八話 ヒトリボッチと妹 三
「さぁ……洗いざらい説明してもらおうじゃない」
一人と真中の手により、無事家に帰宅することができた迷子少女――数多は一人に詰めよる。
「あ、洗いざらいって……どう――」
「うっさい! こっち見んな! キモい!」
ほんの一瞬チラリと視線を向けただけにも関わらず、一人は数多にそのような罵詈雑言を浴びせられ、挙げ句の果てには顔面にクッションをボフリとぶつけられる。
(ぶはっ!? ど、どうしてこんなことに……)
一人は帰宅早々「じゃ、僕は部屋で“勉強”するから、“二人”でゆっくりね」と二つの言葉を強調して自身の部屋に逃げ込もうとしたのだが――なぜか二人とも即一人の部屋に押しかけてきた。
帰宅途中は二人が一人の後ろで何やらコソコソと話をしていたので、一人は――恐らく自分の陰口を言っているのだろう――と被害妄想し、己の身を守るために自分の世界に逃げ込んでいたのだが――
(つ、疲れた……もう無理)
一人の精神は度重なる疲労により、既に限界を超えていた。
いつ精神崩壊して発狂状態に入るかどうか分からないような最悪な状況だ。
迅速に精神値を回復する必要がある。
故に、早い所この二人を追い返す手立てを考え、一人は――
「わ、わかったよ。説明するから。その変わり……説明し終わったら僕を独りにしてくれないかな? ちょっと今日は疲れちゃってさ……」
一人がクッションから少し顔を出してそう答えると――
「うっさい! 顔出すな! キモい!」
数多は即もう一つのクッションを放り投げ、一人の顔面にストライクさせる。
「ぶはっ!? ど、どうしろって言うんだよ……」
一人は二個目のクッションをくらう。
もうこれ以上面倒ごとは避けたい一人は諦め、さっさと数多を満足させて早めに立ち去らせることにしたのだった。
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「――だから、あの時の僕は自暴自棄になっちゃっててさ。二人にも心にないような酷いこと言っちゃったんだ。もう遅い事かもしれないけど……ごめん」
一人は中学時代に間違った考えの元、愚行を行なってしまったことに対して二人に謝罪する。
――数多と視線を合わせると怒られるので、体の向きを横にしていざという時の為にクッションを装備しつつ。
「はぁ? あんなことしといて、本心ではしたくなかった? なにそれ? 真中からも聞いたけどさぁ……舐めてんの?」
しかし、数多はこの上なくブチ切れていた。
あんな事をしておいて、本当はしたくなかった?
――彼女にとって、まるで訳が分からなかった。
「……信じらんない……ばっかみたい」
「……その通りだね。今冷静になって考えてみると、限りなく――この上なく馬鹿だったよ。あの頃の自分は……」
一人は遠い目で窓の外に写る夕日を見つめ、しばし黙り込む。
――さながら遠い昔を思い出しているかのように。
「……あの頃どころか、僕は小学校の頃から間違ってたんだろうか……そう言えば、みんなからの遊びの誘いを無視し続けてたもんなぁ……そりゃ挙げ句の果てに僕自身が無視されて当然か……あぁ、そっか、その通りだ、最初っから間違ってなんかいなければ、みんなと遊んで、一人ぼっちにならずに、今頃……ぐすっ……もっと……楽しく過ごせてたはずなのになぁ……」
「……っ!?」
一人が今までなんとか心の防波堤で防いできた悲しみの感情が、勢いを増して押し寄せて来る。
「……ぐすっ……ごめん……ごめんよぉ……」
強まった勢いにより防波堤が決壊し、それ故か一人は堪えきれずに――瞳からボロボロと涙を流してしまう。
「ちょ、ちょっと……泣いたところで解決するわけないでしょ……」
しかし、泣いた所で数多が一人のことを許すはずもない。
(なによ……無様に泣いちゃって……)
だが言葉では強気な数多であるが、さめざめと泣く一人の様子を垣間見て内心ではひどく慌てていた。
一人が泣く姿なんて近々……いや、しばらくどころか――数多の人生の中でほとんど見たことがなかった。
