九話 ヒトリボッチと妹 四
「――ほんっと最低よねぇ。それにさぁ、前もこんなことがあってさぁ――」
ここは保智宅の二階であり、保智家の長女――数多の部屋である。
(……また始まった)
保智家の従姉妹である中洲真中は、半ば無理やりこの部屋に連行されて来たのだが、連行された途端、すぐこれだ。
口から出るのはいつも自身の兄――一人の悪口ばかり。
「……」
「……真中? どうしたの?」
いつもなら「そんなこと言っちゃだめだよ数多ちゃん」などとフォローを入れ、「いやいや! 何言ってんの! この前もさぁ――」と数多が別の悪口を取り出して来ての繰り返しで無限ループに突入するのだが――今日の真中は違う。
「数多ちゃん。私は怒っているんだよ」
プクッと片方の頬を少し膨らませて真中はそう言い放つ。
「――っ!?」
数多は戸惑う。
真中は滅多に怒らないことで有名だ。
その真中が自身で「怒っている」と言い放ち、しかも頬を膨らませてしまう程の憤りを感じているのだ。
――非常にまずい。
「ご、ごめん真中……どうして怒ってるの?」
数多はとりあえず真中が如何にして怒っているのか問いかける。
「……数多ちゃん。どうして一人お兄さんに対して当たりがきついの? 昔はずっと一人お兄さんにべったりだったのに……」
「はぁ? 何それ? そんな昔のこと覚えてるわけないでしょ」
確かに大昔はそんな時代があった……ような気がする数多。
しかし、それを断じて認めようとはしなかった。
「……どうして素直になれないの? 本当は一人お兄さんと仲良くしたいんでしょ?」
「いやないわ。ぜんっぜんまっったくないわ」
「……ねぇ、どうして? ねぇ?」
あっけらかんと何でもないように答えてみせる数多であったが、真中は食い下がらない。
これほどまでに詰め寄る真中は珍しい。
――と言うよりも見たことがないと言った方が正しいだろう。
数多はこれまでの人生の中で真中に詰め寄られたことは決してない。
――彼女は非常に温厚で優しい性格だと痛感させられるほどに。
(なんなの……? 一体何が真中をそこまで熱くさせるの……?)
「……“間違っている”と思ってるのは、数多ちゃんもそうなんじゃないの?」
「――っ!?」
知ってか知らないでかは分からないが、真中はまるで心中を察したかのように、先ほど少し反応してしまったワード――“間違っている”という言葉を切り出す。
「は、はぁ!? んなわけないでしょっ!」
数多はついつい焦る。
――誰の目で見ても分かるくらい、身振り手振り全身を器用に扱いながら。
「嘘。数多ちゃん、はっきり分かるくらいに焦ってる」
「んぐっ……!」
それは親友である真中にしては簡単すぎるものであったのだろう。
故に真中は数多に対しての追及を止めることはしなかった。
「う、うるさいわねっ! っていうか、真中あんた急にどうしたの? 今日はえらく突っかかってくるじゃん。何? そんなにあいつのことが気になるの?」
数多は自身の不利を、論点を挿げ替えることによってとりあえず回避することを試みる。
「……っ、そ、それは……」
すると、今度は真中の様子がおかしくなった。
頬を朱に染め、もじもじとしながら言いたいような言いたくないような雰囲気を醸し出している。
――その様子を垣間見ただけで、相手が何を考えているのか大体分かってしまうのが親友というものだ。
「……は? まじ?」
数多は確信する。
――真中は一人に気があるのだろうと。
「……えっと……ま、まぁ……真中のことを悪く言うつもりはないんだけど……やめといた方がいいわよあんな奴。真中ならもっともっとふさわしい人が――」
数多が一人と真中は釣り合わないと、様々な謳い文句を繰り出してやろうと用意している時――
「――お付き合いしてるんだ」
「……へ?」
「……私と一人お兄さん、今日からお付き合いを始めたんだ」
「…………」
あまりの衝撃発言に対し、数多の思考能力は極端に不安定になる。
『真中と一人が付き合っている』というワードが耳から聞こえた気がしたが、恐らく脳内処理に何らかの異常があったせいでそう聞こえてしまったのだろう。
「ちょ、ちょっと真中? あたし、今聞き間違いしてたみたいなんだけど……もう一回言ってくれない? 一人と真中が……何って?」
「――っ! もうっ! 何回も言わせないでっ! だから……私と一人さんは、お付き合いしてるのっ! こ、恋人同士なんだからっ!」
しかし、自身の脳内に異常がないことが分かってしまう。
今度はくっきりはっきりと聞こえてしまった。
――『一人と真中が付き合っている』と。
「……そ、そんな……いっ……いっ――」
いやあああああああああああああああ!!!!!
