111_シェフィールド公爵令嬢の恋(後編)
レイモンド・ハントと黒スーツの一団は、リキ・クロスと草原で50m距離をとって対峙した。
魔術師の安全距離なら話がきるのでは、と判断したからである。
「私の名前はレイモンド・ハント。シェフィールド公爵家のご当主であるエルヴィス・レーン・シェフィールド様の命を受け、リキ・クロス様をご招待したく参りました。どうも誤解があるようですので、まずは話を聞いてもらいたいのですが」
リキへと丁寧に語りかけたが、残念ながら自分の話を全く聞いていないようだった。それでも語り掛けねば、エルヴィス様からの命令を遂行できないだろう。
リキは研究者としての才能がある魔術師と聞いていて、ひ弱なイメージを持って迎えに来た。
調査書には、彼の魔術研究に関連する詳細な記載があり、最後の方に『冒険者ギルドにも所属し魔獣討伐や遺跡探索もこなしている』『幼馴染にして相棒である勇者アーサーと一緒に行動している』と小さく載っていた。そのため、アーサーに頼り切って冒険していると、レイモンドは想像していた。
要するに、レイモンドはリキを侮っていたのだ。
「森の件で誤解されているかもしれませんが、自分の隊は、王都のシェフィールド公爵邸まで、リキ様を護衛するために参りました。あなたを拘束するのではなく、あくまで我がハント隊は護衛です。エルヴィス様と面会していただくため、あなたを公爵家にお連れしたいのです」
森へ逃走された時は、不意を衝かれた所為だと考えていた。しかし森での追跡劇が、レイモンドの認識を一変させた。
魔術の制限を第二限定解除にした上で、ハント隊20名が連携しリキを捕らえようした。しかし数時間に及ぶ追跡劇を演じても、捕らえるどころか傷一つ負わせられない。魔術・体力ともに、一介の学院生とは思えない。
勇者アーサーの幼馴染にして相棒。そう、リキはアーサーと対等な立場の相棒なのだ。
勇者アーサーの相棒に相応しい実力の持ち主。
いや、それ以上なのかもしれない。
勇者アーサーがどれ程なのか知らないが、第二限定解除しているハント隊20名を相手にできるだろうか?
リキ・クロスは、エディンバラ王国軍の一流の戦闘魔術師に匹敵するのでは?
「あなたの為に、王都まで魔道蒸気機関車の1両を貸し切りにしてあります。どうか、どうか矛を納めて頂けないでしょうか」
リキの頭上に”ヒュージ・カラムン・フレイム”の大きな魔法陣が輝く。
レイモンドは、かなり謙って要請したのだが、返事は魔法陣だった。
即座に、ハント隊へ指示を飛ばす。
「全員散開! 前衛突入! 中衛対抗魔術!」
前衛の8名は”リミット・キャンセレーション”を発動し、リキへと迫る。
ハント隊前衛の魔術制御は、学院生とは桁違いであった。常に限界突破するのではなく、効果的、効率的に発動させ、身体負荷を損傷ギリギリのレベルに抑えている。
レイモンドを含む中衛6名は散開しつつ、”ヒュージ・カラムン・フレイム”への対抗措置として、空中に氷水を出現させる魔術”スリート”を発動させる。
中衛6名で、中衛後衛のいる全体を氷水で包むためだ。
後衛6名は隊員各個へ魔術”シールド”を発動させる。
後衛が”シールド”を展開するのは魔術戦の基本戦術であり、指示がなくても実行するのが当たり前だった。実行できない部隊は、役立たずの無能、との誹りを受ける。
この”シールド”による後方支援のおかげで前衛は大胆に行動できるし、中衛は安心して対抗魔術や攻撃魔術を準備できるのだ。
レイモンドの指示とほぼ同時にリキの魔術が発動し、黒スーツの一団全員を巨大な炎の円柱が包み込んだ。
シールドが防御している間に、魔術”スリート”の氷水が炎を鎮火する。
その刹那、前衛8名がリキを囲み、炎を纏わせた三段ロッドを振り下ろした。しかし、リキの魔術”ダウンバースト”の発動が先だった。
リキの頭上でダウンバーストが発現し、強烈な下降気流が黒スーツの前衛8名を50m以上吹き飛ばした。
