王太子さまは親友をねぎらいます。
「ヨーキー」
誰もいない夜の食堂でランタンの灯りを頼りにパンとチーズ、ハムの簡素な夕食を摂っていたヨアヒム・カルパーティは己を呼ぶ声に顔をあげた。
「ヘイリー!…じゃなかった、ヘリオス王太子殿下」
立ち上がって胸に手を当てる素振りを見せるヨアヒムを手で制したのは、この国の王太子ヘリオス・ヴァレンティーノ。輝かしい金色の髪と澄んだ空色の瞳をもつ美丈夫だ。
「こんな時間じゃあ誰もいやしないよ、ヘイリーでいい」
国王譲りの鋭い眼光と変化に乏しい表情のせいで冷酷だのと噂されているが、存外気さくで感情豊かなことは、幼なじみであり王立学院時代から互いを唯一の親友と認めあったヨアヒムは知っている。
ヘリオスはヨアヒムの隣の椅子に腰掛けると、カンテラとともに光沢のある上等な布で包まれた酒瓶を長テーブルにトンと置いた。
「それ、夕食?夜食?」
「夕食。定刻に間に合わなかったのを料理長殿が哀れんで、簡単なものでいいならって取り置いてくれたんだ」
「…うちの親がすまないな、いつも」
人目がないとはいえ使用人や文官が利用する王城内の食堂ではさすがに頭を下げることまではしないが、王太子としてではなく、部下に無茶ぶりをかました親の子として謝罪するヘリオスの姿は、権威主義者が見れば眉を顰めてお国のため、殿下のためと苦言を呈すのだろうが、ヨアヒム個人はとても好ましく思う。
黒髪に深い青紫色の暗い瞳。背ばかり高くて、父や兄のように骨太で男らしい体つきには終ぞなれなかった。そして、貴族中の嫌われ者・カルパーティ公爵家に生まれたという事実。どれもこれもがヨアヒムに劣等感を抱かせた。
神を第一として王族にも頭を垂れず、胸に手を当てるだけの略礼を執るカルパーティ公爵家は中央の、特に大貴族と呼ばれる残り2家の公爵家とその傘下の貴族家にめっぽう嫌われているし、権力争いとは無縁を貫いているせいで親しく付き合う家もなく、15歳で入学した王立学院では腫れ物扱い。1人だけ周囲からはっきり浮いていた。
そんなヨアヒムに声をかけたのが同じ学院に通っていた、2歳年上のヘリオスだった。
兄が同い歳の関係で幼い頃はよく遊んだけれど長じてからの交流はない。それなのに子供時代の愛称で親しげに呼ぶものだから、周囲よりもヨアヒム自身が驚いたものだ。
「ヘイリーが謝ることじゃないさ。それに、シャルドン商会が全面協力してくれるみたいで、だいぶ楽になったよ。各地の支部で物資や馬、人員だって必要なら全部持ってけなんて大盤振る舞いでさ!」
一昨年に彗星の如く登場すると、古参連中からの手を替え品を替えの洗礼も意に介さず、才腕を振るってめきめきと頭角を現した新進気鋭の商会。どこから情報を得たものか、会頭から宰相宛に面会の要望が届いたのは3日前。スケジュールの都合で面会が叶ったのが今日の夕刻。呼びつけるには非常識な時間だったが、先方の「ご迷惑でなければ一刻でも早く」という言葉に甘えた。
そうして会頭の代理という身なりの良い紳士と宰相の会談で商会の全面協力が取り付けられ、協力内容を確認する書類と後日交わされる正式な契約書の作成をしていたら夕食を食べ損ねて今に至るという訳だ。
「薊か。まぁ、うん、なるほどそこか」
ぼそり呟くヘリオスの顔が、珍しいことに僅かにヒクついた、ように思えた。
「とにかく友よ、大仕事が終わる前祝いといこうじゃないか!」
するすると布を外すと、そこには故郷で見慣れたブランデーの、見慣れたものとは少しだけ異なるラベル。
「カルパートのアップル・ブランデー!しかも神龍ラベル!」
「もしかして高価いの、これ?」
「高価だし貴重。王都にあるのが奇跡なレベル。公爵家でも特別な日しか飲めないシロモノ」
ラベルに神龍と教会紋の入ったアップル・ブランデーは神への捧げ物であることから、原料から製法まで事細かな規定が存在する。
その年に最も良い園地で採れた質の高いりんごを原料に醸造した原酒を蒸留。幾つもの樽をカルパート山脈内の洞窟の奥深くに運んで10年寝かせた上で、最も出来の良い一樽を選別。カルパーティ公爵領都の教会の司祭長が紋入りの油紙で樽の上部に封をして、冬至祭の日から1年間、神龍の祠に捧げる。その一樽からボトリングしたものだけが、この特別なラベルを用いることが許されるのだ。
一樽しかないうえ10年の間に1/4も蒸発してしまう。おのずと出回る本数も限られるので、よほど特別な相手としか取引をしていない。もちろんその中にヴァレンティーノ王家の名はない。
そう説明すれば、今度は間違いなくヘリオスの頬が引き攣った。
「…ちなみに入手先は?」
「継母上からの差し入れ。がんばってるご褒美よって」
飴玉みたいな気軽さで渡せるものではなく、貰って良いものでもなかった。けれども現実にそれはここにあるし、何より二人とも連日の残業で疲れていた。
「飲むか」
「飲もう」
極めてレアな名酒の誘惑にあっさり陥落した二人は思考を放棄した。
「あいにく夜だから湯の用意がないんだ、ヘイリー。水割りでもいいかい?」
「そんなに良い酒なら私だってストレートでいけるさ」
「それは…次の休みの前日にね」
この国の男なら誰もが憧れ、女なら心奪われる強靭な肉体を持つヘリオスだが、酒の神には愛されなかったようだ。対してヨアヒムは自他ともに認める優男ながら酒にはすこぶる強いようで、幾ら飲んでも酔わない。ここもまた正反対だ。
「じゃあ、何に乾杯しようか。この長い夜の終わりに?」
厨房から拝借したグラスにアップル・ブランデーを注ぎ、一方にはなみなみと水を加える。いささか不満げなヘリオスに水割りを渡しながらヨアヒムが問うと、彼は少しだけ口元を緩めてグラスを持ち上げた。
「我々の変わらぬ友情に、乾杯」