第3話 ダンジョン創造予定地
志乃の姿が揺らいだと思った次の瞬間、伊織の眼前には草原が広がっていた。
夏草の匂いが伊織の鼻腔を刺激する。
柔らかな陽射しを受ける草原を穏やかな風が吹き抜けた。
波のようにうねる草原を呆然と見詰めていた伊織が突然叫ぶ。
「おーい! 志乃さーん!」
伊織の声が風に流れた。
再び虚空に向かって叫ぶ。
「祖母ちゃん、返事してくれー!」
虚空に自分の声が消えると、伊織は力尽きたようにその場にしゃがみ込んだ。
自分のことを無言で見詰めるアルマに問いかける。
「何ですか?」
醜態を晒したこと気付いた伊織が不機嫌な視線を向けた。
「本当に魔王様のお孫さんなのだなあ、と思っていただけです」
「ところで、どうして祖母ちゃんのことを魔王様って呼ぶんですか?」
アルマが志乃のことを「魔王様」と呼ぶのを耳にしてから気になっていたのだが、ここまで聞くタイミングを逃していた。
「魔力を初めて輸出品目とし、ターミナルでも最大規模の貿易商社を一代で築き上げた御方だからです」
「意外としょうもない理由ですね」
魔王と呼ばれていたのでもっと禍々しいことを想像していただけに拍子に抜けしたように言った。
「しょうもないだなんて、とんでもない。魔力が他の世界に広がることであらゆる方面で魔力が利用され、科学と魔力の融合が成されたのです」
堰を切ったように志乃の功績を喋り続けるアルマを伊織が止める。
「分かりました。俺が間違っていました。祖母ちゃんの偉大さがよく分かりました」
「まだまだ、こんなものじゃありません」
話足りない、続きを語らせろと目を輝かせるアルマに向けて伊織が唐突に話を変える。
「続きは後ほど伺います。それよりも、ここがどこだか分かりますか?」
「ここは〝ジュノー〟と呼ばれる異世界で、あたしたちの赴任地です」
多機能ブレスレットの操作パネルを確認しながらアルマが言った。
「ここが魔法が存在する異世界という認識で間違いありませんか?」
「概ねその認識であっています」
ジュノーと呼ばれる異世界。
文明レベルは地球の中世ヨーロッパほどで、文化も中世ヨーロッパに酷似している地域が大部分を占める。
大きく違うことは魔法と魔物が存在する世界であること。
転送された地域が四つの国の国境が入り組む緩衝地帯に近いことをアルマが説明した。
「アルマさんがこの異世界に詳しいようで安心しました」
「詳しくありませんよー」
首を横に振り、多機能ブレスレットに届いていた指示書に記載されていたことを改めて説明しただけだと告げる。
「ここに来るのは……?」
「初めてです」
(『初めてです』頬を染めた美少女のそうささやかれるのってドキドキするなあ。こんな状況じゃなきゃな!)
伊織の心拍数が上がる。
(違う意味でドキドキしてきた……)
「指示書に書かれている以外の知識は?」
「その、少しだけなら。本で読んだ知識くらいです」
情けなさそうに意気消沈するアルマ。
その困っている姿に、彼女自身も素人のダンジョンマスターの秘書にされ不安で一杯なのだと分かる。
「改めてよろしく。俺は最上伊織。アルマさんの習慣だと、イオリ・モガミになるのかな?」
自身が日本の高校生であること、最上志乃の孫であること。
突然、後継者として呼ばれたことを説明した。
「十八歳になったばかりの、何も分からないド素人のダンジョンマスターだけどよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
深々とお辞儀をしたアルマが改めて自己紹介を始める。
「アルマ・ファティと申します。今年、大学を卒業したばかりの十六歳です。私もド素人の新人秘書です。ご迷惑をお掛けすることと思いますがよろしくお願いいたします」
「十六歳?」
「はい、十六歳です。一年間の時間の長さは地球と同じなので二つ年下ということになります」
多機能ブレストで呼び出した情報で確認したので間違いないとアルマが言う。
(子どもっぽい外見だとは思っていたが年下だったのか……)
「お互いに敬語はなしでいいかな?」
(俺の方が年上で上司なんだからいいよな)
「あたしに敬語は不要です」
「アルマも敬語を使わないで構わないぞ」
「滅相もありません。後継者様に対して敬語を使わないなんてありえません!」
「そう? まあ、それじゃ話しやすいように話して」
「わっかりましたー」
お互いに年齢も近いので慣れてくれば妙な呼称や敬語もなくなるだろう、と伊織はその話を打ち切った。
「それでこれからどうする?」
「お待ちください、何かが転送されてくるようです」
「魔王様からのメッセージです」
アルマがパネルを操作して現地の地図を呼び出した。
二人の眼前に地図が浮かび上がる。
「青く点滅しているのが俺たちかな?」
「はい、点灯しているのがあたしで点滅しているのが後継者様です」
アルマの操作パネルを見ながら伊織が言う。
「多機能ブレスレットの使い方を教えて欲しいんだけど」
「え?」
「祖母ちゃんに貰ったんだけど、操作説明を聞いてないんだ」
「そこからですか!」
驚きの声をあげるアルマの脳裏に「前途多難」という単語が浮かぶ。
「すまない、本当に何も知らないんだ。ド素人だと思って接してくれ」
(自分で言っておいてなんだが、落ち込むなあ……)
「大丈夫です! 後継者様は大船に乗ったつもりで、全てこのあたしにお任せ下さい」
胸を張るアルマに頼もしさを憶えたのは一瞬のこと。