「やだやだやだやだ!!! 信じらんない信じらんない!!! 無理無理無理無理!!! そんなの絶対に嫌!!!」
あまりの事実に対して数多はまるで小さな子供の用に駄々をこね、両耳を両手で塞いで頭を左右に激しく振り続ける。
「――なっ!? あ、数多ちゃん!?」
「ふざけないで!!! いくら真中でも……そんな冗談は許さないから!!!」
心配する様子で見つめる真中に対し、数多は敵意ある視線をギロリと向け、睨みつける。
「じ、冗談なんかじゃないもんっ! ほんとだもんっ!」
真中はそんな数多に対して一瞬怯えてしまうが、それでもそこを否定されるのは納得いかなかったのだろう。
――はっきりと言い返す。
「――っ! そ、そんなことって……ああぁっ!! もういいっ!!! あんた達のことなんて……知らないっ!!!」
数多は荒々しく扉をガチャガチャと開いて蹴破り、廊下へと殴り出る。
「ちょ、ちょっと待って数多ちゃん! どこに――」
真中は急いで数多の後を追おうと部屋を飛び出す。
――しかし、タイミングが悪かった。
「おいおい、どうしたんだよ? 何か悲鳴が聞こえたけど――」
ドンッ!
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
――刹那。
その光景は生まれた。
まるでどこかのラブコメ主人公がごとく、一人は真中に対して覆いかぶさるように倒れこんでしまい――傍から見るとそれは一人が真中を押し倒しているかのように見えてしまうものであった。
「いたた……あ、あれ? ハッ!? ま、真中ちゃん! ごめん! 大丈夫!? 怪我無い!?」
ギョッとした表情を浮かべつつ体を起こす一人。
「んう……はっ!? あわわわわ!? か、一人さん!? そ、そんな、い、いきなり、こんな――」
閉じた瞳を開くと突然目の前に想い人が姿を現した状況に対応しきれない真中。
「ご、ごめん! 直ぐに離れるから――」
一人は慌てて真中から離れようとする。
「あっ……離れちゃ……やです……」
「――ってちょ!? なんで逆に抱き着くの!?」
しかし、それは真中の尋常ならざるホールド力により無力と化す。
――何か武術でもやっていたのかと疑いたくなるほど離れない。
「……ぐすっ」
「……ん?」
そして、そのような光景を階段から降りる直前に垣間見てしまっていた数多。
数多の次の行動は早い。
傍から見ると、今正にこれから愛し合おうとしているかのように見える二人の姿を垣間見てしまった数多の行動は――
うわあああああああああああああああ!!!!!
そう断末魔の如き叫びを上げながらドタドタと乱暴に音を立てながら姿を消すというものだった。
「……えぇ……どういうことなの……」
「一人さぁん……えへへ……」
「……真中ちゃん、ごめん。ちょっと離れてくれないかな……? 数多の様子がおかしかったから追いかけないと……」
一人は未だにへばりついている真中を何とか引きはがし、残念そうにしている真中をさておき、数多の行方を追うのであった。