間近で見上げた廃砦。
聞かされていた割に壁は綺麗で崩れているところもないし、補修らしい後も見られない。
「ほんとにぼろぼろだったの?」
「ああ。
東壁のあたりなんて、山這い松が生えて根が石組みに食い込んでいたほどだ。
修復の邪魔になる苔や蔦も、魔法で焼いた。
しばらくは大丈夫だろう」
いまはアルールの王城のように、石組みの隙間も漆喰で埋められている。塗りたてなので、きらきらして綺麗だ。
……それでもまだ片付けにまで手が回らないようで、よく見れば砦の足下には木組みの足場や積み上げられた石材も残っていた。
古い急登の細道を避けてこれまた大回りしていくと、ようやく建物が姿を現す。
「うっわ……」
「うむ。
どうだ?」
道を登り切ると、急に視界が開けた。
よく整備された広場の中心には屋根付きの井戸と水場、それを囲うようにして大小の建物が数軒。
人影はないけれど、人いきれはある。
一番大きい二つは、それぞれギルドとカールさんの宿屋『魔晶石のかけら』亭。これは扉の上に掲げられた銘板と軒先の看板ですぐわかった。
小さい建物はそれぞれお店のようだけど……もう、気持ちが抑えられない。
「ねえユリウス、どれがわたしのお店になるのかしら?」
「右手のあの店だ。
もっとも、中は似たような作りだから大して差はないが……」
「おー!」
ユリウスはギルドの隣、こちらから見て領主の館寄りの一軒を指差した。
もちろん『わたしの』お店だけでなく、どれも建てられたばかりで真新しい。
呆れるユリウスを余所に、わたしは一人で盛り上がった。
ひひん。
「ああ、水か?
お前もご苦労様だ」
ごめんね、山道お疲れさま。
メテオール号が水を欲したので、わたしもユリウスに降ろされた。
▽▽▽
本当に馬小屋と倉庫しかなかった領主の館にひとしきり呆れてから、メテオール号が自分で馬小屋に入っていくのを見送り、ユリウスと連れだってギルドに向かう。
アルールのギルドよりは小さいけれど、それでも100人近くが泊まれる『魔晶石のかけら』亭と大差ない大きさの建物は、ダンジョンへの期待が大きいことを表していた。
わたしも頑張らないとね!
「お久しぶり、ジネット」
「やっと到着です、ディートリンデさん!」
出迎えてくれたギルドマスターは、もちろん『銀の炎』ことディートリンデさん。
歳の差や立ち位置もあるけれど、法令上は領主代理のわたしの方が役上らしい。けれど領主代理を抜いたわたしはただの小娘だし、ディートリンデさんの方が美人だし出来る人だし……お互い譲り合っているうちに、なし崩しで友達のようになってしまった。
「『洞窟狼』殿!」
「アルノルト!」
ユリウスと肩をたたき合っているのは、ギルドの護衛隊長兼講師のアルノルトさん。
彼も元冒険者で、今は駆け出しの冒険者の面倒を見るのがお仕事らしい。先日、ヴェルニエのギルドで部下の人───ここシャルパンティエギルド専属の救助隊も兼ねている───ともども紹介されていたので顔は覚えている。
他にも事務員のウルスラちゃんや治癒術士のディトマールお爺ちゃんを含めて総勢8名が、このシャルパンティエに派遣されていた。
「ほう、今逗留しているのは3組12名か……」
「半分が赤銅のタグ持ち、残りは青銅と真鍮ですな」
「評価の定まっていない今の時期なら、多い方だと思われます」
奥の間でお茶を出されて、こちらの様子を聞かせて貰う。
領主代理としてだけでなく、雑貨屋の店主としても聞き逃せない。
「ね、ユリウス。
魔石の出るダンジョンなのに、人が少なくない?」
「……今はな。
場所選びは、冒険者にとっても生活が懸かる大事な選択だ。
河岸を変えるにしてもだ、旅費や移動時間に見あう利益が出そうか否か、力量に見あった稼ぎ場所か、生活環境はどうか……。
普通は下調べをしてから移動するものだ。
ヴェルニエあたりで仕事をしていた者たちなら、まあ試しに行ってみるかとならんこともないだろうが、実際に足を運んだ者から方々に噂が広まるには、もう少し時間がかかろう」
ダンジョン内の情報も蓄積されていないし、そもそもシャルパンティエの情報そのものが広まっていない。
