08 見つかったのは
巨狼がいると推測されている地域を周回しつつ、木々の中を進んで行く。倒れた木も多いため発見を期待したい。魔珠も都度エーデルシュタイン先生が街に送っている。その他の異形には手こずることもなく、旅路は順調とも言える進みを見せた。一方で巨狼は見つかっていないため、滞っているとも言える。
一週間、二週間と過ぎるにつれ、気分が落ちていく。しかしここ数日、急激に異形や動物が減っている。そのせいか妙な空気まで流れているような気までしていた。いよいよ巨狼に近づいているのだ。そう期待が高まり、木々の隙間から覗く影がそれを確かにしてくれた。
「なんだ、あれ。大きすぎるだろ。」
聞いていた話とは一致する。ここまで大きくない異形なら何度も相手にし、恐れることもなかった。しかし大きさはそれだけで脅威を感じさせる。その爪が掠りでもすれば致命傷は免れないだろう。何より針のような毛並みは剣や槍での攻撃を難しくしている。戦うにしても魔術に頼った戦法になるだろう。気付かれる前に魔術で殺せれば簡単だが、今まで討伐隊が殺せなかった理由がそこにあった。
密かに様子を窺う。そのはずだった。しかし巨狼は唐突に方向を変える。こちらを見つける前に急いで私とエーデルシュタイン先生は魔術を放つ。私は氷の弾丸、先生は風の刃だ。一つ一つでも今までの異形なら貫通するだけの威力を持っていた。合わさればそれ以上の貫通力を持つはずだ。しかし針のような毛を折っただけで、血の一滴も流れない。巨狼がこちらを向いた。
「駄目そうだな。俺達が隙を作れば、柔らかそうな所狙えるか?」
「カイは無理しないで。私も行こう。エミール、燐、止めは任せた。」
二人が気を引いてくれている間に私達が打開策を考えよう。毛のある部分は攻撃しても通らない。飛び上がった一瞬に見える足裏を狙うのなら余程上手く連携を取らなければならない。
互いに命を最優先にする約束だ。それなのにカイは無謀にも異形の前に飛び出ている。
「馬鹿!もう、何してるの?」
咄嗟の礫で巨狼はこちらに向き直った。フィヒター先生も魔術で切れ味を良くした剣で爪の動きも制限してくれている。皮膚も爪も上手く斬れないような何かがあるようだ。それでもあちらこちらから攻撃を続けて受け、巨狼の注意を四方に散らせる作戦だ。
狙うなら眼球か口の中か。そこがまだ攻撃が通りそうだ。しかし激しく動く巨狼の一点を狙うには技量が要る。前衛の二人に上手く動きを制限してもらう必要がありそうだ。カイも無謀なことをせずに気を引けるだろうか。
「僕が魔珠を使って動きを鈍らせる。前衛の二人は左右から攻撃して気を逸らしてくれ。燐は正面から狙うように。」
エーデルシュタイン先生の指示に従い、前衛の二人は剣と槍で挟み込み、斬り付けたり刺したりしてくれている。痛みを与えられているようには見えないが、鬱陶しい程度には気を引けている。術式に集中する時間が欲しい。エーデルシュタイン先生の魔術が発動する瞬間を狙って、貫通力の高い一撃を用意しよう。
巨狼は体を震わせ、頭を振り、チクチクと刺す槍やペチペチと叩く剣を払う。そんな攻撃を受けている間も一瞬たりとも動きは止まらず、狙いを定めることも難しい。残念ながら時間は然程稼げなかった。真っ直ぐ私のほうへと向かって来ている。既に用意している術式に詠唱で少し付け足すに留めるしかない。実際にどう付け足すかを考える余裕は襲い来る爪や牙に奪われる。反撃の機会を窺いたいのに、一向に見つからない。エーデルシュタイン先生の魔術言語は聞こえた。しかし巨狼は変わらず動いている。間違えるわけがないため、魔術が効かなかったのだろうか。
「解析する。少し時間を稼いでてくれる?」
前衛の二人だけでは気を引けていない。私も協力しなくては。ここは魔珠に頼ろう。魔珠で魔術の疲労感は無にできても、動いた疲労感は無にできない。躱し続けて時間を稼ぐことは私の使おうとしている魔術にも影響を与えるだろう。それを心配してか、カイは激しい連撃で巨狼の気を引こうと試みてくれている。それが多少の影響は与えているのか、穂先を気持ち避けるような動きを見せている。その巨体に当たっただけでも怪我をしそうで、フィヒター先生はそれを避けるように動いていた。そうしつつもエーデルシュタイン先生に巨狼の意識が向かないようにも調整してくれている。
