ジュネーヴ条約に於ける俘虜の待遇
日本に向かって、潜水艦から放たれた複座戦闘機が飛ぶ。兵装は完璧、燃料もまだまだ豊富にあった。もうすぐ敵のレーダー範囲に入るので、段々と二人の緊張も増してゆく。
前座には操縦を担当するのは木下克彦、後座には兵装システムを司る尾崎紀伊が乗る。会話は無く、黙々と飛行を続けた。
「敵の防空識別圏に入るぞ。気を引き締めろ」
彼はスロットルレバーを前へ倒し、アフターバーナーを焚いて突進する。ナビ上で防空識別圏に入ると、まだ燃料の残っている増槽タンクを切り捨て、更に加速した。
人類とミュータントに残された道は、殲滅戦か共存しかない。人類の切り札はW80熱核弾頭を積んだトマホーク巡航ミサイルだ。それが放たれるのを二人は阻止するつもりでいる。しかしまだ、彼らは核発射を止める十分な証拠を持っていない。
「敵機だ。応戦せずに逃げ切るぞ」
レーダーに幾つかの点が現れ、二人の機に向かってくる。茶色い正五角形が見え、自動的にミサイルのシーカーが音を鳴らしたが、一発も撃たずに進んだ。巡航ミサイル発射までそう時間は残されていないのだ。
しかし、一機が二人を追尾して射撃を始めた。撃たれたのに気づいた彼は操縦桿を乱暴に操り、敵弾全てを回避する。彼に施された人体改造が無ければ、ここまで超人的な機動はできなかっただろう。
最大速度での機動だったので、掛かった加速度は半端ではなかった。紀伊は必死に耐えていたが、克彦は顔色一つ変えずに操縦を続けた。
機体の姿勢を元に戻し、直進して敵機を引き付ける。敵の二波目が来ると、機首を上げて急減速し、敵との前後を入れ替える。瞬時に彼は兵装システムをオンにして敵をロックオンし、短距離空対空ミサイルを放った。
運良く命中し、敵機が墜ちてゆく。彼が後ろを見遣ると、紀伊は加速度に耐えられなかったのか、気絶してしまっていた。再びスロットルを最大に戻し、目的地に急いだ。
「あれ……私、気絶してました?」
意識を取り戻した紀伊が克彦に話し掛ける。少しだけ笑って、克彦は答えた。
「気持ちよさそうにな。そろそろ見えてきたぞ」
ゆっくりと高度を下げ、長らく誰も確認できなかった日本列島の様子を確認する。コンクリートのジャングルは消え失せ、代わりに本物のジャングルが広がっていた。
適当な平地を見つけ、ホバリングで着陸する。機械音を立ててキャノピーが開き、二人は陸地に降り立った。辺り一面に南国しか生えないような植物が生えており、些か気味が悪い。
彼は戦闘機に収納されていたバレットM82A3を出し、マガジンを差し込んでコッキングレバーを引く。金属音を立てて、マガジンの初弾が薬室に押し込められた。不用意に撃発しないよう安全装置を掛け、ヤシの森を進む。彼女は重たい対物ライフルを持てないので、拳銃弾を使用する短機関銃を携行した。
「本当に東京か? 昔は高層ビルが立ち並ぶ所だったのに」
人工物が支配する頃の東京を知っている克彦は、シュールさにも似た異物感を感じていた。ひとしきり進むと、博士が作り出したであろう獣人を見つけた。少し前までの克彦だったら、嫌悪感しか覚えなかっただろううが、今は違った。
銃を向けようとした紀伊を止め、克彦は話しかけようとしたが、残念ながら森に逃げられてしまった。反射的に足を前に出し、獣人を追う。
辿り着いた所は、粗末な家が立ち並ぶ、先住民の集落のような場所であった。入るなり、二人は弓矢や槍による歓迎を受けた。
「父を殺しに来たのか」
「話に来たんだ。武装解除するぞ」
彼は対物ライフルからマガジンを抜きさって、コッキングレバーを引いてから地面に置き、紀伊に同様にするのを勧める。渋々と紀伊は短機関銃を地面に放り投げた。
「分かった」
獣人の娘が手招きで、一番大きな家の前まで誘導させられた。暫く待っていると、中に入って良いらしく、恐る恐る二人は家に上がった。電化製品は殆ど無く、原始的な生活を送っているようだ。
年老いた男が、部屋の隅の椅子に座っていた。間違い無く、枯れ木のような男が博士だった。か細い声で、博士は二人に話し掛ける。
「おや、珍しいお客だ。私に何か用かね?」
紀伊はもう怒りを堪えきれなさそうだが、克彦は無表情で立っていた。先ずは克彦が火蓋を切った。
「単刀直入に聞くぞ。お前は何のためにこんな事をした?」
「こんな事かね?」
小馬鹿にされたような気がして、克彦の表情が少し崩れる。それでも冷静を努め、もう一回聞く。
「なら具体的に言ってやろう。20億もの人間を殺したのは何でだ?」
「簡単な事だ。私は人類を守ろうとしたのだ」
「大量殺人が人類を守る行為なのか?」
