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星合燐の降臨  作者: 現野翔子


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17/20

17 北西の異形

 異形の突撃の跡は数多の肉片。牛の形状も見て取れない。もう氷の網も消えた。カイは一足先に血に濡れた地面へと降り、生暖かい血の海から魔珠を探してくれている。私も早く降りて捜索に加わりたいが、無事に着地できるのかと不安になるほどこの場所は高い。少し心の準備がしたい。

「燐!降りて来ないのか?疲れてるなら上で休んでてもいいって!」

 先生達も下で魔珠を探しているが、見つかった様子はない。その視界の端に移ったのか、遠くにも動いていない異形らしき物がいるとも教えてくれた。近づいてきそうにはないため、ここでの休憩にしようとの提案もしてくれる。ゆっくりと覚悟を決めて、着地する時間も得られそうだ。休憩はもちろん周囲の片付けをした後の話だ。樹上で休む私を気遣ってか、エーデルシュタイン先生が肉片を埋め、血の海も魔術で上手く消してくれる。彼の体にも負担がかかるだろうに、臭いも掻き消してくれた。フィヒター先生が肉体労働をして、残った細かな異形の欠片も始末してくれる。

 一方のカイはすぐ隣に座ってくれる。私の精神面での疲労を察してか、ゆっくりと話してくれた。

「下で休んだほうが楽じゃないか?二人が整えてくれてるから軽く食べて、ゆっくり寝ようぜ。」

「うん。けど、ちょっと降りる勇気ない、かなぁ、って。」

 木登りはできる。周囲を見下ろせるこの場所に登った時にそれは分かった。ただ降りるのは苦手だったようだ。

「俺が連れて降りてやるよ。」

 樹上でも安定して座る方法はある。支えてくれる人がいるならなおさら安定する。それでも地上で横になることと比べると休まらないことも確かだ。そう答えられずにいると抱え上げられ、心の準備をする間だけを置いて着地した。

 異形の肉片から食べられる部分を切り取り、処理を施してくれている。硬い肉が多い中、疲れているだろうと私のために柔らかくなるような加工をしてくれた。魔珠も取り出したが、私が落とした物は見つからなかったそうだ。

「燐、これなら食べられそう?」

「ありがとう。ゆっくり食べさせてもらうね。」

 今日は何もしたくない。私のために特別に加工された肉を食み、気力を戻すよう努める。日持ちはしないが柔らかな歯ごたえにしてくれている。味も濃くしてくれているように感じられた。

 まだ陽は高い。それでもこれ以上の移動は難しい。進んだ先の影に敵意を抱かれてしまっても困る。今は戦える状態にないのだ。こちらに接近する様子がないかだけ、三人が警戒してくれている。私は三人の好意に甘えて休ませてもらおう。そう思っていたのに。

「助けてくれ!」

 男の声は数匹の羊に飲み込まれていった。こんなところにいるなんて生き残りだろうか。一人しかいないが他はどうしたのか。先程の異形大群に轢き殺されなかった幸運だった人だ。しかしその運も尽きてしまったか。急ぎフィヒター先生が駆け寄り、エーデルシュタイン先生も魔術で羊を討伐する。カイは私の傍で身構えてくれている。私も魔術で援護しなくてはと数瞬遅れて術式を構えるが、既に二人の先生によって討伐が終わっていた。

 一見可愛い顔の羊でも凶暴さを見せていた。男の体を食い千切った羊も事切れている。フィヒター先生によって紅い珠が取り出された。血塗れの男も動かない。もう息がないのだ。この短時間で、羊型異形は男の心臓を食らっていた。

「羊って草食だよな。毛もこんな鉄みたいじゃなかった。」

 解体を行うカイを横目に、男の死体を観察する。どんな容姿だったのかという推測もできないほどの損壊具合だ。残った服や残骸から想像すると戦士などではなかったようには思える。しかし今最も気になる部分は心臓を始めとした内蔵の多くがこの体から失われていることだ。

 心臓がない。その事実でやはり思い出されるのは巨狼を討伐した近くで発見した施設の記述だ。心珠術式によって魔珠を心臓とした生物が別の生物の心臓を食らったというものが、今目の前で行われたのか。

