19 魔蛇と魔人
カイと共に恐る恐る覗き込んだ書物に記されていたのは不死への憧れ。幾つもの命を集めれば、その数だけ死んでも生きられるのではないかという期待。
「異形が生まれる前にも人が減った時期があってね。」
ここにある書物の情報と、先生達の記憶。それらを照らし合わせて、深く考えたくない気持ちになる。小さな助ケテ、助ケテ、という声もここで何か異常なことが起こったのだと知らせてくる。
「我等ハ人ニ戻レズ、我等ハ蛇ニ戻レズ。我等ノ命ハ、救イノ主ニ授ケヨウ。」
彼は人か蛇だった。しかしそのどちらにも戻れない。殺してくれたら心臓の魔珠をくれる。魔珠が欲しいわけではないため、交換条件にはならない。
「魔珠ノ命ハ化物。人ノ理性モ、蛇ノ理性モ、失ワセル。我等ガ人ト蛇ノ意識ヲ有スルウチニ。頼、ム。」
ピシャァアアアと苦しげに叫び、反り返る。瞳には先程までの理性がなく、牙を振りかざし、こちらに下ろしてくる。
「燐!」
「《風槍》!」
フィヒター先生が割り込むと同時に、エーデルシュタイン先生が魔術を発動する。間一髪、直撃は二人とも免れるが、魔蛇は迷いなく未だ武器を構えられていない私に狙いを付けてくる。ゆっくり態勢を整えている余裕も与えてくれない。短く発動できる魔術で多少姿勢を崩せても、持ち前のしなやかな動きで強引に距離を詰めてくる。こちらも無理にでも魔術を当てる必要がある。
「《氷の杭》。」
直撃はしない。それでも動きは少し鈍くなった。それでも気持ち程度の差で、この体で衝撃を受け止めることになってしまうことには変わらない。慣性と重力に従う自分の体も感じるが、着地点に向かうカイも認識できた。彼ならきっと受け止めてくれる。そう自分は魔蛇に照準を合わせる。一瞬でも魔蛇に合った時、素早く詠唱する。
「《氷の散弾》!」
気合十分の一声が魔蛇に降り注ぐ。壁にも地面にも打ち付けられる感覚なく、カイに受け止められれば、先生達が動きの鈍くなった魔蛇に向かっていた。
シャーッと威嚇する魔蛇。フィヒター先生が目を狙って突撃する。エーデルシュタイン先生の魔術が逃げようとする魔蛇の体を拘束した。魔蛇の体は床に倒れた。
「感謝スル。我等ノ命ヲ授ケヨウ。」
その首を斬り落とす。これが彼の望んだことだったのだろう。これを見なければ何も気にせず使えただろう魔珠が途端に重く感じられる。私達にはできないと思われたのか、フィヒター先生が心臓を抉る。出てきた魔珠は私の物、らしい。血を拭ってもその色は紅く、粗雑に扱って良い物には思えない。他の魔珠も同じように作られているはずなのに、これだけが特別大切な物に感じられ、恭しく受け取った。
彼がここまで私達を誘導した理由はこの書物の山だろう。これ以上あの書物の続きを読む気にもなれず、先生達に任せて私達は周囲の探索に移った。入り込んだらしい枯れた葉や枝、石の影までも注意深く観察し、隠し部屋か何か見つからないかと期待する。
「あった!」
心安らぐ時間にしようとカイが努力してくれたおかげか、落ち着いて観察ができ、本当に隠し通路は見つかった。掃除でもしたのかと思うような枯れ葉の山の下には天板、それを除ければ階段が現れる。僅かに光も漏れ出ているため、今も誰かがいるのかもしれない。
誰が言い出すでもなく、自然と息を潜めて扉を開く。不測の事態も考えられるため、扉を開くフィヒター先生を除いて、三人ともが魔術の準備を整えていた。
「ようこそ、我が城へ。君が新人類の第二号かな。おや、四人もいるのか。魔蛇に認められたのは誰だろう。」
赤黒いマントを羽織った男性は両手を広げて、にこりと歓迎してくれる。
「魔珠を持っているのは君かな。おいで、手術をしてあげよう。」
「何の手術ですか。」
「怖がらなくて良い。術式を使うから痛みも全くない。ただ君が不老不死になれるだけだ。」
怪しい話だ。私を魔蛇と同じにして、彼に利があるとは思えない。目の前の試験管に入った紅い液体も、何に使うための物なのか。
「安心してもらうためにはまず互いを知ることだね。君はこの世界が今、どうなっているか知っているかな。」
「異形の脅威に晒され、人々はそれに対抗するために協力しています。」
一言で説明するとこうだ。異形のために人々の勢力圏が狭まり、もうその外に生存者がいないようなことは言われた。しかし実際には外にも生存者はおり、その人々は見捨てられたと感じていた。そんな人々同士で協力し、必死に生き延びていた。
「まあ、そうだね。対抗策を探している。私のこれもその一環だよ。魔珠をその身に宿し、人の生命力を高めてしまえば、異形など恐るるに足りん。」
