異世界の門と番人
「……9、10、11、12人でっと、もう一枚ありましたね。13人分の申請書類。確かに承りました、では後の手続きはこちらで承りますので確認の押印をこちらへ」
久々に地上に出て依頼の進捗報告を済ませ、何をするでもなく直ぐ再び仕事場に戻る。そんな日々の繰り返し、でもそれに特別の不満があるわけではなかった。
「今日はあと一人か……ん、そう言えば明日は確か」
今日が何月何日で、世間では何の歌が流行ってどんな事件が起きているのか?
そんな普通の人間であれば至極当たり前のように思うことが、そよぐ風も青空を飛ぶ鳥も見えないこの地下深く暗闇の坑道では考えつかない。別にそんなことを気にしたところでと、そもそも世間に興味のない自分自身だと、何とも思わなかったのだが。
しかしその違和感は、最近この場所そのものに原因があるのではないかと気付いた。斡旋された一般人に交じって働く仕事に嫌気が差し、『特別任務』なんていう依頼求人に飛びつき内容を確認もせず受けてしまった自分が悪いのだが。
《特別任務:異世界の門の番人》
依頼内容:『異世界の門』の通行管理責任者
必須スキル:異世界との接続技術、不老不死、暗所適応性
優遇スキル:選別眼、長期労働
給与:基本給+歩合+夜間手当
勤務地:地下深く
と改めて依頼書の紙切れを見て確認すると、色々とヤバそうな案件だと思う。
ピタッ、ピタ。
人目に付かない場所が最適な仕事。嘗ては人間達によって、富と資源を求め手掘りから機械を使って掘削されたというこの場所。ひんやりとした湿潤な空気が肌に纏わり付くうえに、唯一坑道内で待っていると地面に落ち響く天井から落ちる水滴が体に不意に落ちると、思わず冷間でピクリと反応してしまう。
「スミマセン、異世界に繋がる扉があると聞いてきたのですが」
「うぁッ!? ……ッあ、あっはい。番人の私がご案内しますよ」
突然気配なく、背中から聞こえた若い女性の声にのけぞり返る。
大手を振ってにぎわい通りを歩くないでもない、ボサボサの腰まで伸びる青髪をポニーテールの様に縛り着古した黒マントと草臥れた三角帽子。身なりと性格こそ不適合者の自覚はあれど、この特別任務を受理できる資格とテストを一発合格出来る程度には優秀な自分なのだが。
良く考えれば極度の対人恐怖と自己肯定感の無い自分だった。なるべく他人と接しない、一人ぐらいの相手ならと思って。
「うあ~ホントに異世界の扉ってあるんですね。どんな感じなのか楽しみですー」
おそらく成人前だろう、あどけない微笑みを浮かべる少女。
ここの泥臭い坑道には似ても似つかない、水色のワンピースに茶髪ショートヘアーの明るく活発そうな姿。青空の下、草木生える公園の広場を駆け回る姿を思い浮かべたのは、この仕事に就く前の正反対の都会暮らしを送っていたからだろうか。きっとこの子も以前はそんな生活をしていたのだろうか、幸せな生涯を送っていたのだろうか?
でも異世界へ転生するということは--
『あまり死者への感情移入はされませんように』
不意にの世で一番嫌なヤツの言葉を思い出す。呪いの呪文のように突然に。
いや、一社会人としての適正は高く戦い以外の事務スキル、書庫を頭に入れているのではないかと思う知識量を持ち、何より自分にはない空気を読むコミュ力と風貌を持ち合わせた男の姿と言葉を思い出す。悔しいがこんな地下の汚れ仕事している自分には到底かなわないエリート。
『貴方が躊躇すれば未知への場所へ向かう死者はもっと躊躇する。そして本当に彷徨う死者となる、貴方に彼らを導く事が出来ます?』
仕事を引き受けた途端、豹変したかのように突きつけている言葉。辞めたいのならいつでも辞めて貰ってもいいと。それだけ重い責任のある仕事、そうだった。
「やっぱり異世界って漫画みたいに楽しい世界--あのぉ、番人さん聞いてますか?」
「ゴホンッ。スミマセンが貴方の向かう異世界がどんな世界で、楽しい場所かは私は分りかねます」
「私のやるべきは異世界の門を守り、決められた異世界へ続く門を召喚し、確実に貴方霊を送り届けること。それが番人である私の仕事なのです」