私も疲れにくい魔術を使って気を引いているが、いつまで時間を稼げるだろうか。魔珠には刻んでいない術式も用いており、肉体への負担も重なる。少しずつ疲労は溜まっていくだろう。無駄撃ちはしないように絞りつつ、前衛の二人の負担を減らす程度には数を撃っていく。
「魔術に対する防御壁のような物が展開されてるね。まずはそれを壊すか、動きを封じるかしないと。」
全く傷付いていない現状をどう打破しようとしうのか。魔術に対する防御壁への攻撃を物理的に行っても、皮膚などに邪魔される。物理的に柔らかな部分に物知的な攻撃を仕掛けてもらうことが必要だ。今度は役目が入れ替わり、気を引く役目が魔術を用いる私たちになる。攻撃的な魔術も効かない、動きを鈍らせる魔術も効かない。足元を凍らせる魔術で少しでも動きを阻害できないだろうか。これは直接敵の体に作用する術ではなく、周囲の環境に影響を及ぼし、結果として敵の動きを封じる形だ。
エーデルシュタイン先生の誘導も受け、攻撃する機会を窺う。一撃でも食らえば動けなくなるという緊張感は変わらない。回避を最優先に術を発動できる機会を狙う。
「《氷の靴》。」
地面には水分が含まれている。空気中にも水分は含まれている。その温度を変えるだけのため、労力少なく発動でき、相手に直接かける術でもないため、防御壁が張られていても効果を発揮できる。その代わり効果時間は短い。この異形は力も強い。足の沈み込み具合から重さもあると分かる。足を地面に張り付ける氷は一秒もかからずに壊されてしまうだろう。それでも十分だ。
「行くぞ、カイ!」
その一瞬を逃さず、フィヒター先生の合図でカイも巨狼に飛び掛かる。二人とも貫通力を高め、斬れ味を良くする魔術は発動済みだ。薄く魔力を纏った穂先と刀身がそれを教えてくれる。頭を激しく動かす巨狼だが、それもエーデルシュタイン先生の魔術で正面に向けられる。瞼は閉じていない。撫でるような攻撃でも意識がそちらに向いてくれるようで、強風を起こしているエーデルシュタイン先生を睨みつけている。その左右の眼球を二人が貫いた。
巨体が倒れる。溶け切っていない薄い氷がパリンと割れ、ぐしゃりと水飛沫が撥ねた。もう動き気配はない。カイは槍を引き抜き、近くの葉で血を拭っている。一方フィヒター先生は確実に殺すためか眼球に刺さった剣を捻り、頭の中を掻き混ぜている。
「フリーダ、その辺で良いよ。魔珠を取ろう。」
目を逸らしていたカイには周囲の警戒を任せると言いつつ、気分が悪そうな彼をエーデルシュタイン先生が介抱している。その間にフィヒター先生と私で魔珠を回収する。心臓の位置を切り裂き、魔珠を取り出す。今までの魔珠よりも遥かに大きい。両手で包み込めないほどだ。今更だがこれほど硬い、動かない物が本当に心臓の代わりを果たせるのか。生きている時は動いていたのだろうか。
今回の目的は果たした。他の異形が巨狼から逃げ出していたのなら北部最終防衛線も少しは安全になったはずだ。防衛線を押し上げ、人間の住む領域を広げられるかもしれない。既に放棄された町を再興することは苦労を伴うだろう。農地なども再び使える状態にするには時間もかかる。それでも少しずつ再生させられれば、食料生産量も増やしていける。
「この近辺最大の脅威は排除した。報告に戻るわよ。」
異論など出るはずもない。交代で休めているとはいえ、野宿続きは疲労が溜まる。久々に柔らかな寝台で眠りたい。食事はエーデルシュタイン先生の美味しい手料理が食べられているため不満はないが、もっと他の食材も食べたいと思う時もある。旅をしていると新鮮な食材は肉しか手に入れられないから。
