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王妃さまは公爵子息を愛でます。

「お二人の籍はシャルドン商会の商会員として申請・発行いたします。ご希望に沿えるよう手は尽くしますが貴族ではなくなりますし、住む家や就ける職も限られます。お親しい方とも気軽に交流することも難しいでしょう」


 ディアーナはデメリットをつらつら挙げていく。

 王国では孤児など籍を持たない者の救済措置として、勤務先が保証人となって籍を申請する制度がある。貴族と平民では居住区も異なるし、職業によっては爵位が必要な場合もあるが、地位の高い商会に籍を置けば男爵家や子爵家であれば縁を結ぶこともできるし、賃貸契約や転職にも有利。これ以上ない身分保障だ。それでも公爵家に生まれ育った父子に相応しいほどのものを与えることは叶わない。


「過分なお気遣いに感謝申し上げます。私、サムエルはこのお話お受け致します」


「我らは一度死した身。いかようにでもお使いくだされ」


 公爵の心はこれ以上ないほどに()いでいた。生まれて初めて味わった平穏であった。この先に待つものが奴隷契約でも国外退去でも、喩え毒杯であっても穏やかな心持ちで受け入れることが出来るだろうと思った。古の怪物が滅されることが、忌まわしき使命が己の代で終わる僥倖の対価がそれで済むならば。


「いやぁ実に有り難い、エルク殿、サムエル殿」


 盆を手に控えていたソムリエは公爵に向かってにぃっと口元だけで大きく笑いかける。その顔はやはり、シャルドン商会の会頭代理、まさしくその人であった。王族と公爵家の会談に一介の商会員が口を挟むのは本来ならば不敬だが、予め定められていたことなのだろう、この中で最も高位にある王妃も咎めはしない。


()()()の謝礼として巫女様にお納めした純粋なクリスタルと赤子ほどもある巨大な岩塩。どちらもカルパーティ商会からのものでしたが、たいそうお気に召されとみえ、ぜひ縁を繋いで欲しいと仰られたのです」


 会頭代理は公爵にそう言うと、サムエルの方に顔を向け、にこりと笑いかけた。そして、お言葉の書類の下に重ねたもう1枚の書類をひらりと卓上に置くと去っていく。その書類にも花印があるが、濃赤ではなく目の醒める青。


「…父上、私、目が悪くなったようです。婚姻誓願書、とありますか?」


「奇遇だな息子よ。私にもそう読める」


 王侯貴族やそれに準ずる者の結婚には順序があり、まずは教会へ婚姻誓願書を提出。婚約期間を経て神の御許で婚姻の意思を確認する式を行い、教会から婚姻証書が発行されることで正式な夫婦と認められる。


「あのぅ…。お二人の()()の真っ白なことと公爵さまが夫人一筋でいらっしゃることがおばあさまの耳に入りまして」


「ぜひ来て欲しいって。ネミの女は基本愛情過多だから、貴方たちみたいに真面目で一途なタイプじゃないと合わないのよねぇ」


 気まずそうなディアーナに、あっけらかんとメティスが補足する。女系で血を繋ぐネミだが、生まれてくるのも女性が多く、彼女らも国を出ようとしないため慢性的に男性(結婚相手)が不足している。しかもネミの民、特に巫女の血を継ぐ者は執着心がめっぽう強い。夫や家族を害するものには容赦なく、夫や家族を一番に。そしてそれを夫にも要求する。


 平穏な生活を送りたければ、朝昼晩に愛を捧げ、妻の変化にいち早く気づき、家族の会話ではそこそこの相槌を打つのが秘訣だと言ったのは豊かな国を治めるネミ国王、自身を“森の奴隷”とする、その人である。


「大変に光栄なお話ではありますが、名乗る家名も寄る()もない身であり」


国王(お父さま)はもと平民の植物学者よ?ネミの森の調査に来て見初められちゃってねぇ」


「気の利いた台詞の一つも言えない朴念仁で」


「サミューちゃんて昔っから面倒見がいいじゃない?学院でもヘンリーちゃんが完璧王子に振る舞えるように悪役に徹しちゃうなんて素敵だわ」


「妻からの申し立てで2度も離婚しており」


「カルパーティの悪縁に善良な妻を巻き込みたくなかったんでしょう?破格の財産も公爵家のサインが入った身上書も持たせてやる程度には円満な離婚だったって聞いてるわ」


 ねぇ?、とメティスは小首を傾げてディアーナを見遣った。


「…正直に申し上げますと、カルパーティの家に生まれ育った者の宿命と殉ずるつもりでおりました。その務めが失われた今、どうすべきか判じかねているのです」


 サムエルは視線をうろうろと彷徨わせる。その姿は頼りを失った迷子のようで、メティスに幼少期のヘリオスを思い出させた。


「サミューちゃん、貴方はずっと頑張ってきたわ。これからは少しずつ自分のことも大切にしてあげて?」


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