「弔おう、せめて。誰か分からないけど、この人にもきっと待ってる人がいるから。」

「これ以上荷物は増やせないわ。遺品を持ち帰ることは不可能よ。」

 待っている人も亡くなっている可能性が高いだろう。冷たいようだが、助けられなかった人を見ている余裕はない。町ごと、村ごと見捨てる時代なのだ。この人だってここに私達がいなければ、助けを求めることも一瞬の希望を見ることもできずに死んでいた。

 魔術を用いずに今度は成人男性一人が埋められるだけの穴を掘る。必要なかったはずの肉体労働だが、そのことに言及する者はいない。

「この人は、助けられた人なのかな。」

 思わず漏れた声は私にも助けたいという気持ちがあったのだと思わせてくれる。もう少し早く気付いていれば、もう少し早く動けていれば、もっと早く倒せていれば。一瞬頭をよぎった考えは仲間の行動や信じてくれた心を否定することにも繋がると自分で掻き消す。私の結界に問題はなかった。信じてくれたカイの判断も悪くなかった。私の行動を指示し、対応できるよう構えてくれていた先生達だって正しかった。そう思わなければ、先程までの惨状など受け入れられそうにない。

「燐は頑張ったよ。魔術で倒してくれたし、魔珠まで使って、疲れ切っちゃったんだよな。」

 自分の最善を尽くした。名前も経歴も知らない彼を救うために、自分の命までは懸けられない。その結果、目の前で死んだからというだけで助けられなかったのか、と思い詰める必要はない。一つの体でできることには限界がある。そのことを忘れないようにしよう。

「優しいわね。助けたいと思ってくれたのよね、この世界の人を。ありがとう。」

 フィヒター先生も慰めてくれる。確かにその感情もあったが、もう言っても遅い。目の前のこの人は死んでしまったのだ。先生達も思うところはあるのだろう。四人で弔い、言葉少なに簡易の墓から離れた。

 夜を過ごす間も警戒は怠れない。どれほど目の前の事件が衝撃的であろうとも、私達は立ち止まれない。ここには守ってくれるものなど何もない。疲弊したのなら戻って休むことも選択肢に入れ、この先へと進んでいこう。

「さあ、今日はあの巨体が相手ね。」

 気を引き締めて、異形と初めて相対した時のような緊張感を持って影へ近づいていく。今までも異形を相手にしてきた。しかし昨日の牛や羊のような異形は初めてだった。あの大きな影の周囲にはここのように木も生えていない。昨日と同じ対処はできないのだ。

 だっだ広い荒れ地に幾つもの倒木。僅かな起伏に流れる雲影。怪しい雲行きに足を速める。それとも予定を明日に引き延ばしたほうが良いだろうか。そんな迷いも異形に苦しめられ、失った人々を思う先生達によって吹き飛ばされる。

「行くわよ。相手が私達を舐めてかかっているのなら、今がチャンスよ。」

 相手をはっきりと視認できる距離になっても、その異形は動かない。人の背丈を優に超える体高の、泥に汚れた羊だ。昨日の小さな羊の何倍あるだろう。可愛らしさの欠片もない点は同じだ。美しい毛並みもない、ただの敵。巨狼と同じような物、話にきいた魔羊と考えて良いだろう。

 フィヒター先生の鼓舞を受けて、私達は順に攻撃していく。最初は私による《氷の杭》。動きにくそうに身動ぎするも、声は上げない。周囲を塞ぐための術のため、直撃はさせない。それでも寒さくらい感じてもおかしくないが、その厚い羊毛がそれも阻んでいるのだろう。次にエーデルシュタイン先生の《風の刃》。こちらも羊毛を刈り取ることには成功したものの、やはり血は流れない。あの厚い羊毛が阻んでいるのだろう。その反省を活かすように、カイが《炎の槍》を繰り出す。改良を重ねた逸品だ。槍の先端に圧力が加わったことを鍵とし、槍から炎が吹き上がる。羊毛が一部焦げ、ようやく異形を慌てさせられた。

「活かすわ!」

 最後にフィヒター先生が飛び込み、その優れた剣術で異形の目を間違いなく狙う。しかし、片目が潰れたまま暴れ回る異形はむしろ危険さが増したようにも感じられる。あの牛型異形の大群のような圧がたった一匹の羊型異形から発せされていた。

 巨体を支える足は存外細く、《氷の杭》で狙いを付けて追撃すれば簡単に崩れ落ちる。体勢を整え直そうにもフィヒター先生による攻撃でそれも叶わない。反対の目も貫かれ、痛みに悶えている。さらにその体に突き刺さる《炎の槍》も為す術なくその身に受け入れた。

