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第2話 母の祈り

***


十三年前――春の終わり。


病室の窓から、やわらかな陽だまりが差し込んでいた。

白く消毒液の匂いが漂う一室。けれど、その空間にだけは、優しい時間が流れていた。


「ママ!」


小さな足音が駆け寄ってくる。

祖父に手を引かれた二歳の心音(ことな)が、両手をいっぱいに広げて母・美佐代に抱きついた。


美佐代は、やせ細った腕で娘をそっと抱き上げる。

もう、その手に力はほとんど残っていなかった。

それでも、その小さな体温は、確かに彼女の胸の奥を温めた。


「心音、今日はママにプレゼントを持ってきてくれたの?」


心音は満面の笑みで、祖父から手渡された折り紙を掲げる。

ぎこちなく折られた花の形。

その真ん中に、覚えたての文字で「まま だいすき」と書かれていた。


「まあ、すごいわね。こんなにきれいなお花、ママ、はじめてもらったわ」


美佐代はわざと大げさに目を丸くしてみせる。

心音はくすくすと笑い、母の頬に小さな手をそっと当てた。


「ママ、にこにこしてると、かわいいね!」


「そう? じゃあ、もっとにこにこしなくちゃね」


その瞬間だけは、病の痛みも不安も、すべてが遠のいていった。


心音は、ベッドの上で母の指をきゅっと握る。

小さな指は、まるで「ママ、どこにも行かないで」と訴えているようだった。


ふと、美佐代は心音に尋ねた。


「ねえ、心音。ママと一緒に、どこか行きたいところある?」


心音はきょとんとした顔で少し考え、にっこり笑って答えた。


「うみ、いきたい!」


「そうね……うみ、行こうね。ママと手をつないで、うみを歩こうね」


その約束がもう叶わないことを、美佐代は知っていた。


それでも彼女は心の中で誓う。

――たとえこの手がもう届かなくなっても、あなたが帰ってこられる場所を、きっと残すから。


それが、彼女に残されたたったひとつの祈りだった。


***

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