二話 ヒトリボッチと美容室
さて、ここにある参考書がある。
その名も――【友達の作り方】。
一人はこれを人生のバイブルにすることに決めた。
昨日友達が欲しくて欲しくてたまらないということを実感した一人は、起きて早々朝早くから独りで本屋へと赴き、この本を買って来た。
「僕は今までぼっちだった。そんな僕が何かしらの策を講じた所で失敗するのは目に見えている。まずは外部から情報を集めないと」
大学入学までには後一ヶ月近くある。
ならば今まで学んで来たことを予習復習しておく必要があるだろう。
一人は独り本気で勉強する。
――友達の作り方について。
その結果、分かったことは、大きく分けて以下の三点。
一、明るく振舞うこと。
二、グイグイ攻めすぎないこと。
三、出会いを大切にすること。
「むぅ……どれもこれも、今の僕にはきついな。三年間気配を消して生きて来た僕が、いきなり明るく振る舞えるわけがないし、攻めすぎないって言ったって、友達欲しすぎてゾンビになりそうなくらいだし、そもそも出会いがないし……」
そこまで言った一人は参考書をバタンと閉じ、机に頭を置き突っ伏する。
「はぁ……出会いかぁ……そういや、従妹のあの子は元気かなぁ」
昔、中学生の頃に遊びに来ていた従妹に対して言ってしまったことを思い出し、一人は独り呟く。
「……思春期の子に対して、あの物言いは最低だよなぁ」
黒歴史を思い出し、ブルブルと震えて寒イボが立つ。
それまでは年に数度遊びに来て一緒に過ごしていたのだが、あの一件以来、一人と目すら合わせてくれなくなってしまった。
たまに遊びに来た時も、すぐに妹の部屋へと直行し、挨拶すら交わすことも出来なくなってしまった。
「……だめだめ。過去に縛られてどうする。僕は二度とあのゴミを見るような目で見られ続ける学生生活や、幽霊でも見るかのような目で見られる学生生活を過ごしたくないんだ。そのためには努力あるのみ」
一人は頭を起こし、参考書を手に取り、穴があくほどに読み更ける。
「ふむふむ……見た目も中身も綺麗に整えること……ねぇ」
一人は鏡を見て自分の容姿を確かめる。
顔をあまり見られないように伸ばした黒い前髪は、鼻の頭の部分にまで達していた。
「……見た目は幽霊、中身はハイエナ……これじゃあだめだ」
一人は「はぁ」と大きな溜め息を吐き――
「……久しぶりに、髪切りに行くか」
財布を手に取り、学生服を身に通し、独りで髪を切りに向かうのであった。
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「いらっしゃいませ! ビューティサロン、メルヘンへようこそ!」
一人は髪を切りに独りで美容室を訪れる。
今までは千円カットの理髪室ばかり通っていたのだが、今回は違う。
見た目もバッチリ決めて大学に臨まなくてはいけないのだ。
一人は覚悟を決めて入り口の扉をカランカランと音を立てながら開く。
すると、若い女性美容師が挨拶をしてくる。
「あの……髪を……切って、欲しいのですが……」
家族以外の人間と喋るのは久方ぶりだ。
一人は消え入りそうな小さな声でボソボソと美容師に尋ねる。
「かしこまりました。準備が出来次第お呼び致しますので、しばらくお掛けになってお待ちください」
そう言って美容師は入り口の隣に五列並んでいる椅子の方へと手を差し伸べる。
このお店は従業員三人で回しているようだ。
四十代くらいの女性と三十代くらいの女性はそれぞれ別の客の対応中。
このレジで立っている若い女性美容師の手が今は空いているようなので、この人が一人の対応をしてくれるのだろうか。
「あ……ありがとう、ございます」
一人は少々照れつつ移動しながら椅子にかける。
家族以外の女性と普通に話したことなど本当に久しぶりだ。
