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短編集

あなたがあなたであるために

作者: 巫 夏希




 ああ。

 たぶん僕はきっと彼女のことが好きだったのかもしれない。




 街外れの喫茶店『ボルケイノ』。

 そこには一人のマスターと一人のメイドが仲睦まじく経営をしておりました。

 しかしながら、マスターは人間ではなく、ドラゴンだったのです。

 ドラゴニュート。

 ドラゴンと人間のハーフではなく、ドラゴンが人間になった姿のことを言う。

 ドラゴニュートである彼は、できる限り人間の姿であることを望んだ。

 人間がドラゴンの住まう世界に進出しすぎたことが原因であると言われている。

 人間が進出した後、ドラゴンの中では人間と対立するべきという意見と人間の居る世界に馴染んでいくべきという二つの意見が出てきた。

 結果的に、ドラゴンという種はそれにより二分され、現在に至る。

 しかしながら、ドラゴニュートはドラゴンになることは出来ても、人間になることは出来ない。

 それは、ドラゴンの血が通っているから。

 それは、ドラゴンの種が大元に存在しているから。

 それでは、どのようにしてドラゴニュートはドラゴニュートとしての姿を維持しているのか。

 答えは単純明快であった。ドラゴンの血が通ってドラゴンになっているならば、人間の血を通わせれば良いだけの話だった。

 ならば、人間を食べれば良いのか?

 それは彼の中で許されない感情の一つでもあった。できる事ならそれは避けておきたい出来事であった。

 ならば、どうすれば良いのか。


「……マスター、今日の『血吸い』の時間ですよ」

「ああ、もうそんな時間だったか」


 暇だった彼は本を読んでいた。そしてメイドにそれを言われて、彼は本を閉じる。

 しおりなどする必要は無い。ドラゴニュートの記憶力は人間より遥かに高いものだからだ。

 メイドは首筋を彼に差し出す。首筋のいくつかの部分には既に穴がいくつも開いており、若干内出血を起こしている箇所もあった。

 しかし、メイドはそれでも血吸いの儀式を辞めることは無い。

 それが、彼女と彼の契約なのだから。

 そして、彼は鋭い牙を――メイドの首筋に突き立てた。


「う…………ん…………」


 艶っぽい声を上げたメイドだったが、直ぐに冷静を取り戻す。

 ドラゴニュートである彼は、人間の血が無い限り、人間の姿を保つことが出来ない。

 だから、彼は彼女の血を吸い続ける。

 血の盟約を、交わし続ける。




「ねえ、メイドさん。俺と一杯どうだい?」

「そういうのは、遠慮させてもらっていますので」

「そんなお堅いこと言わないでさ! ねえねえ、どうなの」

「……お客さん、困りますよ。ここはそういうお店じゃない」

「ちぇっ。いいじゃねえかよ。別に」


 メイドはじっとしていれば、お淑やかな感じを醸し出していて、ファンも多かった。

 だからこの客のように、メイドを口説く客も少なくないのだ。

 そしてそのメイドの『露払い』をするのも、マスターである彼の役目だった。

 ちなみにこの喫茶店は酒を提供しているお店ではない。しかしながら営業が深夜まで及ぶことがあるため、飲み会を済ませた後の客が訪れることも少なくなく、こうして『悪酔い』している客がメイドに絡むことも少なくないのだ。


「なあ、いいじゃねえかよ。そういう店じゃねえのかよ」

「お客さん、あんまり困るようなことをされると、外に出て行って貰いますよ」


 勿論、ほんとに出て貰う訳では無い。あくまでも『脅し』だ。だから実際に外に出て貰うことなんて無いのだが――。


「ちぇっ。だったら、良いよ。金を払うから外に出る」

「分かりました。……おい、お会計だ」

「はい」


 メイドとマスターは名前を呼び合う関係性には無い。

 あくまでも、主従関係を結んでいるだけ。

 ただ、それだけに過ぎないのだ。

 そして、やはりそんなメイドを好き好み、メイドのためにやってくる男性も少なくない。

 今カウンターの隅でコーヒーとホットケーキを食しているロバート・ロックンアリアーもその一人だ。

 ロバートは地元の牧場を経営している若い経営者だ。妻に先立たれ、子供とともに暮らしている毎日を送っている。しかしながら、週に一度だけ子供を祖母に預けて、この喫茶店にやってくるのだ。答えは言わずもがな、そのメイドに会いに行くためだ。

 祖母は、メイドに会いに行くためであることを分かっていた。分かっていた上で、彼を引き留めはしなかった。妻に先立たれ数年、まだ癒えぬ心の傷を癒やすためには仕方ないことだ、と思っているのだ。