直撃したはずのリキは微動だにしない。下降気流がリキに襲い掛かる前、”結界・絶”で防御したからだ。
中衛後衛には、リキが同時発動させた”ヒュージ・アイシクル・ダウン”が炸裂し、黒スーツたちは地面に叩きつけられると、そこに氷の世界が出現した。対抗魔術として発動した”スリート”の威力に、”ヒュージ・アイシクル・ダウン”が上乗せされたからだ。
地面に倒れたまま、黒スーツたちは氷の彫像と化したのだ。
リキは黒スーツたちを睥睨し、ダメージを把握すると、その場から消えた。
中衛で眼鏡をかけている内の一人が、山裾の森の手前に移動したリキを見つけたが、シールドごと氷漬けにされているため、動けずにいる。
暫くして漸く氷が融解し始めると、レイモンドは力づくで無理やり体を動かし”シールド”の上に纏わり付いていた氷を割った。そして立ち上がり、命令を発する。
「集合」
動けるようになった者からレイモンドの許に急ぐ。
ほとんどの者が足を引きづったり、腕をおさえたりなど体の何処かを負傷していた。後衛が発動した”シールド”のおかげで裂傷や凍傷はないが、吹き飛ばされたり、氷に圧迫されたりし、良くて骨折、悪くすると内臓損傷しているようだった。
「ハント隊長。リキ・クロスは前方の山裾の森に逃げ込みました」
眼鏡をかけた1人が、森の方を指し示しながら報告した。
レイモンドは山裾の森を渋い表情で凝視する。
隊員は、疲れとケガから満身創痍。
部隊としては戦闘継続不能状態。
自分を含め数名なら作戦行動可能だが、果たしてリキ・クロスを捕まえられるか?
殺すなら可能だろう。
しかしエルヴィス様のオーダーは彼との面会。
この部隊で生け捕りは厳しい。
仕切り直すしかない。
「パストン。エルヴィス様への直通通信。他は撤退準備だ!」
後衛4人がリュックから魔道通信装置の部品を取り出し、パストンと呼ばれた後衛の黒スーツの一人に渡す。パストンは素早く部品を組み立て始める。
30分ほどかかり、成人一人ぐらいある大きさの魔道通信装置が完成した。その後すぐに、パストンは魔道通信装置に触れ、マナを流し込む。
近づいてきたレイモンドにパストンは報告する。
「エルヴィス様の執務室の通信装置への通話設定完了しました!」
レイモンドは機器に手を延ばし、グリップを両手で握りしめ自分のマナを流し込む。直通通信を発動させると、すぐに反応があり繋がる。
途中経過は部下から都度報告させていたので、レイモンドは現状を簡単に、言葉を飾らす報告した。
『ほう、ハント隊から逃げおおせたのか?』
楽しそうな声でエルヴィスは確認する。部下の失態を叱るより、失態させるような相手を好ましく思っているようだった。
ハント隊は公爵家の私設軍隊の一隊であり、戦時には遊撃任務を請け負い、平時にはVIPの護衛を務める。今日はリキを公爵家まで護衛する簡単な任務の予定だった。
「はい、誠に申し訳ございません。第二限定解除では傷一つ負わせられず・・・第一限定解除でも拘束できたか判断つきかねます」
『限定解除したらどうかね?』
「良くて死体を献上することになるかと」
悪くすると死体すら残らないという意味だった。
『最近の魔術研究者は、軍隊ですら拘束できないようだ・・・。詳細は帰還後に報告しなさい。・・・うむ・・・リキ・クロスの追跡・拘束部隊を学院に派遣する。帰還後ただちに、必要な編成を検討し提案せよ。そちらが報告より先だ』
「かしこまりました。直ちに帰還し、ご提案ご報告させていただきます」
苦渋の表情を浮かべたレイモンドの脳裏に、森での戦闘が浮かぶ。
逃走途中からリキ・クロスの防御が変わった。
最初は体の数か所に”シールド”を展開し、防御していた。それは”シールド”展開部で攻撃を防ごうと体を動かしていたから、間違いない。しかし途中から、彼は森の中を駆け抜けることだけに集中していた。それにも関わらず、彼に攻撃は届かなかった。
三段ロッドは彼に当たる間近で止まり、魔術は随分と手前で弾かれていた。
あんな魔術が存在するとは・・・。
一介の学院生がどうやって・・・。
