放課後の小さな出来事
放課後の小さな出来事
主人公は大人しい少女だった。
何か用がない限り、自分からは喋らない。喋りかけられても、返すのはほんの二言、三言で、そこから話を発展させて楽しむ、といった喋り方が彼女には上手く出来ない。
「原田さーん!」
原田、それが彼女の名だった。
廊下を歩いているところを呼ばれて振り返った先、その突き当たりに、少年が一人、立っていた。栽培係の水やりの仕事のために、放課後遅くまで残っていたので、廊下には主人公と彼の二人だけだ。
「ちょっと、ちょっと!」
大きく手招きをする彼は長谷川、主人公と同じクラスの少年であった。
主人公は、彼が大の苦手だった。主人公の淡々としたな話し方になつかないクラスメイトたちの中、彼だけは事あるごとにちょっかいを出し、それは例えば給食のカレーにニンジンをわざと沢山入れたり――主人公はニンジンが大嫌いだ――、ランドセルからにゅっと飛び出したリコーダーを引っこ抜いたりと可愛いものだったが、主人公は幼いなりに、本心から頭を悩ませていた。
呼ばれてしまったものは仕方がない。主人公は踵を返し、長谷川のもとへと歩いていく。すると、彼の背中に何か見えてきた。どうやらそれは筒状に丸めた画用紙らしい。長谷川は照れたようににこにこ笑いながら、口を開く。
「図工の時間に似顔絵描いたじゃん? あれ、完成したんだよ」
そういえばそんなものがあったっけ、と主人公は目線を泳がせた。図工の時間は先週から、出席番号順の席で、隣の人の似顔絵を描くのが課題だった。“長谷川・原田”で彼らは隣の席だ。
絵が得意でない主人公は、長谷川に見えないように手で画用紙を隠しながら必死に終わらせて、先生から検印を押してもらった今はもう、自宅の机の引き出しの奥に封印してある。
「じゃーん!」
見たい、なんて思った覚えはなかったが、広げられたものに自然と目がいってしまい、
「…………」
黙って目を丸くした。
画用紙の中に、肩から上の大きく描かれた“原田なつみ”がいた。花のピンのついた黒い髪は肩まで伸びていて、大きな目に小さな鼻、分厚い唇の間には白い歯が並ぶ。“原田なつみ”は笑っていた。
「原田さんって、あんまり笑ってんの見たことないからさ、書くの大変だったんだぜ?」
長谷川はそう言って、野球刈りの短い頭を掻いた。
実物とは主人公には、画用紙で笑っている“原田なつみ”が、自分には持っていないものを持っているように見えた。なにより、彼女は楽しそうだった。
「俺さぁ、もっと原田さんが笑ってくれないと困るんだよ」
え、と主人公は思わず聞き返していた。嬉しいのか、照れくさいのか、少し頬が赤くなる。
「俺がギャグ言ったとき、ちゃんと笑ってくれないと、滑ったみたいだろ?」
「…………」
なんだ、そういうことか。
主人公は拍子抜けした溜息を飲み込んで、長谷川を見た。どうやら本当に、本気でその台詞を言ったらしい。照れ隠しでも何でもなく、“素”だ。そんな長谷川は主人公を指差して、
「だから、笑えよ?」
念を押すように言った。
主人公は唇の端をほんの少し上げて、
「うん」
素直に頷いた。
それは放課後の小さな出来事。
もともと絵本として完成させたものを、小説として書き直してみました。絵がない分、文章には描写を入れるよう意識をしたつもりなのですが……いかがだったでしょうか。
ほのぼのしていただけていれば嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。