「美味しそうな匂いになってきたね。」

 焦げてチリチリになる羊毛と火の通った異形肉。まだ疲れが完全に取れたわけではないが、たくさん食べて元気になろうと思えるくらいにはなっている。早く解体して宴と行こう。魔珠も回収しよう。そうしているうちに、雨が降り出した。

「美味しいのは昨日回収してるからね。これは諦めようか。」

 エーデルシュタイン先生の言葉で魔珠の回収だけが進められる。この巨体に見合った大きな魔珠だ。

「今日はジンギスカン・パーティかな。」

「あるのは牛肉だね。泉の傍で、にしようか。ここじゃ雨も凌げない。」

 穴を空けられそうな山も丘も崖もない。以前はあったのだろう木々ももう倒されてしまっており、雨を凌げそうな場所もない。エーデルシュタイン先生の提案で、一夜を過ごした泉に戻る。あの場所でも徐々に強まる雨は凌げないだろう。土のかまくらでも作る術式が必要か。土を変形し、耐水性を持たせて、強度は一日保てば十分だ。今回は時間にも余裕があるため、無駄をなるべく減らしたい。

 歩きながら術式を思考していく。この雨では術式も洗い流されてしまうかもしれない。地面を深く削って描こう。線を刻むだけならカイに頼んでも良い。円や星、三角形なら魔術に詳しくないカイでも描けるだろう。

「了解。どう描けばいいんだ?」

 二重の円、その間に私が文字を書く。二つの円に二つの三角形を描き、土台は完成だ。内側の円のさらに内側、一方に偏らせて小さな円を一つ。この部分に入口を作ると魔術言語で記述する。この術式は一度発動すれば良い。繰り返し使うことは考えなくて良いのだ。

 カイの手も借りて描いた術式を一度しっかりと確認し、問題ないことを確かめてから発動させる。かまくらを作りたい、地面にある土や砂を材料に半球状にしたい。魔力を術式に込め、そこから地面に魔力が流れ込み、土が術式に記載した形状に変わる。この理解が魔術を為すのだ。

「これで安心だな。」

「濡れて冷えると風邪を引いてしまうものね。疲れているならなおさら。ゆっくり休んで。」

「僕がやってあげようかとも思ったんだけど、楽しそうに術式を作っていたから止められなくて。その分、精の付く食事を用意するからさ。」

 明日には晴れていると良いのだが、ひとまずは昼食だ。魔羊を倒した報告のため、一度北西部最終防衛線まで戻りたい。また別の異形討伐に出ることになるだろうが、このまま行っても無駄に危険になるだけだ。

 体を温めるためにエーデルシュタイン先生はスープを用意してくれる。牛型異形の肉が沢山入った、食べ応えのあるスープだ。ここには食べられる野草も少し生えていたようで、先生達が一部採集してくれていた。戻るまでの間も異形に襲われる危険はある。そのための気力は養えそうだ。そう鍋を囲む団欒の最中、見知らぬ人間が入口から顔を覗かせた。

「すみません、人を、見かけませんでしたか。男性で、異形を引き連れた、」

 走って異形から逃げていった男性。容姿、年齢、性格なども教えてくれるが、私達に助けを求めた男性と同一人物か分からない。体格などは分からないのだ。食われる前、話している時には見たはずなのだが、もう忘れてしまった。食われて死んだなどと聞きたいわけはない。一方で本当のことを知りたいだろうとも思う。自分達でも彼女の求める人物とあの男性が同じか分からないまま、知っていることだけを教えていく。それでも彼女は同一人物だと信じ切っているようだ。

「連れて行ってください、お願いします。」

「既に埋めています。遺体も悲惨なものでした。」

「それでも、お願いします。」

 引く様子はない。雨も降っているというのに彼女は気にした様子もない。せめて止んでからにしてほしい。今向かっても私たちが得られるものは体調を崩す危険だけだ。

「天候のことでしたらご心配なく。長くは続きません。ほら、もう止んできています。」

 女性の言葉通り、激しい滝のようになっていた雨は葉から垂れる朝露程度になっている。地面はぬかるんでいるが、歩けないことはない。あの男性を埋めた場所まで行くだけなら問題ないだろう。