リキ・クロスとは一体何者なのか・・・。
遺跡の中央指令室に置いておいた寝袋に包まれ、リキは3日3晩意識を失っていた。”体力回復・強”の副作用は睡眠ではない。意識を失うのだ。
緊張の糸が切れ休憩すると意識を失ってしまう。
睡眠と違い、意識を失っている間は周囲の気配を察知できないため、魔獣などに襲われたら命を落としかねない。”結界・絶”を発動しても、せいぜい1時間しかもたないので、どうにもならない。
”体力回復・強”を1回使用するぐらいなら、意識を失うのは数時間で済む。しかし今回の逃走でリキは、何度使用したか覚えていない。体力の低下を感じたら即座に発動させていた。それほどギリギリの逃走だった。
食事をとり体力を回復させていると、アーサーが”天岩屋戸の扉”でやってきた。
そして、ここ数日の情報交換をしたが、アーサーも噂話程度しか知らないようだった。
「やっぱり、公爵家の屋敷に”アマテラス”するしかないかな」
「アマテラスって、あの炎の魔術か?」
「そうそう、草原を輝くぐらい整地したボクの持つ最大威力の魔術だね」
アマテラスは効果範囲内に六千度の高熱を発生させる魔術だ。
その魔術によって元々草原地帯だった場所は土が固まり、釉薬のかかってない陶器のような、直径5㎞に及ぶ綺麗な平面を作り出した。
「オーバーキルが過ぎるぜ」
「いやいや、公爵家の敷地が広すぎるんだよねー」
「あーそういや、王都にある公爵家の敷地内に、今話題の魔道蒸気機関車が走ってるっていうしな」
「そうそう、そうなんだよね。しかも屋敷内での移動には、小型の魔導車を使っているんだってさ。屋敷一つ消滅させるのにアマテラス一回とすると・・・本宅、別宅が複数、執務棟、研究棟が3つ。執事たちの暮らす家やメイド寮・・・とかは対象外として。十回以上はアマテラスしないとな」
「するなするなっ! 一族郎党を皆殺しにする気か?」
「あーっと・・・まあーなんていうか・・・思考が暗黒面に落ちてた。いやいや、でもなー。自分の家族の安全と公爵家の権力を考えると・・・」
リキの脳裏に浮かぶは家族の笑顔。
その笑顔を護るにはどうすれば良いか?
リキは真剣に考えているのだが、思考が同じところをグルグルと回っている。
公爵家の軍門に降り、この遺跡をすべてを渡し、自分自身の自由をも差し出すか。それとも、公爵家を滅ぼすか・・・。
「オレら2人じゃ、考えが戦闘へと傾きすぎだな。ベティにも話を聞いてみないか?」
疲弊した心では良いアイディアも、まともな判断もできない。
そういう状態であったリキは、アーサーの提案を受け入れた。
今まで頑なに隠していた魔術と、遺跡の存在をベティに知られてしまうのも気にならず・・・。
「はあ~、情報不足が過ぎるのよね。なんで対立から始めようとするのかな~。ねぇ、2人はそんなに戦いたいの? 戦闘狂なの? 貴族は魔獣じゃないんだよ。言葉が通じるの! まずは、シェフィールド公爵がどうしてリッ君を公爵家に連行しようとしたのか。その意図を知るのが先じゃない? あ~、もう! さっさとフローレンス様に来てもらって。教えてもらって。そして仲介をお願いすればいいんだよ。フローレンス様は、きっとリッ君の味方になる。ウチの女の感に間違いはないの!」
アーサーはベティを遺跡に連れてきて、中央指令室近辺の施設を案内した。ベティは『へー』『ほー』『はー』『すごいね~。昔の人』と言いながら見学し、最後に『あ~ん、ウチもここに出入りしたい。アーサーとの愛の巣にする~』と宣った。
最初リキは『ここはボクの研究施設だから、ムリだね』と言ったが、少し考えた後『解決策を見つけてくれたら』と話した。
解決策を提示したら魔術”天岩屋戸の扉”を提供すると・・・。
リキの精神は、そこまで弱っていた。
そのリキにベティは、さっきの提案と、苦言を共に吐き出したのだ。
リキは、すぐにフローレンスを遺跡に招待した。
”リキ・クロスの許に行く”との書置きだけ残させ、誰にも告げさせず”天岩屋戸の扉”で遺跡へと。