心珠術式を施すということ。しかし、それを施した結果があの苦しみではないのか。
「人を異形にするつもりですか。」
「まさか、あれらは失敗作さ。魔珠が入っていないものはただの餌だ。逃げてしまったがね。魔蛇と私だけが成功例だ。やはり単一の素材から作らなければ、理性は保てない。見給え、この資料を!」
誇らしげに両手を広げ、天を仰いだ。よく見ると入口以外の壁全てが本棚になっており、さらにそこに入り切らなかった本が床に散らばっている。
「魔珠は多くの生命を素材とする。生命は素晴らしい力だ。そして、私と魔蛇の宿す魔珠は、人間のみを素材としている。魔蛇は最初その意識に呑まれたが、しっかりと教育すれば私の言うことを聞くようになってくれてね。私も他の異形とは違うだろう?普通の人間だ。」
「普通、ですか。」
人間を素材と呼べる者をそう称したくはない。
「ああ。魔蛇に認められ、その魔珠を託されたのなら、君はそれに呑まれないだろう。私と同じように、進化した人間になれる。魔珠をその身に宿せし者、魔力を自在に操る者、魔人だ。さあ、共にこの世界を導こうではないか。」
こいつが魔珠を作成し、異形を溢れさせた。そのために苦しむ人々が大勢いることも無視して、傷ついた人々を無視して、自分だけが特別な存在なのだと言わんばかりだ。
「この世界を、人間を次の段階へ引き上げるために。君も愚かしいとは思わないか。いつまで経っても人は争うことをやめられない。些末な欲望や自尊心のために、種全体の利益を考えられない。そんな袋小路から抜け出すために、起爆剤が必要なのだよ。今一度、人間が生まれ変わるために。」
自分が正しいと信じ切っている者の考えを改めさせるのは難しい。異形被害を減らすためには、新たな魔珠や異形を作成させないことが必要だが、彼は種全体の利益のためという言葉で、今の人類が滅びることをも容認しているように聞こえる。何とか話し合いで解決したい。しかしその糸口が見つからない。彼の目的をよく聞いてみる、もっと詳しく話してもらうことで何か掴めるだろうか。
彼は人々が争うことを嘆いて、人類が次の段階へ進めるよう、魔人になれるよう、こんなことをしていると言っていた。そこから突っ込んでみよう。
「一時の感情で争うことは愚かしい。しかし今の人間はそのことに気付いていない。だが、長き生を得ればいずれ気付く。人を傷つけることも、それが死に繋がらないなら無意味となり、いずれなくなるだろう。」
本当にそうだろうか。死ななくとも痛みはあり、苦しみもする。悲しみも怒りもする。感情が消えてなくなるわけではない。長き生を得ても、それを実感できるのは遥か未来だ。
「だから人間は愚かしい。今この瞬間しか認識できない。すぐに実感できる必要がどこにある。生きているうちに理解できれば、次第に争いは減るはずだ。一人一人が蓄積した知識と経験が、何も損なわれることなく、世界に留まる。伝えられないうちにこの世から去ることなく、その人の中に留まり続ける。生きている人間の進歩が、そのまま次の時代に受け継がれる。人から人へ伝える際の喪失が消せる。これは画期的な進化だ。飛躍的に技術や文化は進歩するだろう。」
その代わり誰かが素材となり、犠牲となる。誰が素材となり、誰が魔人となるかは選ばれる。彼の言う進化した人間が、人間からできた魔珠を心臓とする人間なら、人類は今生きている数より大きく減ることになる。数十分の一か、数百分の一か、もっと少ないのか分からないが、幾つもの街があり、地域差があり、という状態ではなくなるだろう。それでも今生きている人を犠牲にするのか。命を使って、魔珠を作って、その魔珠で誰かを人でなくしてしまうのか。
「愚かしい人間を材料に、進化した人間になるのだ。素晴らしいことではないか。」
私達とはやはり相容れない考えを持っている。しかし理性を保っているという言葉は事実のようで、異形達のように襲いかかってくることはない。羊でさえも人の心臓を食らったことを考えると、人間であるから理性を保っているというだけでは説明がつかないのではないかとも思える。魔珠の生成方法の研究に関する話は事実なのだろう。
「君もまだ愚かな人間だ。理解できずとも無理はない。しかし君もいずれ理解できると信じている。魔蛇に認められた君なのだから。」
人間を見下す感情があるのに、その人間からできた魔珠を埋めた魔蛇には絶大な信頼を寄せている。魔蛇は死を願い、ここに案内してくれただけだ。何が彼を惹きつけたのだろう。魔蛇に認められたとはどういうことなのだろう。
