ハンドバックを持った客
あるデパートの最上階に、3スクリーンをもつ、規模が小さめで、雰囲気のいい映画館がある。
その建物の外は既に、館内よりも暗くなっている。
他の全ての客が去っても、まだ彼女は残っていた。
前から五番目、花道のすぐ右手の席で、その女性は両手と、小さなハンドバッグを膝上にのせ、ゆっくりと視線を漂わせていた。
「お客さま」
中年の男性が、スクリーンよりも左側から現れて、たった一人の女性客に声を掛けた。黒いYシャツを着た彼は、その映画館の支配人だ。
「もう閉館のお時間ですよ」
「いつも思うの」
と彼女が言った。
「話が終わると灯りが消えて、また現実に戻らなきゃいけない――こんな理不尽があってもいいのかなって」
「映画館とはそういうものです」
彼はゆっくりと、彼女の方へ歩いていた。別段、彼女を追い出すつもりはない様だ。
「一夜限りの夢を見たり、自分には降りかからない非日常を、目の前の大画面だけで体感する。それが、映画ですから」
「でも理不尽だわ」
幾分気取った口調で、頬を膨らませた彼女は言った。
「現実で起きない非日常を、赤の他人、空想の人の夢の中を、わざわざこんなとこまで見に来る必要がどこにあるのかしら?」
「なら何故貴女はいつも、ここに?」
「わからないわよ」
ふいっと彼女は顔を背ける。
その場に居座り、地に着かない両足を揺らしたままの彼女を見て、支配人は困ったように溜め息をつく。
「夢は、見続けてはいけないものです」
どこか向こう側を見ながら、彼は静かに語った。
「どこかで必ず、現実に戻らなければなりません。理屈はなしに。どうしても。けれど、」
彼は少し言葉を切った。彼女が彼に向き直った。
「夢を見たいと思うのは、罪じゃない」
そうでしょう?と彼は彼女のほうを向いた。
「随分と気取った口を利くのね」
「それはあなたの方でしょう」と言おうとしてから、彼は相手が一応客であることを思い出して、やめておいた。
「もう行くわ」
彼女は席から降りた。
「どちらに?」
彼は彼女と目を合わせるように、身をかがめた。
「どっちも」
彼女は華やかな笑顔を見せた。
たたたた、と彼女は花道の、緩やかな階段を駆け上る。
ふ、と振り返り、彼女は支配人を見て、
「また来るよ」
と言い残した。
花道の先の扉が、微かに揺れた。
「かんちょー、」
支配人が先程開いた扉を再び開けたのは、若い男だった。右手にモップ、左にバケツ。新入りの清掃担当だ。
「誰と喋ってたんスか?」
「彼女と、だよ」
意味ありげに言う支配人を見て、若い男は顔をしかめた。
「それって、あれっスか」
彼はそのテの話が苦手だった。
「ハンドバック持った、気取った口調の女のコ」
「昔風に言えば、座敷童だね」
頷きながら、彼女が来るようになって、ウチも客が増えたし、などと支配人は言った。
「見てねぇのが俺だけっつうのが、どうもなあ……」
「もし彼女に会っても、失礼のないようにね。彼女はほら、お客様、なんだから」
「はぁ……」
ひとまず仕事だ、と彼はバケツを降ろし、モップを中につっ込んだ。
「そういえば、支配人」
「ん?」
改めてそう呼ばれると、彼は自分の身が引き締まる音を聞いた。
「幽霊って、ハンドバックを持てるんですか?」
実に素朴な疑問だった。
ども。眠いです。竜ヶ崎です。
今回校正している途中で気付いたのですが、なにかって、
「登場人物名前ないや―――ん!」
まあ、世界は今日も回っております。(意味不明)
ショートショートって、勢いつけてびょーんて飛ぶが如く書かにゃならんけど、名前要らないものなんですかね。
因みに、今まで書いた短編の両方とも、台詞アリの登場人物には、ちゃんと名前がついています。出せなかったの多いけど(汗)
遠慮のない感想を随時募集中です。
眠いのでこれにて。
では。