ほぼほぼ誘拐であり、今時点で学院は大騒ぎになっていた。
そんな状況を想像だにできず、遺跡の中央指令室で4人はテーブルを囲み、優雅にお茶を飲みながらフローレンスの話を聞いていた。
当初、学院で同じ魔術コースに所属している1年先輩のフローレンスが、リキの普段の様子を観察しつつも、ゆっくりと協力関係を構築する方針だった。
その状況が変化した。
他家でも、公爵家が気にしているリキを調査し始めたのだ。公爵家に先んじてリキを取り込めば、研究分野で差を詰められるのではと。
そこで公爵家は、リキを招待し他家が入り込む余地はないと見せつけ、可能であれば共同研究の契約を締結する。
その際、研究論文についてだけでなく、能力や為人を含めリキという人物を知りたいとシェフィールド公爵が要望し、執事が使いの者を手配した。
その使者兼護衛がハント隊だった。
要するに、シェフィールド公爵はリキを公爵家に招待しようとしたのであって、拘束して連行しようという意図は全くなかったのだ。
公爵家の使者であるハント隊は、逃げるリキと話をし、公爵家に招待する旨を伝えようとした。
そのため、リキを捕えようとしていただけ。
公爵家の使者としては、公爵からの招待は当然学院の実技演習より優先されるべきと考えていた。それが貴族社会の常識である。しかし、リキに貴族社会の常識など分かるはずもなく、拘束される前に逃走するしかないと考えたのだ。
つまり、不幸な行き違いがあっただけである。
フローレンスが貴族寮の自室に設置してある魔導通信装置を使い、そのことを父であるシェフィールド公爵に直接確認したとリキ達3人に語った。
しかし、フローレンスが語った内容は、事実と異なっている箇所が随分とあった。事実と完全一致したのは、シェフィールド公爵がリキを招待したという点だけ。
フローレンスは先天性の魔透眼の持ち主で、魔法陣の中のマナの動きが見える。歴史上、魔透眼は魔術の発展に大きく貢献していた。そしてシェフィールド公爵家は、魔透眼持ちが誕生しやすいのだ。
シェフィールド公爵家がエディンバラ王国を、魔術で先導している理由の一つである。
フローレンスは『魔透眼でリキ・クロス君の能力を見極めてみせます』と父であるシェフィールド公爵を説得し、許可をもらっていた。
シェフィールド公爵は、フローレンスの恋心を侍女のエスターからの報告で知っていたから許可していたのだった。
しかし、娘のためと暫く任せていたが、いつまで経っても何ら報告が上がってこない。
シェフィールド公爵としては、公爵家の研究や事業にリキを参画させる価値があるかを知りたい。価値があるなら、早めに公爵家で囲い込みたい。
それに恋は盲目という。いくら魔透眼を持っていても、恋心で目が曇っていたら見極めようもないだろうと。
痺れを切らしたシェフィールド公爵は、家のためにも、娘のためにも、リキと面会しようとしたのだった。
フローレンスの話を聞いたリキとアーサーは、物理的に頭を抱えた。
公爵家の招待を受け、話をしてくれば良かっただけ・・・。
発表した研究論文の話だけでも良かったのだけ・・・。
それなのに、リキは慌てふためき逃走してしまった。しかも、逃走中に遺跡の魔術の一端を見せてしまった。
今回の逃走劇の報告を受けたシェフィールド公爵は、発表した研究論文のみの協力関係で満足するはずがない。最低でも、見せてしまった魔術は対象になる。ひいては遺跡まで知られるだろう。・・・というより、”未だに稼働している遺跡”にフローレンスを案内してしまっている。
頭を抱えたまま、語る言葉のないリキとアーサー。
そこで、ベティがアーサーに訊く。
「ウチも質問していい?」
「いいよな? 親友」
「いいんじゃないかなぁー」
リキは小さな声で『どうでも』を付け足した。苦悩が深すぎて投げやりになっているようだった。
「それではフローレンス様」
「なんでしょうか?」
「リッ君を好きなの?」
「にゃっ・・・」
奇声と共に、フローレンスはお茶を吹いた。
