補遺 がんと死の追想 8治療法の選択
治療法の選択
Kは、自分ががんになってから、がんに関する情報をインターネットを駆使して集めていった。Kでなくとも、我々よりも若い世代の人ならば、ネットサーフィンで情報を簡単に入手することができるだろう。だが、いくらがんのことを理解したからと言って、がんが治ることはない。これが辛いところである。だが、人間は自分を理解したい、いきものなのだ。
「自分はどういう状況におかれているのか」、という問いは、山で道に迷って、自分がどこにいるのか、どちらの方向に進んだらいいのかわからないときに起こってくる。インターネットの中は、様々な医療機関や個人が発信するがんの情報で溢れている。だれでもがわかるような平易な言葉で書かれた情報から、専門用語で書かれた医療従事者でしかわからない情報までが氾濫している。同じ舞台に、怪しげな宗教や民間医療までが入り込んでいる。
医学や医療の専門用語がチンプンカンプンなので、そうしたウェブサイトに触れることなく、もっと誰にでもわかるように平易に書かれたウェブサイトに目を通すことが多くなるのかもしれない。医療機関は、ひと昔前よりも、患者やその家族に向けて、できるだけ平易な言葉でがんを解説するようになってきている。しかしそれでも難しいのだ。研究者などの専門家の多くは、一般の人の立場に立ってわからせることが苦手であり、そのことに十分な労力をかけようとはしていない。それは権威主義や横着なことだけが理由ではなく、専門用語を使わずに正確に伝えようとすることは、限られた時間や分量の中ではほとんど無理な作業なのだ。専門家は事象を「正確に」伝えることにこだわる。少しでも間違ってはいけないと思ってしまうのだ。専門家が専門家に話すのとは違い、一般市民が理解しようとしているのは、そこまでの正確さではない。それぞれの人に合わせて、その人がわかったと思える説明ができるようになることが大切なのだろう。
一つの専門用語には、事典の中で何行にもわたる説明があり、その説明の中にもたくさんの専門用語が使われている。医学の系統だった教育を受けていない一般市民がすぐに理解するのは到底無理なのである。「すぐに」と書いたのは、時間をかければ誰でも理解できるようになるのである。なぜならば、医学は科学であり、科学は論理に基づいているからである。それゆえ、理性がある人間ならば誰でもが教育を受ければわかるのが論理である。もちろん、教育は学校の先生から習わなくとも、自分で学習することもできる。
Kはネットサーフィンから自分の手術が学会発表されたのを知り、その抄録を手に入れた。Kが科学者だからと言って、自分の手術だからと言って、その抄録の内容を完全に理解することはできない。わたしもそうである。しかし、あきらめずに専門用語を芋ずる式に調べていけば、少しずつ深く理解できるようになる。手術の仕組みがわかれば、なかなか嬉しいものである。人間にとって、知ることは快楽なのである。それでも、患者ががんのことをいくら知っても、自分で治療するわけにはいかないのだ。「俎板の鯉」であることに違いはないのである。
治療方針が定まっているならば、俎板の鯉として医者に身を任せるしかないのだが、Kのように医者から治療を放棄(医者はそうは思っていなかったのかもしれないが、少なくともKはそう受け止めていた)されたならば、他の医者や病院を探さなければならない。そうしたことにもネットサーフィンは役立つ。だが、「必ず治る」という民間療法やカルト宗教などの甘言には騙されない方がいい。藁をもすがりたい心境はよくわかるが、わかりやすい、自分に心地良い情報が「正しい」情報とは限らないからだ。正しい情報でなければ信頼性はないのだ。
インターネットで、がんについての情報が容易に入手することができるようになった。それは同時に、苦しんでいる人たちを罠にはめることも簡単にできるようになったのだ。くれぐれもそうしたことに留意しながら、ネットサーフィンをして欲しい。死期を早めた上に、お金までむしり取られ、残されたものがより不幸になるのは避けなければならない。
アップル社の創業者でありiPOD・iPhone・iPadを世に送り出したスティーブ・ジョブズは、すい臓がんと診断された時、まだ手術して治るかもしれなかったのに、手術するのがいやで、インターネットで菜食、針治療、ハーブ治療、心霊療法などの民間療法を試し、そうしている間にがんが進行し、死期を早めたと言われている。スティーブ・ジョブズのような高い知性と莫大な財力を持ってしても、おかしな信念と行動によって、がんを治すことができなかった。かれは後に自分のとった行動を深く後悔したと言われている。
がんの疑いがあったならば、ぐずぐずせずに、すぐに病院にいくことだ。西洋医学に頼ることが最善の方法である。その後で、ゆっくりとネットサーフィンをし、自分のがんについて知り、疑問を素直に担当医にぶつけてみることである。我々はもっと賢い患者となる努力をするべきだと思う。
Kは、西洋医学を信じ、担当医を信じた。そこからぶれることはなかった。




