もうひとつのエピローグ
「では、美佐代さん。これから“記録プロトコル”を開始します。」
無機質な声に、美佐代は小さくうなずいた。
一瞬だけ、手が震えた――。
本当にこれで、娘に“伝わる”のだろうか。
……けれど、その迷いもすぐに消えた。母として、いま出来るすべてを残したい。それだけだった。
末期がんを患う彼女に、残された時間はわずかだった。
けれど、どうしてもやり残せないことがあった。
「娘に……声を残したいんです。会えなくなっても、話してあげたい。」
AIのインタビューファイルが開かれ、
“口癖”“感情パターン”“話し方のクセ”――あらゆる項目が、ひとつひとつ丁寧に記録されていく。
「私、よく“よかったね”って言っちゃうんです。
相手が嬉しそうなときとか、うまく言葉が見つからないときに……代わりに、それを言うんです。」
美佐代は時に笑い、時に涙を浮かべながら、一つひとつの質問に答えていった。
「絵本なら……『くまのポンちゃん』が好きでした。
あの子は、最後の『ただいま』の場面が本当に好きだったんです。
ぬいぐるみを抱えて、何度も『おかえり』って……」
静かな沈黙のあと、最後の質問が投げかけられる。
「あなたが娘にどうしても伝えたい言葉は?」
美佐代はゆっくりと目を閉じた。
そして、迷いのない声で答えた。
「――心音。生まれてきてくれて、ありがとう。」
その瞬間、記録は静かに保存された。
この声が、いつか十五歳の少女の耳に届くことを願って。
***
【絵本『くまのポンちゃん』最後のページ】
――くまのポンちゃんは、長い旅から帰ってきました。
ドアを開けると、おうちの中はあたたかくて、やさしい匂いがしました。
「ただいま。」
小さな声で言うと、おかあさんくまはにっこり笑って、ぎゅっとポンちゃんを抱きしめました。
「おかえり、ポンちゃん。」
その一言だけで、ポンちゃんの心は、ふわりとあたたかくなりました。
――そして、ポンちゃんは思いました。
どんなに遠く離れても、「ただいま」と言えば、きっと「おかえり」が返ってくるのだと。
【完】