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王妃さまは暗躍します。

「カルパーティ公爵領にわたくしの名代を遣わせていただきたいのです」


 白を基調に、淡いピンクとフリルを多用した夫婦の寝室。ブランデーの湯割りにほんの少しだけ蜂蜜を溶かしながら、メティスは国王ヒュペリにそう切り出した。

 甘く温かな寝酒はヒュペリの好物のひとつで、いくぶん肌寒く感じはじめた季節から初夏まで愛飲するのが常だ。普段は王家御用達の栄誉を得た、王国南西部地域で製造のブランデーだが、今夜は個人的な伝手(つて)を頼って特別に仕入れたブランデーを用意した。


「これは甘みがあって香りも()いな。りんごか?」


「えぇ。カルパーティ公爵領では神龍に捧げたお酒を飲むと、神龍の加護が得られると信じられているそうですわ」


 神龍の加護を得た酒だと見せびらかすように神龍と教会紋が記されたラベルをヒュペリに向け、自身用の湯割りも拵える。


 爽やかな香りが湯気とともに立ちのぼる。蜂蜜を入れずとも甘みが感じられるブランデーは、りんごを原料に造られたものだ。甘いもの好きな夫はもちろん、甘味をあまり好まないメティスもこれは気に入った。後で王太子(むすこ)にも差し入れるとしよう。


「しかし…カルパーティか」


 カルパーティ公爵家は建国王の弟を祖とするが代々、王家を敬して遠ざけ、つまりは中央権力から距離を置いている。今代は(たま)さか子息らが王太子と歳近く生まれたために遊び相手として王宮に招くことが叶ったが、それだけだ。次男の方は宮廷文官として王都に留めているが、現公爵その嗣子は最低限の登城義務と社交を(こな)すとあちこち飛び回って王都に殆ど寄り付かない。

 三大公爵家の一つでありながら、積極的に王家に(くみ)することを誉れとしない。北の国境を守るカルパーティ家を取り込むことは歴代王家の悲願だが、降嫁も領地加増も断られてきた経緯がある。


 口を真一文字に閉ざし、難しい顔で考え込む夫からメティスはそっと視線を外した。


「キュルエネに懐妊の兆候がみえましたの。今回は食事もままならないらしく、義娘(むすめ)が苦しんでいるというのに、義継母(はは)としてなにもせずにはいられなくて」


 心痛耐え難き、と強調するように、きゅっと眉を寄せる。表では笑みを絶やさず泰然とした妻のこうした姿に年の離れた夫が弱いことを熟知した上での表情だ。


 王太子の妻として公爵家から嫁いできたキュルエネは5年前に王子を出産し、先頃、第2子の妊娠が判明した。安定期に入るまでは公表されないが、公務で関わる者達には堅く口止めした上で知らされている。悪阻(つわり)が酷く食事も困難なことは事実で、メティスも心を痛めているが、それはそれとして使節団を派遣するにはこれ以上ない絶好の口実であった。


 ディアーナの“へんな感じ”から1ヶ月半。秘密裏に調査してみると、カルパート山脈地方では確かに噴火の予兆のような事象が散見された。しかしそれはメティスがネミの民だからこそ(わか)るもので、他国の人々にとっては「そういうこともあった」程度の些細な出来事である。王都からゆうに2週間はかかる遠地まで専門家を派遣する理由にはなり得ないことは、他国に嫁いだ己自身が一番理解していた。

 公務と社交の合間を縫ってなんとか妙案を絞り出そうと喘ぐ日々に、お抱え医師からもたらされた義娘(キュルエネ)の懐妊の報せ!メティスは執務室で一人、彼女を拝み倒した。なんなら、報告にきたキュルエネに思わず「おめでとう」ではなく「ありがとう」と言ってしばし彼女を困惑させた。


 そうした内心内情をおくびにも出さず、メティスは上目遣いに切り替えて夫を見つめた。ヒュペリが愛らしいものやあざとい仕草に弱いことは夫婦となってすぐに知れた。具体的には、メティスの婚礼に際して全面改装したという、夫婦の寝室の内装によって。


「カルパート山脈にあるという出産の女神レテュイアの古い御祠(みほこら)に祈り、女神の御慈悲にすがるほか、わたくしがキュルエネに、だんなさまの御孫さまに、して差し上げられることなどございませんもの」


 憂いに満ちた表情で殊更にか細い声を出せば、力強くも暖かな衝撃とともにメティスはヒュペリに抱きすくめられていた。


「あぁ、メティス、心優しき我が妻よ。私の微力な力で叶うものならば、望むものすべて叶えよう」


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