ついでに言えば、開村早々では、用意すべき受け皿も調ったとは言えなかった。今は領地にも宿一つきりで『雑貨屋』もなく、その上鍛冶屋や花街は馬車で1日ともなれば、今稼いでいる場所と大差ないなら移動する理由にはならないらしい。
「迷宮に入れば必ず稼ぎになるとは限らないし、入宮料だって馬鹿にならない」
「それにこのシャルパンティエだと、日銭稼ぎの依頼を出す人が居ない……って言う問題もあるのよ」
「中堅どころ以上なら、特にな。
潜って得になるのかどうかさえ、今はまだ手探りだろう。
損はしていないようだが、大儲けという顔ではなかった」
……なるほど。
やっぱり楽なお仕事はないもんだなあと、わたしは頷いた。
▽▽▽
夕方まで、ユリウスの書類仕事を手伝いながらギルドで過ごして。
日が落ちる少し前、待望の荷馬車が到着したのでわたしはようやくお店に向かった。
「とりあえず、お店の奥に入れてしまいます。
後は明日一日かけて頑張りますから!」
ここのところ、ほとんど定期便になっていると言う御者のルーヘンさんに手伝って貰いながら、ともかく店の奥に荷を並べていく。
薬瓶や肩焼きパンに限らず、商品を夜露に濡らしたくはない。
……本当は、荷物が来る前に新築のお店の中をあれこれ見ていたかったのだけれど、そんな余裕は何処にもなかった。
私物はともかくお店一軒分の商品となると、やはりとんでもない量になる。
どうにか荷を店内に納めてルーヘンさんを『魔晶石のかけら』亭に送り出すと、わたしは床に座り込んだ。
「はぅあうぁ……」
明日は丸一日かけて荷ほどきするのかと思うと、ため息も尽きてしまいそうだ。
実家を思い出しながら、疲れた頭で配置を考える。
表の鍵付き戸棚は薬品棚、倉庫の右はカンテラなどの壊れ物、カウンターに近い左の大棚には食料品類……。
「あれ?
ユリウス?」
「……飯でも食うか?」
「……食べる」
いつの間にか寝ていたらしい。
疲れ切っていたわたしは───後になって思い出したけど───迎えに来たユリウスに寝顔を見られたことを気にすることもなく、手を引かれるまま外に出た。
「ほら、しゃんとしろ」
「んー……ん、ちょっとおきた」
広場を横切ってそのまま『魔晶石のかけら』亭の戸をくぐり、テーブルに座らされる。
ああもう、このままベッドに入りたい……。
「あら、領主様に……ジネットちゃん、どうしたの?」
「……すまんな、疲れているらしい」
「あーこんばんはー」
「あらら」
女将さん───ユーリエさんに顔をのぞき込まれて、わたしはよいしょと身を起こした。……体が重い。
しばらくして運ばれてきた根菜の煮物をつつきながら、ようやく冴えてきた頭で店内を見回す。
「……む?
どうかしたのか?」
「あー、うん。
お客さんいないなあって」
酒場兼食堂の中は閑散としていた。
わたしたち以外、誰もいない。
「冒険者達ならとうに引き上げたぞ。
『銀の炎』たちも飯を食って早々に解散した。
明日は救助の訓練に出るから、今日はギルドも早じまいだそうだ」
「そっか。
……もう割に遅い時間だったわね」
「やあ、ジネットさん」
「あ、カールさん」
前掛けを外しながら出てきた主人のカールさんに、ジョッキを持ったユーリエさんが続いて出てくる。
こっちももう店じまいなのかな?
「まだまだ酒場の営業で飛ぶように酒が出る、なんてのは先の話ですよ。
本格的にやるなら、給仕の一人も雇いたいところですし……」
「『銀の炎』も本部に送る資料は一段落ついたそうだが、今度は内向きを固めねばと頭を抱えていたな」
「領主様の方は如何です?」
「ジネットが本業に手を取られるからな。
家臣団とまでは行かずとも、人手は欲しいところだ」
「そうですわね。
ジネットちゃんも、お店の方は荷物が着いたばかりでしょ?」
「はい……。
うちも店番がいないと、当分は自分で仕入れにも行けないなあって」
……はあ。
シャルパンティエ領は正に始まったばかり。ついでに足りないものばかり。
未来への展望に満ちていても、そこに手が届くのはしばらく先だ。
わたしたちは顔を見合わせ、揃って天井を見上げた。




