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補遺 がんと死の追想 6わたしの周りのがん患者

わたしの周りのがん患者

 おばさんが亡くなった半世紀前、がんは不治の病であった。世間一般、ほとんどすべての人はそう思っていた。当時の医療技術はがんに太刀打ちできなかった。そうした時代が長く続いた。わたしにとってもがんは死と深く結びついていた。

 社会全体において、がん患者に病気を告知するかどうかが問題になっていた。それは死の宣告に等しい時代だったからだ。だが、患者にとってはがんを告知されることによって残った人生を豊かに暮らすということもあった。まだ働き盛りだったら、仕事の整理もあるのだ。だが、大勢はがんを宣告することに否定的であった。医者は親族をよんで、患者ががんであることをこっそりと告げるだけであった。直接本人に知らせることはほとんどなかった。

 30年前、友人のおくさんががんになった。余命が数か月だと宣告されたが、友人はおくさんにがんであることを、亡くなるまで教えなかった。東京の有名な病院に入院し、それから小さな子供たちも引き連れて家族全員でギリシャに移って数か月治療をし、帰国して前の病院に再入院し、そこでがんを宣告されて1年が経った頃に亡くなった。

 わたしはがんを宣告されてすぐに病院にかけつけ、それからも頻繁に見舞いに行った。さすがにギリシャまではいけなかった。帰国した時、成田空港にワゴン車のレンタカーを用意して待っていたわたしは、悪液質カヘキシアになって激やせしたおくさんを見て、子供の時の葬式で見たおばさんのミイラのような姿と重なった。わたしの運転で都内の病院に行き入院したが、まもなく亡くなられた。亡くなるその瞬間もわたしは友人と二人で立ち会った。おくさんはきっと自分ががんであることを知っていただろう。そのことを何度も友人に詰問することもあったが、友人は最後までがんだとは白状しなかった。がんだと伝えることは、最後の希望を取り去り、絶望しかなかったからだ。当時、がんはそれほど死と同義語のようだった。

 この時の経験から、わたしは知人ががんになったら、できるだけ頻繁に見舞いに行きたいと思うようになった。それはしばらくぶりに会って、患者が激やせして以前とはまったく違う容貌になってしまったならば、なんと声をかけていいかわからないからだ。これでは、患者の病気が悪化していくことを前提としているようで、少し後ろめたい気分になる。だが、わたしには、突然ミイラのようになった友人や知人に何食わぬ顔をして会い、話をする勇気がないのだ。子供の頃の恐怖心を引きずっているのかもしれない。

 現在、本州と四国は3つの橋のルートで結ばれているが、最初に橋で結ばれたのは昭和63年(1988年)4月10日のことで、岡山県の児島と香川県の坂出を結ぶ、通称「瀬戸大橋」と呼ばれるルートである。この頃、わたしの実家は広島県の福山市にあり、姉は高知県に嫁ぎ、二人の子供をもうけていた。瀬戸大橋で結ばれる前は、香川県の多度津市と福山市を結ぶフェリーが運航され、それで行き来していた。

 瀬戸大橋が完成する前だからかれこれ30年前に、姉ががんになった。のちに、母は「いくらフェリーで見舞いに行っても、その度に弱っていき、死に近づいていく我が子を見るのは、辛いことに思えた」と語った。この時、どういうわけか、姉にはがんであることが告げられていた。がんの摘出手術をし、姉は今も元気で生活している。死には近づかなかったのである。

 その後、がんは本人に告知されるのが当たり前になり、年老いた父にも胃がんであることが、医者からあっさりと告知された。父は目をまん丸にし、放心状態になったようであるが、そのそばでわたしは冷静に医者の説明を聞いていた。

 本人にがんを告知するようになったのは、医療の発達によってがんが不治の病でなくなったことが、大きく関わっている。そして、本人ががんであることを知っていなければ、適切な治療を進めていくことができないからでもあろう。がんの三大治療法である手術、放射線治療、化学療法のいずれも、本人が知らなければ、その治療に耐えることは難しいのではなかろうか。ましてや、陽子線治療などの新しい治療法を試すことはできない。

 一般市民の我々が、覚悟ができていようとできていまいと、そんなことはお構いなしにがんは告知される時代になった。がんに対するデリカシーがなくなってしまったようだ。

 わたしもKにデリカシーもなく接していることが、本文をお読みになることでおわかりだろう。生きることに立ち向かうためには、感傷的になるよりも、笑い飛ばした方がいいと、少なくともKに対してはそう思えるのだ。Kも、多分、賛成してくれるはずだ。


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