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 -1- 【Down the Rabbit-Hole】

 Where am I ? -1- 

【Down the Rabbit-Hole】 




 走る。

 走る。

 走る。

 息が切れて、

 走る。

 足がもつれて、それでも。

 走る。

 走る。

 走る。

 走る?


 どうして私は走っているのだろう。

 こんなにも懸命に。

 縋るように。迷子のように。

 ただただ、走り続ける。


「待って……」


 目の間には一羽のうさぎ。

 あれを追わなくては。見失わないように、離されないように。


『アリス』


「待ってよ、追いていかないで」


『アリス』


 呼んでいる。

 私を誘っている。

 何かが致命的におかしいと感じつつ、私は足を止めることができない。


『アリス』


 何故、私はあれに呼ばれているように感じているのだろう?

 何故、私はあのうさぎを追っているのだろう?

 何故、あのうさぎは人間のように服を着て、人間のように二足で走っているんだろう?

 何故、私はこんなにもあのうさぎに焦がれるのだろう?

 何故、


 私はこんなにも、何かを恐れているんだろう?


『早く』


 うさぎは喋らない。人間のような恰好をしていても、あれも人間の言葉は話さない。

 しかし、私には確かにうさぎの声が届いていた。


『早く、おいで』


 そして私に言うのだ。もっと早く。早く。速くはやくハヤク速く走れと。


『おいで。おいで。おいで』


 ああ、待って。

 追い付きたいのに。共にいたいのに。なのに、うさぎはどうしようもなく速くて、追い付くことができない。


『アリス』


 うさぎの背中がわずかに震える。泣きそうに、辛そうに。



 違う、違うの。追い付きたいの。一緒にいたいの。

 でも、追い付けないの、どうしても。


 無我夢中で足を動かし、必死に手を伸ばす。

 と、ほんの微かに、うさぎが持つ懐中時計に触れた。

 そして、 


 走る。

 走る。

 走る。

 息が切れて、

 走る。

 足がもつれて、それでも。

 走る。

 走る。

 走る。

 走る?


 どうして私は走っているのだろう。

 こんなにも懸命に。

 縋るように。迷子のように。

 ただただ、走り続ける。


「ねえ、待って」


 目の間には一羽のうさぎ。

 あれを追わなくては。見失わないように、離されないように。


『アリス』


「待ってよ、追いていかないで」


『アリス』


 呼んでいる。

 こちらを振り向いて私を誘う。

 何かが致命的におかしいと感じつつ、私は足を止めることができない。


『アリス』


 何故、私はあれに呼ばれているように感じているのだろう。

 何故、私はあのうさぎを追っているのだろう。

 何故、あのうさぎは人間のように服を着て、人間のように二足で走っているんだろう。

 何故、私はこんなにもあのうさぎに焦がれるのだろう。

 何故、


 私はこんなにも、何かを恐れているんだろう。


『早く』


 うさぎは喋らない。人間のような恰好をしていても、あれも人間の言葉は話さない。

 しかし、私には確かにうさぎの声が届いていた。


『早く、おいで』


 そして私に言うのだ。もっと早く。早く。速くはやくハヤク速く走れと。


『おいで。おいで。おいで』


 ああ、待って。

 追い付きたいのに。共にいたいのに。なのに、うさぎはどうしようもなく速くて、追い付くことができない。


『アリス』


 うさぎの真っ赤な瞳がわずかに震える。泣きそうに、辛そうに。



 違う、違うの。追い付きたいの。一緒にいたいの。

 でも、追い付けないの、どうしても。


 無我夢中で足を動かし、必死に手を伸ばす。

 と、ほんの微かに、うさぎが持つ懐中時計に触れた。

 そして、







「アリス?」

 目を開く。こちらを覗きこむ、呆れたような顔と目があった。

「……姉さん」

 二、三度瞬き、ようやく彼女を認識した私が呟くと、姉は困ったように笑う。

「またこんな所で寝て、お父様やお母様が見たら叱られるわよ?」

「だって、今日はこんなに風が気持ち良いんだもの。こんな日に家に閉じこもってたら勿体無いじゃない」

 そう言いながらも、私はまだ寝転んだままである。此処は私の家の庭の片隅で、私のお気に入りの場所でもある。偏屈な父も、こうるさい母も、説教好きな兄妹も滅多にここには来ない。陽を遮る大きな木の下で、風のそよぎや鳥の声を小耳にはさみながらゆったりとまどろむことが出来るのだ。

 唯一、姉のロリーナだけはよく訪れ呆れたように笑いながら私を起こしていたが、これはもう日課のようなもので窘めている姉も本気で怒っているわけもない。私はのんびりと空を眺めながら答えた。