伊織の脳裏に彼女のポンコツ振りが蘇る。
「頼りにしているというか、一緒に頑張ろう」
「それじゃあ、説明を始めますね」
アルマは「フンスッ」と鼻息も荒く、得意げに多機能ブレスレットの説明を始めた。
◇
「大まかな機能説明はこんなところです」
「ありがとう」
「後継者様から感謝のお言葉を頂けるなんて、アルマは果報者です」
祈るように胸元で手を組んだアルマが瞳を輝かせて伊織を見詰めた。
「そう、それは良かった……」
(可愛い子に見詰められるのは悪い気はしないが、もう少し何とかならないものかな)
多機能ブレスレットの機能説明を受けた伊織だったが、正直なところ使いこなせるとは思えなかった。
追い追い憶えればいいか、と最低限の機能だけ頭に叩き込む。
「次は魔王様から後継者様へ向けられたメッセージの確認と後継者様の異空間収納にあるアイテムの確認をしましょう」
多機能ブレスレットの説明を終えたアルマが言った。
(やることが多すぎる……)
「メッセージが三通あった」
一通目のメッセージを開く。
書かれていたのは『ダンジョン創造に必要な手引書を作成しておきました』だった。
「これだな」
伊織が添付されているファイルを開いてコントロールパネルに表示した。
『優しいダンジョン創造 ~初心者でもできる手引書~』 文責:最上志乃、とあった。
「魔王様手ずからの手引書おおおー!」
アルマが伊織のコントロールパネルを信じられないものを見るような目で凝視する。
「近い、近い」
「メチャクチャ、魔王様に愛されてますよ! これ!」
アルマの反応に、そうなのかもしれない、と思いながら二通目のメッセージを開く。
二通目に書かれていたのは『贅沢は敵だ! 異空間収納には最低限のものだけを入れておきました。これを使って成果を出しなさい』である。
「厳しいことが書いてあるぞ」
「そうですねー。ちょっと予想外です」
不安に駆られながら三通目を開くと、『ダンジョン創造に適したおすすめポイントです』とあり、そこには一つの座標が示されていた。
その座標を見たアルマが自身のコントロールパネルに地図を表示させる。
そこは四カ国の国境が複雑に入り交じった地域だった。
小競り合い、紛争、そんな単語が伊織の脳裏に浮かぶ。
「トラブルの香りしかしないんだが……」
「ちょっと待ってください。座標を中心に広範囲の地域が緩衝地帯となっているようです」
地図上では複雑に国境が入り交じっているが、実際は互いに牽制し合って緩衝地帯になっている、と補足の説明文をアルマが読み上げた。
「好条件に聞こえるな」
「無茶苦茶好条件ですよ。なんでこんな場所がいままで放置されていたのは分かりません」
アルマがさらにさらに調べるが、マイナス要素は出てこない。
コントロールパネルを食い入るように見る。
「未開発ですが、ここ温泉が出ます! ダンジョンに温泉を引きましょう! あ、水も上質な湧き水がありますよ。軟水ですよ、軟水! それに、近くに美味でしられる野鳥のコロニーまであります!」
次々とでてくるプラス要素にアルマがはしゃぎだした。
伊織は不意に地形に見覚えがあることを思いだす。
「この好条件の候補地ってここじゃない?」
「ちょっと待ってください」
アルマが急いでコントールパネルを操作して、自分たちの現在位置を表示した。
見覚えのある地図が表示される。
「ここですね……」
ダンジョン創造の候補地に転送してくれたことが判明した。
至れり尽くせりである。
「じゃあ、ここにダンジョンを創造しよう」
「賛成です!」
伊織は次に異空間収納にあるアイテムのリストを表示した。
すると、期待に目を輝かせたアルマが覗き込む。
「どんなアイテムを頂いたんですか?」
興味津々と言った様子で覗き込む。
甘やかすようなアイテムを持たせていると信じて疑っていないようである。
「二通目のメッセージを見ただろ? 最低限のアイテムだと思うぞ」
厳しい言葉が書かれていた二通目のメッセージを思い出しながらリストを開く。
伊織の知らないアイテムがずらりと並んでいた。
(そりゃそうだよな。日本の製品があるわけないよな……)
落胆しながらリストに視線を落とすと、隣からリストを覗き込んでいたアルマが素っ頓狂な声を上げる。
「な、なんですか、これはー!」
「どうした?」
「な、ななな、なんで人工衛星が二十機もあるんですかー!」
「人工衛星?」
「これです、これ! 攻撃衛星が五機、監視衛星が十二機、探査衛星が三機もあるー!」
「地球で言うところの中世ヨーロッパ世界に赴任するのに人工衛星を二十機か……。もしかして、俺って甘やかされてる?」
「魔王様は後継者様のことをとても大切に思っているのは間違いありません」
衛星軌道上からの攻撃が可能な攻撃衛星、十二機の監視衛星によりこの惑星の全面が監視範囲となり、さらにマーキングした監視対象の位置を常に把握できる。
探査衛星は文字通り、惑星外の探査が可能だ。
「惑星外の探査なんてする必要あるのか?」
「分かりません、分かりませんが魔王様のなさることなのできっと意味があるはずです」
「魔剣の一本でも間違って入っていればと期待したが……、期待の遙か上だな」
「ちょっと怖いですけど、他のアイテムも確認しましょう」
全部のアイテムを確認した方が良さそうだと考えた伊織はアルマの助言に素直にうなずいた。
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