まずは北部最終防衛線の町へ戻り、事の顛末を教えてあげよう。そう意見が一致したのに、気になる物が見つかってしまった。無視しても良いが、その不自然さが素通りを躊躇させる。地面から覗く金属の取っ手。明らかに人工物だが、周囲に町や集落の痕跡は見当たらない。危うく躓くところだったそれを引っ張ると、上に乗っていた落ち葉や土が流れ落ち、金属の蓋が開いた。下には石段が現れ、地下へと続いている。少なくとも足跡が残るほど最近に人が出入りした様子はない。並んで歩けそうにないほど細い通路だ。ここに異形でも賊でもいれば戦うのは困難だろう。
「行ってみる?」
「何があるか分からない。危ないと思う。やめとこうぜ。」
「調査するのは良いと思うよ。」
私も気になる。カイが消極的だが、エーデルシュタイン先生は積極的だ。フィヒター先生も危険性に言及する。彼女は地形が気になるようだ。巨狼の足元に都合良く存在した隠し階段は人間一人分しか幅のない。誰かが何かを隠してくれたのか、罠なのか。少なくとも自然に形成された物ではなく、異形の作った物とも思えない。知性のある人間による意図を感じる物だ。
巨狼の近くだった理由はない可能性もある。徘徊している巨狼がここで見つかったのは偶然だ。通っている道筋に幾つも同じような隠し階段があるのなら誰かの意図という可能性も高まるが、その調査を行うことはまだ難しいだろう。
「フリーダ、ここを調べられるのは僕達だけだ。そうだろう?」
「そう、ね。他の戦士も魔術士も防衛に手一杯だわ。知識はエミールにある、既存の知識が役に立たない何かでも燐の発想に期待できるわ。」
危険に関しては私達の戦力を信じてもらうしかない。カイだって敵の気を引くことには成功していた。少々無謀な時もあるが、巨狼のような敵を何度も相手にしているうちに自分の限界に気づき、実力を正確に認識できるようになるだろう。私の実力は認めてくれている。先程の戦闘では判断力も示せたはずだ。もう先生達に頼った一行ではない。狭い場所に対応した戦い方も示せる。むしろ強制的に一対一に持ち込めるこの場所ではカイの槍がこちらを有利にしてくれるかもしれない。射線に人が入ってしまうこの状況では魔術の発動が難しくなるが、選べば使える術式もある。狭い階段がこちらを不利にするとは限らないのだ。
説得されたフィヒター先生は自分が殿に就くことを条件に一歩踏み出した。先頭はカイだ。次にエーデルシュタイン先生、私と続く。明かり一つないため、詠唱して淡く光る球を出現させる。こんな所で夜更かし用の術が役に立つなんて思わなかった。旅には必要ないと術式を置いて来てしまったことが悔やまれる。詠唱だけで発動できるほど簡単だったことが幸いだ。
「燐は戦えない。二人ともそのつもりで警戒して。」
明るさを確保するために術を発動し続けている。同時に他の術を発動することはできない。私が攻撃する瞬間、この場は暗闇に包まれる。相手が人間なら五分五分だが、相手が異形ならこちらに不利だろう。他の動物と同じと考えるのなら、人間より嗅覚や聴覚に優れるはずだ。
慎重すぎるほどにゆっくりと階段を降りる。通路の幅は階段と変わらず狭く、天井は背の高い人なら屈まなければならないほど低い。私以外の三人は天井を気にしつつ歩く羽目になっている。術で戦うエーデルシュタイン先生はともかく、他の二人は戦いにくいだろう。
「カイ、もっと慎重に進みなさい。階段を下りた時と同じくらいね。」
今でも慎重さを感じる遅さだった。確かに階段を下りた時よりは速いが、油断していると言うほどではない。それでもフィヒター先生には気になる程だったようだ。カイも素直に指示に従い、さらに歩みを遅くする。
「今日までの戦闘を見てて何か気付かなかったかしら。」
「俺はまだまだだな、って。」
そんなことを言い出せば全員だ。今より強くなろうという意識がなければ実力は落ちていく。先生達も日々鍛えているからどんな状況にも対応できている。怠けても殺されてくれる甘い相手ではないのだ。私もこの世界に来てから戦い方を学んだ。広く状況を確認し、危険を最低限に抑える。必要とあらば一度逃げる。その判断ができなければ殺されるだけ。その意識を持ち続けていることが生き延び、異形と戦うために最も大切なことだ。