しかも美容室の従業員とあるだけあって、容姿も整ってある。
茶色いポニーテールを揺らしながら、元気溢れる笑顔で挨拶をされると、ぼっちである一人の心臓が自然に弾む。
すると、美容師が一冊の本を手に持ってやってくる。
「どうぞ。こちら、ヘアスタイルのカタログです。お待ちになっている間、ご覧下さい」
若い男性向けのヘアスタイルカタログを渡される。
男性モデルがビシッとかっこよく決めている表紙を見て一人は思わず「おぉ〜」と声を上げる。
すると――
「……お客さんは、切りがいがありそうです。ふふっ」
と言いながら美容師がにこっと笑顔を見せ、くるりと振り返ってポニーテールをゆらゆらと揺らしながら去って行く。
「あっ……その――」
しかし、一人は長年こじらせた病――【ぼっち】の効果により、たどたどしい返事しか返せなかった。――しかも相手はもう居ない。
「……カタログ見るか」
一人は美容師の方へと向けた手をカタログへと戻し、ペラペラと読み進める。
【今流行りのモテファッション!】や、【今期のキメスタイルはこれ!】といったコラムを読み進めるが、一人の求めるコラムは探せど探せど見つからない。
「……友達が出来るヘアスタイルとかはないのか……」
「――? 友達、ですか?」
「うわっ!?」
すると、美容師がいつの間にか一人の開いたカタログを覗き込んでいた。
「あっ! ごめんなさい! 食い入るように見ていらしたので……驚かせちゃいました?」
美容師は片手を口の付近まで持って来て「あっ!」と驚いた表情を浮かべる。
「い、いえ……すみません。つい、読み更けてしまっていました……」
一人は奇声を上げてしまったことに対して申し訳なく思い、美容師に対してペコペコと頭を下げて謝罪する。
「そうでしたか。お客さん随分伸ばしていらっしゃいますので、今ならどんな髪型でも挑戦出来ると思いますよ!」
美容師は胸の辺りに両手の握りこぶしを持って来て、「がんばるぞ!」とでも言うかのようにグッと張り切るポーズを取り、表情もやる気に満ち溢れている。
「あっ……そ、そうですか……? 僕……その……こ、こういうの、初めてで……その、初心者にもオススメの髪型とかって、あります?」
一人は目を左右に高速で反復横跳びさせつつも、なんとか言葉を絞り出す。
今日は自分を褒めてやりたいくらいに行動的だ。――タイマーがピコピコと警報を鳴らしており、既に限界が迫って来ているが。
「そうですねぇ……あっ! この【今流行りのモテファッション!】の髪型はどうですか?」
すると美容師が一人の持つカタログを覗き込みつつコラムに指を指す。
――だが、それどころではない。
美容師の整えられた顔立ちがすぐ目の前に有るのだ。
目線こそカタログの方に吸い寄せられては要るが、楽しそうににこにこと微笑みながら「あ〜でも、こっちのコラムもいいかも……」と、屈託のない笑顔で一人の髪型を吟味している。
ポニーテールをふわふわと揺らすたびに、可憐に咲く花の如き芳しい香りが漂ってくる。
そのような甘酸っぱい体験は、いままでぼっちだった一人には荷が重い。――重過ぎた。
(顔が近い体が近い良い香りがするああああああやばいやばいやば――)
……プチンッ。
「あははははっ! じゃ、じゃあ、この、【今流行りのモテファッション!】ってコラムの髪型で、お願いします! あははははっ!」
処理が追いつかず、何やら変なスイッチが入ってしまった一人は、半ば自暴自棄になりつつも無理やり言葉を吐き出す。
「わっ!? き、急にどうされたんですかっ!?」
「あははっ! いえっ! 大丈夫ですっ! 平気ですっ! 取り敢えず、この髪型でお願いしますっ!」
「は、はぁ……かしこまりました。では、準備が整いましたので、理容椅子の方までお越しください」