 目印に立てられた小さな木の枝も倒れ、流されてしまっている。きっとこのあたりだったというフィヒター先生の記憶を頼りに案内することはなってしまった。そこで女性は地面が濡れていることも気にせず、座り込んだ。

「どんな、最後でしたか。何を、言い遺しましたか。」

 もう一度聞きたいのだろう。何かを言い遺せるような状況ではなかった。決して楽しい話ではない。それでも聞きたいという彼女の願いを叶え、フィヒター先生はもう一度語って聞かせた。異形に食われ、心臓を食われた、と。その異形を倒したことは彼女にとっての慰めとなるだろうか。肉を食らうことを、命を食らうとも言う。その異形の心臓に埋まっていた魔珠に彼の命も宿っているかもしれない。その言葉は慰めとして機能するのだろうか。

「そう、ですね。では、その魔珠という物を、頂けますか。」

 私の手のひらに収まるような小さな魔珠も有用ではある。彼女が魔術を使えるのなら自分を守るためにも役立つだろう。ただ彼女の欲する理由はそれではなさそうだ。大切そうに魔珠を両手で包みこんでいた。

 渡すことは先生達にも止められなかった。彼女の顔を見れば、止めることができなかったのかもしれない。愛おしそうに魔珠を見つめている。もう返してなんて言えないだろう。

「私には集落を守る希望に見えるのです。貴女の言葉で、不気味な物が彼の命の宿った美しい宝石に見えるようになりました。」

 魔術を扱うための燃料のような物でもある。道具という意味合いも私は感じている。集落を守りたいのなら実用性も重要だ。

「あの大きな異形も倒してくださいましたね。あれも多くの人を食らいました。この宝石が彼の命を宿しているのなら、あの異形の宝石は何人の命を宿しているのでしょう。」

 思いを馳せるのは守り切ってからで十分だ。北西部にも取り残された集落が存在するのなら、一早く向かってあげたい。しかしフィヒター先生が北西部最終防衛線まで戻ることを提案すると、彼女の態度は一変した。

「あなた方はそちら側の人間ですか。多くを見殺しにした人々に頼ることは二度とありません。仇を討ってくださったことには感謝します。」

 集落はもう壊滅しているだろう。そう予測する先生達と、それを信じたくない彼女。私もカイも行ってみて確かめれば良いという意見で、先生達とも一致していない。集落がまだ生きているのなら、ここで手に入れた魔珠を活用して助けられるかもしれない。先生達だって人々を助けたいという気持ちを持っていたはずだ。それでも先生達は説得を試みている。

「いいえ、私はここで死にます。どうせもう集落も長くないんですから。」

 彼女の心は変わらない。集落に戻る気力すら失ってしまったのだろうか。気分も変わったのかもしれない。彼女は集落の惨状を語り始めた。

 最初に病気になった者から薬を調達できなくなって死に、次に勇敢な者が異形と相対して殺され、好奇心旺盛な子どもが遊びに出かけて帰って来なくなり。集落に向かって来る異形を討伐する戦力もなくなり、せめてと他の場所に引き付けるため、老若男女問わず一人また一人と姿を消した。

「先のない集落で絶望に包まれて生きるのなら、私はあの人と同じ場所で死にたい。」

 集落は助からないものとして彼女を連れ帰ろうとした先生達だが、この世界の人々を助けようとしている人達でもある。死にたいと自ら言う彼女にみんな救うからと説得を始めた。どうにかして連れ帰りたいのだ。死ぬと分かっている人を置き去りにはできない。その両手を包み込み、目を合わせて訴えかけている。しかし彼女は戻ることに同意しない。

「あなた方はまだ若い。命を懸けて、人生を懸けて、誰かを愛したことなどないのでしょう。」

 懐から一枚の紙を取り出した彼女は何かを呟く。するとその紙は鋭いナイフに形状を変え、材質も途中まで変わった。よく考えたものだ。魔力が足りず、完全に硬いナイフにできなくとも、命を使って発動することで彼女は死に至る。発動すればそのナイフで自分を殺せる。

 ゆっくりと傾ぐ女性の体。ぐしゃりと地面に倒れ伏し、紅い液体が土の色を変える。

「埋めてあげようか。」

 簡素な墓標をもう一つ。刻む名も知らないそれの向こうに、二重の虹が架かっていた。

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