淑女としての教育を受けたフローレンスが、淑女らしくない姿を晒してしまったのだ。
とっ、突然・・・何を言うのこの子は。
返答に困るわ・・・。
「どっ、どっ、どうして・・・。どうして、そうなるのかしら?」
フローレンスはベティに逆質問し、冷静さを取り戻すと時間を稼ごうとした。
しかし、ベティから追撃の質問が飛ぶ。
「どこを好きになったの? きっかけは?」
フローレンスの頬から耳、首にかけてが真っ赤に染まった。白磁のような白くて透明感がある滑らかな肌なので、赤が色鮮やかに映える。
「わ、わたくしは・・・シェフィールド家の娘としてぇえぇぇぇ・・・あ、うん・・・当家の繁栄のために・・・」
言い訳を並べようとしたフローレンスの言葉を遮り、ベティは喋りまくる。
「えへへ~。フローレンス様の表情が恋する乙女でぇ・・・かわいい~。アッ君の方が全然カッコいいのにどうして? でもアッ君は渡さないよ。普段、リッ君って男女関係なく不愛想でしょ。ツッコミもきついし。アッ君が一緒の時ぐらいしか、態度とか表情とかが柔らかくないんだよね~。どこが良かったの? すっごい疑も~ん。ウチだってアッ君と付き合う前、リッ君のこと取っつきにくいって思ってたし。う~ん? とっつきやすくはなったけど、今は秘密主義がすぎるな~って思う。なんでリッ君なの? あっ、そうか。遠見の魔道具で、アッ君と一緒の時のリッ君を見てたんだ~。それなら、ほ~んの少しだけ分かる。ミリ単位でだけど」
「あのっ、ちょっ、ちょっと、ねぇ、わたくしの話を聞いてくれないかしら?」
「そういえば、遠見の魔道具で動く物を捉え続けるのって、どうやるんですか?」
リキへの恋愛感情を暴露され、フローレンスはテンパっていたためか、正直に答えてしまう。
「えーっと、捕捉したい相手を設定する機能があるの。それを使えば、よほど遠くへ行ったり、消えたりしない限り、すぐに捉えられるわ」
「そっか~。それ使って、リッ君をストーキングしてたんだ~」
「「ストーキング?」」
男2人がハモって、ベティに視線で尋ねた。
「だってぇ~、さっきの話でね。フローレンス様がリッ君のことを公爵へ報告したっていう内容にぃ、サバイバル演習の時だけじゃなく、普段から見ていないと知れないような話が出てきてたし~。それに、ウチには分かるの。付き合う前、ウチもアッ君のこと良く見てたもん」
フローレンスの口から『に』濁点のついたような音で『にゃっ』と漏れた。
「いやいや、ボクとフローレンス嬢は、クラスどころか学年も違うけど」
「そ こ でぇ、遠見の魔道具なんだよ~」
「ちょっ、ちょっと待って、わたくしはシェフィールド家の・・・」
ベティは表情をニヤニヤさせ、口をニマニマさせながら指摘する。
「またまた~、毎日お茶に誘ってお喋りしてたのにぃ~?」
「それは・・・まずは交流をもってから、当家との協力関係へと・・・」
「毎日誘わなくても良いのにね~。ウチもアッ君と毎日一緒に居たいから分かるよ。好きな人とは一緒にいるだけで嬉しいから。恋人になるともっとなんだよね~。嬉しさ百倍、楽しさ百倍みたいな感じでぇ・・・」
「だっ、だから。ちょっ・・・」
「ウチには分かるもん。さっきからリッ君を見るフローレンス様の瞳にハートが浮かんでいるから~。恋する乙女の表情だから~」
フローレンスは自覚のない自分の表情について言及され、顔を横を向き小さく拗ねたような声で文句を言う。
「もう、話を聞かない子ね」
「だからリッ君。フローレンス様と恋人になれば良いんだよ。そうすればシェフィールド公爵も矛を収めてくれるだろうし。学院でリッ君を目の敵にする貴族への牽制にもなるし。ウチとアッ君の時間も増えるだろうし。ねっ!」
「おいおい、ベティさんや。理由は最後だけじゃないかな? 本音が隠しきれてなんだけど! それに、たとえ恋人だったとしても、公爵家がこの遺跡を狙わないとは限らないよな?」
「遺跡については、わたくしが黙っていれば良いだけでしょう」