少女は落胆した様子で『そうですよね』としぼむ声で呟いた。きっと少女は事実かどうかなんてそんなことはどうでも良かったのだろう、未知の世界へ行くその不安の中で少し背中を押してくれる言葉が欲しかったのかもしれない。でも不確かな事を言って少女を惑わすことは、到底自分には追い切れない責任の重さであり許してもらうほかない。
門の番人として為べきことをする、それが今後の少女の為になるはずである。込み上げる感情を抑えて冷静に粛々と手続きを行うことが。
「ではこれより異世界の門へご案内しますが、最後に大事な質問を致します。よろしいですか?」
祈るかのように胸の前で手を握り寂しげに俯いている姿に、思わず優しい言葉を投げかけたくなるのだが。この門を通過する全ての者はこの質問を答えなければならない、心を鬼にして。
「貴方はこれから異世界転生を行います。異世界転生を行うためには幾つかルール、原則が存在しますが……その説明は受けていますね?」
「あっ、はい。確か、眼鏡のお兄さんがそんな事を言ってたような」
うッゴホッ、ゴホッゴホッ。
あの眼鏡……集中しようとしていたのに。アイツ、ちゃんと説明したんだろうな? レンズがキラリと光りヒンジを抑える姿が思い浮かんでしまい、苦々しい顔をしてしまう。
「番人さん、あのお兄さんとお友達ですか?」
「いいえ、全然知らない人ですあんな人」
少女はここに来てから初めて『クスリッ』笑った表情を見せた気がした。
見知らぬ場所で肩肘が張った状態からリラックスしてくれたのであれば、それは悪い事ではない。異世界転生の儀式に楽しさは必須ではないが、不必要な恐怖や悲観を持つ必要もないはずだ、あくまで私の持論だが。理由はどうあれど少し緊張が解けたのならば今が好機であろう、この『最後の質問』を少女に問いかける。
『異世界転生を行う場合、原則、今現在貴方が持っている知識・記憶、精神を継承しますが、よろしいですか?』
投げかけた質問に少女は『どういう意味だろう?』と思ったのだろう、首をかしげキョトンとしてこちらを見つめたまま動かない。こんな抽象的な漠然とした質問では、人生経験のない幼い少女にはこの質問の真意が理解出来ないのも無理も無いのだろう。本来は相手の回答を待つべきではあるのだが--
「えっと つまり。今までの現世、生きていた頃の辛かった事だけじゃなく思い出の場所、大切だった人、楽しい出来事を全部覚えたまま異世界に行かなければなりません」
「辛かった記憶は、異世界生活での楽しい思い出に上書きされ忘れてしまうかもしれません。でも……」
「異世界には以前の記憶。思い出の場所、大切な人、温もりは覚えていても決して再会することは出来ません。楽しかった思い出が辛く忘れてしましたい記憶になるかもしれません。それでも貴方……由衣さん、その事実に耐えられますか?」
「…………」
入り組んだ坑道内、道標として壁をぼんやり赤く照らすその灯りは炎の様に光る私の魔術による照明光。その光が微かに数度揺らめく僅かな時間であった、少女が沈黙したのは。
「私、異世界に持って行きたい楽しい思い出なんてないんですよ。だから心配しなくても大丈夫です、番人さん!」
番人として問わなければならない質問だとしても、質問した自分の気持ち、なんて馬鹿な感情を抱いていたのだろう。自分はこの子の一生の事を何一つ知らないくせに、関わりすらないのにも関わらず、知った気になって。
やっぱり、アイツの言うとおりこの仕事は向いてないのかもしれない。でも最後までやり遂げなければ、彼女の最後の人生に関わった自分の責任として。番人である私が動転してどうする、しっかりしろ! 鼓舞するために両頬を叩いた。
「そうですね、了解しました! これで異世界転生の為の全ての手続きを完了しました」
コクリと会釈すると少女もコクリと笑顔で首を縦に振ってくれた。
「それでは、これより貴方を異世界に転送するための『異世界の門』をここへ召喚致します!! 少しだけ私の後ろに離れていて下さい」
普段はお飾りの魔女の三角帽子を深く被り、黒のローブとマントを靡かせ翻し、少女を背に正面の採掘跡の鉱石と土砂、採掘道具が転がる幾分広い空間となる行き止まりに向けて杖を構える。今まで何度もやってきた通り、落ち着け--
少女の感嘆の声と共に、周囲は満たされた魔力で温もりを放つ。
【光閉じこの世の地の果て最下層の地より、彷徨いし未練なき魂、栄光と幸福たる理想郷へ、天命受けし我が身の呼びかけに答え、異世界の門、ここに姿を現し彼の者を導き賜へ】