 ロバートもメイドのことは可愛いと思っていた。だけれど、それを阻害する相手が居た。マスターだ。マスターが居る限り、恋愛感情をぶつけることなど出来やしない。

 ならば、こうすればいいのでは無いか。彼は考えた。店の終わり際に、彼女に話す。それならプライベートの時間だ。マスターに何を言われようと営業時間外のことは関係ないと言える。それがどこまで通用するかどうかはまた別として。

 ロバートには秘策があった。それは花束だ。その花束には『美しいあなたへ』という意味の花言葉がある。その花言葉について語ればあとはイチコロだ、そう彼は思っていた。

 しかしながら、ロバートは奥手だった。先立たれた妻以外に付き合ったことのある女性は居ない。だから、この作戦が成功するかどうかも分かりやしなかったのだった。


「でも、この作戦は絶対に成功する」


 いったいその自信はどこからやってくるものなのだろうか。

 彼にも、いや、彼にも分からないのなら誰にも分からないのだろう。




 そして、お店が終わった時間帯になって。

 彼はお店の裏側にやってきていた。

 お店の裏側に裏口があることは把握している。問題はそこからいつ出てくるか、だ。こうなればいつだって待ってやる。もしかしたら明日の準備が忙しいからとかいう理由で泊まり込む可能性だって考えられた。けれど、それよりもいつ出てくるかを彼は心配していた。

 このお店はさっきも言った通り、深夜まで営業している。朝のオープンが遅い時間になる(昼近い時間にならないとオープンしない時だってある)とはいえ、あんまり遅いと寝る時間が確保出来ないのでは無いか、と考える。プライベートの時間までも占有するようなら、そのマスターとやらはかなりひどいやつだ、とロバートは思った。


「う、うう……」


 耳を澄ませていると、声が聞こえた。

 それは紛れもなく、メイドの声だった。


「なんでメイドの声が、あんな声が聞こえてくるんだ…………? ま、まさか、あのマスター、仕事終わりに毎日メイドにあんなことやこんなことを……。許せない、許せないぞ!」


 そう言って。

 扉のノブを捻ると――ドアは開いていた。

 ひっそりとした店内は不気味だったが、メイドの異変に興味があったから、さらに前に進むことが出来た。


「…………いったい、何が起きていると言うんだ?」


 分からない。分かりたくなかった。けれど、でも前に進むしか無かった。


「痛かったか?」


 不意に、マスターの声が聞こえた。

 明かりのある方角から聞こえてくるようだった。


「いえ……大丈夫です。続きをどうぞ……」


 その言葉を聞いて、さらにメイドは嬌声を漏らしていく。


「いったい何が起きているんだよ……」


 想像していることを、できる事ならしてほしくなかった。

 想像していることを、できる事ならやってほしくなかった。

 そして、彼は明かりのある方角へとついに到着した――。

 そこでは、マスターがメイドの首筋に歯を立てている姿があった。

 それが何であるのかは分からなかった。

 一瞬、何が起きているのか気づかなかった。

 けれど、それが『吸血』であることに気づいて、彼は目を丸くして、ゆっくりと一歩、また一歩後ろに歩いて行った。

 彼は気づかなかった。その背後に置かれていた皿に、手が触れそうになっていたことを。

 そして、かちゃり、と皿に手が当たり、彼はやってしまったと思った。

 と、同時にメイドとマスターはロバートの方を振り向く。

 ロバートを直ぐに発見して、マスターは言った。


「誰だ!」

「あ、あわわ……。ぼ、僕は何も見ていません! 僕は何も……」


 逃げなきゃ。

 彼はそう思っていた。

 けれど、足が動かない。

 マスターは一歩、また一歩ロバートの方に近づいてくる。


「メイドと僕の関係性を知ってもらっては困る。そうすると、客が減ってしまうだろう?」

「…………ぼ、僕は何を見ていないぞ! 僕を口止めするつもりか!?」

「そろそろ血だけでは限界だと思っていたんだ。いつかは肉を食べないと、」


 彼は呟く。ぽつりぽつりと呟く。


「や、やめろ! 何をするつもりだ! 僕をどうするつもりなんだ!!」

「なあに、痛くないよ。直ぐに終わることだ」


 そうして。

 ぼりっ。

 頭から思い切り、彼はロバートを頬張った。


「――ああ、美味しい」


 月明かりに照らされた彼の表情は、どこか朗らかなものだった。





 エピローグ。

 というよりもただの後日談。

 今日もいつものように続けられる喫茶店の仕事。

 マスターとメイドの奇妙な関係はずっと続いていく。

 これからも、ずっと。



終わり


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