「……数多ちゃん。一人お兄さんのこと、もう許してあげようよ。悪気はなかったってもう分かったでしょ?」
真中は一人の近くにまで歩み寄り、背中を撫でて宥めつつ数多を説得する。
しかし――
「……いや。許さない。こいつは……こいつは――」
数多はあの頃――中学時代、一人と言い争っていた時期を思い出す。
『お前は背ちっちゃくて可愛らしいなぁ。ほれほれ、頭を撫でてやろう〜』
『……は、はあああぁぁ!? ○ね!』
『いててっ! おいおい○ねはないだろ死○は〜』
『そ、そうだよ数多ちゃん。何もそこまで言わなくても……』
『おぉ〜真中ちゃんは良い子だねぇ。そんな良い子の真中ちゃんには、今夜僕が添い寝をしてあげよう〜』
『えっ……そ、そんな、困ります……』
『ちょ、ちょっと! そんなことしたらダメだからっ! 真中にまでキモいこと言わないで!』
『え? 何言ってんだよ。真中ちゃんはもはや家族同然みたいなもんだし、何も問題ないでしょ』
『か、家族同然……』
『――なっ!? んなわけないでしょ! ――っああぁぁっ! もういいっ! あんたなんて知らないっ! 行くわよ真中!』
「――ぜったいに許さない!」
先ほどまでの焦りは鳴りを潜め、数多の感情は過去のフラッシュバックによって怒りの感情で埋め尽くされる。
「数多ちゃん……」
真中は半ば諦めたかのような表情をとる。
――数多の強情さを知っているからだろう。
「……とにかく、そういうことだから」
数多はむすっとした表情を浮かべてそっぽを向き、一人を視線から外す。
「……」
すると、真中は無言のまますっと指を一人の学習机に向ける。
「……なによ? 机なんか指差して――」
「数多ちゃん。机の上、見て」
真中が指差す先。
そこにはある一冊の本が置いてあった。
その名も――【友達の作り方】。
「……はっ。なによ? 友達作ろうとか考えてたわけ?」
数多は目を細め、蔑みの目を一人に対して向ける。
「そうだよ。一人ぼっちはつらいもんね。数多ちゃんもそう思わない?」
しかし、真中は真剣な面持ちを持ってして数多に語りかける。
「な、なによ……こいつは自分から独りになりに行ったようなもんでしょ……自業自得よ」
「そうだね。でも一人お兄さんはそれが間違いだってことに気がついて、本を読んだり、見た目を変えたり、必死になって友達を作ろうと――」
真中が数多を諭そうと一歩踏み込んだその時――
「――っ、間違いなんかじゃ……ないわよ……!」
突然数多が形相を変えてキッと真中を睨みつつ答える。
「……えっ? あ、数多ちゃん?」
突然の出来事に対して真中は驚く。
――これほどまでに声を荒げる数多の姿を今まで見たことがなかったからだ。
「……そんなことしたって無駄だから。あんたは今まで通り、地味に暮らしていくのがお似合いよ」
数多は神妙な面持ちのままそうポツリと言い残し、部屋の出口にまで向かい、扉に手をかける。
「……帰る」
「か、帰るって、どこに? ここ数多ちゃんの家――」
「あたしの部屋に帰る!!」
バタン!
「……数多ちゃん……」
真中の数多を憂う呟きは、もはや数多の耳には届かない。
「……いや、いいんだよ。ありがとう真中ちゃん。数多にも譲れない何かがきっとあるんだよ」
ここでようやく正気を取り戻した一人が、真中に対してフォローを入れる。
(……数多は昔から頑固者だったからな。今は僕が何を言っても聞かないだろう)
理由は定かではないが、数多は小学校くらいの頃から一人に対してつんけんした態度を取るようになった。
――正直セクハラ後も大して態度が変わらなかった為、特に大事無いと思っていたのだが――。
(……でも、数多とも小さな頃みたいに仲良くなりたいな……ん? 待てよ……これってちょっと……いや、かなりまずいんじゃ……)
一人は今になって気づく。
――それはそれは大変重要なことに。
――今まで一緒に過ごしてきた家族でさえ忌避するような存在が、赤の他人と友達になれるのか?
