『世間知らずの都会のお嬢様で悪かったな』
私の方が辛いなどの意見は重々承知です。ですがそれは主観であって、この作品も主観の塊ですのでご理解いただけると幸いです。
廃ビルの階段を上る。すべての間違いを正すために。屋上に着くと靴を脱いで、今までの人生を振り返った。
始まりは小学校の2年生頃だったと思う。一部の男子で流行っていた「菌移し」。ある子に触れ、その部分を「菌」として他の人になすりつけていく遊び。なすりつけ合い自体は仲良い子の間で行われていたが、最初の「菌」はたいてい私だった。無邪気な男の子たちは私が菌扱いされていることの苦しみに気づいていなかった。小学校高学年になっても中学生になっても何度も菌移しの菌にされていたが、私は親にも担任にも言わなかった。
4年生の頃には、下駄箱に入れていた靴が無くなった。その多くは別の下駄箱から出てきたため、私は気にも留めず、親や担任に言うこともなかった。そうこうしていると、靴が無くなる頻度が増えた。私の靴は何度も隠され、何度も探さなければならないことに困っていた。最初は上履きだったのに、最終的には運動靴が隠され見つからず、家に帰ることができなくなった。私はようやく担任に靴が隠されている事実を伝え、親が知ることになった。私が靴を教室まで持っていくようになったことで、靴隠しはなくなった。
中学生になるとマシになると思っていた。しかし、人はそんな簡単に変わらなかった。同じ小学校から上がった子の真似を他の小学校から来た子もするようになり、小学校の頃と同じようにからかってきた。気にしていた体型の事、好きだった人の事、全てがからかい、いじりの対象となった。いじりの域を超えていじめだとも思ってしまい、クラスメイトの優しさも素直に受け取ることができなかった。
高校ではいじめられることは無かったが、他人と会話することもまた無くなった。流行り病の休校期間などもあり、自分から話しかけることができず、友達らしい友達はできなかった。私はひとりでいることが多かった。
小学校、中学校とからかいといじめ、高校での孤独、そして親からの無関心と「人並みにできて当たり前」というプレッシャーに応えようともがいているうちに私は‶強い"人間となった。
大学に入ると、私は両親に言われるままに部活に入った。しばらくしてあるレッテルをはられるようになった。私は周りにどう思われているか理解していたつもりだった。だからそんな風に見られたくなくて、はられたレッテルを覆すように行動した。そうすれば他の人に好いてもらえると勘違いしていたのだ。
私は本当に世間知らずだった。どうすれば相手に好かれるのか分からなかったのだから。好かれると思っていた行動はすべて裏目に出てしまった。
今まで投げられた言葉が、怒りと涙を連れてくる。一度でも「いやだ」「たすけてほしい」と言えば変わっていたのだろうか。私が世間知らずのお嬢様で無ければ?周りのことに敏感だったら?他の人の様にもっと人に愛される力をもっていれば?
私は生まれなければよかったのだろうか。そうすれば嫌われることも、一人になることも、家族に理不尽に怒鳴られることも無かった?
楽しかった思い出もたくさんあるのに嫌だったことしか思い浮かばないのはきっと、私の性格が悪いせいだ。
ポケットの中から半分に折った紙を出し、強かった私が書いた言葉を睨みつける。どうせ言われるんだろう。「自分を悲劇のヒロインと勘違いしている。十分幸せじゃないか、これ以上何を望むのか」。
もうどうでもいい。きっと誰にも分らないだろう、「話を聞いて」と言える人には。私よりも辛い中、生きている人はいる。それは分かっている。他の人から見れば、良い暮らしをしていることも。でもそうじゃない。メンタルを強く育ててくれた母に申し訳ないが、私はあなたが思っているほど強くないし、器が大きいわけでもない。あなたが望むように人並みに生きることはもうできないし、したくない。
紙が飛ばないように靴を置き、フェンスを跨ぐ。下を見るとたくさんの人と車。誰も私には気づかない。
「大丈夫…全然、平気だよ…」
最後につぶやいたおまじないは風と共に流れていき、私は憎らしい程の青空に身を預けた。