「それに、姉さんが言いつけなければお父様たちにはバレないわよ」

「あら、私が言いつけると思うの?」

「思ってたらもっと焦ってるわ」

 姉がくすくすと笑う。家族と折り合いの悪い私と違って、彼女は誰からも好かれる人だ。

 優しく、礼儀正しく、真面目で、気取らない。ユーモアのある姉のことが、私も嫌いではなかった。

「今日は特にお天気がいいもの。眠たくなってしまうのもわかるわね」

 そう言うと、姉は私の横にすとん、と腰を下ろす。そんな何気ない動き一つ一つにも気品が感じられる姉は、まるでお嬢様という言葉を具現化した存在のようだ。

「あら、姉さん。寝転がるよりはましでしょうけど、地面に直に座るのだって、十分マナー違反だと思いますけれど?」

「ふふ、たまには良いじゃない。それに、あなたが言いつけなければ誰もわからないわ」

「あら、私が言いつけると思うの?」

「思ってたらもっと焦ってるわ」

 姉はいたずらっぽく笑いながら、抱えていた本を開き、読み始めた。

「今日はどんな本を読んでるの?」

 読書家の姉はジャンルを問わず様々な本を読むので、面白そうな本だったら後で借りようかと、起き上がって姉の本をのぞきこんだ。

「読んでみる?」

 姉が渡してきた本をぱらぱらと捲る。細かく、整列した文字の羅列に、草の緑とのコントラストで目が痛くなる。

「いいわ。活字ばっかりで挿絵もないお堅い本は私には合わないもの」

 肩をすくめ、半ば強引に本を返した私に、姉は何か言いたげな顔をしながらも本に目を戻した。


 ああ、平和だ。


 何の面白みもない、この十七年間で飽きるほど繰り返した日常。安らかな代わりに刺激もなく、驚きもない。ただただ微温湯のような日々が繰り返される。

 多分、これからもずっと。

「……なんだか眠たくなってきちゃった」

「でもあなたさっきも寝ていたじゃない」

「だって暇なんだもの。これなら夢でも見ていた方が楽しいわ」

 そう言うと、ふと先程見た夢を思い出した。

「そういえば、さっきもおかしな夢を見たわ」

「あら、どんな夢なの?」

「んー、うさぎを追っていたの」

「うさぎを?」

 本から目をあげた姉がこちらを見る。首を傾げて尋ねる姉に、そう、と小さく頷く。

「何故?」

「え?」

「何故うさぎを追っていたの?アリス」

 その言葉に、今度は私が首を傾げる。

 何故だろう。何故私は、あんなにも必死に、あれを追いかけていたんだろう。

「……わかんない」

 ただ。

 絶対にあのうさぎを見失ってはいけないと、立ち止まってはいけないと強く感じた。

『アリス』

 うさぎの声が蘇る。違う、声ではなく、音だ。脳内で直接響き渡るその音に、私はどうしようもなく感情を高ぶらせてしまう。

『アリス』

 焦り、悲しみ、喜び、怒り、戸惑う。

 どうしてこんなにも気になるんだろう。不思議だ。あれはただの夢なのに。

(ただの夢に固執するなんて、時間の無駄だわ)

 夢から醒めてしまった私には知りようがないのだから。考えたって、答えなんてわかるはずがない。

 苦しみ、嘆き、安らぎ、愛おしい。

 どうしてこんな気持ちになるのか、なんて。考えても。

「アリス、どうかしたの?」

 口をつぐんだ私に、姉は怪訝そうな表情を見せる。姉は心配症だから、安心させてあげないと。そう思い、私は下を向いていた目線をあげ、微笑んだ。

「大丈夫、なんでもないわ、姉さ――――――」

 微笑もう、と思った。けれど、多分それは出来ていなかったに違いない。

「アリス?」

 一瞬。

 私は、それが何なのか理解できなかった。

 そして、数度瞬き、はっきりとそれを理解すると、これは夢のつづきに違いないと思った。

 茂みの向こうに、しかしそれは間違いなく存在して、そして、

 私を待っていた。

「ねえ、アリス、急にどうしたの?」

 行かなくては。

「具合でも悪いの? ならお医者様の所に……待って、どこに行く気なの? ねえ、アリス!」

 驚く姉の声が聞こえる。

 ああ、私は一体何をしているんだろう。姉が心配しているのに。姉を安心させてあげなければ。なのに、何故彼女に答えず、一度も振り向かず、私は走っているんだろう。

 早く戻らないと。姉だけではなく、家族だって心配するし、きっと怒られる。戻らないと。そう思うのに、意思に反して私の足は止まらない。

「待って……」

 私はその背中を追いながら必死に声をかける。



 走る。

 走る。

 走る。

 息が切れて、

 走る。

 足がもつれて、それでも。

 走る。

 走る。

 走る。

 走る?