何か特別な事情でない限り、答えは否だろう。
そして、一人の家族事情に特別な事情は無い。
一大事である。
(まずい……まずいぞ……! 妹との仲を取り繕えないような僕なんかに友達が作れるわけない! 一刻も早く仲直りしないと……!)
一人はスッと立ち上がり、すぐに行動を起こす。
――未来の自分のために。
ベッドから立ち上がり、先ほどまで涙を流していただらしない面持ちを正し、そして――
「……真中ちゃん。数多の部屋に行ってやってくれないかな? あいつの怒りを鎮めてやって欲しいんだけど……」
ベッドにスッと腰を下ろして数多のご機嫌取りを真中へと託す。
――だって今部屋に行っても多分話聞いてくれなさそうだもん――と心の中で言い訳をしながら。
というか、普段から立ち入りを禁じられているので、話にもならないだろう。
ならば頼みの綱は真中のみである。
「……数多ちゃんのことなんて、知らないです。私は一人さんの部屋に居ます」
しかし、頼みの綱はプツンと途切れており、どうやら使い物になりそうもない。
――というより、頼みの綱自身がプッツンしているようにも見える。
真中は頬を少しぷくりと膨らませ、不満をその表情に表しつつ勉強机に頬杖をついている。
――どうやら相当怒っているらしい。
(むむむ……そりゃせっかく良いことしようとしたのに突っぱねられたとか……慈善活動の欄に書きにくくなるから当然怒るよね……。困ったな……やっぱり自分で行くしかないのか……?)
一人がそう小さな覚悟を決めようとしたその時――。
ドタドタドタッ! バタンッ!
「危ない危ない! 変態の巣窟に真中を置きっ放しにするのはまずいわっ! ほらっ! 真中っ! 行くわよ!」
「――えっ!? ちょ、ちょっと! 数多ちゃ――」
パシッ! ドタドタドタッ! バタンッ!
「……へ?」
それは嵐のように突然やってきた。
少女は妖怪ヒトリボッチの魔の手から親友を救い出すべく、颯爽と扉を開いて――って誰が妖怪だ誰が。
とにかく、扉を蹴破りかねん勢いでやって来たのは数多だった。
数多は真中の手を強引に引き、無理やり真中を一人の部屋から連れ出していったのだ。
「……助かったような、助かってないような……。まぁ、今日は久しぶりに行動的になって本当にくたびれた。後は真中ちゃんが上手く数多の機嫌を取り直してくれることを願って――」
一人はそこまで言い切ると、今度こそボフリとベッドに前のめりに飛び込み、全身を預ける。
「――ふぅ……ん? 僕の携帯が……光ってる……!?」
バッと慌てて飛び起き、先ほどまで充電していた携帯電話を掴み取り、半ば乱暴に画面を開く。
一人の携帯が光ることなど滅多にない。
――それはもう、異常気象レベルで。
「な、なにかな……架空請求じゃないといいけど……も、もしかして、今日頑張ったご褒美に、神様から『友達を授けよう』的なイベントでもあるんじゃ……!」
一人が恐る恐る携帯の着信履歴を見て見ると――
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数多 15:08
数多 15:03
数多 15:00
母 11:50
父 19:23
母 11:48
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「……これは……」
(――本当に、今まで悪い事をしたな)
まだ困った時に頼ってくれるくらいには、数多も一人のことを気にかけてくれているらしい。
一人はそっと携帯電話を閉じ、充電器に戻す。
(――今まで放ったらかしにしててごめん。これからちゃんと、仲直り出来るように頑張るよ……数多)
そう心に誓い、一人はベッドに身を預けて目を閉じしばし休息を取るのであった。