バンジージャンプ
崖っぷちに三人の男がいた。
細身の男が崖の縁五センチに立ち、角刈りの男を見てニヤニヤ笑っていた。
角刈りの男は至って真剣に細身の男を睨みつけ、拳銃のジェスチャーをしながらピクリとも動かなかった。二人はまるで、二時間ドラマの刑事と犯人のようだった。
「う、動くなよ。早まるな」
角刈りの男が口を開いた。
「手を上げろ」
「はは。んな緊張すんなって」
細身の男は両手を上げ、茶化したように応えた。
「こういうのは初めてなクチか?」
「あまりふざけない方が良い。俺は刑事だ、真剣にやり合わないと……」
「真剣に!?あっはは」
細身の男は、一段と声を上げて笑った。
身体を前屈させてあんまり笑うもので、角刈りの男はこいつが今にも足を滑らせるのではないかとヒヤヒヤした。
「刑事サンは土壇場でも冗談を言うんだなあ。俺たちが真剣だったことがあったか?」
「……無いな。十五年間、一度も無い」
「正直でよろしい」
細身の男は微笑んだ。風が髪の毛を揺らした。
「俺たちはずっと変わっていないんだ。ふざけたごっこ遊びも、高いところに登りたがるクセも。怪我してクラスのマドンナに怒られるまでがセットだ、はは」
真剣な顔を崩さなかった角刈りの男も、流石にふっと微笑む。
「あぁ、ありゃキツかったな。特に、美奈子のゲンコツはヤバい」
角刈りの男は懐かしむように首を振り、
「だが、俺たちは変わった」
細身の男を否定した。
「俺は家族を持つ。お前は会社を持つ。行動に責任が付き纏うようになった。ごっこ遊びじゃいられない。高所じゃあ、ハーネスを付けなくちゃならない」
角刈りの男は、ふっと拳銃のジェスチャーを緩め、下を向いた。
「明日には、クラスのマドンナは俺の奥さんだ」
薬指の指輪が光った。
「なぁ……何でそんなに不満気なんだよ。俺はお前が羨ましい」
角刈りの男は、だらりと腕を垂らしたまま呟いた。彼は今やジェスチャーを忘れていた。
「いや、これから結婚するんだ。嬉しくないわけないんだが……。事実として、お前は俺の推定生涯年収を既に超え、訳の分からん規模の地位と名声を手に入れたわけだ。なぜ、そんな馬鹿な事をする」
細身の男はこの質問に答えようとし、答える前にくるりと彼に背を向けた。
角刈りの男は、一瞬だけ逡巡した。目の前の男の視線が自分の指輪に向かった気がしたからだ。
「まあ、金では買えないものもある」
細身の男は端的に答えた。
「金持ちの苦悩って奴か?」
「そうでもないな。十五年来のだから」
「はぁ……?」
角刈りの男は真意を測りかねるように頭をかいた。
「ともかく、お前の可能性は無限だと思うぜ。お前の規模の会社があれば何だってできる。俺はほら、人生の最終到達点が見えてきたなって感じだから……って、何の話してんだ、これ」
「あっはは。ずっと鈍感野郎だな、てめぇは」
細身の男は肩を竦め、ぱっと手を横に広げた。
「ほら、もういいだろ?」
角刈りの男はすっかり雰囲気にのまれていた。細身の男の表情をこちらから伺うことはできなかったが、紅葉が始まりかけた山中で両腕を広げる彼の姿は、ドラマよりドラマ的であった。
「……もう何も言うことはない、か」
角刈りの男は細身の男に近寄り、拳銃のジェスチャーをしたまま、人差し指の銃口をぴったりと男の背中にくっつけた。
角刈りの男の脳裏に、世界史の教科書の挿絵がちらついた。細身の男の背中は、まるで磔刑に処せられる罪人のようだった。
「ひと思いに撃ってくれよ?『無限の可能性』とやらを秘めた俺の背中をお前が押すんだ、超強烈に」
「おう……じゃ、またな」
角刈りの男は、撃った。
「バン」
細身の男の身体は、宙に投げ出された。
その一瞬、身体が重力に引き寄せられ加速がつくまでの空白の一瞬、細身の男はどうしようもない喜びと悲しみに興奮し、無意識に開く口元を押さえつけることができなかった。
これは走馬灯の類いだろうが、十五年前にふざけて行ったプロレスごっこで二人とも怪我を負い、口の中が泥の味でいっぱいになったことがあった。
あの時から、あの時から己に取り憑く、苦くも甘美な泥の塊のようなモノが、他の誰でもない角刈りの男によって撃たれ、吐き出されたのだ。そんな心地がした。そんな心地がした気がした。
だが、それも一瞬のこと。彼の身体はゴム紐とハーネスにより責任を果たされ、地面に激突するよりずっと早くグイッと引っ張られた。
何回かビヨンビヨンしている内に、彼の意識は現実へ引き戻された。これは臨死体験などではない。
「あーい、今引き上げますんでじっとしててください」
上方から、バイトらしい男子大学生の声が聞こえた。
「所詮は娯楽か」
細身の男は独りごちた。
ーーー
彼が崖の上に戻ってくると、角刈りの男は笑い転げていた。
「てめっ、はは、何だよこの茶番はよ。あー可笑しい」
「いい演技だったぞー刑事サン。最終的に撃たれたが」
「いや、もうアドリブで訳が分からず……っはは。確かに何で俺撃っちまったんだろ、意味わかんねぇな」
ひと仕事終えた男子大学生が不思議そうにこちらを見て、すぐスマホいじりに戻った。
「つか何なんだよ、お前は何の罪で追い詰められてた設定なんだよ」
二人は駐車場に向かって歩き出した。
「さあな、裏切りとかじゃねぇの」
「何だそれ」
少なくとも角刈りの男は、この最後の青春に満足したようだった。
「そういや、お前はオンナの話だけはからっきしだよなぁ。何かねぇの?」
「言うわけねぇだろ」
「あっそ。それだけは変わんねえよな、お前」
日が沈みかけていた。
書いたり書かれたりしました。
富良原きよみです。
カクヨムでも投稿予定です。同じ名前です。好きな方で読んでいただけますと。
執筆用のツイッターはじめました。(@Huraharakiyomi)
ここまで読んでいただける皆様ならきっと仲良くなれると思います。
では。
多感なお年頃こと富良原より