王妃さまはお怒りです。
「どうしてそうなったのか、ゆっくりお聞かせいただきたいわぁ」
プラチナの髪の儚げな美女は座り心地の良いソファにゆったり身を預け、足下に跪く体躯の良い男2人に古代の神像にも似た口元だけの笑みを向けた。
彼女はその民の美しき容貌から”人ならざる者の国“とも称される国、ネミの元王女であり、ヴァレンティーノ王国の現王妃。
彼女の足下に這いつくばり、東国から伝来した最大級の謝辞を示す”ドゲザ“をする男たちは、輝かしい金髪も今や色褪せてみえるが、彼女の夫と継息子であり、つまりこの国の王と王太子である。
蛇に睨まれた蛙。
鷹の前の雀。
恐怖に吞まれた男たちはただ大きな体を縮まらせるのみで一言も発しない。しんと静まった室内に、暖炉の薪がパチリと爆ぜる音だけが響いた。
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凍てつく大地を覆う雪に道ゆく人々の足音も掻き消える、冬。ヴァレンティーノ王国の王妃の私室では使用人をみな下がらせ、家族水入らずの茶会が催されていた。
アイボリーをベースに、グレージュで統一された家具。赤々と燃える炎の揺らめきもよく見える特注品の暖炉、柑橘類の花から抽出した精油、足元に敷かれた毛足の長いラグ。地味になりがちな配色だが1人掛けソファのワインレッドが差し色となって全体を引き締めている。
基本的に家族しか招かれない王妃の私室はいつも細やかな配慮に満ち、手ずから淹れる紅茶と季節やその時々の話題に合わせたお菓子でもてなすのは彼女が嫁いでから続く、家族団欒のひとときであった。
「ディアーナお手製のタルトもありますのよ」
「スイーツは夏にみんなで採った色々なベリーとレモンのジャムタルトで、セイボリーはサーモンとチーズのタルトよ。お父さま、お兄さま、今日はとびきり上手に焼きあがったの」
赤、黄、紫、ピンクと色鮮やかで、淑女でもひと口で食べられる小さなサイズ。このところお菓子作りにハマっている末姫―ディアーナのお手製は母や義姉との茶会で披露されるにとどまり、男2人の垂涎の的であった。それがある喜びと、この場に用意された意味を薄ら察した男たちは息を飲み、視線を交わした。
「…優秀な愛息子よ、おまえから言ってくれんか?」
「偉大なる父上。一国の主として家長として、覚悟をお決めください」
「ヤダぁ、いますぐ国王やめる。孫もいるんだし、さっさと隠居したっていいんじゃん?はい決めたー王命ですー」
「あんた何歳だクソ親父。この情勢下じゃ無理に決まってんだろが。さっさと言ってディアに蛇蝎のように嫌われてしまえ」
「息子が冷たい。これが反抗期か」
「もうすぐ30歳になる男を捕まえて何言ってんだ。ボケたか。そんならボケ防止に公務増やすぞ」
眼力で人を殺せるとも言われる威厳ある国王と、氷像のように表情を変えず常に冷静沈着な王太子、という国内外での評判はどこへやら。情けない表情でくだらない言い合いを始める男2人に王妃はすぅっと緑色の目を細める。
肉感的な女性が多いこの国では珍しい、ほっそりとした肢体に銀色の髪。王太子が8歳になる年に前王妃が身罷ったため友好国から嫁いできた現王妃は、30歳を越えた今もなお少女のような雰囲気をもつが、自国や他国の老獪な王侯貴族とも互角に渡り合える胆力と政治センスの持ち主でもある。なんならこの中で最も国王に相応しい人物といえる。
「あなたたち」
「は、はひッ!」
「イエス・マム!」
抑揚のない王妃の声に国王も王太子も直角に背筋を伸ばして声の主にピシリと体ごと向き直る。たおやかな笑みと話術でいつのまにか己に有利な方向へと導く手練手管を間近に見てきた彼らにとって、王妃は尊敬を通り越してもはや畏怖の対象だ。
初め王妃の若さを懸念していた大臣や役人らも、数人が返り討ちにされた後は「自分の身が大事ならば王妃には絶対に逆らうな」との申し送りがされているという。
「近頃はいつも以上に仲が良くていらっしゃるそうね。なんでもお2人で愉快なお話をなさっておられるとか、ねぇ?」
唇を三日月のように曲げる、一見すると慈愛に満ちた笑顔。この意味をよく知る男2人は暖かいはずの室内にいるにも関わらず、吐く息も凍る外に連れ出されたかのような心地で、ピリピリとした感覚とともに手足の指先から血の気が失われていくのがわかる。
男たちは弾かれるように立ち上がり、王妃の足下で五体投地を決めた。酸欠状態でふらふらの頭に、鉛のような重量感をもって、王妃の言葉がのしかかる。何かを言わなくては、という焦りと恐怖心とがないまぜになり、喉がキュウと締まる。
短いのか長いのか、続いた静寂の中で耳の奥に響く、パチリと高い音。これはいつも王妃が最後通牒を告げる際に閉じる扇の音に似て――。
「「このたびは、本当に申し訳ありませんでした!」」