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王女さまは王妃さまをお諌めします。

「そうですな。この段になってはそれが()かろう」


「父上、何をッ⁈」


 カルパーティ公爵は赤ワインをぐいと飲み干すと鷹揚に頷いた。ニュイ地方の芳醇な赤ワインのせいか、それとも生まれながらの重責から逃れられるせいか、全身の筋肉が弛緩する。


 カルパーティ公爵領、より正しく言うならばカルパート山脈に棲まう()()()()は、創世神話と女神信仰に生きる民だ。


 多くの国がそうであるように、この王国もかつて大陸全土に数多く存在した小国を併合して誕生した。カルパートの民は、カルパート山脈(神龍)を侵すべからず、我らの信仰を汚すべからず、の盟約をもって王国の北の盾となった経緯がある。建国から300年経った今も“王家と我らの立場は対等である。(かしず)くに(あた)わず”とする意識を強く残し、“我こそは神龍の遣い”と強く信じる過激な狂信者(テロリスト)集団が存在している。自領他領を問わず、神職であろうと王家であろうと、己が信義(しんぎ)に反するものを誅殺することを目的とした危険思想の持ち主。

 建国王の弟を祖とするカルパーティ公爵家は、それを領内に留め、その力を抑え、削ぐためだけに存在しているといっても過言ではなかった。


 とはいえ遠い過去と現在では物資にしても技術にしても豊かさがまるで違う。王家嫌いの()()()の抑制と領民の生活水準の向上と、どちらも実現させるために公爵家は商会を立ち上げ、国外に活路を求めた。そういったことも目障りだったのだろう、近ごろ王都邸を始め周囲を探る者がいることにも気づいていた。それらを王都に連れ出したのは、間違いなく公爵家である。


「あれが神を穢し、王を害すと知りながら止めることができなかったのは(ひとえ)に我が家の罪。しかし息子は、サムエルは当主ではなく、ヨアヒムは王国に仕える身。領民も多くは無辜(むこ)の民なれば、お慈悲を」


「いいえ、いいえ父上。いまカルパーティ公爵家を預かるは私、私めも共に参ります。弟は我らと違い此度(こたび)のことは何も知りはしません。領民も善良な者ばかり。どうか、どうか」


 父に続き、長男サムエルもグラスを煽った。


 きめ細かくしっとりとした飲み口。しっかりとした重厚感がありながらも渋みが抑えられ、余韻はあくまでフルーティ。とても上等な、混じりっ気のない、ニュイ地方の赤ワイン。


「お口にあって何よりですわ。もう一杯いかがかしら?」


 ゆったりした仕草でワインを飲むメティスは笑みを(たた)えている。目も口許も、顔全体で笑うそれは悪戯(いたずら)が成功した子供のようで。公爵が初めて見る、人間じみた王妃であった。


 揶揄(からか)われたと知り、すっかり気勢を削がれた父子はドサリと背もたれに身を預けてワインのお代わりを所望する。息子が不機嫌ありありの表情を隠さずにいるが今回ばかりは咎めはしない。ぶすりとフォークを突き刺したテリーヌは濃厚なチョコレートと芳醇なバターの風味が豊かで、舌の上でとろけると自領産のアップル・ブランデーが余韻を残した。原料一つとっても相当に高価な品だと判る。


「シャルドン商会から取り寄せた、正真正銘、ニュイのワインよ。もちろんスイーツにも毒なんて入っていないわ。会頭が開発した売り出し前の新作だそうよ」


()はシャルドンの会頭と面識が御ありか?」


 シャルドン商会の会頭は年齢も出自も不明。自身も商会の長としてシャルドン商会とは少なくない取引がある。しかし商談の相手はいつも代理と名乗る、自身と同じ年頃で褐色の髪の痩せた男で。そう、いま自身のグラスにワインを注いでいる、このソムリエのような。


「後で挨拶に来たいって言ってたから、もう来てるんじゃないかしら?」


 言うが早いか、公爵らの背後の扉から来客を告げるノックの音が響いた。入室のタイミングを図っていたのだろう。開かれた扉から風が舞い込んだ。


 その刹那、公爵は血が逆流するような感覚に襲われた。臓腑は溶けた鉛を飲まされたように熱く重く、にも関わらず、心の奥底から湧く歓喜。恍惚。


 ―――あぁ、()()()()()()()―――


 公爵とその子息は弾かれるように椅子から立ち上がると扉前に両膝をつき、両腕は交差させて胸に当て、首元を晒すように頭を垂れた。斬首を待つ罪人のようなこの姿勢こそが、カルパーティ公爵家の、神前でのみ許された最敬礼である。


「お戯れが過ぎましてよ、お母さま」


「厳つい真顔が2つも並んでて、ちょっと面白くなっちゃったのよねぇ」


「王家の恩人でしょう?お可哀想で、わたくし何度も飛び入ろうとしたほどよ」


 限りなく薄いクリスタルのような、どこまでも澄んだ声。幼き人の性に似つかわしくない、神威を帯びた声。それが段々と近づいてくるのが判る。


「ご苦労でしたわね。300年もの長きに渡る貴方がたの献身、女神さまはきっと見ておられますことでしょう」


 頭のすぐ近くで発せられた声とともに、温かくも冷たくもない、ただ柔らかな手がそっと肩に触れた。

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