「いくら人間製の魔珠を入れても元が蛇では完全に人間のように会話するとはいかなくてね。少々躾け、相応しい相手をここに連れてくるよう指示したのだ。勿論、相応しい相手の詳細も教えた。」
その指示に従った結果が今。私を魔人とするために、我らの命を授ける、のようなことを言ったのか。こんな話を聞いて、魔人になりたいなんて思えない。私はラファエルさんたちと同じ人間でいたい。同じ時間を生きて、同じ時代に死にたい。
「そうか。ゆっくり話をしようではないか。まずは愚かな人間に材料になってもらってな。」
一歩下がり、机の裏に手を伸ばす。すると、足元から現れた石が三人を拘束した。
「今の君は心臓を食らっても気分が悪くなるだけだろう。しかし魔珠を心臓としてからなら、寿命を延ばす行為であることに本能的に気付くはずだ。自身の寿命を延ばし、生きたまま人間を捕獲し、新たな魔珠を作成する。そしてそれを相応しい人間の心臓にする。それが繰り返されれば、永遠を生きるに相応しい人間だけが、この世に残る。無益な争いから開放された、真に平和な世界が訪れるのだ。」
そこに至るまでに残酷なまでの殺し合いが起きるだろう。それも、先に魔人となった人間が圧倒的に優位な争いだ。
「君はじっとしていてくれ。進化する喜びを、この世界を導く使命を、与えよう。」
心珠術式を施す気か。私は先程も拒否したというのに、彼は何も聞いていない。まだ魔人になっていない人間の言葉など聞くに値しないとでも思っているのだろうか。
「世界に平穏を与えようとは思わないのか。ならばもう一つ良いことを教えてあげよう。魔蛇は魔珠に宿った死者の声を聞いていたようだ。私が彼らの心臓を食らえば彼らの声は二度と聞こえないが、君が食らえば君には届くかもしれない。」
半ば脅しだ。心珠術式が既に机の上に置かれている。その材料である魔珠を私が置かなければ発動はしないが、彼がカイたちの心臓を食らってしまう。三人は捕らわれている。行動できるのは私だけだ。
腰の剣に手が伸びる。カイたちが殺されてしまう。私が人間でなくなってしまう。これは異形から身を守ることと同じだ。私達が人間としての命を守るために、必要な行動だ。
「燐、駄目だ!」
心珠術式を発動させれば、助け出すための隙くらい見つかるだろう。私の力も強まるかもしれない。それなら巨狼や魔鷲、魔羊並の、あるいはそれら以上の強さを持っている魔人が相手でも勝算が生まれる。
魔珠を持って彼に近づく。心珠術式の上に魔珠を置きやすいよう、彼は場所を空けてくれる。その視線は魔珠に釘付けだ。誤魔化しは効かない。彼は今か今かと待ちわびている。魔珠が術式に触れた。
「ようこそ、永遠の生へ。」
体が熱く、冷たく、幾重にも怨嗟の声が響く。懇願の声と悲痛な叫びと終わりが訪れた安堵を受け止める。満足そうな笑みは彼も仲間を欲していただけなのだろうか。それでもこれを続けさせるわけにはいかない。ラファエルさんや彼らの守りたいものを犠牲にされる危険性が残ってしまう。
大丈夫、相手は人型、同じ魔人。対等に戦えるはず。異形相手に戦ってきた私だ。同じ魔人程度、負けるはずがない。守るための殺害ならカイも受け入れられる。それは相手が人型でもきっと同じだ。
「あ、」
驚きに声を上げるが、言葉にはなっていない。彼の口から剣を引き抜き、次は喉を、そして心臓を貫く。ガリと音がして、魔珠は零れ落ち、彼の体も崩れていった。
机の上の魔珠はない。心臓の熱さは変わった。私も死んでしまったほうが良いのだろうか。自分で死ぬ勇気もないまま、彼の魔珠を拾い上げる。これも人の命からできた魔珠なのだ。粗末には扱えない。心珠術式も残しておけない。そう傷を付け、魔術も用いて粉々に砕いた。三人を拘束している魔術の術式にも傷を付け、三人を解放する。
「ありがとう、助かったわ。」
「これで終わったね、お疲れ様。」
私は魔人になった。そのことに触れないまま、調査は始められる。これ以上異形が増えることはないだろう。ここで調べることは、どれほど役に立つだろう。こんな体で故郷を見つけても、何もない記憶でも、故郷の人々と話せるだろうか。それよりも分かってくれているラファエルさんたちといたほうが幸せではないだろうか。カイは、この私をどう感じるだろう。
「また、助けられたな。俺は燐に全部やらせて、また、自分は見てるだけだった。」
魔人の殺害は受け入れてもらえた。あの会話が完全に敵とみなすに役立ったのだろう。その魔人と同じ体となったことは、受け入れてもらえるだろうか。そう聞くこともできず、自分も調査に加わった。




