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王妃さまはやさぐれます。

「改めまして。僭越(せんえつ)ながらシャルドン商会の会頭を務めております、ディアーナ・ネミ・ヴァレンティーノと申します。若輩者ではございますが、どうぞお見知り置きくださいまし」


「わたくしの愛娘よー」


 お見知り置きもなにも、王国民で知らぬ者はいない第三王女、御年11歳。ネミから嫁いだ王妃の血を濃く引く国の至宝。そして国王ヒュペリと王太子ヘリオスが溺愛を隠そうともしない末姫だ。この密談を外野として見守っている者ならばそう突っ込んだだろうが、最も言葉を届けたい者にこそ届かないのがこの世の宿命(さだめ)


 たっぷり四半刻は(ひざまず)いたまま微動だにしなかったカルパーティ公爵父子を使用人一同が説得してなんとか椅子に座らせたが、未だ心ここにあらず。視線は宙を彷徨い、あるいは俯き、驚きのあまり魂が抜けたのか悦楽に浸っているのか判断のつかない(ほう)けた表情をしている。


「ま、しばらく放っておきなさい。今はその方が親切よ。それより首尾は?」


 入室から今の今まで、跪くは宙を仰ぐは俯くはで己と視線どころか顔すら合わせようとしない男たちに困惑を通り越して若干引き気味の娘に対して、母はさすがの年の功で流した。


「えぇと。王都の隠れ家も山中の根城も()()()()()が完了。公爵夫人まもなく王都に到着。王都邸(タウンハウス)やご次男さまの周囲も安全確認済み。それでも念のためホテルを貸し切りましょう。ご次男さまは今朝の出立式を終えて1週間の休暇となりましたが今はお兄さまのお相手をさせられているそうです。折を見て引き離しませんと。あとは…」


(ハンナ)が王都に⁈ それでは民が…!」


 鳥で運ばれたのだろう小さな紙切れを読み上げてはカードのように卓上に並べるディアーナの言葉に、いち早く我を取り戻した公爵が叫びにも似た声をあげる。


 古の怪物はカルパート山脈に()()()()が入り込むのを嫌い、貴族の責務として中央と領地を行き来する公爵家の動向を注視していた。領都の公爵邸は常に見張られており、夫人や子らが常に1人は人質として領内に留まることを()い、もし逃げれば神龍に代わり民を誅すると。


「あー、それは安心していいわ。今頃、公爵領の古の怪物(狂信者)は全員まとめて心折られて抜け殻になってるんじゃないかしら?なんなら首も折っちゃったって構わないんだけれど」


 メティスは辟易(へきえき)した様子で言い捨てるとワインを煽り、お代わりを()がせる。急にやさぐれた王妃の姿に戸惑いたじろぎながら心配する素振りをみせるカルパーティ公爵父子は他の2家の公爵家と違ってどこか素朴で、生来の心根の良さが感じられた。


「母は熱狂的な支持者のせいでネミを離れた過去がありまして、今回の件ではちょっとだけ敏感(センシティブ)になっているのです」


「私物が無くなるくらいならまだしも、わたくしの挨拶に気づかなかった相手を闇討ちしたりするのよアイツら。しかも少しでも意に沿わないと『本当のメティスさまはそんなことしない』って矢文を寄越すし。本当のわたくしって誰よそれお前の頭の中にしかいないわそんなもの。何かの薬を盛ろうとしたのも居たけどお父さまが蜂蜜酒(ミード)をぶっかけて蜂の巣近くに吊るしたわ」


 思い出すだけで込み上げる鬱憤をワインにぶつけているのか、カパカパと音が鳴りそうな勢いでグラスを空にする。そろそろ2本目も空きそうだ。

 ネミ王家の末姫であり賢姫と名高いメティスが国外へ嫁いだ経緯と“微笑みの王妃”の知られざる一面を否応なく見せつけられた男たちは居心地の悪さを覚えつつチビチビと味のしないワインを飲む。


「その支持者たちを洗の…、改心させたのが母の一番上の従姉(いとこ)のテミスなのですけれど、母を心配して輿入れの際に侍女として共に王国に来たのです。今回は先行隊で公爵領に入り、()の地の獲物(古の怪物)を掌握…えぇと、諭しているはずですわ」


 神威をもった声で発せられる物騒な単語がちくちく耳に刺さるものの、脳を素通りして行った。公爵家父子にとって、この短時間のうちに得られた情報があまりにも多すぎる。


豊穣神の巫女(お母さま)に『狂信者を殲滅せよ』って一筆も貰ったのよー」


 王妃のグラスはいつのまにかワインからブランデーに変わっている。ドライフルーツをつまみに原酒(ストレート)でぐいぐい()るのがお好きらしい、と長年にわたる商人の習性が働いたのか、現実逃避か、公爵は妙に冷静に脳裏に刻んでいく。


「巫女さまには『恐怖による支配は邪道なり、ただ女神への(おそ)れより発する信仰のみが正道である』というお言葉を2通、花印とともに頂戴致しましたの」


 王女は隅に控えるソムリエを視線で呼び、書類を盆に載せて運ばせた。公爵父子の間に盆ごと差し出された書類には鮮血にも似た(あざみ)の印、ネミ王家の花印が確かにあった。武器を持たず権力も要せず、その棘だけで外敵からネミの民を護った強く美しい花。薊はネミの民の誇りであり、目指すべき生き様である。そして、花印の色は御心を伝える手段でもある。

 白は善行、恩恵。紫は気品、厳格。青ならば安心、満足。そして、この書類にあるような、鮮やかな赤色は。


 ――報いを受けよ――


 殲滅せよ、という王妃の言葉はこれ以上ないほどに正しかった。受け取ったのが花印を知る者ならば、ネミの民ならば、ネミを信奉する者ならば。あぁ今、無垢に優雅にティーカップを傾ける王女が、静かに穏やかに今後を語る少女が、ネミの巫女の血を引く女が、花印の意味を知らぬなどあるだろうか。

 ぞわり、公爵の背筋を冷たく鋭いものが走る。人ならざる者の国。ネミの異称が誠であるならば、彼女は、この御方は――。


「人が人に侵した罪ならば神の御慈悲にすがることもできましょうけれど、人が神に対して罪を侵したならば、誰がその者に慈悲を与えましょう」


 冷たくも温かくもなく、ただ、淡々と()()()()()()を告げるディアーナの声は、絶望するほどの崇拝と畏敬を公爵にもたらした。

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