第2話 人生最悪の日(NTR胸糞回)
次の日の朝、いつもの金曜日。
武士郎は普段と変わらない朝食を摂っていた。
妹の舞亜瑠は、いつもどおり、寝ぐせぼさぼさの髪の毛。
日中はコンタクトなんだが、朝の起き抜けは大きな丸眼鏡だ。
身長は155センチほどで華奢な体型、髪の毛はボリュームのあるふわふわ天然パーマ、大きな瞳で一心にトーストを見つめジャムを塗っている。
美人というより守ってやりたいかわいい系の顔だ。
でも怒ると怖いんだけどな。
舞亜瑠は武士郎のひとつ年下。
武士郎が小学六年生のころから一緒に暮らしているから、武士郎にとってはいつもの見慣れた妹の顔だけど、すごくかわいいと男子の間では噂になっていて、クラスの男子たちとか学校の先輩たちにいろいろ声をかけられているらしい。
「そういうの、めんどくさい。お兄ちゃんと一緒に配信したりゲームしたりしている方が楽しい」
舞亜瑠自身はいつもそう言って、きっぱりと断っているようだった。
武士郎は自分には彼女ができたくせに義妹には彼氏ができてほしくなくて、告白されたという話を聞くたびにいつも冷や冷やしていた。
自分勝手なものである。
妹がトーストにかじりつくのを眺めながら一緒に武士郎もトーストにかじりついたとき、母親が突然言った。
「あのね、お父さんとお母さん、離婚することになったから。すぐに書類を出すわ。その前に私と舞亜瑠はこの家を出ていく」
予想外すぎるいきなりの母親の言葉に、武士郎の背中にゾクゾクゾクっと震えが走った。
「は?」
「は?」
武士郎と舞亜瑠は同時に声を出す。
意味がわからん、そういや最近父母は仕事のすれ違いが多くて、二人で会話しているところをあんまり見ていなかったけど。
「え、冗談だろ、あはは、笑えねー」
そう言う武士郎に対して、母親は真顔で続けて言った。
「あのね、知っているはずだけど、武士郎君はお父さんの連れ子だし、舞亜瑠はお母さんの連れ子で、養子縁組もしていないから、義理の兄妹ってことにはなっているけれど、法律的には他人なのよね。これからは私と舞亜瑠は私の実家がある隣の街に住むから、ほんとの意味での他人になるわ。武士郎君、そうはいっても友達としてこれからは舞亜瑠をよろしくね」
は?
は?
は?
武士郎はなにも考えられなくなった。
舞亜瑠と顔を見合わせる。
いやなにを言ってるんだ?
父母が再婚して武士郎と舞亜瑠が義理の兄妹になったのは、二人が小学六年生だったころ、たった四年ほど前だ。
最初はぎくしゃくしたけど、一緒にVtuberとして配信したりしてどんどん仲良くなってきて、今は最高の妹だと思っていたのに。
これからは?
妹じゃなくて?
友達?
舞亜瑠が、友達?
え、うそ、だって妹じゃん。舞亜瑠は妹じゃん。友達じゃないよ?
いきなりの展開で頭が真っ白になる。
かじりかけのトーストが急に石をかじっているかのように味気なくなった。
★
なにも考えられない、ぼーっとした頭で高校に通学する。
いつもの教室、いつものクラスメートたち。
舞亜瑠とは学年が違うので顔を合わせることはあまりない。
と、そこに派手に髪の毛をピンクにインナーカラーで染めているそこそこかわいい同級生、苅澤里香が声をかけてきた。
同級生というか、武士郎の彼女だ。
といってもつい最近告白してOKもらったばかりで、今度の日曜の水族館が初デートなんだけど……。
「よお」
暗い声で挨拶すると、里香は軽くて明るい声で、
「おはよ、えっとね、話があるんだけど」
ん?
待ってくれ、なにか嫌な予感がする。
里香の表情に、これまで見たことのないものを感じたのだ。
これ以上俺の心をかき乱すことをいってくれるなよ、と思っていると。
そこにサッカー部の志村宗助もいっしょに声をかけてきた。
「よ、武士郎。手短に話すけどさ、俺、昨日里香とヤッちゃったんだよな」
はぁ!?
いきなりの言葉に、さすがに冗談かと思った。
だけど、宗助と里香はにやついた顔で笑みをかわしている。
「ね。帰りにちょっとご飯食べて、宗助んちに遊びに行ったら、なんかそんな感じになっちゃって」
「だからさ、俺たち付き合うことになったから。武士郎、悪いけどお前、こいつと付き合うとかデートするとかそういう話、なしな」
真っ白。
目の前も頭の中も真っ白だ。
なーんも考えられなくなった。
なんだこれなんだこれ?
ぐわんぐわんと頭の中で鐘でも鳴り響いているかのような頭痛がしてきた。
クラスの中に、クスクスと笑う声と、「うわぁ……」と引いてる声が広がっている。
こんな、みんながいる中でわざわざそんな話をすることないじゃないか。
妹が妹じゃなくなった日に、彼女が彼女じゃなくなってしまった。
「だいたいさー、お前レベルの男が里香と付き合えるわけねーじゃん、ゲームオタクがよー」
宗助の言葉に、運動部の連中の嘲笑が響いた。
「私もあんたと一瞬でも付き合うのOKしたん、めっちゃ気持ち悪いわ、今思うと」
やばいやばいやばい、泣いちゃうぞ、泣くな、泣くな、かっこ悪すぎるぞ。
だけど。
あまりの出来事の連続に、鼻の奥がつーんとしてきてしまった。
「あれ? あんた泣いてる? 目、真っ赤だけど。きっしょ。本気で私と付き合えると思ってたん? ぷっ、ぎゃはは」
「やべーなこいつ、まじ泣いてるじゃん。かっこわるー」
宗助にさらに追撃された。
うつむくと、宗助と里香がぎゅっと手を握り合っているのが見えた。
あ、もう駄目だ。
武士郎は黙って立ち上がると、そのまま先生にも何も言わず、学校を飛び出して自宅へとまっすぐ帰る。
帰り道、膝がガクガクしたせいで何度か転び、駅ですれ違ったサラリーマンのおじさんに心配されたりした。
転んだとき手をついてしまって、手の平に血がにじんでいる。
痛みは感じなかった。
家に帰ってベッドに横になったが、脳みその中がグルングルンしていて、眠れもしない上に吐き気がする。
だけど吐くためにトイレにいく元気もなくて、おえっ、おえっっとえづきながら、なんとか吐かないように耐えるのが精いっぱいだった。
そのうちベッドの上にいるのもしんどくなって、部屋のすみでカブトムシの幼虫みたいに身体を丸め、毛布をかぶり、タオルを意味もなく食いしばり、なにも考えないようにして次の朝まで苦痛が襲い掛かる時間をやりすごした。
義妹という家族も、恋人になるはずだった女子もいなくなってしまった。
手に入っていたはずの幸せが、全部逃げていった。
この日が、武士郎にとって人生最悪の日となった。