毅然と決意を表したような口調で始まったセリフだったが、続く言葉を噛みながら、下を向いてまま頬を朱に染め、フローレンスがセリフを零していく。
「こ、こぉ、こいぃ・・・う、うぅん・・・恋人の秘密を守るのは彼女として当然ですし、父はわたくしに甘いので、娘のこ、こぉ・・・ん・・・恋人を追い詰めるような真似はしないでしょう」
今回フローレンスは首まで赤くせず、色も朱色で済んでいた。言葉に説得力を持たすために頑張ったらしい・・・。
「話をまとめると、だ。リキとフローレンス様が恋人になれば、この騒動は収まるし、万事解決すると・・・どうする?」
アーサーがリキに訊いてきた。
「まてまて恋人ってさ、政略結婚と別もんだよな? なんか、政略恋人って感じがするんだけど。フローレンス嬢が構うんじゃないかな? 名誉とか評判とかがあるよね?」
「構いません。む・・・」
小声で『むしろ、わたくしにとって最善策です』と続けていて、その言葉は近くにいるベティにしか聞こえなかった。
「ボクはさ・・・」
リキのセリフの出だしに、フローレンスは顔を上げ期待を込めた目を向けた。しかし、この段階になっても踏ん切りがつかないのか、言葉を濁してフローレンスに尋ねる。
「積極的に知り合いを手にかけたい訳じゃない。誰も死なず、傷つかす済む優しいウソは大歓迎なんだが・・・フローレンス嬢はホントに大丈夫かな?」
「ねぇ! ウチの話聞いてたよね、リッ君。だから、これで良いよね、リッ君。というかウチらの為にも、ウソでもいいから恋人になればいいと思うよ、リッ君。ていうか今すぐ恋人になれって、ね!」
「オレも2人のウソに全面協力するぜ! これなら誰も傷つかない」
フローレンスは嬉しそうに小さく頷いている。
「いやいや、フローレンス嬢の評判が傷つくよな? ボクは平民だから良いとしてもさ」
「わたくしは構いません。リキ君の恋人の大役、見事に果たしてみせましょう。それが全員の幸せなら、喜んで果たしてみせます。リキ君、遠慮なくわたくしの彼氏として振る舞ってください。わたくしには、覚悟があります」
勢い良く決意を語るフローレンスに気押されたリキは、妥協点を口にし頭を下げる。
「恋人(仮)でお願いします」
翌日の朝、リキとフローレンスは手を恋人繋ぎし、森から出てくるという演出をした。アーサーから入手した情報をもとに、公爵家の捜索人員と実習中の学院生が多くいる場所と時刻を見計らってだ。
交際に反対している公爵の使者から逃走していたという、表向きの理由をリキは学院に説明した。
リキが一ヶ月以上もの間、毎日フローレンスの部屋に通っていたので、2人が恋人というのを疑うものはいなかった。
リキとフローレンスは学院に来ていた公爵に、その日の内に面会し口裏合わせをした。この時の公爵の端正な顔は無表情で、リキは彼の考えを全く読めなかった。ただ、碧眼の奥が鋭く輝いていて、すべてを見通しているようだった。
公式には、リキが謝罪とフローレンスとの交際の許可を請い、公爵は謝罪を受け入れ、交際の許可をだした、となっている。
この結果に不満を持ったのはリキのみ。残念に思ったのはフローレンスに想いを寄せていた男子生徒。喜んだのは”天岩屋戸の扉”魔術をもらったベティ。満足したのはリキの恋人(仮)になったフローレンスだった。
学院に戻ってから数日、フローレンスとの恋人(仮)の生活に、リキは未だに慣れないようだった。
貴族寮のフローレンスの応接室でリキとフローレンスは肩を並べ、ソファーに座っている。
「2人きりにしてして欲しいんだけどな」
リキはエスターに声をかけた。2人きりならフローレンスを放っておき、研究ができるからだ。
「私はフローレンス様の侍女です。侍女は傍にてお仕えするのが仕事です」
リキが隣に顔を向けると、フローレンスが激しく首を縦に振っていた。ブンブンという、首振り音が聞こえてきそうだった。
「いやいや、最初は2人にしてくれたよね」
「私にも外せない用事というのがあります。今は用事がありませんので、フローレンス様の忠実なる侍女として職務をまっとうさせて頂いています」