間を置いて、重苦しそうに博士は答えた。
「少なくとも私はそう思っていた。多分、失敗するだろうが」
「だろうな。テロリストと何ら変わりない」
「同じにしてもらいたくないね。私は単にコマを作っただけだ」
「私達のせいだって言いたいのか?」
「そうだ。付いてきたまえ、少し散歩に行こう」
博士は立ち上がり、杖を持って二人の間を通り抜ける。回れ右をして、克彦と紀伊は博士を追った。その老体に似合わぬ速さで、傾斜を昇ってゆく。崖に到着すると、博士は足を止め、二人の方を向いた。
「話の続きをしようか。間違い無く君達が悪い」
遂に紀伊の堪忍袋の緒が切れたのか、克彦の腰のホルスターから拳銃を抜き、博士に向けた。銃口を向けられたというのに、博士は平然としている。
「仕掛けたのはアンタ達からでしょう!」
「『目には目を歯には歯を』とでも言いたいのかね?」
「そうよ!」
溜息を漏らし、博士は毅然と言い放った。まるで、子供を諭すかのように。
「ハンムラビ法典の『目には目を歯には歯を』は必要以上の復讐を止めることを言うのだ。やられたらやり返すという訳ではない」
「それは……」
「君達には選択の余地が有ったはずだ。その中に共存もある」
見かねた克彦が紀伊から銃を奪い返し、ホルスターに戻す。鳴り始めた腕時計のタイマーを止め、博士に言った。
「博士、だけどこれでもう終わりだ。核ミサイルが向かってきてる。後三十分もすればここは更地になる」
何かが可笑しいのか、博士はグモった笑いを吐き出す。
「そうか、案の定君達は核兵器を持ってきたか」
「気でも狂ったか?」
「マトモな人間なんて居ないのさ。君達はここに何が有るのか覚えていないのか?」
思い当たるのは、人に形は似ているが容姿が全く違うミュータント達だった。
「化物しか居ないだろう」
「まさか! 君達は日本にメタンハイドレートの冷却装置を作っただろう」
メタンハイドレートの融解による地殻変動を止める為に、人類はメタンハイドレートを冷蔵庫に入れて放置した。中でも重視したのは日本近海のメタンハイドレートだ。崩れれば、大津波が引き起こされる。
「地下に有るはずだ。関係ない」
「日本は世界初の被爆国なのに、核爆発による効果を知らないのか? 電磁パルスが有るから、少なくとも冷却を管制しているコントロールシステムがダウンするだろう」
克彦の顔色が一瞬で真っ青になった。克彦は青年期に、メタンハイドレート層の崩壊による大津波を目撃している。酷い有様で、何もかもが流されたといっても過言では無かった。
またそれが繰り返されれば、残った陸地は全て水に流される。下手したら、億で数えられなくなってしまうに違いない。
「今のを聞いたか? 今すぐ伝えて核ミサイルを止めさせろ」
「分かった!」
紀伊が踵を返して森に消える。克彦は博士に拳銃を向け、その場に釘付けにした。
「だから私は何もしなかったのだ。ここに拠点を構えれば、いつか核兵器が飛んでくるだろうからね」
「本当に私達が道を間違えたみたいだな」
「分かってくれたかね。理解が早い人間は好きだ」
「それはどうも。だけど、残念ながら上手くは行かないな」
まだミサイルが発射されてから殆ど時間が経っておらず、停止命令を送るには十分な時間がある。博士の野望は阻止されるだろう。
「人々が気付いてくれればそれで満足さ。所で、君はどんな人間かね?」
「LSDで気が狂った人間さ」
「もしかして『強化兵士プログラム』を受けたのかね?」
「君には関係無い」
興味津々に博士は聞いたが、克彦は突っぱねた。良い思い出ではないのだ。彼は拳銃を博士の頭部に合わせ、吉報を待った。やがて無線機から紀伊の声がした。だけど酷く焦っていて、克彦は段々と不安になってきた。
『克彦さん! 一発が生き残りました!』
「何でだ!」
『撃った後に敵の攻撃を受けい、最後の一発に停止命令を送信損ねたみたいです!』
「だったらもう一回送れば良いだろう!」
『自己破壊装置が動作してるんです! もう送れません!』
無線を一旦切り、悪態を吐く。こんな時に限って、何故か最悪の事態が起きてしまう。余計な事をした敵に、彼は最大限の憎悪を向けた。
だけど手をこまねいている暇は無い。
「戦闘機を動かしてくれ。私が何とかする」
『燃料切れですよ! ちょっと克彦さん――』
彼は無線を投げ捨て、バレットM82A3を回収しに行く。再び崖に戻ってきて、対物ライフルをセットアップする。彼は銃弾を飛んでいるミサイルに当てようというのだ。
核兵器は精密機械の塊である。千分の一秒以下の誤差でプルトニウムを爆縮しなければ核爆発は起きない。核物質は散らばるが、少なくとも膨大なエネルギーは放出されないし、電磁パルスも生じない。
