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補遺 がんと死の追想 9命は金で買えるか?

命は金で買えるか?

 ノーと言いたいところだが、もしKに払える金がなかったならば、肝臓がんの治療のために、300万円もかかる陽子線治療を受けることはできなかっただろう。かれが人から借金をしてまでも、治療に踏み切ったとは思えない。もし陽子線治療を受けることができなかったら、命が縮んでいたかもしれない。もしかすると、すでに亡くなっていたかもしれない。

 300万円という高額でなくとも、東京慈恵会医科大学病院で行った腹部大動脈瘤の手術のように、東京に行く旅費や宿泊費を払うことができない人もたくさんいるだろう。いやそれ以前に、Kにとって山形大学病院は、自宅や職場から数十分で通うことができるが、山形県内とはいえ山形大学病院から遠く離れたところに住む人たちの中には、日帰りが困難な人もいるだろう。バス代やホテル代が大きな負担となる人たちは、地元の病院にかかるしかなく、地元の病院の実力によって治療の幅が限定される。

 もし大金持ちならば、海外の優秀な医者にかかるという選択肢もあるだろう。もし外国語ができないならば、通訳を雇うこともできる。金さえあれば、治療の選択肢が広がり、命を長らえる可能性が高くなることは間違いない。なんでもそうだが、上を見たら、切りがないのである。

 病気になっても、お金がないために医者にかかることができない人たちが巷に溢れているような社会は間違っている。自分がエアコンのある部屋で快適に過ごしても、窓の外では路上で寒風に身をさらし、死んでいくような人たちが溢れている光景が展開されるような社会は病んでいる。そうした光景に何も感じなくなったら、人間の心も病んでいる。誰でもが平等に医療を受けられる国民皆保険制度は、健全な社会を成り立たせるための基盤として、いつまでも死守されなければならない。そのうえで、保険が適用されない先端医療は、自分の財布の中身と照らし合わせて、受けられるかどうかを決めることだ。過度のことを国に頼り切らないことも重要だ。頼りきれば、自己がすっくと自立できなくなる。

 もっと惨めな過去があったように、もっと素晴らしい未来があるかもしれない。しかし、我々は現在のこの社会に生きている。過去から比べるとそんなに悪い社会じゃないし、現代の他の国と比べてもそんなに悪くはない。国民皆保険制度に限って言えば、世界に冠たる優れた制度である。少子高齢化と人口減少によって、個人の医療負担の割合が高くなろうと、国民皆保険制度を死守していこうではないか。

 ちなみに、山形県の北部に位置する戸沢村角川集落が、国民健康保険発祥の地とされている。旧角川村は雪深い田舎で定住する医者もなく、村人は病気になっても交通の不便さと貧困で医者に看てもらうことができなかった。そこで、昭和11年に村人が相互扶助の精神から所得に応じて毎月保険料を出し合って「角川村保険組合」を結成し、村営診療所ができた。この2年後の昭和13年に初めて国に「国民健康保険法」が施行されたのだが、この時、「角川村保険組合」は国保組合設立許可の全国第一号の栄誉を担った。角川集落には「相扶共済」と刻まれた石碑が建ち、郷土の誇りとなっている。


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