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公爵子息は想い出にひたります。

「まぁ、そんな訳だから安心して第2の人生を歩みなさいな。サミューちゃんだってまだ若いんだから、いつまでも古の怪物(過ぎたこと)に囚われてちゃ可哀想だわ」


 王妃が口にした懐かしい渾名(あだな)に、サムエル・カルパーティの脳裏に幼い頃の記憶がぶわりと溢れ出す。


 *****


 8歳の頃だった。

 父と、母と、弟だけで完結していた小さな世界に現れた、傲慢で利己的な(支配者にふさわしい)、完全無欠の王子様。全国民の期待をその小さな体で受け止め、そのくせ誰も彼を愛そうとしない、王国唯一の王子様。

 対する己は見えない影に怯え、家族以外に親しい者をつくらず、ただ古い因襲を次世代に継ぐことのみを使命とする、貴族中の嫌われ者の子息。


 同い年の彼らを繋いだのは互いの根底にある重責と孤独で、その絆を強くしたのが2歳下のヨアヒムだった。次男坊の気楽さでひたすら無邪気に遊びに興じる弟を2人は心から愛するとともに、嫉妬心が(うず)くのを止められなかった。


 そうして時間を過ごしていくうちに、ヘリオスの感情が露わになったことがあった。聞けば、つい最近できた継母に迷惑しているのだという。継母はまだ若く、理由をつけてはヘリオスの元を訪れ、あれこれと口煩いのだと。10歳となり大貴族のありようを嫌と言うほど知ったサムエルは憤慨し、友に同情した。のは、一瞬だった。



 王家の私庭に降臨した女神、そう思った。



 白金(プラチナ)の髪を緩やかに束ね、細かなドレープを(たお)やかに揺らして幾何学に刈り込まれた人工の森を歩く、少し年上のその(ひと)こそが、ヘリオスの継母だろう。思春期にさしかかった少年にありがちな単なる憧れだったのか、淡い初恋だったのかは今でも判らない。なぜならその想いはすぐにきれいさっぱり霧散したからだ。


「愛しのヘイリーちゃん!ここにいたのね!あらお友達も一緒?さぁ継母(ママ)に紹介して頂戴!」


継母(はは)上!なにしに来たんですかっ!」


 ヘリオスの姿を認めるやいなや女神は両腕を広げ、満面の笑顔を浮かべなから走るような早足で距離を詰めてきた。足元もすっかり隠れるほど長い裾なのに転ばないのは凄いな、と、妙に感心した記憶がある。そうだ。普段は滅多に表情筋を動かさないヘリオスが子供じみた大声を上げるのを見たのは初めてだったから、よく覚えている。


「ヘイリーちゃんのお友達が来るっていうからママもご挨拶にと思って。あぁ、今日は素晴らしい日だわ。そうだ皆でこれからお茶会をしましょう!ねぇ2人は甘いものは好きかしら?」


 頬に手を当ててきゃぁきゃぁとはしゃぐ姿はとても16歳の淑女(レディ)とは思えない。侍女らしき40絡みの女性もそう感じたのか、生真面目そうな顔に少し険をつくり、すぃっと王妃の背後に立った。


「妃陛下、まだ執務が残っております。それに育ち盛りには甘い菓子より肉です、肉」


 黒いサテンのワンピースをしゃんと着こなし、髪は引っ詰めて頭全体をすっぽり覆うモブキャップに収めているので見ることはできないが、翡翠色の瞳は真面目そのもので冗談を言っている様子はない。主人が主人なら侍女も推して知るべし、ということか。


「まぁ!その通りだわテミス!ヘイリー、ママすぐにビーフのサンドイッチを用意させるわね!それじゃあ寛いでいってねお二人とも」


 来た時と同じ唐突さで去っていく王妃の背中に、ヘリオスは大きな溜息をついた。


「これだから会わせたくなかったのに…」


 へなへなと芝生の上に力無く座り込むヘリオスを厳しいはずの侍従も咎めなかった。王妃が嫁いでから毎日のようにこうした攻防が繰り広げられているらしい。とはいえ耳が薄ら赤く染まっているところをみれば、ヘリオスも満更でもないようだ。


「なんて言うか、明るい継母様だな。()()()()


 ニヤリと口角を上げて揶揄(からか)えばヘリオスはむすっと頬を膨らませた。


「私だけ愛称というのは不平等だ!サムエルは…サミュー、ヨアヒムはヨーキーにしよう!真に仲の良い友達は愛称で呼び合うのだと継母(ママ)上も仰っていたからな!」


 元気に言葉を発した直後に失言に気づいたが時すでに遅し。耳どころか首まで真っ赤になるヘリオスにサムエル、ヨアヒム兄弟は一頻(ひとしき)り笑った後、心からの友情を誓った。

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