魔力が最高潮に達した瞬間、閃光が地下空間全てを包みこみ、しばしの後、収縮し術式を展開する。青白く光る魔方陣から立ちこめる白煙と共に異世界へと続く道の入り口、その名も『異世界の門』が現れる。坑道の中に出現するその門の扉は決して巨大ではないが重厚で厚みがある、何度召喚してもその威圧感には圧倒されるのだ。
「異世界の門てこんなに色鮮やかなんですね! ピンクで花柄なんて可愛いです。」
少女は両手の親指と人差し指で長方形を作り目元にあてがう仕草。この世界で最後に見ることになったその景色を目に焼き付けているように見えた。
「そう……ですね。実はこの門、出現させてる間も魔力で維持させていないとで--うくッ」
魔力を注ぎ続けるため、地面と平行に持った杖を持つ手が震える。
「くッ、自分のタイミングで良いですッ。心の準備が出来たら、一気に門に向かって駆け抜けて下さい、一瞬だけ扉を開きますから。決して門を潜り、異世界にたどり着くまで振り返らないで!! 約束、出来ますかッ!?」
人に自慢する事はないが魔法には多少の自信がある。それでもこの異世界の門を維持できる時間はそう長くない。同じ人間のために二度現れ開く事はない、それもルールなのだ。
「はい、すみません! そうですよねっ、番人さんありがとうございました!! お話出来てとっても楽しかったです。異世界に行っても今日の事は忘れませんから!」
「それじゃぁ、私……もう行きますね」
目を見開かなければ、意識を奪われそうな程に吸われ続ける魔力。
微動だに動くことの出来ない自分の体を背後から霊である少女はすり抜けていく。その僅かな瞬間だけ、少女の心と私の心が繋がり彼女の感情が流れ込んだ気がした。穏やかで清々しい気持ち、でも微かに感じる悲しい気持ちが。気のせいかもしれないが。
彼女は一度もこちらを振り返る事もせず、僅かに開いた扉の隙間から異世界へと旅だった。たぶん今までの彼女の人生の中で一番の駆け足だったに違いない、もっとも少女の姿は腰から徐々に薄く消えていて足は無く、地面を浮遊し滑るように移動するまさに幽霊なのではあるが。病弱であったという面影はそこにはなかった。
「どうか無事に異世界にたどりついて」
ガシャン。
異世界へと続く門は再び堅く閉じられ、魔方陣の消滅と共に坑道の闇の中へと消えていった。それと共に一気に込み上げてくる疲労感、それは大量の魔力を消費したせいだろうがそれだけが理由ではないだろう。
「どうみても、あの異世界の門は錆びた鋼鉄の門にしか見えないのだけど……」
確か以前にもこんな事を思った事があった気がした。
そうだこの特別依頼に就いた最初。見学を兼ね転生者を見送った後、前任者の魔女に門について質問をした時のことだ。その魔女は確かこう言った『この異世界の門の見え方は人によって違う、異世界へと旅立つ者達には理想とする異世界の様子を示した姿形になる』と。そうであるならば、少なくとも自分はまだこの世界に未練があるのだろう。
「一度も振り向かずに、案外最後はあっさり異世界に旅立たれましたねぇ~。てっきり僕はまだこの世に未練があるかと思ってましたが」
「はッ。ちょッ、お前いつからそこに!?」
気配や足音もせずいつの間か一番嫌いなそいつは、水たまりと泥濘むこの地下には似つかわしくないスーツ姿で。オシャレな眼鏡、バインダーを脇に挟み、小難しそうな真剣な表情で腕組みをし直ぐ背後に立っていた。場違い感が甚だしい。
普段用事があって呼びつけても『服が汚れて嫌です』とか何とか理由を付けて、坑道入り口に来させるのがやっとなくせに。
「こちらで書類のミスがありましてね? ほら僕って相手の申請ミスには絶対許せないタイプでしょ? だから自分のミスには精神誠意。--なんなら、もみ消したい位な性格だって、知ってますよねぇ?」
誰もそんな理由も不純な動機も聞いてはいないのにペラペラ話し出す。窓口対応を見ていると、無駄な世間一つもしないロボットのような冷たい印象すらある男なのだが。
「けど、思ったよりちゃんと仕事してて安心しましたよ~。やっぱりアナタにはこの仕事向いてますねー。OK、OK!!」
「そうは余り思わないけどな……」
