影
最後の一文を少し変更しました(2月8日)
月も雲に隠れ、街の灯りも減る頃、その闇に紛れて夜を駆ける影が一つ。
黒ずくめの服装に、緋色の右目だけが出ているヘッドギア型デバイスを身に着けた姿。
「放出魔法・工程開始」
現代忍者は自己加速のための魔法を起動する。
「接続・点火・方向・修正・発動・出力・修正・最適化完了・反復」
各部位に付いたスラスターからエーテルの反応光があふれ、放出される。大地を蹴り、時に壁を蹴ることで爆発的な推進力を与えられた身体を制御しながら、高層ビルの間を跳び回る。まるで見る人に何もない空間に足場があるような錯覚すら覚えさせる軽やかな動きであった。
◇
掛け軸、竜の置物、前衛芸術的な物品。
豪勢というよりも悪趣味とも言える空間に男たちはいた。
「若、最近のシノギはいい感じですね」
「おう。ようやく順調に波に乗ってきたってとこか。このままいけば次期に組のトップは俺になる」
「そんときゃあ自分もいいように扱ってくださいよ」
「まだ気が早え。しかし、武器調達に人身売買がここまでシノギをあげられるとは正直思っちゃいなかったぜ。クライアントに感謝だな」
赤いソファーに座る若と呼ばれた男はグラスに注がれた酒をあおる。
男たちが愉快そうに談笑している中で、手下の男が素朴な疑問を口にした。
「しっかしあんなに大量の武器、なんかでっかい戦争でも起こす気なんすかね」
「知るか。もしそうだったとしてもそうなる前にこの町からはおさらばよ。甲京が落ちようと西にいきゃあなんとかならあ。特に人身売買はな」
「管理大国日本の人間は身体がとにかく健康ですからね。パーツごとでも高く売れますし。性別を変えるとかなんとかで身体のパーツを交換するような輩もいるらしいですぜ」
「その趣味は理解できねえが、使い捨ての奴隷が増えていくと楽しい子供心は俺にもわかる」
若頭は立ちあがると、壁に掛けてある金属製の梨を手に取る。手に持った器具は、苦悩の梨。中世に生み出された拷問器具である。
「昔の人はよく考えたもんだな。昔は構造的にムリがあったらしいが、人間の愉悦へのイマジネーションってのは素晴らしいもんだ。今は魔法のおかげで人体の破壊は余裕なんだから、魔法さまさまだ」
手に持つ器具にエーテルを通し、魔法を発動すると、梨型の部分が3方向に展開していく。人体を破壊することと恥辱を与えることに特化した、人の邪悪が形となった器具。それを若頭は手首を回し、舐めるように眺めながら言う。
「しかもこいつは外見に跡を残さねえのがいいな。壊した後も素知らぬ顔で売り付けられるからな」
「若が楽しんでるのはよく伝わるんですが、その玩具の糞尿の始末は毎回俺たちがしてるんすよ」
男たちの間にどっと笑いが起きる。それを部屋の隅で怯えるように見る女が1人。女は服とはいえないボロボロの布を身体に巻きつけ、首輪をつけ、手には枷がはめられている。誰かが言った。
「若、今日もやりますか?」
「そうだな。オイ、こっちへ来い」
若頭は自分たちを見ていた女へと手招きをする。
涙目ながらに拒絶する女に対し、
「さっさとこっちに来いと言っとるんじゃあワレェ!」
忽然と空間が闇に包まれた。
誰かが言った。
「何やってんだッ。明かりつけんかい!」
何か硬い物が床に落ちるような音が部屋の次々とつらなっていく。若頭が叫んだ。
「ゥオイ! 何が起きてるんだ!」
「――アンタらの死期が来たんだよ」
どこかから得体の知れない声が聞こえる。
「クソが。どこの組のもんじゃ! ここがどこの事務所かわかってカチコミかけとんのんか!」
若頭がどことしれない声の主にドスを効かせた。
「――アンタらに俺個人の恨みはねぇが、仕事なんでな。俎上之肉と死んでいけ」
「往生するのはテメェだ! 任侠者を舐めんじゃねえ!」
「――カタギに手を出し、搾取し、何が任侠か」
若頭は小刀型のデバイスを操作して光明魔法を展開する。小刀から小さな光が飛び出し、それは部屋の中央に着いた途端に圧倒的な光量に変化し、空間を明るく照らす。
そこに広がるは死屍累々。首が有り得ない方向に曲がっているものもある。この空間にて生きているのは若頭1人。
「お、おい、お前ら」
若頭は床に転がる肉に向かって手を伸ばす。両肘の先は無くなっていたことに気づいた。
「おあああああああああ‼」
驚愕と苦痛が入り交じった叫びが響く。
誰もいないはずの部屋のどこからか再び声が聞こえる。
「――アンタらが何をしてきたかは俺の知ったことではないが、外道が死んでいくことに一切の慈悲はない」
若頭は嗚咽混じりに叫ぶ。
「こんなことしてどうなるかわかってんのか!? 俺は若頭だぞ? オヤジがメンツを潰されて黙っちゃいねぇ……」
「――これのことか」
刹那の間が空いたのち、大きめのスイカ程度の球体が若頭の足に転がってきて当たる。足元を見た若頭は、
「オヤジ……?」
光源が消え、再び視界が閉ざされる。
「アンタらに救いはない。せいぜい命の灯火をじっくりと無意味に燃やし尽くしていくがいい」
後に残ったのは静寂、そして暗闇の中で黄金に光る瞳だけであった。