 どうして私は走っているのだろう。

 こんなにも懸命に。

 縋るように。迷子のように。

 ただただ、走り続ける。




「待って……」


 目の間には一羽のうさぎ。

 あれを追わなくては。見失わないように、離されないように。




 目の間には一羽のうさぎ。

 あれを追わなくては。見失わないように、離されないように。

 ああ、何故あれは、彼は、振り返ってくれないのだろう。

 彼の顔を見れば、そうすれば、私があなたを追う理由を思いだせる気がするのに。


「ねえ、待って――――――シロウサギ!」


 私が叫んだ瞬間。

 そのうさぎは、足を止めた。

 同じように止まった私は、振り返らない彼を見る。

 白い毛も、ふわふわの耳も、赤いチェックの服も、きらめく金の懐中時計も、どうしてか、とても懐かしく感じる。

「どうして、泣いているの」

 彼は泣いていた。顔も見えないし、嗚咽も聞こえない。けれど、彼の慟哭が聞こえるようだった。

「シロウサギ」

 泣かないで。お願いだから。私が、私がいるから、だから。

 そっと伸ばした手が、彼の持つ懐中時計に触れる。すると、時計から目映いばかりの光が溢れ、


 私は、彼に触れられないまま、ゆっくりと意識を手放した。







「……」

 ふ、と閉ざされた窓から空を見上げる。

 いつもと変わらぬ光景。だが、どことなく何時もと違う気配を感じる。空気が冷えてきたから、もうすぐ雪が降るかもしれない。

 寒いのは苦手だ。

「チェシ、どうかした?」

 かけられた声に視線を戻すと、眠たげに眼を擦りながら自分を見上げている少女が映る。

「いや、今日はやけに静かだと思ってな」

 軽く頭を撫でてやると、ヤマネは嬉しそうに笑う。

「そうだねえ、今日は久しぶりに双子月が見えているからね」

 空に輝く二つの満月。金と銀の二つの円は、どこか幻想的な空気を醸し出していて、情緒やロマンなんて全くわからない自分でも、なんとなく、神聖なものを感じた。

「女王たちも今日まで騒ぎ立てるほど無粋ではないだろう。双子月が出る夜は、神が降臨するとされる、聖なる夜だからね」

 唐突にかけられた声に、さほど驚きもなく目線を送る。

「帽子屋、あんた帰ってたのか」

「たった今ね。なんだ、不満そうだな」

「てめえの顔を見て機嫌が良くなると思うのか」

「思わないが。しかし失礼な子だね。仮にも飼い主に向かって」

「僕はハッターのペットじゃないから、思う存分嫌な顔したっていいよね?」

「やれやれ、嫌われたものだな」

 悲しいものだ、と言いながら(これっぽっちも悲しんでないと断言できる)持っていたステッキとコートを消し、深く椅子に腰かける。その前にはいつの間にか紅茶が入れてあり、当然のように彼はそれを口に運んだ。

「ふぅ……やはり、疲れている時は紅茶に限る。気持ちを落ち着かせるには一番だよ」

 ほんのりと薫る紅茶葉の香りにつられたのか、ヤマネはいつの間にかまた眠ってしまったようだ。くぅくぅという寝息が聞こえる中、俺はしびれをきらし口を開いた。

「それで、一体何の用だ」

 帽子屋はちろりとこちらを見て笑う。胸まである髪が踊り、まるで麗わしい女性のような見目をして、笑う。

「君は話が早くて助けるよ。〈アリス〉が、現れたそうだよ」

「な……!?」

 思わず立ち上がる。その拍子に、膝に乗っていたヤマネが床へと落ち、悶絶している。だが、それどころではなかった。

「それは、確かなのか」

「無論だとも。さあ、チェシャ。爪と牙の準備は万端かい? 私が君を飼っているのは、何も愛玩目的ではないのだからね」

 その言葉に静かに頷く。自分が何のために、彼女の元から離れてまでここにいるのか。そんなことは自分が一番よくわかっている。

「さあ、猫。狩猟の時間だ。獲物を捜し出し、噛み砕き、私の所に持ってきなさい」



 窓の外には双子月。

 金と銀のコントラスト。

 世界は光に満ち、等しく闇に包まれる。


 そんな、静かなある日のことだった。


 ちくたく、ちくたく。

 ちく、ちく、たくちく。

 時間の針は止まらない。

 時計の針を壊しても、時間を止めることは、できはしない。

 ちくたくちくたく。

 ならば。

 〈時間〉そのものを壊してしまえば良いんだと、その子供は可愛らしく、嗤った。



アリスの世界が好きな方もそうでない方も、少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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