思わず本音がポロリと出てしまう。さっきの少女だって本当はこの世に未練があったのではないのか? 止めて欲しかったのではないかと。
「いえいえ、謙遜なさらずに。アナタのような情に絆されやすい方こそ異世界の門の番人に相応しいです」
私自身が否定しているのに何をそんな自身たっぷりと。
「だって。僕みたいな事務的かつ冷淡男が行う厳しい異世界転生の審査を乗り越え、アナタのような情に溢れる人間を振り切ることが出来るのであれば、きっと異世界でも逞しく生きていけると思いませんか?」
「異世界生活も楽ではないですから。甘ったるい人間は野垂れ死にますよ」
褒められているのか、貶されているのか。少なくともコイツはコイツなりの基準で異世界転生者の事を考えているのは分った。大分歪んだ考えを持っている気がするが。
「えーははっ。その表情は信じてないですね? でもアナタがこの特別依頼に向いてるのは本当ですよ。魔法の腕はピカイチ、一人で暗闇で大丈夫、でおまけに不老不死の条件をクリア出来る方なんてそうはいませんからね~」
「職場環境も精神的にも過酷なこの依頼ですが、直ぐ辞められては困りますからね~。心臓を刺されても憑依されそうになっても無効・平気な人材ってそうはいませんから」
忘れていたまったく嫌な事を思い出させてくれる。
転生する相手はこの世の世捨て人(霊)、死んだと言う事実を目の当たりにして発狂する人や力を奪おうと襲ってくる者も居ないことはないのだ。だから門の番人の募集要項の希望スキルに不老不死なんて書いてあったのだ。幾らこっちが不老不死の魔女だらって、襲われて良いわけないし、今度そんな事件があったら然るべき機関に駆け込んでやる。絶対に駆け込んでやる!
「ん~~ぁあ~あっ。さて、今日の儀式は先ほどの方で最後ですかね」
大あくびを一つ。無駄に良いスタイル身長2メートル近くあるこのヒョロ長の男は、両手を万歳して背伸びをすると天井に届いてしいまい腕を曲げて背伸びをする。いちいち所作の一つ一つで人の気に障るのが上手い男だ。
「でも最近、転生者が多くて困ったものです。誰一人知り合いのいない異世界で一から頑張るか、嫌なこと楽しかった事全てリセットしてこの世界でやり直すか……そこにそんなに違いは無いと思うのですけど僕的には、そう思いません?」
「それだけこの現実世界に嫌なことが満ちてるんだろうさ」
嫌みったらしく言ったつもりだったのだが。
「そうですかね、僕はそう思いませんけど? あんな牙剥き出しの魔物の口みたいな門を潜ろう何て御免ですし、はははっ」
コイツにはあの扉がそう見えていたのか。日々、霊と向き合う辛い仕事をして。一体、何を楽しみに現実世界を生きているのだろうか?
身近な関わりのある人間の事すら自分は何一つ知らないのだと、今更そんな事に気付く。
いや、知る必要もないか。
「さてそろそろ事務局に戻らないと、部長が怒り出す頃だし。そちらは……ああ、何時もの喫茶店でパフェを食べにですか? いいですねー昼間っから甘味なんて」
何故かコイツは私の唯一の楽しみを知っている。
「なッ、悪いか!」
「好きなんだから仕方ないだろッ。他に趣味もないし友達も……ッ、苦労して稼いだお金をどう使おうと私の勝手だ!!」
「ぷふッ、いえいえ。誰も一言も悪いなんて言ってないじゃないですかぁ~! いいと思いますよっふふ。見かけに似合わず可愛いらしい趣味でっ、っあはは」
まだ魔女として年幾ばくもいかない乙女であるはずのこの私を馬鹿にして……!!失礼にも程がある。本気で男の尻焼き払う勢いで疲労も忘れ炎を放ち地上へと追い立てる。
「お前こそ一回、異世界送りにして根性たたき直しこいッ!!」
「嫌ですよ、異世界なんて僕は~~」
番人の私が立ち去った坑道内は魔法の灯りも消え、本当の暗黒と静寂に満たされる。
現実世界に行き場を失った霊達はまたここへと集まり、また明日には異世界転生するために異世界の門は開かれるだろう。番人としてのこの仕事は辛く時に悲しい。でも彼らのために最高の状態で異世界へと送り出すために、最高に甘く幸せなパフェを食べに地上へ向こう。誰かの新しい人生の始まりに立ち会えるのは最高に幸福な事だから。
そしてまた明日もきっと
『どうか彼らの新しい人生が多幸でありますように』
そう願わずにはいられない。