正気の沙汰ではなかった。戦闘機に積んでいる空対空ミサイルならば簡単に核ミサイルを無力化できそうだが、燃料が無い。彼が最後の砦となるだろう。
尾を引いて飛んでくるミサイルが見えてくると、彼は地面に座って対物ライフルを構えた。躊躇わずに引き金を絞り、マガジン分を撃ち切ると、直ぐ様リロードを行い、もう一度機関銃のように撃つ。しかし、数を撃っても全く命中しなかった。
薬室に一発だけになると、いきなり手が震えだした。狙撃銃に手の振動が伝わってマトモに撃てる状態ではなくなった。ボツリヌス毒素が有れば対処できたが、生憎持ち込んでいない。LSDを大量に投与されたことを、彼は今まで以上に後悔した。
もう替えのマガジンは無い。これを外せば人類は終わる。そのプレッシャーが、彼の人差し指を硬直させた。
逡巡している間に巡航ミサイルが彼の頭上を通過し、どんどん離れてゆく。身を翻して、ミサイルにスコープのレティクルを重ねた。もう時間は無い。
「もう終わりだよ。君達は判断を見誤った。後は、もう終わるだけだ」
黙って見ていた博士が彼に言う。それは死刑宣告のようなものだった。
「まだ手が有るはずだ!」
克彦はそう叫んだが、ただの強がりに過ぎない。だけどここで終わらせる訳にはいかなかった。自分を落ち着かせようと、彼は深呼吸を何回も繰り返すが、それでも手の震えは収まらず、なかなか狙いが定まらない。
十字と重なった瞬間に彼は引き金を引き、弾を放ったが、外したのかミサイルは飛び続けている。
「君も、人類の進歩に犯されたのだろう。もう良いんだ、君は良くやったよ」
「……それが私に対する労いか?」
諦めるよう諭された瞬間、彼は焦燥感とか虚無感が全て吹き飛んだ気がした。次に湧いてきたのは全てに対する怒りだった。
「人類の進歩に犯されたって? 私は志願して『強化兵士プログラム』を受けたんだ。それに私らは核を止めようとしたんだぜ? それが君が生み出した糞ミュータントのせいで停止命令を送れずこのザマだ。やっぱり君が一番悪いじゃないか」
狙撃銃を構えたまま、克彦は心で思ったこと全てを吐き出した。思い出したように彼はポケットを漁り、一発の51口径を取り出した。武装解除をした時に、薬室に入っていた物だ。
「こんな風にまだ手は有る。私は諦めない」
コッキングレバーを引いて、正真正銘最後の一発を装填する。精神を研ぎ澄ませ、ミサイルに集中する。やがて幻覚が見えてきて、予測弾道が赤いポリゴンで見えた。だけど手の震えが狙撃の邪魔をする。
「何度やろうが無理だ。今の君にはできない」
もう、克彦の耳に博士の声は聞こえていない。いざ撃とうとした時、彼の左側に何かの影が覆い被さった。克彦がスコープから目を離すと、彼がいつしか助けた女性型ミュータントが銃を押さえていた。これには流石の博士も驚いたようだ。
「手伝ってくれるのか?」
力強く、ミュータントは頷いた。彼は少しだけ笑い、再びスコープを覗く。ミュータントが銃を押さえてくれるので、振動は格段に減った。
ゆっくりと息を吐き出し、彼は全意識をミサイルに向ける。心臓の鼓動すら停止したように感じた。スコープで拡大しても見えないミサイルに向けて、引き金を引いた。
その数秒後、克彦の腕時計のタイマーが鳴り響き、何らかの爆発は起きたが、火球は。彼はやり遂げたのだ。
「やったぜ。無効化できたぞ! 人類は終わらない!!」
彼は無線機に向けて怒鳴りつける。喧しい歓声がスピーカー越しに聞こえた。
「このような人間を、私は待っていたのかも知れないな」
勝利に酔いしれているのも束の間、自信喪失した博士が後ろから近付き、克彦は拳銃を構えた。だけど、引き金を引くつもりは無い。生かして、全て償わせるつもりだ。ミュータントは克彦の背後に隠れ、恐る恐る博士を観察している。
「思えば、私も単に復讐をしただけかもな」
「何があった?」
「街に軍隊が攻め込んだ時、私はそこで死んでいたのだ」
「お気の毒に」
戦争でこのマッドサイエンティストになったのだと思うと、克彦はいたたまれない気持ちになった。結局、悪いのは判断を間違った政治家なのかもしれない。
「今が全ての清算の時だ。撃ちたまえ。だが最後に聞かせて欲しい。何故、君は私の娘を助けたんだ?」
「人類を滅ぼしかけた博士にも分からない事が有るんだな。簡単さ、ジュネーヴ条約で決まっているからだ」
操られたみたいに、克彦は引き金を引いた。
またミリタリー物だよ
長編は更新止まるかもです
感想等、どうぞよろしくお願いします