美容師は不思議そうに首をキョトンと傾げながらも、くるりと振り返り、店の奥へと案内してくれる。
一人はその間に自身のスイッチを狂乱心から平常心の方へと切り替えておくのを忘れない。
(う、うぅ……多分、引かれたかな……)
一人は長年こじらせた病――【ぼっち】の効果により、他人とのコミュニケーションが上手く取れなくなっていた。――対象が魅力的な異性ともなると、尚更だろう。
(しかし……ここまでひどいとは……重症だなぁ)
「はぁ」と重いため息を吐きつつ、トボトボと歩き、理容椅子の前にまでやってきて座る。
「ケープ通しますね。あっ。カタログは持っていてもらって大丈夫ですよ。切っている間に見てもらっても結構ですから」
そう言って美容師は散髪用のマントのようなエプロン――ケープを一人にかける。
「――あっ、はい。すみません」
「――? 別に謝らなくても、大丈夫ですよ?」
「あはは」と笑いながらスプレーボトルを取り出し、一人の髪にシュシュッと霧をふりかける。
「髪型はさっきのコラムに載っていたのでいいですよね?」
「あっ、はい。これでお願いします」
一人は持っていたカタログの【今流行りのモテファッション!】のコラムに載っている髪型を指差す。――マッシュショートと言うらしい。
「ふふ。かしこまりました。でも……もう一つの方――【今期のキメスタイルはこれ!】の髪型も捨てがたいですよね〜」
「そうですか? どれどれ……」
一人は雑誌の【今期のキメスタイルはこれ!】のコラムに目を写す。
――なんだろう。
オシャレに乏しい一人に取っては、どう見てもパリッパリに乾燥した乾麺を頭に乗せているようにしか見えない。――お湯をかけると三分でそのまま召し上がれそうだ。
(うわっ……! あ、危なかったっ……!)
一人は狂乱スイッチが入っている時、髪型をよく見ずに取り敢えず目についた方を選んだのだが、それがこちらの方でなくて良かったと心底安心する。
(良かった……こっちの髪型は、確かに似合う人がやったらかっこいいだろうけど、僕には全く似合わないだろうなぁ)
男らしい髪型ではあるが、あいにく童顔な一人には到底似合いそうにない。
髪型の名称も、カタカナの羅列が立ち並び、何やら必殺技めいたものだった。――強そうではあった。
「ま、まぁ……今回はこっちでいいかな……」
「は〜い。分かりました。……よ〜し。それじゃあ、切っていきますよ〜」
美容師はハサミをカチャカチャと鳴らしながら、ご馳走を前にした肉食動物の如く、ウキウキとした表情を浮かべる。
「は、はい〜。お手柔らかに〜」
一人は肉食動物に狩られる寸前の草食動物の如く、怯えた表情を浮かべる。
「うふふ。そうはいきません。徹底的にやらせていただきます! それそれ!」
「ひ、ひえぇ〜!」
こうして、一人は美容師になすがままにされ、見た目はイケメン韓流スターのような髪型へと変貌した。
三人の美容師は、「おぉ……!」と、まるで発掘した化石を見るかのように、一人の変貌した容姿を物珍しそうに眺める。
一方、一人は若い女性美容師――名を高木さんと言うらしい――から受ける接客トークに必死で受け答えしたせいか、魂が半分抜け出てしまっていた。
なので、まるで充電が切れかけているロボットの如く、ガションガションと歩いて会計へと向かい、支払いを済ませ、「アリガトウゴザイマシタ」とお礼を述べた後、一人はそのままガションガションと美容室を出て行ったのだった。
「……面白い子だねぇ。イケメンなのに」
「ほんと。隠れてた顔はチャーミングだったのに、帰り際にロボットダンスしながら帰るだなんてねぇ」
「ふふ。内気そうにしてたけど、本当は陽気で明るい子なんだろうね。友達の話してたし、友達多いんだろうなぁ」
一人を眺めていた美容師達が、そんな会話を楽しんでいたことを、一人は知る由もない。