侍女のエスターが一緒の部屋にいると、恋人らしい振る舞いをしなければならない。恋人(仮)と覚られてはいけないからだ。
リキは知らない。
侍女が、2人は恋人(仮)だと知っていて、フローレンスのアシストをしているのを。
リキは政略を知らない。
公爵がリキの才能を欲していて、かつフローレンスの幸せを願っている。そのため、クロス家の家業を公爵家で支援し始め、リキとの繋がりを強固にしつつあるのを。
「ふふふ。リキ君、こちらのお菓子美味しいですよ。どうぞ」
フローレンスはクッキーを一つ持ち、リキの口へと運ぶ。
蕩けるような笑顔のフローレンスを見て、長く侍女として仕えているエスターは、まるで自分のことのように嬉しくなっていた。
ただ不満なのは、リキが恋人らしい振る舞いというのを、全く理解していないことだった。
シェフィールド公爵家の中でも天才との呼び声も高く、魔透眼の持ち主。王国内の貴族令嬢の誰にも引けをとらない美貌。そのフローレンス様が恋人で、どこに不服があるというのか? フローレンス様の想い人でなければ『お傍に入れる幸運に感謝し、ひれ伏した上で己の全てをフローレンス様に捧げろ』と罵倒しただろう。
侍女のエスター・オーウェンは取り潰しにあった男爵家の出身であった。元々の身元の確かさと貴族社会の作法に明るいので、フローレンスの侍女となったのだ。
ただ元貴族とはいえ、シェフィールド公爵は雲の上の存在である。その公爵の娘で、才色兼備のフローレンスに仕えているという誇りが、リキの態度に反感を覚えている。
もっと全力で、全身全霊をもってフローレンス様を喜ばせて差し上げろ。
しかし、寄り添いラブラブしたとすれば、エスターはきっと嫉妬するだろう。
フローレンスの恋愛が上手くいってほしい。だけどリキ・クロスは、エスターのお眼鏡にはかなっていない。複雑な感情が渦巻きつつも、今日もエスターは、侍女としての仕事を完璧にこなしている。
「エスター。次は紅茶でなく珈琲をもらえるかしら。良い豆が手に入ったから、焙煎からお願いするわ」
エスターが応接室から部屋付きの簡易キッチンへと向かう。普段はメイドに指示するだけだが、主人であるフローレンスの意図を正確に汲み、少しの間2人きりにするため応接室から退出したのだ。
「こちらバルグリーン遺跡の調査資料で、古代文字の解説と球形魔法陣の解析結果部分を抜きだしたものです。お役に立つでしょうか?」
リキは黙って分厚い封筒を受け取り、中身を取り出した。ざっと見ると、その価値に震えた。
「・・・すごいな、これ。ボクの研究の歩みが半年・・・いや一年ぐらい進む。こんな貴重な資料貰っていいのか? 公爵家の機密文書だよな」
疑問形で答えたのに、絶対に返すまいとリキは資料を掴んでいた。
「リキ君は公開したりしないでしょう。それに恋人のためですから・・・」
「い・・・」
リキは『いやいや、恋人(仮)だよね』との言葉を飲み込み、別のセリフを口にする。
「なにかお礼をしなくいとな。ボクにできる範囲でだけど」
フローレンスは頬を朱に染め、恥ずかしそうに俯きながら要望を言う。
「ハグしてください・・・。ダメかしら?」
「あー、えーと。そんなのでいいのかな?」
「はい、もちろんですわ。エスターが戻ってくるまで」
さりげなく要望が増やされたような気がする。
しかし、それでも全然かまわない。今の恋人の振りにプラスして、1週間ぐらい自由時間を削られてもイイぐらいの資料をもらったからだ。
少しの躊躇のあと、リキは左隣に座っているフローレンスを優しく抱きしめた。女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、柔らかい感触に男の本能と煩悩が刺激される。
エスターの入室のノックがあるまで、リキは約束通りフローレンスを離さなかった。いや離せなかった。
思春期全開のリキがフローレンスの魅力に陥落し、”恋人(仮)”から”恋人”に昇格する未来が待っているようにしかみえなかった。