私達の答えはフィヒター先生の望むものではなかった。特にカイに聞いてほしいと前置きし、気付いてほしかったことを教えてくれる。
「異形は五体以上いたこともあるわ。それぞれ一体ずつ相手していても自由になってしまう物が現れる。その間、他の異形はどうしていたのかしら。」
「え、と。待っててくれたわけではないから、どう、だろう。俺も二体以上倒してるけど、それまでの間ってことだよな。」
場数を踏んでいればその分余裕が生まれる。異形との戦いに重点を置き、訓練し、経験を積んだのは私だ。カイは狩りという観点で戦闘を行っていた。状況把握に差ができるのは仕方のないことだろう。
「燐が抑えてくれていたわ。敵陣に突っ込んで《氷の靴》で。一歩間違えれば自分が肉片ね。」
エーデルシュタイン先生が他は一網打尽にしてくれる。フィヒター先生もカイも確実に仕留めてくれる。小型の異形なら十秒近く動きを拘束できる。それだけあれば十分だ。大きな危険はなかったと言える。
「ありがとう、燐。俺、自分のことで手一杯だった。」
巨狼の時は連携できるようになっていた。時々無謀をすることもあるが、私達が守れる程度で反省してくれる。危険はさらに減っていくことだろう。私は時間を稼ぐことが一番の役割だ。余裕があるときに殺せれば良かった。
「そういうことじゃなくってね、戦力が一人分減るってことよ。」
今までは私も戦力に数えられた。ここでは照明係に徹することになる。しかし一本道のここで囲まれる心配はなく、味方も密着しているここで、私の《氷の靴》が活躍する場面は来ない。私が照明係になることが最も戦力的な損失は少なく済む。
「俺が魔術を使えれば、燐は戦えるよな。」
「代わりに貴方が戦えなくなるわね。戦力が減ることに変わりはないわ。」
「けど燐のほうが色々できる。剣でも魔術でも戦える。俺は槍だけ。対応できる状況は燐が自由に動けたほうが多いんじゃないか?」
突然自信を無くした理由は何だろう。術式があればこの程度の術、カイでも確かに発動できるだろう。しかし前に出て戦うことを考えれば、私よりもカイが自由に動けたほうが良い。術式もなく魔術を使った私に劣等感でも思い出したのだろうか。
「適材適所だよ。さっきの巨狼は私だけじゃ難しかったんだから。」
一瞬だけ動きを止めることはできた。気を引くこともできた。しかし眼球に間違いなく剣を突き刺し、奥深くまで届かせるのは難しかっただろう。それは私よりも長い剣を用いるフィヒター先生とそれよりもさらに長い槍を用いるカイだからこそできたことだ。
カイのことも慰めつつ、緊張感は忘れずに進む。術で明るさは確保できても天井が低く、道幅の狭いここでは見通しが悪い。曲がりくねっている道が数歩先さえ隠してしまい、先に何が待ち受けているのかという不安を煽ってくる。外は踏み固められた地面だったが柔らかな土になり、数分もすれば石の硬い床となる。壁も地面を掘っただけのような土が剥き出しの物から石が積み上げられたような物に変わった。
「崩れてきたり、異形が降ってきたりしないよな。」
冷たい壁に触れてもぐらつく様子はない。足元も安定している。カイが頭をぶつけても痛いと言っただけで天井が落ちてくることはなかった。空洞があるような音もなかった。槍を振り上げるような高さも振り回せるような広さもないが、突き出すことはできるため、異形が前後から現れても対処できる。
閉鎖空間で募る不安を吐露するカイの背を押しつつ、辿り着いた一つの部屋。中央に十人以上で一緒に食事が取れそうなほど大きな細長い机が一つある以外は本だらけだ。四方の壁の全てが本棚で埋め尽くされている。その上、机の上も開かれたままの本や紙切れが置かれている。
「手分けして調査しよう。燐、全体を照らしてくれるか。」
本の詳細が読みたい時は中央付近に戻ってくる。そのつもりで明るさを調整し、各々本棚を漁り始めた。




